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浄我の形(じょうがのかた)【改稿前】  作者: 砂上 巳水
虚偽不還(きょぎふげん)
11/41

第十一章 不可解な死


********************************


 昨夜午後十一時過ぎ、***県***市において、廃墟前で拘束した不審者を護送中に、警察車両が民家へ衝突。その際の衝撃により、搭乗員三名全員が死亡。警官二名は救急車で搬送中に出血死。護送されていた不審者は心臓を折れ曲がった鉄柱で貫かれ、即死したと見られている。なお、民家の住民に怪我はなかった。警察はこの事故の原因を不審者が逃走を試みた影響によるものと、事故の二つの観点から調査を行っており、詳しい原因は……――


********************************

 学校のパソコン室。僕と千花はそこで、事件の詳しい記述を見つけた。インターネットのニュースサイトの隅っこのほうに、小さいコラムとして乗っている。

 カタカタというキーボードを叩く音だけがいくつも響く部屋の中、僕たちは確かめるようにお互いの顔を見合わせた。

「これって……“触れない男”のことだよね?」

 不安そうな表情で千花が同意を求める。僕は悩む素振りを見せながら、

「たぶん、そうだろうね。細かい内容や不審者の情報については書いていないけれど、時間と場所を考えれば間違いないと思う」

「……逃げようとして、失敗したのかなぁ」

「どうだろう。わざわざ走行中にそんなことをしなくても、あの人ならいつでも脱走できたと思うけど」

 何となく釈然としない。僕は考え込むように首をかしげた。

 摩擦を操れる“触れない男”が鉄柱を胸に受けるなんてミス犯すとは思えない。かといって気を失ったままだとすれば、彼が事故を起こすのも不可能だということになる。ならば考えられるのは、本当に運転手の不注意か、故意に事故を起こされたかのどちらかだ。

 意識を失っているときならば、“触れない男”も物を滑らせることはできないだろうけど、そんなことを一体だれが行うというのだろう。……いや――。

 迷走する思考の中、僕はもう一つの可能性に行き当たった。

 生きている“触れない男”の顔を実際に見たのは、死亡した警察官だけ。もし”触れない男”が付近の浮浪者なんかを身代わりにすれば、簡単に事実を偽造することができる。それが本当なら、彼は警察に追われることもなく自由に僕たちを襲撃できるということになる。

 考えすぎかもしれないけれど、何となく嫌な感じが背中を駆け上がった。

 その不安を彼女に伝えようとしたところで、場違いに明るい曲が二人の間に鳴り響いた。

「あ、ごめん、マナーモードにするの忘れてた」

 いっせいに周囲の生徒たちの視線がこちらに集中する。千花は恥ずかしそうに席を立ち、廊下へと出て行った。


 五分後、戻ってきた彼女は椅子へは座らず、口を近づけると、周りを気づかうような小さな声で僕に説明した。

「事情聴衆をしたときの刑事さんからだった。遺体の顔を確認して欲しいんだって」

「それは……こちらとしては願ってもないことだけど、……大丈夫?」

「平気だよ。もう怖い目には何度もあってるし、今更これくらい、何でもないもの」

 強がりではないようだ。僕は彼女の強さに関心した。

「ごめん。じゃあ……行ってきてもらってもいいかな。僕も近くで待ってるから」

「何時に終わるかわからないし、いいよ。それに多分、署員の人が家まで送ってくれると思う」

「……わかった。じゃあ、詳しい話は明日だね」

「うん。……穿くんも一応気をつけてね」

 時間があまりないのか、最後に案じるようにこちらを見つめると、千花はすぐにパソコン室から出ていった。

 もうこれ以上パソコンで調べても詳しい情報は乗っていそうにない。帰ろうかと思ったけれど、思い直した。事故現場を訪れてみることにしたのだ。

 どうせそれほど離れた場所ではない。行けば何かしら得られる情報もあるだろう。

 パソコンの電源を切り、完全に停止するよりも早くモニターを消す。席を探している生徒に譲るように、僕はその場を立ち上がった。

 



 まだ一日も経っていないためか、現場には数人の警官や見物客が何人もいた。流石にこの中を掻い潜って侵入するのは不可能だ。

 せめて遠めにでも中の様子が見えればよかったのだけれど、それは不可能に近かった。張り巡らされたブルーシートが周囲一体の景観をシャットアウトし、有無を言わさぬ壁を形成しているからだ。一連の光景はさながら一つの結界を構成しているようでもあった。

