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浄我の形(じょうがのかた)【改稿前】  作者: 砂上 巳水
虚偽不還(きょぎふげん)
33/41

第三十三章 殺人マリー(後編)

1


 しばらく僕の顔を虚ろな表情で見つめていた彼女だったが、急にはっとしたように手を放した。一歩後退しながら実に警戒した目でこちらを見つめる。

 僕は苦笑いを浮かべながら、

「ここ、結構不良のたまり場になってるみたいだぞ。早く帰ったほうがいい」

 親切心で言ったつもりだったのだが、彼女は突き放すように答えた。

「別に、あんたに関係ないでしょ。私は好きでここにいるんだから、気にしないで」

「好きって、こんなとこで何してるんだよ。危ないぞ」

「私の勝手でしょ。うるさいなぁ」

 面倒くさそうにその少女はため息を吐いた。続けて何かを観察するようにこちらを再びじっと見つめる。まるで心の中を見通されているような気分だった。

 しばら無言の時間が経過したあとに、その少女は驚いたように肩眉を上げた。

「……ふ~ん。あんた面白い経験をしてるね」

「は? なにが?」

「別に。独り言」

 意味の分からない台詞を吐きながら、少女は再び瓦礫の上に座り込む。どうやら移動する気はなさそうだったので、僕は微かなため息を吐いた。

「ずっとここにいる気なのか?」

「そうだよ。ここって落ち着くの。静かで、荒廃的で、なんだか世界に私一人だけになれたような気がして」

「家出とか?」

「どうでもいいでしょ」

 つんとした態度で僕の質問を拒絶する少女。いくら警告しても聞く耳は持たないようだ。僕は仕方がなく、一旦退散しこっそりと警察へ「家出少女がいるから保護っしてくれ」と連絡しようと思った。

 だが、回れ右をしようとしたところで彼女に呼び止められる。

「ねぇ。どうせ警察に連絡をしても無駄だよ。あの人たちに私の姿は見えないんだから」

「何を言ってるんだよ」

「――……私はね。超能力者なの」

 突然の突拍子もない言葉に、僕は眉を上げた。どうやら痛いタイプの人間らしい。

「失礼だね。私はまともなんだけど」

「まとも? 何が?」

「今私のこと妄想癖のある人間だと思ったでしょ」

 ちょうどそう思っていたところなので、思わずどきりとしたが、顔には出さずに返答した。

「いきなり超能力者だなんて言われたら誰だってそう思うだろ。……邪魔だって言うのなら俺はもう行くよ。一応忠告したからな」

 今度こそと思って立ち去ろうとしたのだが、またもや彼女に呼び止められた。

「あっ……ちょっと待って真理くん」

「え? ――何で俺の名前知ってるんだよ?」

 もしや中学の同級生とかだろうか。それとも殺人マリーの噂を知っていて?

 疑問に思ったのだが、僕を怖がっているようには全く見えない。なんだか不思議な気分になった。

「あんたいい人そうみたいだから、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」

「何だよ」

「実は私、ちょっとケガをしててね。あんまり長い間動くことが出来ないんだ。それで出来れば何でもいいから食べ物を買ってきて欲しいんだけど」

「はあ? 何で初対面の女に俺が飯を恵まないといけないんだよ。全然元気そうじゃないか。そんなに困ってるならさっさと自分の家に帰ればいいだろ」

「それが不可能だからお願いしてるんでしょ。私のケガは見えないケガなの。これでも必死に痛みに耐えてるんだから」

 何だ? 猛烈な腹痛でも我慢しているというのか?

 先ほどまではあれほど僕を突き放してきたというのに、急な態度の変わりようだ。僕は困惑したが、家出少女の我がままに付き合ってやるほどお人良しでもなかったため、その言葉を無視することにした。

「はいはい。それは次にここへ来たやつに頼むんだな。きっと鼻ピアスをつけた怪しげな男が親身になって話を聞いてくれるぜ」

「ちょっと、待ってって……!」

 少女は手を伸ばし引き留めようとしたが、それでもかまわず扉に向かって足を進める。変なやつに絡まれてしまったと思いながら、そこを潜ろうとしたところで、

「あんたのお父さんをはめたやつを、見つけてあげるから」

 忍び込むようにその言葉が耳を突き抜けた。

 思わず足を止める。

 何故、そのことを知っているのだ?

 僕は全身の毛を逆立てながら少女を見返した。

「言ったでしょ。私は超能力者なの。あんたの記憶を読むことだってできる。……あんた、どうやらちょっと私と関係あることに巻き込まれてるみたいだし、協力してくれるなら見返りを渡せるよ?」

「お前……何なんだよ。あいつの仲間か?」

「だからあんたの記憶を見たって言ってるでしょうが」

 少女は面倒くさそうに瓦礫の上に丸めた手を置いた。

「これで信じられる?」

 そう少女が呟いた直後、急に周囲の景色が〝たわんだ”。

 ぼろぼろの壁が、砂だらけの地面が、波打ちながら姿を変えていく。

 ――嘘だろ。何だよこれ……!?

 僕が恐怖を感じた直後、景色の流動が収まり視界が安定した。生い茂る緑色の草木に、たくさん生えている黄金色のタンポポ。いつの間にか僕は、住宅街の隙間にあるような狭い公園の中心に立っていた。

「何だここ? どうなってるんだ?」

「あははっ。間抜けなかお。これは私が見せてる幻覚だよ。言ったでしょ。私は超能力者だって」

「幻覚? これが?」

 目に映る光景はあまりにリアルだ。風の感触や草木の匂いまでしっかりと感じられる。瓦礫の上に座っていたはずの少女は、いつのまにか海沿いのコンクリートの淵の上に座っていた。横には何故か真っ白なキャンパスノートが置いてあった。

「どう? 信じる気になった?」

 さわやかな笑顔を見せながら悪戯っぽく微笑む少女。

 こんな光景を見せられて信じないわけにはいかない。僕が息を飲んでいると、彼女は満足げに鼻を鳴らした。途端に景色が豹変し、元のすたびれた講堂の中へと戻る。

「今のは……本当にお前がやったのか?」

 僕は少女のほうを向き、問い詰めようとした。だがいくら待っても返事はない。かすかに聞こえる荒い呼吸音。どうやら苦しんでいるらしい。彼女は自分の体を抱くようにうずくまっていた。

「おい、大丈夫か?」

「……言ったでしょ。ケガをしてるって。こういうことするの、ほんとは良くないんだから」

 額には大粒の汗が浮かんでいる。相当な無理をして先ほどの幻覚を作ったようだ。事態が全く飲み込めてはいなかったが、苦しそうな彼女を見ていると、急に悪いことをしてしまった気になった。

「横になったほうがいいんじゃないか? 水飲むか?」

「……大丈夫。ちょっと休んでいれば回復するから。でも……これで何で私が助けを必要としているかわかったでしょ。この力のせいで体がおかしくなているの。ほんとは私、もう立っているのも辛いんだ」

 ここぞとばかりに弱そうな表情を浮かべる少女。その顔を見て、僕はますます申訳ない気分になってしまった。

「わかったよ。飯を買ってくればいいんだろ」

「牛肉たっぷりの弁当と……桃の天然水がいい……」

「すぐに戻ってくるから、待ってろ」

 焦っていた僕は、何も考えずそう復唱し、三百メートルほど遠くにあるコンビニへと全力で走っていった。



 空の弁当箱を横に置くと、彼女は満足げな笑みを浮かべた。久しぶりにご馳走を食べたといった表情だ。頬には米粒までついている。

 今さらになって若干騙された気がしなくもないが、消え去った弁当となけなしの資金と体力はもう元には戻らない。僕はその代わりと言わんばかりに、彼女に先ほどの言葉の説明を求めた。

 話の内容はこうだった。

 彼女の家はもともと陰陽師か何かの名家を祖先に持っているらしく、代々身近で不思議なことが頻発していたそうだ。そしてある日、彼女の家に強盗が押し入り母が殺された際、父親の力が暴走し超能力が発現した。父親はその力を制御することができずに息絶えたのだが、どういうわけか彼が死を迎えると同時に少女にも同じような現象が起こせるようになった。

 父親が起こした事件の数々が実に派手だったためか、父親の噂を聞きつけたある研究機関の人間が、彼女の存在を認知し手に入れようと画策し始めた。彼女は研究機関の人間から逃げている途中で彼らの襲撃に遭い、そこで大きな痛手をこうむった。そのときの傷が影響し、今では超能力と肉体に障害というか、負荷が残ってしまった。この廃墟に逃げ込んだのも、その追っ手から逃げていたためらしく、傷の痛みと追っ手に姿が見つかることを恐れて外に出ることをためらっているそうだった。

