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 例年より十日ほど早く初霜が降りた日の昼過ぎ、ダノシー男爵一行はフィリプトン屋敷にやって来た。

 霜が降りるのが早いのは、その年の冬が厳しいものになる知らせだ。

 まるで災難が一度に訪れたようで、セリーナは苦々しい気持ちでいっぱいだった。

 それでも精いっぱいの笑みを顔に張り付けて、招かれざる客を迎える。


「ようこそいらっしゃ――」

「んまー! 聞いていた以上にみすぼらしくなったわね! しかもこの寒さ! わたくしの大切なハロルドが風邪をひいてしまうわ!」


 セリーナの歓迎の言葉は、耳障りな甲高い声に遮られてしまった。

 侍従に手を借りて馬車から降りて来た夫人の第一声だ。

 両親の存命中の頃を最後に、数年ぶりとなる再会だったが、夫人の毒舌は健在らしい。

 セリーナは引きつった頬がどうか笑顔に見えますようにと願いながら、続いて降りて来た夫人の〝大切なハロルド〟に視線を移した。

 数年前に会った時より、さらに太ったようだ。しかも汗をかいている。

 確かに、このままでは夫人の言うように風邪をひいてしまうだろう。今日はこの秋一番の冷え込みなのだから。


「まあまあ、そう正直に言うものではないよ、アガサ」


 最後に降りて来た男爵が夫人をたしなめて、にたりとした笑みをセリーナへ向けた。

その表情にも言葉にも、内心が洩れ出ていることに、本人は気付いていないらしい。


「しばらくぶりだね、セリーナちゃん。数年合わないうちに、ずいぶん大きくなったね。今まで大変だったろう? この屋敷を見ればわかるよ。いつでも頼ってくれてよかったのになあ。まあ、これからは心配する必要はないからね」


 白々しく言い募る男爵に腹を立てながらも、セリーナはどうにか淑女らしく膝を折って挨拶をした。


「皆様、お久しぶりです。ようこそ、フィリプトン屋敷へいらっしゃいました」


 三人へそれぞれ笑みを向け、言い添える。


「どうか、わたしのことは〝レディ〟と呼んで下さい。両親が亡くなり、わたしは爵位と称号をこの屋敷と共に受け継いだのですから」


 そう冷やかに告げると、急いで三人に背を向けた。

 最初が肝心だ。ここで侮られるわけにはいかない。


「さあ、ここは寒いですから。どうぞ屋敷の中へ」


 玄関前の階段を駆け上がり、扉を開けて待つルーカスの側へ歩み寄る。


「お嬢様、笑顔を忘れていらっしゃいますよ」

「もう無理だわ」

「諦めるのが早いですね。ですが大丈夫です。お嬢様ならきっとこの難局を乗り越えられますから」


 ルーカスに小声で励まされ、どうにか笑顔に戻そうと努力をしながら振り向いた。

 途端に、思わずにやりとしてしまう。

 ハロルド以上に太っている男爵は、手すりのない階段をなかなか上がれないのだ。

 息を切らしながら一段ずつ、慎重に足を上げる姿は日ごろの運動不足を物語っている。

 男爵ほどではないが、ハロルドも段差の高い階段に苦労しているようだ。

 そして、二人に愛情よりも脂肪を与えているのではないかと思えるほどに痩せている夫人は、エスコートされることなく一人で階段を上って来る。

 はじめは歩調を合わせていたのだが、痺れを切らしたらしい。


「手を貸した方がいいかしら?」

「お嬢様のお力では、おそらくお役に立てることはないでしょう」


 ひそひそと相談するセリーナとルーカスの許に、階段を上りきった夫人が苛立ちをあらわに近付く。


「相変わらず、古いだけの不親切なお屋敷ですわね! 手すりもなく、転んで怪我をしたらどうなさるおつもりですの!?」

「……ええ、わたしもそれが心配なのですが、改修まではなかなか手が回らなくて」


 夫人の言う通りではあるのだが、こうも真正面からケンカ腰に指摘されると腹も立つ。


「仕方ないよ、母様。この家は貧乏なんだから、僕たちが住むようになったら、改築すればいいさ」

「まあ、ハロルドは優しいのね。でも、わたくしはこんな寒い場所に住むのはいやよ。せいぜい夏の間の避暑に利用する程度ね」


 やっと階段を上って来たハロルドが、ぜいぜい喉を鳴らしながら口にした言葉に、セリーナは色を失った。

続く夫人の言葉で、彼女の我慢も限界に達した。

 前へと踏み出そうとした彼女の固く握られた右手を、ルーカスがすばやく掴む。


「お嬢様のお怒りはごもっともでございます。ですが、どうか今はまだ……」


 耳元で引き止める小さな声が聞こえる。

 セリーナはすがるようにその手の主を見上げた。

 ルーカスの穏やかな笑みを目にすると、不思議と怒りが引いていく。


「いや、はや……、相変わらず、ここは何かと、不便ですなあ」


 ようやく上がって来た男爵がとぎれとぎれに呟く。その顔は紫に近い色に染まっており、息も荒い。

 このままでは倒れてしまうのではとセリーナは心配になった。

 そんな彼女の手を、一度ぎゅっと握りしめてから放したルーカスは、前へと進み出て男爵たちに頭を下げた。


「ダノシー男爵、男爵夫人、そしてハロルド様、私はルーカスと申します。ここに滞在なされる間、何かございましたら、どうぞお申し付け下さいませ」


 その優雅な姿に、夫人はかすかに頬を染め、男爵とハロルドは顔をしかめた。


「セ……レディ、新しく執事を雇ったとは言わなかったじゃないか」


 すました顔で立つルーカスを睨みながら、男爵が文句を言う。

 それほど心配はいらなかったようだと安堵して、セリーナは笑みを浮かべた。


「ルーカスは、もう二年近くここで働いてくれているんです。ご存じなかったとは知らなかったものですから」


 というか、なぜ教えなければならない。

 心配ないようだとわかると、また怒りがむくむくと湧いてくる。

 その気配を察したのかどうか、ルーカスが口を挟んだ。


「応接間で温かいお茶を用意しておりますが、先に二階にあるお部屋にご案内いたしましょうか?」

「いや、お茶を先に頂きたい」


 馬車から次々に荷物を下ろす男爵家の使用人たちをちらりと見て問う彼に、男爵はすぐさま答えた。

 まだ呼吸も整わないうちに二階へ上がるなど、考えたくもないようだった。 




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