 “触れない男”が事故当時に摩擦を操作していれば、何らかの痕跡が残っているかもしれない。流石にあの足跡まではないだろうけれど、本当に事故でないのならば、摩擦を変化させたことによる余波がどこかに刻まれているはずだ。

 そしてそれは、現在ブルーシートで囲まれている場所よりも、実際に車が衝突した前方数メートル地点に残っている可能性が高い。

 僕は車や人垣の隙間から周囲を観察してみたけれど、それらしき痕跡を発見することはできなかった。

 やはり、本当に事故だったのだろうか。正直信じにくいけど……。

 考えながら地面に目を這わせる。すると、道路の右側からブルーシートの奥にかけて、うっすらとタイヤの痕のようなものが見えた。急ブレーキの影響だろうか。ゴムの可塑剤に混ざった着色料がコンクリートの上にじわりと浸透している。

 これは……。

 僕は右手の掌を軽く擦り合わせた。

 タイヤの跡がある、急ブレーキを踏んだということは、車本体の摩擦は無効化されていないということだ。“触れない男”が粒子間力や磁力などで構成されたもの以外の全ての人工物を分解できるといえども、走行中の、それも警官の真横で、容易に狙った部品のみを解体できるとは思えない。もし行えたとしても、後部座席からではエンジンや後部タイヤに影響を与えられるだけ。それではブレーキを踏まれたFF車は普通に停車してしまう。実益性はかなり低い。

 いつものように親指でその他の指を撫で上げながら、僕は瞑想にふけった。

 じゃあ、やっぱり事故か? 確かにこの街の警官は適当だけど……いくらなんでもそれは……。 

 考えれば考えるほど、深みにはまっていく。

 そのまま周囲をくるくると見回していると、ちょうど一人の警官がブルーシートの中から出てきた。その僅かな隙間から中の様子が辛うじて目に入る。崩れたコンクリート。折れた鉄柱。そして、不自然に広がった“亀裂”のような跡。いったいどういう衝突の仕方をしたらあんな破損痕が形成されるのだろう。僕はもっとよく見ようと試みたのだけれど、ブルーシートは完全にもとの位置に戻り、それ以上凝視することは出来なかった。

 その後、しばらく周囲を探索してみたが、それ以上気になる点は何もなかった。日が落ちてきたこともあり、僕は諦めて帰路につくことにした。今日は父の帰りが早いため、あまり夜遅くまで行動することは出来なかったのだ。

 時間を確認しようと端末を取り出す。すると、一件のメールが届いていた。千花だ。予定よりも早く立会いが終わったらしい。本文に一言、「本人だったよ」と書かれていた。

 本人。

 “触れない男”。――つまり、本田克己。

 暗闇の中だったけれど、千花が見間違えるとも思えない。僕は何だか一気に脱力し、緊張の糸が解けてしまった。

 短い文を書き、彼女に返信する。

 もしかしたら、目を覚ました“触れない男”は、自分の状態に驚いて咄嗟に警官を攻撃したのかもしれない。それでハンドル操作をあやまった運転手が、民家へと突撃してしまった。

 彼だって人間なのだ。そう毎度毎度冷静に振舞うことなんて出来はしない。判断を間違うことだってあるだろう。

 ブルーシートに囲まれた奥の空間を見つめる。何だか今にもオレンジ色の光が走って彼が飛び出してくるような、そんな錯覚を覚えた。遺体はついさっき千花が目にしているはずだから、ありえるわけはないのに。

 僕は端末を仕舞い、歩き出した。もう辺りもかなり暗くなり、人気も少ない道だったけれど、誰かに路地裏に引きずり込まれるなんてことは、どれだけ一人で歩いてももう起きなかった。

 



 家に入るとすぐに父が無言で見つめてきた。「どこに行っていたのだ」と、責めているのだろう。

 僕は鞄をテーブルの脇に置き、申し訳無さそうな表情で父に謝った。

「ごめん、父さん。ちょっと友達と話し込んじゃって」

「話し込むって、こんな時間まで? 少し長くないか?」

 壁に備え付けられたアンティーク時計の針は、午後八時を指している。一般的な高校生の帰宅時間としては問題はないだろうけど、それは部活動を行っていればの話だ。僕がまだどこにも所属していないことは、父もよく知っている。疑われるのは当たり前のことだった。