 全てを聞き終えた僕は、神妙な顔で頷いた。

「なるほど。それでその追っ手とやらが俺の父をはめたやつに関係してるって?」

「カラスの死骸を見たんでしょ。あれはさっき説明した五業っていうやつらの実験体なの。あんたのお父さんをはめた人間は、おそらくその研究機関のボスを裏切って逃亡してたんでしょ。記憶を覗いた限りの会話で判断すればだけど」

「ここにそいつを追ってる人間が居るって知ってるなら、何でお前はこの町にとどまってるんだよ。おかしくないか」

「……私の体はもう限界近いの。このままだといつ自由を失ってもおかしくはない。その前に決着をつける必要があった。私を追っていた五業の端子の記憶を読んでね。ここに脱走した研究員がいるとわかったから、一か八か探しに来た。彼に接触じて記憶を盗むか操るかできれば、現在の敵の居場所や手がかりを見つけられるかもしれないし。五業は基本的にボスの居場所は教えられてなかったみたいだから」

 普通ならばとても信じられるような話ではなかったのだが、どうしてか僕はその話を信じる気になった。幻覚を見せられたり、記憶を読まれたからじゃない。その少女に強い興味を感じたからだ。どこか現実離れした彼女の存在感。そして僕と似た境遇。どことなくお互いにシンパシーを感じたのかもしれない。

 あまりに急な出来事ではあったものの、どうせ人生にには絶望していたのだ。生きなければならないのなら、希望があるほうがいい。

 僕はその日から、父をはめた犯人を捕まえるために、彼女と協力関係を結んだ。



 しばらくの間は、まるで執事にでもなったような気分だった。

 彼女――真方カナラが空腹を訴えれば、嫌々ながらに買い出しに行き、体調不良を訴えれば薬局に走って薬を飲ませた。ずっと廃墟に籠っているはずなのに、何故か彼女は多額の資金を持っていたから、そういった活動費に僕の貯金を利用することはなかった。正直生活には困っていたので、彼女の補助によって得られる恩恵はありがたかった。

 僕の記憶を読んだからだろう。彼女は特に気取ることも可愛子ぶることもなく、まるで最初っから友人であったかのようにフランクに僕に接っしてきた。体は弱っているはずなのに彼女は太陽のように明るかった。とても悲惨な人生を送っている人間には思えないほどだ。一緒にいると誰しもが笑顔になれる。超能力云々は関係なく、そういう力が彼女にはあるような気がした。

 僕の世話のおかげかどうかはわからないが、一か月ほど経ったころには、彼女はある程度散歩にも出れるようになっていた。傷自体は治ってはいないそうだが、体調を整えるこつを掴んだらしい。

 夕刻。明社町唯一の川辺を歩きながら、僕はカナラに質問した。

「追われてるんじゃなかったのか? あんまり出歩くと見つかると思うけど」

「普通にしていれば心配はないよ。私の顔は知られていないからね。連中は聞き込みやら現象の発生した痕跡やらなんやらで追ってきてはいるけれど、直接私の顔を見たことはないの。目撃した五業の端子は全部記憶を抹消させてるし」

「便利な力だな。そんなものが使えるなら、俺なんかに頼まなくても誰かを操って飯を持ってこさせるなんて簡単なんじゃないか?」

「それはやだよ。現象を行使するには体力を使うし、私が記憶を埋め込めばそこらへんを歩いているおじいさんだって、すぐに私のために命を捨てるような狂戦士に変貌させられる。けれど、そんなことをしたらその人の人生はむちゃくちゃになるでしょ。……もう間違いは犯さないって決めたんだから」

 カナラはかなり強い口調でそう言った。

 過去に誰かを操ってひどい目に合わせてしまったのだろうか。父のことがあるため、なんとなく気持ちは理解できる。僕は黙って彼女の追憶が覚めるのを待った。

 日が落ちてきたのでそろそろ廃墟に戻ることにする。いつの間にか僕は家にいる時間よりも、カナラと一緒にあそこにいる時間のほうが長くなっていた。いつも楽しそうに笑顔を浮かべている彼女だったけれど、その目の奥にはどことなく危うさがあった。母の死を見ている僕は、どうしても彼女を放って置くことができなかったのだ。

 来た道を戻り、大きな企業の敷地の前の道路へと出る。

 会社帰りなのか、ちらほらと疲れた表情を浮かべているサラリーマンたちの姿が見えた。

 前方からも一人の中年の男が歩いてくる。なかなか顔立ちの整った渋い男だ。彼の姿を見た途端、カナラが足を止めた。

「どうした?」

 僕が聞いても答えない。全く耳に入っていないようだった。

 彼女は「嘘でしょ……」と呟くと、真剣な表情で歩いてくるサラリーマンを見つめ続けた。

 僕たちのことを不審に思ったのだろう。サラリーマンは首をかしげるようにこちらを眺めてから、急にはっとしたように足を止める。そして顔をほころばせながら、

「あれ? もしかして……カナラちゃん?」

「あっ……お久しぶりです。佳谷間さん」

 いつにも増して嬉しそうな表情で、カナラは会釈を浮かべた。

 どうやらそのサラリーマンは、彼女の古い友人の父親らしかった。とても仲のいい人物で、何度か家にも訪れたことがあるらしい。

 しばらく世間話をしていた二人だったが、しばらくしてカナラが会話を切り上げた。どことなく寂しそうな横顔だった。

 サラリーマンが離れていったあと、僕は彼女に声をかけた。

「どうかしたのか?」

「ごめん。……ちょっと懐かしい人だったから。なんだか自分でもわからないけれど、泣きそうになちゃって、変だよね。私……。勝手に現象の影響とか出てないといいんだけど。つい穿に会いたいって思ちゃったからなぁ」

 彼女が出した穿せんという言葉の響きに、僕はなんだか面白く無さを感じた。

「……行こうぜ。あんまり遅くなると、人が減って目立つ。追われてる身なんだからさ」

「うん。わかってる」

 カナラは一瞬両目を閉じると、すぐにいつものような明るさを取り戻して歩き出した。先ほど見せた弱気な表情など、まるで嘘のようだった。




 カナラの体力の回復に合わせて、僕たちは町の人間から父をはめた男の情報を探すことにした。

 道行く人々の頭に侵入し彼らの記憶を検索してあの男の姿を探す。彼女の力は範囲現象のようなものだったから、一定距離に近づいた人間は全員頭の中を読み取られ、観察された。プライバシーもへったくれもなかった。

 最初は手がかりなんて得られないだろうと予想していたのだが、しばらくして、数人の人物の記憶からあの男の姿が見つかった。なぜかそのすべてが同じ場所――あの文化センターの近くだった。

 僕が耳にした会話の中で、あの男はあるものを見つけたと話していた。それが何かは知らないが、こうも頻繁に目撃されているということは、どうやらそれは文化センターの中にあるらしい。僕たちは文化センターを中心に彼を探すことにした。

 手がかりを掴んだことで僕たちは大いに喜んでいた。油断していた。だから気づかなかったのだ。自分たちの行動が腫瘍を生やした猫に見られていたことに。


 翌日。文化センターへ向う前にカナラの朝食を運んでいると、道中ヤンキーに絡まれている少女を発見した。

 毛先にウェーブのかかった茶髪の少女だった。この時間に制服を着ていないということは、高校には通っていないのだろうか。どうやらヤンキーたちともめているらしく、ひどく嫌そうな表情を浮かべている。

 最初は立ち去ろうとしたのだが、彼女が非常に困っていそうに見えたので、頭をかいて彼らの近くに寄った。囲んでいたヤンキーたちがうざったそうにこちらを見てくる。

「何だてめえ。あっち行けよ」

 ツンツンとがった髪を見せびらかしながら、彼が手を目の前で振る。僕は真摯に彼らに手を引くように促したのだが、何が気に障ったのか殴りかかってきたため、仕方がなく反撃した。お互いにぼろぼろになったところで、相手の一人が僕のことを殺人マリーだと気づき、やばいと思ったのか逃走を始める。いつもは嫌な気分になる呼称だが、今日だけはこの悪名に助けられた。

「あの……ひどい怪我をしてる。ちょっと、待ってて」

 傷だらけのまま荒い呼吸をしていると、その少女が手当てを申し出てくれた。僕は遠慮したのだが、半ば強引にコンビニ横の公園に連れ込まれ、そこで彼女が買った絆創膏を張り付けられる。

 僕が照れて黙っていると、少女は面白そうにこちらを見た。何故か好感を持たれたようだった。

「ふ~ん。真理って言うんだ。変わった名前なのね」

 少女は八重歯を見せながら微笑んだ。

「見せかけだけじゃなく、物事の真実を見極められるようにって、親父がつけた名前なんだ。あんまりその名前の通りには行動できてないんだけどさ」

「そうお父さんが。いい名前だね。名前って呼称でしかないけど、意味を知っていればそれを意識するから自然と影響が出るものだもの。だからそういうのって凄く大事だと思う」

