プロローグ
しとしとと降り続く雨が、秋の気配を濃厚にしていく。
これから長く厳しい冬を迎えるために、ノルサント王国北方に位置するフィリプトン伯爵領の領民たちは収穫した作物を貯蔵する作業に追われていた。
今年もお優しい領主さまのお陰でどうにか冬を越すことが出来きそうだと安堵しながら。
三年前に猛威をふるった災害は、国中に深刻な打撃を与えた。
フィリプトン領でも幾度となく発生した竜巻が家々を襲い、収穫前の穀物をなぎ倒していったのだ。
それでも国は税を取り立てる。
そのため、他領では領主がわずかばかりの収穫の品を無理に徴収したばかりに領民たちは困窮し、冬を越せなかった者や、住み慣れた土地を捨てて逃げ出した者もいた。
そんな中、フィリプトン伯爵は私財をなげうって国への上納を賄い、蓄えていた穀物を領民へ分け与えたのだった。
それから月日は流れ――。
領地はまだ全ての回復には至っていないが、それでも民が細々と暮らしていける程度には戻っていた。
――それもこれも、領主さまのお陰。
まるで合言葉のように領民たちはこの言葉を口にし、懸命に働いた。
今は亡き伯爵夫妻の忘れ形見である、セリーナ様――レディ・セリーナ・フィリプトン様がお幸せに過ごされるように、と。
* * *
「お嬢様、今夜のディナーは色々と省きまして、メインディッシュは〝ほくほくジャガイモのバター添え〟でございます。お飲み物は裏井戸からくみ上げたばかりの〝新鮮な地下水〟をご用意いたしました」
「……要するに〝じゃがバター〟と〝井戸水〟ね」
そう呟いてため息をついたセリーナは、それでもきちんと用意されたナイフとフォークを手に取って、ジャガイモを食べ始めた。
ジャガイモだけのディナーは、もう何日も続いている。
しかし、ジャガイモは本当にほくほくとして美味しく、別にかまわない。ただ、喉がとても渇くのが難点だった。
何度も空になるグラスに〝新鮮な地下水〟を満たしてくれる給仕――兼、臨時執事のルーカスを見上げて、セリーナは首をかしげた。
その表情には心配の色が浮かんでいる。
「それで、リチャードはまた腰を痛めたの?」
いつも給仕をしてくれるリチャードは齢六十を超えていて、腰に持病がある。
「いいえ、お嬢様。腰ではなく、両腕でございます」
「両腕?」
訝しげに眉を寄せたセリーナに、ルーカスはうなずく。
「さようでございます。実は今朝、ナッツィ夫人がバターを作ろうとしたところ、リチャードさんが手伝うとおっしゃられて……」
「手伝ったのね?」
「はい」
あの細腕で撹拌作業をしたのなら、確かに両腕を痛めるだろうとセリーナは思った。
リチャードは肉体労働向きではないのだ。元はセリーナの祖父にあたる先々代フィリプトン伯爵の頃から仕えてくれている執事だったのだから。
しかし、寄る年波には勝てず、最近は本業を若いルーカスに任せて、もっぱら給仕を担当するようになっていたのだが、元来働き者の彼にはそれ以外の時間をのんびりと過ごすことなど出来ないのだろう。
人手不足の屋敷で、みんなが忙しく立ち働いているとなればなおさらだ。
セリーナはうつむき、食べかけのじゃがバターをじっと見つめた。ナイフとフォークを握った手に、ぐっと力がこもる。
「お嬢様?」
「決めたわ!」
不審に思ったルーカスの問いかけと同時に、セリーナはがばっと勢いよく顔を上げて叫んだ。
「わたし、お金持ちと結婚する!」
「……は?」
この高らかな宣言と共に、フィリプトン女伯爵――セリーナの怒涛の婚活生活が始まった。