「仲がいい友達同士がケンカしちゃってね。それを取り持つのに苦労したんだよ。結局、まだ微妙な感じで終わったけど」

「……クラスメイトと交友を深めるのはいいことだけど、ちゃんと時間を考えろよ。最近はここらへんも物騒みたいだし、せめて何か連絡するとかしろ」

 僕は一人娘か何かか。

 母から託されているということもあるからだろうが、父は少し心配症気味だ。都心に残った姉の御奈に対しても、暇な時間を見つけては電話をかけている。彼女はそれが若干鬱陶しいのだと、よくメールで愚痴をこぼしていた。

「わかった、気をつけるよ」

 僕はこれで話は終わりとばかりに回れ右をし、洗面台のほうへと向かった。父はまだ何か言いたげな様子だったが、僕が移動を始めたので不機嫌そうな表情のままテレビに向きなおった。画面には「宇宙人は本当にいるのか!?」という、胡散臭いテロップが流れている。彼はそういった怪しげな番組が好きだった。


 胡瓜きゅうりとトマトとハムが盛られた麺。父の作った冷やし中華を食べながら、テレビを見つめる。一緒に夕食を食べるのは久しぶりだったので、なかなか会話が生まれない。随分と気まずく感じた。

 このままでは食事がまずくなる。僕は夕方に来た、「夕食はいるのか?」というメールのことを思い出し、勇気を出して尋ねてみた。

「……今日は何で早かったの? 珍しいね」

「明日にあるはずだった打ち合わせが延期になったんだよ。もうある程度資料は揃っていたから、特に遅くまでやる必要がなくなった」

「ふーん……」

 どう返答していいかわからず、僕はただ相槌を打った。社会人の行動常識など、知る由も無い。

 かちゃかちゃと、箸の音が響く。

 このままでは再び気まずい沈黙がやってくる。何か会話のネタはないかと必死に模索したところ、ふと“触れない男”のことを思い出した。仕事と私生活に生きる意味も見出せなくなり、ストレスで死んだあの男の記憶。僕は何となしに言葉を投げた。

「父さんは……何か目的ってあるの?」

「何だ、急に?」

 意外そうな表情で、父は顔を上げた。

「いや、さっき話した友達がケンカしたわけがさ、両親が離婚したからなんだよ。それで精神的に不安定になっていて、つい友人のおふざけにイラついて手を出したんだって。――なんか、そいつのお父さんは、毎日働いて帰るだけの生活に疲れていて、生きてる意味がわからないって言ってたらしいよ」

「ずいぶんとヘビーな話だな」

 箸を口元にあげたまま、父は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「生きる目的ねぇ……」

 同じ格好のまま、何かを考えるように斜め上を向く。ちょうどテレビには「これが宇宙人の正体だ!」というナレーションの声にあわせ、珍妙なシルエットが画面に浮かんでいた。

「そうだなぁ。俺の場合は、家族を幸せにすることかなぁ」

「それが目的なの?」

「ああ。ありきたりかもしれないけどさ。……目的なんて、何でもいいんだよ。世界一の歌手になるでも、オリンピック選手になるでも。誰かに強制されて生きているわけでも、指示されているわけでもないんだ。俺は俺なんだから、俺のしたいことをするために生きている。それが家族の笑顔をみるためってだけさ。だから、今一番の目的は母さんの体調を元に戻すってことになるな」

 僕は上手く答えることができず、押し黙った。

「別に好き放題やれって言ってるんじゃないぞ。人が生きていくうえでは、必ず誰かの協力を得なければならないからな。人間だって結局は一個の群生体みたいなものなんだ。誰かを不幸にすることは、結果的に自分のことを痛めつけているのと何も変わらない。あくまで押し通せる範囲で、自分の目的を実現するっていう意味だ」

「競技とか、オーディションとか、どうしても他人を蹴落とさないといけないものはどうするの?」

「そういうのは、だってそいつらが好きなことを好きなようにやっている結果だろ? 負けたら悔しいけれど、別に迷惑をかけているわけじゃない。俺が言いたいのは、強引に他者の権利を踏みにじって、自我を通すのが駄目だってだけだ。ちゃんとした競い合いの結果なら、文句はないさ」