 年齢には似合わない、妙に達観した意見を少女は言った。

 しばらく雑談したあとに、僕はカナラの食事のことを思いだした。慌ててレジ袋の中を確認して立ち上がる。少女に礼を言って立ち去ろうとしたのだが、それを見て彼女が質問した。

「それって真理くんの朝ごはん? 朝から随分とたくさん食べるんだね」

「え、ああ。いや違うよ。これは友達の分。何というか、今家に遊びに来ててそれで……」

「家? この近くは廃墟とか工場しかないはずだけれど」

「はずれのほうにはいくつかあるんだよ。目立たない場所だけどさ」

 僕はとっさにうそぶいた。

「ああそう。でも、気を付けたほうがいいよ。それってすごく目立つもの。毎朝ここら辺を走り回っていたら、嫌でも近くの人に顔を覚えられてしまう。あんまりお家の場所は特定されたくはないでしょ」

 何だ? 変なことを言うやつだな。

 僕は不思議に思ったが、周りを意識しやすい子なのだと思い、たいして気にしないことにし彼女と別れた。


 カナラと合流し、買い出しが遅いと怒られたあと、僕たちは文化センターへと出向いた。殺人マリーという噂のせいで、僕の顔は良く知られていたのだが、カナラが現象でごまかしてくれたため、目立たずに行動することができた。一瞬相手の視界から姿を消すだけならそれほど体力を行使せずとも済むらしい。

 一日かけ店員や職員を中心に記憶を探してみたのだが、努力の大きさとは裏腹に大した情報は得られなかった。ただカナラいわく、この場所は何かが妙だという話だった。力が鈍っているせいで、それが何かは把握しきれないそうだが。

 とりあえず一旦廃墟に戻ることにし、小さな町工場が乱立した道の中腹まできたところで、僕は妙なことに気が付いた。いつの間にか周囲に複数の小動物が集まっている。何故か彼らの多くは僕たちを囲むように追従していた。彼らの姿を見て、カナラが緊張感の籠った声を出した。

「まずい。……五業だ」

 とっさにカナラが幻覚をかけ、彼らの記憶から自分たちの姿を消失させる。僕はよくわからないままか走り出した彼女についていったのだが、しばらく逃げたところで足を止めざる負えなくなった。カナラが倒れたのだ。今日一日の行動とさっきの記憶操作のせいで、体力と精神力の限界が来たらしい。そのまま地べたに座り込んで動けなくなってしまう。

「おい、大丈夫か? 早く逃げないと。追っ手とかが来てるんだろ」

 僕は彼女の肩を支え、起こそうとしたのだが、そのタイミングで突然、誰かが正面から歩いてきた。

「随分とあっけないもんだな。弱っているというのは本当だったか」

 かなり背の高い大男だった。短い髪に、大けがでも負ったことがあるのか、全身に縫った後のような切れ込みがあった。切れ込みに合わせて肌の色がところどころ変色しており、彼の強面を一層印象付けている。明らかに普通の男ではない。カナラの話していた追っ手の仲間だろうか。僕はすぐに彼女を担ごうとしたのだが、その前に男が僕の前の前にたち、ぽんっと、肩を叩いた。

「お前は誰だ? ……何も知らないのなら、その女を置いていけ。その女と俺達には特殊な事情がある」

「……悪いけど、俺も無関係ってわけじゃないんでね」

 カナラを抱えて逃げ切れるのは無理だ。スキをついて、この男を行動不能にさせるしかない。横を見ると大きな石が置いてあった。僕はとっさにそれを取ろうとしたのだが、手が触れる直前、いきなりその石が僕の顔面めがけて飛び出した。

「うわぁあっつ!?」

 慌てて顔をそらして回避する。運動神経がいいことに助けられた。

「そうか。関係者であるならば、お前も拘束する必要があるな。悪く思うなよ」

 傷だらけの男がそう言うと同時に、回避したはずの石が再び後方から戻ってきて僕の背中にぶつかる。肉がたわむ音が鳴り響き、僕はその痛みに絶句した。

「ポイントは一つだが。十分だろう。まあ。できるだけ頑張り給え」

 見ると、目の前の石やらゴミやらが全て空間に浮遊していた。ありえない光景だ。思わず我が目を疑う。それらのゴミは一斉に僕に向かってとびかかり、体にぶつかった。よけてもすぐに戻ってくるためどうしようもない。僕はあっという間に全身を傷だらけにし、石やゴミをまとわりつかせたままその場に倒れた。

「さて。女はもらってゆくぞ。悪いがね」

 横たわるカナラに向かって近づいていく男。彼女は悔しそうに男の顔を見上げた。

「俺は八業。こういえばわかるだろう。お前が居なければ俺たちは長生きできない。悪いが、付き合ってもらうぞ。まだ死ぬわけにはいかないんでね」

 そういってカナラの体を持ち上げようとする。しかし腕を掴まれた途端、彼女は強く暴れ男の手から逃れようとした。

「美しくないな。結果の見極めは重要だ。もうお前に未来はない。そんなに足掻いても何の得もないぞ」

「うるさい。黙れ。私は……私はお前たちの道具になんてならない。私は……生きるんだ!」

「生きればいいさ。ただし〝教授”の下でな。安定した生活を送らせてやろう」

 暴れるカナラに向かって壁際に置いてあったガラス瓶や石が飛んでくる。頭を石で打たれ、手足をガラスの破片で切り裂かれたカナラは、悶絶し倒れこんだ。

「や、やめろ! 何すんだてめぇ!」

 僕は叫んだが構わず男はカナラへの打撃を続ける。確実に動けなくするつもりのようだった。

 やめろ。やめろ。そいつは弱っているんだぞ。もう動くこともできない、けが人なんだぞ。

 立ち上がろうとしたのだが、それを見た男が指を鳴らす。すると僕の体は反対側の壁に叩きつけられ、そこにさらに別のゴミがぶつかってきた。まるで僕の周囲だけ重力の中心が壁に変化したかのようだった。

「……真理しんり……」

 頭と口から血を流しながら、うるんだ瞳で僕の姿を見つめる彼女。その表情はおぼろげで力が無かった。

 やめろ! やめろ! やめろぉお!

 全力で力を込めながら壁から離れようと足掻く。これ以上彼女がぼろぼろになっていく姿は見ていられなかった。

「ごめん真理。私……」

 すでにまともな思考ができないようだ。わずかにこちらに向かって手を伸ばしながら、ぼうっとしたような表情で彼女は小さく呟いた。

「……けて。助けてよ。――穿」

 彼女と視界が交差する。その瞬間、何か大きな変化が自分の中で起きたような気がした。奇妙な感覚が脊髄を駆け上り、全身の神経に伝搬していく。

 急に周囲の物体の〝つながり”がわかるようになった。壁のコンクリートとコンクリート。自分の肉と肉。いや、それの材料である酸化カルシウムや鉄分の中。分子と分子を結び付けている力の存在をはっきりと感じる。

 僕は無我夢中でそれを消した。物体自体を消失させるわけではない。ただそれを連結させている力を消し去った。

 体の全面を抑えっつけていた石が砂と化し、背中の壁がひび割れ崩れ落ちる。どうやら対象がなくなれば、先ほどのような謎の重力負荷は無くなるようだった。

「な、何だと? お前どうして――……!?」

 慌てて男がカナラから離れ、僕に向かって腕を振るう。どうやら触れたものを重力の中心地点へと変えることが可能らしく。僕は彼が投げた石や壁によって体が強引に引き裂かれそうになった。動けなくなった僕に向かって、男は割れたガラスの破片を投げつける。あれが僕の体を中心として発生している重力に引き付けられれば、確実に心臓を貫くだろう。――だが、そうはならなかった。

 僕の身に生まれた現象は〝力”そのものを抹消する力。つまり、この男の起こしている現象に対しては圧倒的に部がいいのだ。

 増えた感覚を動かし、半透明の稲妻のような亀裂を自分の体に纏わりつかせるように発生させる。それだけで、僕の周囲にあふれていた重力点は崩壊し、浮かんでいたゴミやら金属やらも地面の上に落ちた。

「ば、馬鹿な。馬鹿な。何だその現象は? 何が起きている?」

 大声を上げつつも再度転がっていた鉄パイプやらを投げつけてくる男。しかしそれらの物体はすべて僕の体に到達する前に粉々になり、分解された。

 僕は男の懐に飛び込むと、右手の拳の外側を彼の腹部へ強くめり込ませた。

 空気を切り裂くような甲高い音が鳴り響き、男の腹部から鮮血が弾け飛ぶ。伸びた半透明な亀裂の余波で、周囲にいくつもひび割れができた。

 血まみれになって倒れる男。

 その姿越しに、ひどく驚き、悲しそうな表情を浮かべているカナラの姿が見えた。


 