 珍しく饒舌に、父は話した。

「生きる目的がなくなったら?」

「そしたら、頑張って新しい目的を探すしかないだろ。生きている以上、それを謳歌おうかするしかないんだ。何の目的もなく生命活動を続けているのは、死んでいるのと変わらない。とにかくやりたいことを見つけて、それに向かって突き進む。しいて言うならば、“生きる”ために、生きているのかな」

「何だかよく分からなくなってきた」

 苦笑いを浮かべて、僕はコップに入ったお茶をすすった。

「う~ん。ちょっと、難しかったか。俺、説明するの苦手だからなぁ」

 熱くなった姿を見せたことに照れたのか、父はわざとらしい咳をして、椅子に座りなおした。

必死に一つの会社にしがみつき、恋人のことを呪いながら死んだ本田克己。もし、恋人が裏切っていなければ、職場が好きになれていたのなら、彼は“触れない男”なんて怪物になってはいなかったのだろうか。もし、何か少しでも未来につながる何かがあったのなら――確認のしようなんてないけれど、何となくそんな風に思った。

「――ああ、結局あの宇宙人の正体って何だったんだぁ?」

 テレビの画面は変わり、宇宙人特集から古代文明の話へコラムが変化している。父は残念そうに口角を下ろした。

「専門家はカンガルーの一種じゃないかっていってたよ。番組的には追って調査を続けるって感じだったけど」

「おま、あれだけ真面目な会話の最中、ちゃっかり見てたのかよ」

 なんとも表現できないような表情で、父は僕を見た。そうとう悔しいようだ。

 ずっと同じ位置でとめていた右手をようやく動かし、父は口の中に麺を流し込んだ。音は一切せず、無音で一気にすすっていく。和食でも、ラーメンでも食事に関する咀嚼音は絶対に出さないというのが、父の流儀らしかった。

 今の流れで何となく会話がしやすくなったからだろう。続けて父は学校のことや、この街に関する感想などを聞いてきた。

 引っ越してから既に二週間以上は経っているというのに、随分と今更な質問だったが、僕も言葉を切らすのは嫌だったんで、素直に答えた。

 “触れない男”の恐怖が消えたこともあり、リラックスして食事をとることができたからだろうか。普段はすぐに終わる夕食だったが、その日はいつもよりも長くかかったような気がした。




 4



 翌日。僕はすぐにでも千花から“触れない男”の遺体について聞こうと思った。だが、一度会話を始めれば、授業間の数分では絶対に終わらないと思い、昼休みにそれを実行しようとしたのだが、スタイリッシュや桂場に捕まってしまい、結局、放課後まで質問は延期となった。

 今日はプレハブには日比野さんがいる。あそこを利用することは不可能だ。どうしようか迷った結果、天気もよかったので、僕は近場のカフェへ行くことにした。

 その店は僕の家の近所にあり、外見のオシャレさもあって、前々から気になっていた場所だった。

 吹き抜けになっている二階の窓辺に腰を下ろし、メニューを見てその値段の高さに愕然としつつも、適当にアイスコーヒーを注文する。千花はこの店のオリジナルメニューという、タピオカたっぷりココナツラテを選んだ。

 初めてタピオカという食べ物を目にしたようで、不思議そうにストローでいじり、感触を確かめている。その仕草があまりに子供ぽかったので、僕は思わず微笑んでしまった。

 いきなりカナラの記憶について話されたりしたものだから、正直そのインパクトが強すぎて意識していなかったが、彼女はそれなりに美人の部類に入る子だ。何だか初めて千花の顔をまともにみたような気がして、僕はどきまぎしてしまった。

 ひと口だけタピオカラテを飲み込みんだ千花が満足そうな表情でコップを置く。どうやらお気に召したようだ。そのまま僕が見ていると、彼女ははっと真面目な顔を急遽作り直した。

 小さな咳をした後に、言葉をつづる。

「昨日、警察の人に連れられて、事故現場の遺体を見たんだけれど、……あれは確かに“触れない男”だったよ」

「実際に遺体を見たの?」

「本当は写真だけでよかったんだけどね。私が無理をいって見せてもらったんだ。ちゃんと確認したかったから」

「間違いはない?」

 僕は自分でもしつこいと思いながらそう聞いた。

「うん。顔もあの人だったし、穿くんがつけた脇の傷もあった。本人であってると思う」

「そっか……」

 安堵か、拍子抜けか、僕は大きく息を吐いた。

「それで、死因はなんだったの? 本当に物理的衝撃で死んだとは思えないんだけど」

「それなんだけどね」

 千花は困ったように眉を寄せた。片手でコップの中のタピオカを回す。

「正式な死因としては、鉄柱が心臓に突き刺さったってなっているんだけど、変なんだ」

「変?」

「こっそり布をめくって確認してみたら、確かに胸には大きな傷があったんだけど――」

 何か大事な言葉が出てくるような気がして、僕は意識を耳に集中させた。もう、他の客の声はほとんど聞こえていなかった。

「胸の周囲に大きな“ひび割れ”みたいな痕があったの。警察の人は破片のせいだろうっていってたけど、私には何だかそれが原因で“触れない男”が死んだように見えた」

 ひび割れ?

 何かが引っかかる。

 僕は事故現場を訪れたときに見たあの跡のことを思い出した。妙な形の傷だとは思ったが、確かにみようによっては“ひび割れ”に見えなくも無い。

 そういえば、僕が“蟲喰い”で破壊したものも似たような壊れ方をするけれど……。

「まさか、誰かに殺されたっていうの?」

「ねえ、穿くん。“触れない男”は有名になりすぎた。都市伝説にまでなったし、多くの人にも目撃された。そして最後は警察に連行までされたんだよ。もしあの人に仲間が居たら、それ以上余計な詮索をされる前に事態を収拾させる方法をとるかもしれない」

「そんなまさか……」

「平気で人を誘拐するような人たちなんだよ。そんなこともありえないとはいえないんじゃないかなぁ」

 彼女は確信を持っているような言い方をしたけれど、僕にはその意見に賛同することはできなかった。

 確かに行方不明者は何人か出たし、実際に僕も誘拐されかけたけれど、誰一人死人はいないのだ。“触れない男”は人を一度も殺してはいない。少なくとも、僕の知っている範囲では。

 それなのに、何故千花はこうも確信を持って意見を言うことができるのだろう。まるで“触れない男”がどういう存在で、どうしてこの街に来たのか知っているかのようだ。

 一緒に危険を乗り越え、お互いを助け合った仲だけど、僕には未だ千花を信用しきれなかった。カナラの記憶のことだけじゃなく、彼女が何かを隠しているような気がして仕方が無かった。それが、好意を抱ききれない理由でもある。

「……その推理があたっているかはわからないけれど、とにかく“触れない男”――いや、本田克己については調べてみる必要があるね。何が目的だったのか。どこから来たのか」

 話を逸らすために、半分はその必要性を感じていたから、僕は強引に話題を変えた。彼女はちょっと不満そうに口を尖らせたのち、「うん……そうだね」と返事をしてストローを加える。

 もう“触れない男”は居ないのに、事件は解決したのに、何だかますますわけがわからないことが増えていっているような気がする。

 おいしそうにラテをすする千花を眺めながら、僕は小さく息を落とした。

 

 




 休日。僕は本田克己の死の真相を確かめるために、彼について色々と調べてみた。

 インターネットカフェで名前を検索すると、彼が参加していたソーシャルネットワークのサイトが出てきたので、それをクリックし、内容を確認した。

 記憶で見たとおり、学生時代はそれなりに人生を満喫していたらしい。友人たちと一緒に遊んでいる様々な写真が、何十枚もアップロードされている。

 彼がどういう性格で、どういう人生を歩んだのかは、もう既にある程度は知っている。僕が知りたいのは、その死の真偽だけだ。どうすれば確認できるのだろうかと悩んだ末、僕はそのサイトに記載されていた彼の会社に電話をかけてみることにした。インターネットを利用したIP電話システムとかいうやつだ。

 借金の催促を装い、強気で質問を行う。正直かなりどきまぎしたけれど、もともとずさんな会社だったのか、相手側は簡単に本田克己の死を吐露し、その理由まで教えてくれた。死因は、ストレスによる脳動脈瘤の破裂とのことだった。