 3


 僕は父の罪を消し去りたかった。母の死という事実を亡くしたかった。殺人鬼の子供という事実を、つながりを亡くしたかった。

 その強い思いが助けを求めるカナラの現象とリンクし、一つの形と成してしまったらしい。半ば信じられないような話だが、僕の起こした現象に対するカナラの解釈はそういうものだった。

 僕の現象を目にした日から、彼女はずっと不機嫌になっていた。何を怒っているのか聞いても答えてくれようとはしない。

 あの男――八業の遺体は警察に回収されたらしい。搬送中に様態が急変し、死亡したとの話だった。その事実を知った僕は、手の震えが止まらなくなり、毎日のように嘔吐した。

 しばらくカナラと気まずい空気が続いたころ、前に不良から救ってあげた少女と再会した。気分がすぐれなかったので公園で休んでいたところに声をかけられたのだ。

 僕が悩んでいそうなのを見て、彼女は相談に乗ると言ってきた。本当に人を殺してしまったという事実に耐えきることができなかった僕は、話を濁してその気持ちを彼女に暴露した。間違って友達の猫を自転車で引いてしまったとか、そんな風に改変して。

 その少女は僕の話を聞いた後、実にあっさりとした様子で小首をかしげた。

「それは事故なんでしょ。あなたに何の不備があるというの? そこまで苦しむ理由がわからないのだけれど」

「わからないって、だって友人の猫を殺したんだぞ。相手の気持ちを考えれば、申し訳ないじゃ済まないじゃないか」

「人は誰だって殺しを行っているじゃない。あなたが毎日食べている肉は長年生きていた豚や牛の体だし、飲んでいるジュースやお茶は植物の体を刻んで混ぜ込んだものでしょう? 生物の命に価値を決めつけているのは人間の勝手。食事生産の過程を人間で置き換えれば、あなたはすでに大罪を犯しているということになるのだけれど。そもそもその残酷という感情すら人間が勝手に押し付けているものだけれどね」

「な、何を言ってるんだお前……――」

「事実だよ。あなたが〝八業”の死を悔いる必要はない。彼は自らの意志であなたに挑み、そして敗北した。それは豚の命を刈り取るときのような逃げ場のない強制的な採取じゃない。自由による結果でしょ。何故それを悲しむ必要があるの?」

 何だこの女? 何を言っているんだ? 

 僕はとっさに立ち上がり、少女を睨みつけた。

「お前……あいつらの仲間なのか?」

 彼女はショートヘアの毛先を指で遊びながら、

「本当はもっと様子を見るつもりだったのだけれど。あなたがあまりに不甲斐ないからね。少し口を出すことにしたの。――私は〝十業”。彼らの父親の下から脱走してきた人間だよ」

「十業?」

 カナラが五業の記憶から盗んだ情報では、実験体は九体しか存在しなかったはずだ。一体この女は何を言っている? 僕は警戒心を強め身構えたが、彼女はのほほんとした調子で言葉を続けた。

「あなたが八業を倒したせいで、教授は本腰をいれてくるはず。きっと残り八体の実験体を全部投入するかもね。――でも、それは逆に言えばチャンスでもある。教授の駒を倒し続ければ、いずれ教授本人がここへ姿を見せるかもしれない。まあ、それまであなたたちが生きていればの話だけれど」

 あなたたちということは、カナラのことも把握しているということなのだろうか。彼女が本当に敵の関係者なら、カナラと行動を共にしている僕に偶然遭遇したとは考えにくい。もしかしたら彼女は、初めて出会ったあのときから僕とカナラのことを把握していたのだろうか。

 僕は問い詰めようとしたが、突然周囲に霧が出てきたため、彼女から目を離してしまった。視線を戻した時には、すでに彼女の姿は消えていた。



 その後、十業と名乗った少女の言う通り、町で異様な現象が多発するようになった。

 突然発火し命を落とす者。〝触れない男”などという怪談じみた謎の存在。彼らは明らかにカナラのことを探しているようで、彼女に似ている少女たちに被害が出始めていた。

 現状あの男の捜索は進展していない。このままでは彼を見つけるより早く、教授とやらの実験体たちに追い詰められてしまうかもしれない。

 偶然見つけた五業の端子たちを住宅街で片づけた僕は、その足でカナラのいる廃墟へと向かった。

「なあ、カナラ。ちょっとまずいことになってるぞ」

 そう言っていつもの場所に立っているカナラに声をかけたのだが、彼女は実に落ち着いた表情で振り返った。どういうわけか、いつものような疲労は見えなかった。

「――問題ない。予定通りだ。彼らは私たちには勝てないよ。お前のその力は非常に強力だ」

 まるで別人のような口調。僕は違和感を感じたが、構わず会話を続けた。

「俺はもう人殺しなんてしない。あんなことは二度とごめんだ。記憶を消したりして追い返せばいいだろう」

「知っての通り、私の体は弱っている。精神の奥底で意識が混濁しているんだ。まだお前には頑張ってもらう必要がある。そうだな……その罪悪感がじゃまだというのなら、楽にしてあげよう」

 そういって僕の目をまっすぐ見つめる〝カナラ”。射るような視線に穿たれた僕は、何だか奇妙な立ちくらみを感じ、仰け反った。

「生きるために殺すのは当然のことなんだ。同じ枠――限られた空間中で、レゴブロックの塔を積み上げたいのなら他の塔を崩すしかない。それは当然の代償なのだから」

 実に感情のこもらない話し方だ。だがどういうわけか、僕は彼女の様子の急変を疑問に思えなかった。ただ、素直にその通りなのだと思い込んでしまった。


 それからカナラは一人で行動することが多くなった。夜な夜などこかへ出歩いては、朝方になって廃墟に戻ってくる。僕はたいそう心配し、問い詰めようとしたのだけれど、いつもうまくはぐらかされてしまいまともな返事は聞けなかった。

 そんな日がしばらく続いた後、突然カナラがある情報を掴んだ。北区の山側にある丘に、何年か前からある男が居候しているという話だった。名前は修玄というらしい。

 僕はカナラを連れ出し、二人でそこを訪れた。もし修玄があの男なら、一気にけりをつけるつもりだった。かなりの覚悟を決めて出向いたのだが、残念なことに男は別人だった。確かに僕たちを追っている教授の関係者ではあったのだが、どうやらそこか抜けた隠居人のようだった。父に罪を着せたあの男の話をすると、おそらく彼は自分を頼るつもりで来たのだろうと話した。だが来なかったということは、他に頼れる人物を見つけたか、必要がなくなったか。とにかく自分に価値がなくなったのだろうと話していた。

 カナラに彼の脳内を調べてもらったが、嘘は言っていないらしい。僕たちはできるだけの教授の情報を彼の頭からコピーすると、自分たちに関する記憶を口外できないように暗示をかけ、その場から離れた。

 

 十業と名乗った少女は、実験体たちを刈り続けていれば教授が現れるだろうと予測した。

 今のままでは父をはめた男を見つけることはできない。先に教授とやらを捕まえカナラの力で操ればきっとあの男の捜索もずっと簡単になるはずだ。探すことを諦めたわけではないが、こうも教授の手下に徘徊されてはまともに動くこともできない。カナラにとっても優先順序は教授のほうが高いはずだ。今後の展開を考慮して、僕たちは先に実験体たちを始末する方向に方針を変えることにした。

 夜な夜な外を徘徊しては、五業らしき化け物を追い回す日々。最初は反撃を繰り替えしていた五業だったけれど、僕の現象には勝ち目がないと踏んだのか、三回目の遭遇を過ぎたころからは一目散に逃亡するようになった。こちらとしては記憶を消す時間が限られるようになってしまうため、彼らを逃がすことは得策とは言えない。

 その日も寄生された中年の男を追いかけていたのだが、一撃を与え、あと少しで追いつくというところで、突然カナラが追跡をやめた。

 坂の中腹で立ち止まったまま、なにやら驚愕の表情を浮かべ川辺のほうを見ている。視線を向けると、何人かの人間がバーベキューを行っているようだった。そういえばもう夏である。僕は感慨深く思ったのだが、彼女の視線を見て怪訝に思った。

 とても寂しそうな目。悲しそうで、どこか嬉しそうで、懐かしいものを見るような瞳。見たことのない表情だった。

「どうした?」

 僕は不思議に思って質問した。

「……まさか。……本当に来ちゃうなんて」

「来ちゃう? 誰が?」

 彼女の横に立ち、川辺の集団を見つめる。どこにでも居そうな普通の人間たちだ。

「やっぱりあのとき思い出したのがダメだったんだ。私は今、思うように現象が操作できなくなってるから」

 彼女の視線はある一人の少年に向けられていた。後ろ髪がわずかに逆立った端正な顔立ちの少年である。控えめな笑みを浮かべ、隣の仲間と話している。

「知り合いがいるのか」

 僕が聞くと、カナラはかいつまんで説明してくれた。

 昔、都内のある町である少年と出会ったこと。そして彼を事件に巻き込んでしまったこと。先日あったサラリーマンは彼の父親で、その時の自分が暗示をかけてしまったかもしれないこと。