 この電話の相手、恐らくは彼の記憶にあった上司だろうが、彼は質問してもいないことまでべらべらと話してくれた。

 ほとんどは使えない部下に対する不満だったが、その中に興味を引くものがあった。埋葬の話だ。

 本田克己は生前、両親も知らないうちに自分の身体を献体として提供する契約をしていたらしい。そのため、葬式のあとはすぐさま医療機関の人間が遺体を持ち去り、研究所へ運んでいったとのことだった。

 明らかに怪しかったので、すぐさまその医療機関を確認してみたのだけれど、国家の認可もおりている正式な研究所だった。意外なことに、この街のすぐ近くにあった。

 電話で実際に献体契約を行っているのか確認してみたところ、確かにそういったことを行っているとの話だったが、直接遺体を持ち込むことはほとんど無いらしく、多くはそのまま病院へ輸送するとのことだった。流石にどこの病院に運ぶかまでは教えてもらえず、また本田克己という遺体があったかも、伏せられてしまった。

 その後しばらく色々と調査を続けてみたけれど、それ以上有益な情報は得られなかった。僕はがっかりしたけれど、“研究所”や“献体契約”という事実を知れたと自分を納得させ、一息つくことにした。

 店員が持ってきたアイスコーヒーをすすりつつ、ぼーっと上を向く。

 とりあえず、今知ったことを千花に連絡しようと思った。彼女の意見も聞いて、次にどうするべきか考えよう。せっかく協力できる相手がいるのだから、その手を借りないのは損だ。完全に信用できるとはいえないけれど、今の僕に同じ悩みを共有できる相手は彼女しかいない。

 端末を取り出し、画面を操作する。数度のコールで、彼女は呼び出しに応じた。

「あ、もしもし、佳谷間だけど……」

 僕は簡単に今日調べた内容について教えようとしたのだけれど、彼女はその言葉を遮った。

「ごめん、今料理中で手が離せないんだ。あとで教えてもらえる?」

「料理中か、じゃあしかたないね。二時間後くらいにまたかけなおすよ」

 そういって電話を切ろうとした瞬間、千花が続きを述べた。

「――穿くん、お昼食べた? ちょっと賞味期限ぎりぎりの食材がいっぱいあって困ってるんだけど、いっしょに食べない?」

「え、いいの?」

「うん。お父さんたち今日出かけててね、一人で昼食をとるのも寂しかったし、どうかな?」

「千花がいいなら僕は構わないけれど」

 父には外で食べると言ってある。僕は照れを隠すようにそう答えた。

「じゃあ、待ってるから。日輪出ひわでに大きなスーパーがあるでしょ。そこにいてね」

 肉を焼く鉄板の焦熱音が聞こえる。それっきり一方的に電話は切れてしまった。





 千花の家は、例の事故現場からそう遠くない場所にあった。同じ日輪出という区域の中なのだから、ありえない話ではないのだが。

 築十年ほどだろうか。少し汚れはあるものの、随分とこぎれいなアパートだ。彼女はそこの二階に住んでいた。

 僕は埃ひとつないリビングを眺めながら、緊張した面持ちで料理が運ばれてくるのを待った。エプロンをつけた千花が、恥ずかしいそうに笑みをみせテーブルの上へと皿を置く。言葉の通り、そのまま冷蔵庫にあったものをまとめただけの炒め物だった。

「適当に作ったものだから、具材のアンマッチさはあまり気にしないでね。いつもはこんなんじゃないんだよ」

「おいしそうだね。――いただきます」

 僕は彼女が席に着くのを待ってから、箸を取りそれを口に入れた。

 ただの炒め物だったけれど、多くの味付けがなされており、かなり舌触りのよい味がする。一言で言えば、十分においしかった。

 夢中でほおばる僕をにこにこと眺めながら、千花は満足そうに自分の箸を取った。

「全部食べないともったいないから、じゃんじゃんお代わりしてね」

 残ったものは全て捨てるしかないのだろう。僕は頷き、食事を続けた。

 合間合間に、今日調べたことについて話すと、彼女は驚いたように僕を見た。「見かけによらず、随分とアクティブなんだね」とのことだった。正直、これは褒められているのか馬鹿にされているのかわからなかった。

 何とか彼女の用意したものを食べきり、皿を片付ける。話したいことも伝えたし、特に用はなかったけれど、そのままなんとなく雑談に花が咲いてしまい、気がつけば夕方になっていた。

「ごめんね、つき合わせちゃって」

「いいよ、昼飯代が浮いたし」

 僕としては特に損なことはなにもない。本心からそう返した。

「“触れない男”については、私も調べてみるね。やっぱり何だか不自然な気がする」

「僕ももっと情報を集めるよ。“研究所”や“献体契約”っていう話にちょっと引っかかりを感じてるし」

「じゃあ、何かあったらまた連絡してね。お昼くらいだったらいつでもご馳走するから」

 自慢気に腕を持ち上げながら、千花が鼻を鳴らす。

「期待してるよ。次は中華がいいかな」

「いいよ、わかった」

 冗談のつもりで言ったのだけれど、彼女はそれを言葉通りに受け止めたようだ。僕は苦笑いを浮かべつつ、そのまま歩き出そうとした。

 千花に別れを言おうとしたところで、同じアパートの住人らしい中年の女性が階段を上がってきた。

 僕は後ろに避けようとしたのだけれど、すれ違いざまに僅かに当たってしまい、彼女が持っていた鍵が落ちた。

「あ、すいません」

 慌てて謝り、それを拾って渡すと、女性は人の良さそうな顔でお礼を言った。

「あら、ありがとう」

「こんにちは」

 お隣さんなのか、千花が軽い会釈を浮かべる。女性は僕を値踏みするように見たあとに、悪戯っぽい笑顔で話しかけてきた。

「あらあら、千花ちゃんの彼氏さん? かっこいい子ねぇ」

「ち、違いますよ。ただの同級生です」

 若干照れたように千花が慌てる。別になんとも思っていなかったのだけれど、千花のその反応に何だか僕まで恥ずかしくなってしまった。

「千花ちゃん、いっつも興味ないとか言ってるのに、ちゃっかり相手がいるじゃないの。もう」

「だから、違うっていってるじゃないですかぁー」

 女性がしつこく弄ってくるので、千花は困ったようにむくれてみせた。

「もう、じゃあね、穿くん。また明日学校でね」

 てれを隠すように扉を閉める。いつもと違うその態度が妙に新鮮だった。

「あらあら、照れちゃって、うぶねぇ」

 いかにも世間話が好きそうといった表情で、クスクスと笑う女性。何だか捕まったら話が長くなるような予感がして、僕はすぐに立ち去ろうと思ったのだが――

「どこの子なの? 高校生?」

「あ、同じ学校の生徒です……」

 あっさりと捕縛されてしまった。アシダカ蜘蛛並みの速さだった。

「いいわね。一番楽しい時期だよねぇ。羨ましい」

 ここで千花との関係を否定すれば、また面倒な悶着が起きてしまい時間が余計にかかる。僕は女性の勘違いを解くことはせずに、適当に話をあわせて逃げる算段をした。

「お姉さんも、まだまだ全然お綺麗じゃないですか」

「あらあら、そういうお世辞は別にいいのよ~」

 口では否定しつつも、まんざらではないようだ。僕の台詞を聞いた途端、若干女性の表情が緩くなった。

「随分仲がいいんですね」

 普通引っ越してすぐの隣人なんて、まったく顔も知らないような場合がほとんどなのに、千花とこの女性は親戚のように親しげに振舞っていた。よほどコミュニケーション能力の高い女性なのかと思ったのだが――

「そりゃあ、一ヶ月半もお隣で暮らしていれば、仲良くもなるわよ。あの子は一人みたいだし、何だか心配になっちゃってね。無駄におせっかいをやいっちゃってね」

 その瞬間、僕の意識の糸は、一気に張り詰めた。

「一ヶ月半……?」

「ええ。最初はちょっと無口だったんだけどね。何度も挨拶を重ねるうちに段々話してくれるようになって……」

 もう女性の言葉など頭に入ってはいなかった。

 僕は、今聞いた事実がどういう意味をもたらすのか、頭をフル回転させて考えていたのだ。

 千花は僕よりも遅く転校してきた。

 日数的にはまだ一週間と少ししか経っていない。

 それなのに、それなのにこのアパートには一ヶ月以上前から住んでいる? 一体どういうことなのかわからなかった。

「どうしたの?」

 不思議そうな目で女性がこちらを見つめる。ごまかすように居住まいを正した。

「いえ、ちょっと蟲が……」

 そういって上を向く。女性も釣られて天井を見上げた。

「僕も彼女と初対面のときを思い出して。人見知りするタイプなんですかね」

「そうかもしれないわね。あの頃の千花ちゃんからは、今の姿なんて想像できないもの」

「あなたは、どこまで聞いているんですか?」

「そうね……ある程度はね。亡くなった両親のこととか、頑張って一人で生きていこうとしていることとか……。そんなに詳しい事情は知らないけれど、今の千花ちゃんの状態については理解しているつもり」