「今の明社町は危険すぎる。このままこの町に居たら、いつ実験体たちとの争いに巻き込まれてもおかしくない。早く穿を返さなきゃ……」

「……だったら急いだほうがいいぜ。この町はかなり閉鎖的だからな。よそ者はすぐに噂になる。こんな状況での来訪者なんて、真っ先にあいつらにも目をつけられるぞ」

 カナラの友人は帰り支度を終わらせ、仲間と一緒に帰路につき始めた。そんな彼の様子を何とも言えない表情で眺めながら、カナラは自分のスカートのすそを握りしめた。

「わかってるよ。すぐに……――」

 ため息をつき、顔を上げようとしたところで、僕たちの目にある光景が映った。先ほど取り逃がした五業の寄生者が、カナラの友人たちのところへと向かっている。ひどい手傷を負わせていたから、なりふり構わず新しい媒体を得ようとしているらしい。カナラははっとしすぐに友人のもとにかけだそうとしたのだが、なぜか急に立ちくらみを覚え、その場に座り込んでしまった。

「おい、大丈夫か」

「いいから、行って。五業を止めて」

 このままでは友人が危ないからだろう。自分の体などどうでもいいというように手を振る。

 僕は彼女のことが心配だったけれど、確かにその友人とやらが五業に寄生されれば、相手をしずらい。すぐに走り出し、寄生者にとどめを刺そうと思った。

 だが一歩遅く寄生者はカナラの友人の目の前へと出てしまう。僕は全力で走っていたが、このままでは腫瘍が彼の体に移り替わるのを防ぐことはできない。焦りを覚えた瞬間、――突然その寄生者が燃え上がった。全身から強烈な炎を立ち上らせ、大きな悲鳴を上げる。

「な、なに……!?」

 足を止め目を見開く。

 あの少年がやったのか? いや、あいつも驚いている。

 ありえないほどの火力で燃やされた寄生者はすぐに力つき、その場に崩れ落ちた。少年たちはパニックに陥りその状況を見ている。

 どういうことだ? 明らかに普通の火じゃなかったぞ? まるで現象で燃やしたみたいな。

 周囲に目を配らせると、左の小道のほうで走り去る影が見えた。自分と同じくらいの背丈の人間だ。

 すぐに追うべきかと思ったのだが、カナラのことを思い出し踏みとどまる。得体のしれない人間がいるのなら、彼女を一人にするべきではない。

 僕は坂の上に駆け戻ると、すぐにカナラを起こしその場を離れた。騒ぎを聞きつけたのか、周囲では家の明かりが次々につきだしていた。




 数日が経ち、体調が戻ったカナラは、すぐに穿せんというその友人を都心へ戻そうと試みた。

 学校から出てくる彼を監視し、一人きりになったタイミングを見計らって姿を見せる。

 正直言って会話をする必要なんてなかったのだけれど、久しぶりに会う友人だから挨拶をしたかったのだろう。僕は若干複雑な思いで遠くからその様子を監視していた。

 会話が終わり、カナラが姿を彼の認識から消して僕のいる倉庫裏へと戻ってくる。僕は疲れた表情を浮かべている彼女に問いかけた。

「どう? 上手くいった?」

 だが彼女の返答は予想外のものだった。

「それが、ダメなの。どれだけ頑張っても何故か穿に暗示をかけれない。何か私の内側からそれを食い止めようとするような力が働いているみたいで、現象がキャンセルされちゃう」

「は? 何言ってるんだよ。そんなことあるわけないだろ」

「私にだってわからないよ。変なんだもん。でも本当にあいつに暗示をかけることができないんだから」

 僕は最初彼と別れたくないための言い訳だと考えたのだが、カナラの様子を見る限りそうでもないようだ。若干疑いは持ったものの、仕方がなく廃墟へと戻った。日を改め後日また挑戦すればいいと思っていたのだが、事態は予想外の方向へと転倒した。

 その穿という少年は、どうやら自分と同じようにカナラの影響によって超能力を発現してしまったらしい。どうにも彼はその力のせいで実験体たちの一人に目をつけられ、狙われてしまったようだった。

 一度やつらに認識された今、ここで都心に帰せばかえって怪しまれるし、助けることができなくなる。仕方がなくカナラは彼への暗示を諦め、様子を見守ることにした。

 僕はてっきり軟弱なひも野郎だと思っていたのだが、しばらくして彼は追っていた実験体を殺害した。遺体は心臓を木片で一突きにされ、即死した模様だった。とんでもなくクレイジーな野郎だなと思った。





 時間が経てば経つほど、自分が人を殺したという事実が強く圧し掛かってくる。

 噂の通りの殺人マリー。父親と同様の人殺し。もう、父のことを悪く言う資格もないだろう。

 いつもの公園で落ち込んでいると、ベンチに横に人の気配を感じた。カナラかと思い顔を上げると、そこに、十業と名乗ったあの少女が立っていた。

「……お前……」

「上手くやったみたいね。これでもう、九、八の二体が居なくなった。町に来ている残りは五、六、七の三人だけど、六はたぶん、穿って子がやってくれるでしょう。ちょうど接触し始めたみたいだから」

「お前は一体誰なんだ。何が目的で俺に接触するんだ」

「前に言ったでしょ。私は十業。教授の実験によって作られた怪物。……といっても、直接の彼の作品ではないのだけれどね」

「どういう意味だ?」

「私はね。彼の部下の一人が個人的に制作した模造品なの。だからおそらく教授本人は私のことを知らない。存在を認知しているのは、私の生みの親とあなただけ」

「何で俺に……」

「私の海の親はもう死んでるの。だから教授さえいなくなれば誰も私の存在を認知できる可能性のある人間は居なくなる。私はただ、生きたいの。だから目的が似通ったあなたたちに協力している」

「だったらカナラに接触すればいいじゃないか。何で俺にだけ……」

「だってあの子怖いんんだもの。操られそうだし、それにあなたのほうが好みだしね」

「はぁ?」

 僕が変な声を上げると、十業はおかしそうに笑いながら口元に手を当てた。そして真面目な表情に戻り、説明を始める。

「今後あなたたち、いや、私たちの目的を達成するうえで、一番の邪魔になるのは五業。彼さえいなければ、たとえ教授がやってきても情報戦で不利になることはない。私も私でいろいろと動いていてね。五業の本体の一部に寄生されている人間を見つけたの。太一って男なんだけど」

「そいつを殺せってか」

「違う。彼に寄生している五業は本体の直接的な端子なの。捉えて記憶を覗くことが出来れば、いい情報を得ることができる。カナラならもしかしたらその端子を経由して本体の居場所を発見できるかもしれない」

「なるほど」

 僕は静かに頷いた。この十業とやらをまだ完全に信用する気はなかったが、情報が本当であれば確かに役には立つ。僕たちを嵌めるなら、とっくにはめているはずだし、嘘は言っていないだろう。

 何が目的かは知らないが、協力者が増えることは悪いことではない。僕は十業に言われた通り、カナラには彼女の存在を伏せたまま、太一という男を追うことにした。


 名前を知っている分、男を見つけるのは早かった。カナラの現象で記憶のしりとりゲームを繰り返し、あっという間に家を見つけ、そこを見張った。

 カナラによると、確かに五業の意識を強く太一から感じられるらしい。僕はこっそりと後をつけ、彼を拘束しようとしたのだが、気配を察知されたのか、直前で彼に逃げられてしまった。慌てて後を追いかけていくと、邪魔をするように複数の五業の端子体が襲撃してきたため、それらを全て始末する。太一の腹部にも一撃を与えたのだが、致命傷には至らなかったようで、寸前のところで逃げられた。人を二人も殺した身なのだ。今さらあんな寄生者ごときを追い詰めることに戸惑いはない。僕はゆっくりと彼が流した血の痕を追い、ゲームセンターの中へと侵入した。

 

 中は相変わらず若者で溢れていた。ここに来るのは中学のとき以来だったが、何も様子は変わっていないようだ。僕の顔に気が付いた何人かが、殺人マリーだとひそひそと噂話を始める。下を向いて歩くことは嫌だったので、どうどうと通路を突き進んでいくと、レースゲーム用の台座の前で休んでいる太一の姿を見つけた。