 あくまで現在の千花がここで生活する上での、最低限の境遇のみ知らされているということか。ならば、これ以上大した情報は得られそうに無い。

 あまり彼女の家の前で長話をしていたら怪しまれる。僕は女性との話を切ることにした。

「あ、何か濡れてますけど、大丈夫ですか?」

 女性の持っているビニール袋の内側に、水滴のようなものが浮かんでいる。彼女は指示の通りそこを見ると、ぎょっと口元を縦長にした。

「あらやだ、卵が割れちゃったみたい」

「早くふいたほうがいいですよ。この時期すぐに悪くなりますから、野菜にかかってるみたいですし」

「あらあら、どこかにぶつけたのかしら、まったくいつのまに……」

 口元を隠すこともなく、女性は大きなため息をはいた。せっかく運んできた買い物が損傷していたことが、よっほどショックだったらしい。普段家事を分担して行っているため、気持ちはよくわかる。自分が女性の立場でも同様の反応をしてしまうだろう。――まあ、割ったのは僕なのだが。

 女性は最後に「千花ちゃんを大事にね」と笑いかけると、いそいそと隣の部屋の中に消えてしまった。

 扉の閉まる音だけが、大きく廊下に響いた。





 数百メートル先に広がる海。僕はそこを目指して、無言で歩き続けた。距離があるためか、高度的には現在立っている場所のほうが上のはずなのに、まるで海面がせりあがっているかのように錯覚して見える。

 千花の家に居る間に通り雨があったため、湿気が増し、光が橙色と桃色の中間を右往左往していた。

 そういえば、不思議なことにこちらに来てから夕焼けばかりみている気がする。

 地球は自転しているから当然のことなのだが、妙に印象的に認識してしまっていた。部活をしていないから、帰る時間帯がちょうどそれに合っているからかもしれない。それとも、カナラの姿を目撃したからだろうか。この時間は彼女との時間だったから。

 信号の前に出たので足を止める。横にはどこかの企業が所持している工場へと続く道があった。どことなく、その道は僕と千花が“触れない男”に拉致されたときの道に似ていた。

 彼の噂が広まるようになったのは、僕が転校してくる数週間前だ。だが、実際に行方不明者や目撃情報が出始めたのは一ヶ月ほど前。

 千花がこの街に来たのも、一ヶ月ほど前……。

 僕には、この二つの事実がとても無関係には思えなかった。 

 潮風が地面の上を走り、足元を撫でる。夏とは思えないような冷たさに、思わず身震いしてしまった。

 まぶたの裏に浮かぶのは、幼い頃に別れた真方カナラの姿。

 そしてそれは形を変え、彼女の記憶を持つという、蓮見千花の姿へと変貌した。 

 一体、どちらが僕にとっての真実なんだろう。

 姿形もおぼろげな過去の思い出と、今現実として直面している相手。

 信じるべきなのは当然後者のはずなのだけれど、どうしてもそれを認めることは出来ない。

 ただ母の療養に来ただけのはずだったのに、どんどんおかしなことになっていく。

 僕はただ、“罪”を償いたかっただけなのに。

 カナラの姿を見たから、彼女に会いたがっただけなのに。

 目の前で沈みかけている夕日のように、ずるずると何かの深みにはまっていく気がする。

 真実を探ろうとしても、手がかりを得ようとしても、次から次へと別の泥濘ぬかるみが生まれて、足を取る。まるで見えない誰かに足を掴まれているかのようだ。

 海の向こうに消えようとする夕日。どこからが太陽で、どこからが海なのかあいまいな光景。そのにカナラの存在を重ね、僕は境界を見極めようとするかのようにゆっくりと、目を細めるのだった。







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