 ここで取り押さえてもよかったのだが、そんなことをすれば注目を集めてしまう。狙うのならば、彼が一人になったときのほうがいいだろう。

 僕は太一を見張りながら適当な台座の前に座り、ゲームをしているふりを始めた。太一が動き出せば、すぐにでも追いかけていくつもりだった。

 適当にゲームをして時間をつぶすつもりだったのだが、向かいの席の少年を見て、一瞬時間が止まった。その少年は、カナラが友人だと話していた穿せんだったからだ。

 何となく対戦モードにして相手の様子を伺う。このレーンには他に人がいないから、間違いなく彼との対戦になるはずだ。僕はかなりむきになってゲームに熱中し、勝利した。勝った後に何をしているんだと思いむなしくなったが、ふとそこで太一と目があった。僕の存在に気が付いたらしい。慌てて職員用通路のほうに逃げ込もうとする太一。僕は立ち上がり、すぐに彼の後を追うことにした。一瞬穿と目があったが、何も言うことはないためそのまま視線を外し歩き出す。彼も席を外したようだった。

 職員通路の中で太一を追い詰め、カナラにとって発現させられた〝亀裂”によって、彼の肩に寄生していた五業本体の一部をちぎりとった。暴れる腫瘍を金属製の箱の中にしまい、そのまま悠然と正面から外に出る。

 駐車場のほうで少し物音が聞こえたが、気のせいだと思い構わないことにした。これで、五業の本体の居場所を掴めると、うれしく思った。



 カナラによって腫瘍をレーダー替わりにし、五業の居場所を発見した。

 随分と逃げまどっていたから追い詰めるのに苦労したのだが、段々と囲いを狭くしていき、やっとのことで追い詰めたのだ。

 五業の本体は僕と同じくらいの少女に寄生していた。三つ編みのおとなしそうな顔をしていたが、五業のせいで妙に歪んだ笑みを浮かべている。

 僕が道路下の空地まで追いつめると、五業は観念したように戦闘態勢をとった。彼に呼ばれたのか多くの寄生体たちがそこに集合し、僕を囲む。もはやどの動物も原型を整えてはいなかった。

 周りを見渡しながら、僕は小さく笑みを浮かべた。

「はっ。来いよ。全部俺が、殺してやる」

 こんな争いごとなど早く終わらせたい。僕はやけぐそ気味で五業の群れと相対した。

 圧倒的な五業の物量によって、全身を血だらけにしながらも構わず猛攻を続ける。だが流石に数の部が悪すぎたため、次第に追い詰められ動きが鈍っていく。五業は死に物狂いで生きようとしているのだ。こっちも同じような覚悟がなければ、殺しきることはできない。こちらの〝亀裂”が発動する時間は一瞬だけだ。五業はそこを狙って攻撃を繰り返している。だったら、こっちも現象を発生させ続ければいい。

 僕は自分の体に流れる痛みに歯を食いしばり、〝亀裂”の現象を発生させ続けた。連続で起こすのではなく、継続で起こす現象。稲妻のような亀裂は空中を伝わり、次々に五業の体に流電していった。

 瞬間でしか発生させてこなかったが、継続して発生されればこれほど強力な効果をもたらすのかと驚く。元論、自分の体にかかる負荷は尋常ではなかったのだが。

 全身と鼻から血を流しながら、僕は最後に残った五業の本体へ近づいた。戦闘を開始したのは十八時を過ぎた頃だったが、すでに一時間以上は経過している。これほど長い間戦い続けたことはなかったため、すでに体は限界近かった。

 僕は五業の本体を少女から引き離すと、現象を乗せた手で強く握りしめた。水風船が割れるような音が鳴り響き、肉と血が飛び散る。

 そのまま疲労で倒れこむと、目の前に倒れている少女の体からずるずると頭太い、筋肉をむき出しにした魚のようなものがはい出してきた。それは僕を見てほくそ笑むように顔を歪めながら近づいてくる。

 まさか、あっちが本体なのか。

 僕は立ち上がろうとしたが、一旦緊張の切れた体は思うように動いてはくれない。そのまま迫ってくる五業を目にしながら、視界を鈍らせる。目の前に醜い肉の塊が浮かび上がったところで、僕は意識を手放した。



  深夜。目を覚ますと、顔から数センチのところで、五業の本体が死んでいた。何か重いもので叩きつけられたかのように、大きな石がその体の上に乗っている。道路の裏壁が落ちたのだろうか。あまりにも見事なタイミングだった。

 僕は立ち上がると、深い息を吐いた。これで町にいる実験体はあと二体だけ。だが十業の話では、六業は穿と接触を試みているらしい。あの男はかなり冷徹な人間のようだから、きっと確実に勝利を収めるだろう。

 僕は怪我だらけの体を支え、カナラのいる廃墟へと足を引きずるように戻っていった。



 カナラの記憶捜索によって、僕たちは七業と呼ばれる女を発見した。ぼさぼさ頭のかなり変わった女で、カナラの追跡をほとんど五業に任せ、自分は山側の空き家で引きこもり生活を満喫してたらしいのだが、五業が死んだことで仕方がなく外に出ることが多くなり、それで足がついた。

 僕は放って置いても無害なのではと思ったのだが、叩けるなら叩いておいたほうがいいとカナラが指示してきたため、不本意ながらも彼女をとっ捕まえることにした。

 多数の畑の奥にある空き家へ侵入し、寝ている七業にカナラが干渉し記憶を操作する。そういう予定を立てたのだが、いざ行動してみると、思うようにはいかなかった。

 どういう手を使ったのか、僕たちの侵入はあっさりとばれ、すぐに争いになったのだ。

 家の前の畑で急に足を土に捕らえられ、あがいていると、七業が家から顔を出した。パジャマを着たままくまのある細い目でこちらをじっと観察する。

 何かに当たったかのように、カナラがその場に座り込んだ。

「あら、そっちから来るとはねぇ」

 自分の髪をくしゃくしゃにかき乱しながら、七業が興味深そうにこちらを見る。明らかに寝起きだった。

「……おとなしく付いてこい。抵抗しなければ何もしない」

 もうこれ以上人を殺したくはない。本当の連続殺人鬼になどなりたくはない。しかし心のどこかから〝あの女を殺さなければならない”という思いが勝手に湧き上がってくる。

 僕は自分の気持ちの矛盾に混乱した。

「おたく……例のあれ? カナラとかいう女が護衛として作った駒でしょ。噂は聞いてる」

 七業は大きくあくびをしながら歩き出す。

「思ったより若いんだね。てっきり屈強な大学生とかをたらしこんだんだと思ったんだけどさ。ま、別にどうでもいいけど。……うちを殺すことはできないよ。だってあんた、もうつんでるもの」

「――……は?」

 意味が分からず首を傾げる。すると、急に足が土の中にめり込んでいった。まるで最初からこれくらいの深さであったかのように、一気に太もものあたりまで体が沈んでいく。

「な、何だこれ?」

「うち、めんどくさがりだからさぁ。自分から隠れている人間を探すのは、嫌だったの。どうせ待ってれば他の誰かが見つけてくれるだろうしね。……でも、万が一向こうから来た場合に備えて、用意はしていた。ほら、うちって移動するの嫌いだからさ。もしかしたら見つかるかもって思って」

 さらに体が沈んでいく。もうほとんど腰のあたりまで泥に漬かっていた。

 おいおい、畑ってこんなに深かったけ? どうなってんだ!?

 もがいても足は全く動かない。このまま頭まで引きずり込まれれば、間違いなく窒息死するだろう。

 仕方がなく僕は〝亀裂”で周囲の土壌を吹き飛ばした。

「あっ」

 声を上げる七業に向かってますぐに突っ込む。何の現象かはわからないが、直接的なものではないようだ。発生させる前にけりをつければ、簡単に勝てると思った。

「ざんね~ん」

 畑から外に踏み出した途端、鋭い痛みが足の裏に走る。見ると、無数の小枝が突き刺さっていた。

 またか。偶然だとは思えない。一体何をされてるんだ?

 同じ場所に立っていては危険なので、とりあえず左に回避する。七業はぼうっとした目でそんな僕を観察していた。

 本人が何かしているようには見えない。彼女は先ほど用意をしていたといった。つまりこれは、何らかの条件によって後発的に発生する現象ということなのだろうか。もしそうだとしたら非常にやっかいだ。なにせ、どういうタイミングでどんな攻撃が起こるのか、こちらには全く把握できないのだから。

 いくら七業に近づこうとしても、そのたびに不測の事態が起こり、自分自身がケガをする。彼女はまるで運命に守られているかのようだった。

 このままではらちが明かない。僕は強引に突っ込もうとしたのだが、それと同時に狂風が吹き背中を強く押された。迫る地面の上には何故か先のとがった大きな石が置いてある。それが側頭部を貫くぎりぎりのところで、僕は〝亀裂”によってそれを破壊した。割れた断片によって頭を割かれ、血が滴る。一瞬でも現象を起こすのが遅ければ、どうなっていたかと思うと、心底ぞっとした。

 何だか強く攻めようとすればするほど向こうの抵抗も強くなっているみたいだ。摩訶不思議な現象である。どうすればいいのかわからなくなっていると、頭を押さえたまま、カナラが呼びかけてきた。

「真理。落ち着いて。動揺したらダメ」

「……何かわかったのか?」

「この近辺。そこら中から七業の意志のようなものを感じる。私が人の精神に介入できるのと同じように、きっと彼女は周囲の物体に自分の意識を埋め込むことが出来るんだよ。たぶん、今はあなたの敵意に反応して現象が起動してる」

 カナラの話を聞いた七業は、おかしそうに笑った。

「へぇ、すごい。そんなことまでわかるんだ。流石は教授が執着してる女だね。うちらみたいな合成品とは出来が違うってわけか。……でも、だったらわかってるだろ。うちにあんたの現象は効きにくい。あんたの精神波の進行を、うちが意志を埋め込んだ物体たちが邪魔してるからね。まああんたほどの人間なら、本気でやればそれすらも突破できるのかもしれないけれど、どうやら弱ってるご様子だし、問題はないね」

 七業はそう言って自分のぼさぼさ頭を大きく掻き上げた。

「うちは七業。七はラッキーの象徴。幸運に恵まれているうちに、あんたが手を触れることはできないよ。だからおとなしく、――消えてちょうだいな」

 瞬間、周囲の全ての空間が、僕に対し殺意を向けてきたような気がした。木々が、草が、蟲が、鳥が、空気が、風が、ありとあらゆるものが脅威に感じられる。少しでも体を動かせば、何らかの不条理な要素が働いて、あっという間に死んでしまうような気がした。

 一歩も動けずに固まっていると、

「大丈夫。真理、私の言葉に従って」

 頭の中にカナラのそんな言葉が響いた。

 彼女は人の意識を認識することが出来る。つまり、どこで七業の殺意が深まり、どこで薄まるか熱センサーでも眺めているかのように把握できるらしい。

 彼女の指示した通りに動き回ると、ぎりぎりのところで不自然な死を回避し続けることが出来た。

 これに焦りを覚えたのか、ようやく七業の顔色が変わる。だがその時にはすでに僕は彼女の目と鼻の先に肉薄していた。

「――俺はお前を殺したくない。けど、殺さないといけないんだ」

 胸の奥がきゅうきゅうと締め付けられる。しかしここで殺さなければ、カナラと自分の身が危険になるのだ。そう心のどこからら指令が届いた。

 僕は全力で〝亀裂”を炸裂させたつもりだったのだが、やはりどこかでセーブがかかってしまったのか、七業は腹部を押さえて倒れこんだ。まだ意識ははっきりしているらしく、恐怖にゆがんだ瞳でこちらを見上げる。

「……だ、だから嫌だったんだ。こんなこと、うちはただ、ここでじっとしていただけなのに……」

 ぼろぼろと涙を流している彼女を見ていると、何故かこっちまで悲しくなった。向こうには向こうの事情があるであろうことはわかっている。

 だが心の奥に潜む何かが彼女を殺せと叫ぶ。生かすなと命令する。その指令のままに僕は手を伸ばし、亀裂を発生させようとした。だが直前になるとどうしても現象が起こせなかった。

「ひいっ……!」

 手を地面につき、獣のように逃亡する七業。家の中に飛び込み、カギをかける。僕は〝亀裂”で扉を破壊し、そこに飛び込んだのだが、中に入り奥の部屋に踏み込むと、信じられない光景を目にした。

 七業が死んでいたのだ。刃物で自らの心臓を貫いて。

「うそ、だろ……」

 恐怖でおかしくなったのだろうか。一瞬彼女の横の空気が歪んだような気がしたが、目をこするともとに戻った。

 僕はただ力なく腕をおろし、七業の遺体を眺めることしかできなかった。

 



 何かがおかしい。何か妙なことが起きている。

 そうわかっていても、どうすることもできない。カナラに相談しようにも、最近彼女は一人でふらふらとどこかへ姿を消す機会が増加している。まるで別人のような顔を見せる彼女のことを、僕はあまり信用できなくなっていた。

 カナラが姿を消している間は、よく十業と遭遇した。得体の知れない人間ではあったが、どこなく話しやくノリがあったため、気が付けばいつもかなりの時間を彼女との会話に費やしていた。

 十業のことを信用し始めた僕は、彼女にカナラの様子がおかしいこと。実験体たちの妙な死にざまについて相談した。

 真剣に話を聞いてくれたあと、十業は口をゆっくりと開いた。静かな公園内にその声がよく響く。

「話を聞く限り、カナラはその穿っていう子に会ってからおかしくなったみたいだね。もしかしたら、その少年が彼女に何かしたんじゃない?」

「あいつが? 確かに何考えてるかわからなそうなやつだったけれど、一体どうやってカナラに影響を与えるって言うんだよ」

「彼の近くには、カナラの現象の一部を移された女の子がいるみたいなの。彼女は頭の中でカナラと繋がっているみたいだから、もしかしたら、その子を使ってカナラを操っているのかもしれない」

「……でも、一体何のために? あいつがカナラを操ってどんなメリットがあるって言うんだよ」

 僕は半信半疑になりながらそう聞いた。

「メリットは山のようにあるでしょう。カナラの現象を利用できれば、生きる上での全てを自分の思うように操作することが出来る。彼は独力で九業と六業を殺しているし、十分に可能性があると思うのだけれど」

 確かに、穿と会ってからカナラの様子はおかしくなった。弱り切っていたはずなのに、ふと姿を消すことが多くなり、現象を行使していないはずの日も、非常に疲労していた。

 ……そういえば、あいつが姿を消した日って、九業と六業が死んだ日だったような……。

 考え出すと、疑いは滝のようにあふれ出してきた。まるで意識を強制的に誘導されているがごとく、そうに違いないと思い始める。

「彼がカナラを手に入れるためには、実験体たちだけでなく、あなたの存在も邪魔になるはず。やられる前に、先に手を打ったほうがいいでしょう」

「俺に人を殺せって言うのか」

「何を今さら。すでに三人も殺してるじゃない。……何が大事かよく考えなさい。あなたにとって、カナラは大切な人なのでしょう。このままだと穿に奪われてしまうんじゃないの? 実験体たちと同じ。殺したくなくても、殺すしかないの。法律なんてものは、この事件に関しては何の力も持たないのだから」

 これまでのことを思い返す。

 そうだ。やらなければやられる。それは自然の真理。

「わかった。でも、それは、本当にあいつがカナラを利用しているのかどうか確証を持ってからだ」

「それはあなたのご自由にすればいいと思うけれど」

 どこか含んだ笑みを浮かべながら、十業はそう言った。

「五体の実験体たちが死んだせいで、恐らく教授がこの町にやってくる。私はしばらく身を潜めることにする。彼に見つかれば、どうなるかわからないし」

「大丈夫か。何なら俺たちと一緒に居たほうが……」

「冗談。何故もっとも危険な場所に居なければならないの。遠慮します」

 そう言うと、十業はベンチから立ち上がり歩き出した。いつも通りのどこか優雅な、しっかりとした足取りだった。



 十業の言う教授がこの町にやってきたのは、それから数日後のことだった。

 記憶捜索によって彼の姿を見つけたカナラは、一人で彼のもとへ赴き暗示をかけようとした。最初は僕も行こうとしたのだが、それだと二人の実験体に警戒されるから駄目だと断られた。

 結果として、それはうまくはいかなかった。教授はどうやら何らかの精神防壁を敷いているらしく、カナラの力が思うように効かないらしい。ぎりぎりのところで町から出ないようにという暗示をかけるので精一杯だったそうだ。

 教授への無理な暗示の行使によって力を使い果たしたカナラは、もはやまともに動くことが出来なくなっていた。

 しかしこのまま放っておけば、いつ彼が暗示を解く方法を見つけるかもわからない。だがかといって、僕一人の力では二体の実験体を相手にしつつ彼を仕留めることなど不可能だ。どうすればいいか困っていると、タイミングよく急展開が起きた。

 どうやら教授は、穿と一緒に行動している女をカナラだと勘違いしたらしい。彼女を誘拐し町から出ることを試みた模様だったが、カナラの暗示のせいで、移動手段を変えぐるぐると町の中を回ることしかできなくなっていた。

 これをチャンスとばかりに、カナラは穿に接触し、協力を申し出た。十業から聞いた話もあるため、カナラを彼に合わせることには抵抗があったのだが、他に手はない。仕方がなくその計画を実行することにした。

 まず、カナラの力によって移動中の教授のトラックを突き止め、すれ違いざまにタイヤを破壊した。最初はそのまま中の少女を救出しよとも思ったのだが、二人の実験体を相手に彼女を引き連れて逃げることは不可能に近かったので諦めた。

 予定通り挑発に乗った実験体の一人が出てきたため、慌てて逃亡しカナラの待つ旧浄水場へと逃げる。もう一人のガラの悪そうな実験体は足を負傷したらしく、痛そうに傷口を押さえていた。あれならば相手にするのはこの一体だけで大丈夫そうだ。

 全力で逃亡しつつ浄水場内に逃げこむと、すぐにカナラと合流した。彼女の現象で実験体の精神に介入し、こちらの操り人形にしようという算段だったのだ。

 だが、いざ実験体が敷地に侵入し、精神干渉を試みようとしたところで、カナラの様態が急変した。頭を押さえ蹲り、よくわからない小さな悲鳴を上げている。

 そうこうしている間に、実験体が室内へ踏み込んできた。苦しでいるカナラを見て、怪訝そうな表情を浮かべる。

 彼が一歩こちらに踏み出そうとした途端、頭の中に閃光が走り、ある光景が飛び込んできた。

 ――それはカナラが穿と会話をしている光景だった。夕方。あの灯台下の公園だろうか。

 彼が仲間の少女に命令し、嫌がるカナラに何かの暗示をかけている。「真理を殺せ」と、そんな言葉が聞こえた。

 フラッシュバックが解け、意識が元に戻る。

 同じ光景を目にしたのか、実験体がひどく不思議そうに眼鏡を掛けなおした。

「今のは……彼女の現象ですか? ……どうやら何か問題が起きてるようですね」

 僕は彼を睨みつけつつ、たった今見た光景の意味を噛みしめる。やはり彼女はあいつに何かされたようだった。

 彼女の様子の変化は尋常ではない。すぐに彼女の状態を確認したかったのだが、実験体の男が迫ってきたため、仕方がなく争いに突入した。

 僕は自分の現象に自信を持っていた。これで破壊できないものはないと、確証を得ていた。だが、いくら放っても、いくら攻撃しても、その男は無傷で反撃してくる。

「ぼくにあなたの現象は効きませんよ。ぼくの体は刹那の間に分子同士の連結を解除して、奇跡的な確率で起こるトンネル効果を誘発させることが出来る。どんな攻撃であろうと、物理現象であればぼくの体に触れることはできません」

 そういって男はナイフを取り出した。右手で防ごうとすると、それを刃がすり抜けて僕の胸を切り裂く。〝亀裂”はすべて透過され、意味をなさない。スキを探して殴ろうとしても、壁や地面を通過して逃げたり、僕の拳をすり抜けさせたりして一向にダメージは与えられない。

 どうやらこの男は僕の現象に対しては最悪の相手のようだった。

 確かカナラが暗示を掛けにいったときに聞いた呼称は、三業だっただろうか。この男――三業は無表情極まりない態度で淡々と攻撃を繰り返し、僕の体をじりじりと削っていった。

「こういうのはどうですか」

 油断した瞬間、胸を透きぬけた三業の右手が僕の心臓を直接殴打する。普段感じることのない激痛に、僕は肝を冷やし動けなくなった。

「あなたの力ではぼくに手も足もでませんよ。このままでは確実に死を迎えるでしょう。……その前に答えてくれませんか。あなたたちの仲間はどこにいるか」

 穿たちの存在に気が付いているらしい。三業は確信を持った目でそう質問した。

 別にあいつのことなどどうでも良かったのだが、今ここで情報を漏らせば不利にしかならない。

 ――冷静になるんだ。ピンチのときこそ、冷静にならなければ。

 僕は心の中で何度もそう唱えた。今はカナラの助けは期待できない。この男は自分自身の力だけで倒すしかないのだ。

 半透明の亀裂の余波を放っている自分の拳を眺める。

 どんな現象だろうと、それを使用し続けることはできない。特に三業のような自分の分子結合を解除して、偶発的に対象からすり抜けさせるという現象は、より刹那的な発動期間となるはずだ。すり抜けたあとに連結を戻さなければ、瞬く間に体が崩壊してしまうかもしれない。

 そのときに〝亀裂”でちゃちゃを入れれば、きっと彼は大きなダメージを受ける。体を構成しようとしている分子結合を、ことごとく打ち消されるのだから。

 五業を倒したときのことを思い返す。イメージはあの稲妻だ。

 僕は傷だらけの体を奮い立たせ、仁王立ちするように三業へ向き直った。

 何かを感じたのか、警戒心を強める三業。僕と抹消面から相対しないように、すっと壁の向こうへ姿を消す。僕はわずかに身をかがめて、その時に備えた。

 勝負は一瞬だった。

 僕の足元、真下から、ナイフが飛び出してくる。それを回避した瞬間、右方向から三業が切りかかってきた。

 ――一発くらい、くれてやる。

 僕はそれを左手の側面で受け止めると、同時に右手で彼の首を掴む。三業はすぐに透過して腕をすり抜けようとしたが、それに合わせ、僕は可能な限り最大の〝亀裂”を周囲に広げた。

 地面の上を、壁の表面を、稲妻のような半透明の何かが走り回る。

 三業は壁の向こう側へ逃げようとしたようだったが、それをすり抜けた瞬間、広がった僕の〝亀裂”の切先をもろに浴びて悲鳴を上げた。

 僕は鼻血を出しながら亀裂を維持し、そのまま壊れかけた壁を粉砕して三業の目の前に飛び出す。ここは二階だったため、真下に小さな花壇のようなものが見えた。

 雄たけびをあげながら空中で三業の体に再度〝亀裂”をぶつける。彼は体中から血を湧き出させながら、そのまま地面に衝突し、意識を失った。

 僕は花壇をクッションにしたおかげで、なんとか骨折はしなかったが、右ひじと左足首に鈍い痛みを感じた。打撲を負ってしまったようだった。

 墓から這い上がるゾンビのように立つと、寝転んでいる三業の前まで移動し、留めを刺そうとする。

 この男が意識を取り戻せば、同じ手は効かないかもしれない。カナラの命がかかっているのだ。既に三人の人間を殺した今、僕に躊躇はなかった。

 しかし今まさに手を振りおろうそうとした直前で、向かいの物陰から誰かが飛び出した。例の穿という少年だ。

 どうやら向こうの目的は達成できたらしい。

 彼の顔を見ると、急に得体の知れない憎しみが湧き上がってきた。僕は歯を食いしばる様に彼を見返した。

 僕を見て、穿はわざとらしく優しい声を出した。

「君はカナラの仲間なんだろう? 僕は彼女の友達だ」

 友達? 利用しているだけだろうが。

 指に思わず力が籠る。憎しみを何とか隠し、彼に答えた。

「――ああ、お前がそうか。随分と早かったな」

 その言葉で安堵したのか、穿は教授の最後、自分たちがどうしてこの場に来たのか説明した。一応筋は通っている内容であったが、さっきの記憶を見た僕にはやつの本当の目的が分かっている。あいつは僕を殺し、カナラを奪いにきたのだ。悠々と、人畜無害のような態度を取りながら。

 こいつの打算に付き合っている暇はない。どうせ相手にするのだ。今のうちに三業は始末しておいたほうがいいだろう。いや、まずは先にこいつだ。三業は意識を失っているが、こいつは自由に動くことができる。スキをついて〝亀裂”で一気にたたみかければ――。

 そう思い、思いついた計画を実行に移す。穿はまんまと策にはまり、飛び込んできた。

 しかし間一髪のところで攻撃をよけられる。

 僕は舌打ちし、手首を軽く振った。

 人殺しなんてまっぴらだ。例えこいつがどんなに悪人だろうと、できるならば殺したくはない。だが、殺さなければカナラに危険が及ぶ。

 僕は彼女に救われた。剣山の中を歩くような人生の中で、彼女の存在だけが救いだった。彼女がいるおかげで生きる希望を抱けた。彼女のためになら悪魔にだってなれる。

「――お前を、殺してやる」

 そう唸り、一気に穿に向かって突撃する。

 どだい、体に蓄積したダメージはかなりのものだ。やつとは違って休んでいる暇もなかった。動ける時間は限られている。一発一発、全ての攻撃がとどめというつもりで、拳を放った。

 その争いは時間にしたら五分もなかっただろう。

 僕と穿はお互いが一撃で相手の命を刈り取ることのできる攻撃を打ち合った。やつの放つ波が頬を掠めるたびに高所から落ちたような寒気に襲われたが、目を見開いて腕を振るい続ける。

 まともに呼吸ができないせいで、頭がくらくらし動けなくなってくる。

 僕は渾身の力を込めた拳をぶん投げたのだが、穿は後ろに下がることでそれを回避する。

 負けるわけにはいかない。倒れるわけにはいかない。勝たなくてはならない。

 最後の力を振り絞って残った手を彼に突き出す。

 僕の全身全霊の殺意を、生きたいという思いを乗せた拳だった。

 拳と拳が衝突し、強い痛みが走る。

 ――まだだ……!

 さらに力を籠めようとしたところで、――突然、温かい光とともに、視界が真っ白に包まれた。





本当は別の章として書こうと思っていた話なので、

だいぶダイジェストになってるかも。

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