人形_doll
「よし、ランプも無事見つけたし、あとはこの館の入り口の鍵を探すだけだね」
「そう簡単にいくかなぁ……」
ランプを手に入れた過程は、長くなるので割愛する。
不安そうなユウトを元気づけるように、わざとそんなことを言ったのだが、余計不安にさせたようだ。
「ていうかお姉さん。ぼく、君のことぜんぜん知らないし、しかも脱出したいとか思ってないから巻き込まないでくれる?」
またジトリとする目で、こちらを見るユウトだが、そこに若干の恐怖があることに気づいた。
包帯と髪の毛の隙間から見える肌は、元々陶器のような白いのにも関わらずさらに色素を失い、人形といっても過言では無いと思える程だ。あまり露出していないので、ぱっと見は解らないのだが。
お姉さん、君。さっき彼は、私のことをはっきりと「ユウラ」と呼んだ。少し心が近づいた気がしたのだが、思い違いだったようだ。肩を落とす。
そんな私を横目にユウトは続ける。
「ぼくは生きていたいよ」
「生きてるって言える?」
さあ、と言ったふうに両手を広げられた。
生きてるって言える? その答えを知る人はいるだろうか。人生を全て、ここで費やしたのだ。何も望まない、望みたくない変わりたくない、現状維持。波風立てず、平坦で地層が低い道を。真っ直ぐ、ただ淡々と。それでも、息をしているなら魂があるなら、これは自分の人生と言える。言えない、というのは私みたいな人が勝手に思うこと。価値観も幸せも違う、目の前にいるのは私と同じ、でもみんな違う人間。
「変なことを聞いてごめんなさい。そんなつもりはなかったんだ。でも、少しだけでいいから、ここのことを教えて欲しいの」
パンっ、と音を鳴らしながら手を合わせ、ペコペコとお辞儀を何回もする。30回は振った頃、遂にユウトは折れた。
「別に、まあ知ってることくらいなら教えてあげてもいいけど」
素直になれないのか純粋な子供なのか何なのか――兎に角、掴みどころのない少年だ。その上表情は読み取りにくい。
生意気とか、そういうのではない。ただ単に、人と触れ合うのに慣れていないのではないか。私はそう読み取ることにした。
ランプはまるで私達の命そのものみたいに、美しくゆらゆらと炎を揺らす。その向こう側の景色とユウトは、同じようにゆらゆらして、人形のような顔を歪ませている。
「……脱出の鍵なんて、多分無いと思うよ。あったとしても、この部屋には無いだろうね」
「この部屋?」
反射的に聞くと、呆れたような声色でユウトは答えた。
「まさか外観だけでもでかいこの館に、ここしか部屋が無いとでも? 結構色々部屋はあるよ、ぼくの見た限りでは」
―――?
私はその台詞に、少なからず違和感を覚えた。
だが、今はそれに気付けず、モヤモヤとした感情がほんの1ミリほど残るだけだった。
しかしこれほど大きい部屋は、ここだけなんだと思う。外客用なのだろうか。人を入れることがあるのかは別として、その人が帰ってこれているかは別として。ランプでは到底、その十分の一ほども照らせていないだろう。しかし端を通りながらゆっくり調べると、入口から左右と前方の壁に三つずつ、私を閉じ込めた憎い扉の近くにも一つ。合計この部屋だけでも十、ドアが存在している。視線を回したとき、わずかにだが、ユウト以外の誰かに見られているような妙な感覚かした。
迷わないように手始めに、手前から入るか、それともまだここにいるか。迷った頃、緊迫した空気にそぐわない、さっきの足音とは全く異なった雰囲気の音が鳴った。
ぐうぅー
腹の虫だった。それも、今まで聞いたことのないような大きな。そう言えば部活は最終下校まで残り全速力でこの屋敷に逃げ込むなど、普段よりも運動量が多いというのに、昼から何も口にしていない。今頃は、おやつも夕飯も、とうに平らげているというのに。
とはいえ、赤くなった頬は冷めることを知らず、羞恥心と、空腹という生理的現象によりパニックに陥ることとなった。
「あっ、えっと、あああ……」
「……はあ」
ユウトは大袈裟にため息を吐く。
「いいよ、あげるよ」
と、テーブルに並べられたご馳走を指さした。よく見ると、それは食卓によく並ぶ、ごく平凡な――だからこそ美味しそうな料理だった。
色鮮やかに敷き詰められたサラダに、プレーンオムレツのまだ焼きたての匂いが鼻をくすぐる。隅に置いてあるコッペパンはこれまでで見たことのないような大きさだ。思わずつばを飲み込む。しかしここで折れたら年上という私の面目が……
「じゃ、じゃあ食べてあげなくもない、わよ」
何故かお嬢様のような言葉になってしまった。
「いつからそんな口調になったの……? 解った、じゃあ一人で食べるね」
「ああああ! 解った! 下さい、プリーズ!」
必死に先程の失態を取り繕う私に、ユウトはクスリ、と笑う。
「あ、笑った」
「はあ? ぼくだってそりゃあ、笑いもするよ」
初めて見た自然な笑顔に反応する私に、小恥ずかしそうにユウトは俯いた。彼が笑うことが珍しいんじゃなくて、それを見れたことが珍しくて、嬉しいんだよ。それを言おうとしたが、言ってもどうとなることでもないので、やめておいた。
彼はしばらく黙っていたが、やがて我慢が出来なくなったのか、私が料理を頂いている最中に、ポケットから鍵を取り出した。
「これ。どっかの鍵。落ちてたんだ。でも、いらないから……使ってよ」
ぶっきらぼうに差し出される鍵とユウトをしばらく交互に見ていたが、うんと元気良く返事して、私は何処のかも解らない鍵を貰う。
自然に顔がほころぶ。満腹効果なのだろうか、緩んでしまうのだ。このままではいけない。
ところで、半分こする約束だった筈なのに、さっきからユウトは何も口にしていない。これでは、申し訳なさが積もってしまうじゃないか。
「? ああ、お腹空かないんだ。動かないから」
私の気持ちを察したのか、少し寂しそうに彼は言った。自由を奪われている、ということだろう。動かないから、じゃなくておそらく「動けない」から。
首輪は何処にもつながっていない。拘束するためのものではないようだった。だというのに、彼はここから動けない。一体他の部屋には、何があるというのだろうか。鍵だって渡してくれたということは、同時に自分は使わない、ということ。でも、その理由をまだ私は知らない。それが何だか気になってしまう、昔からの性だからかは解らないが、きっと目の前のこの少年に、何かしらの縁を感じてしまうのだ。
「一緒に行こう」
「何でぼくが」
「怖いから」
見え透いた嘘を言う私に、察した少年は静かにポケットからマッチを取り出す。どうしてそんなものがあったのか。
「ランプ、消えそうだから。……一番左の部屋は、書斎。何かあるかも」
鍵はかかってないから、すぐ入れる。マッチをぽい、と投げながら、ユウトは呟くように言った。
私はしばらく固まっていたが、意識をしっかり取り戻すと、ワインピンクのカーペットに落ちたマッチを拾う。希望を無くした少年に、また笑ってもらいたい。
書斎だと言われたドアに目を落とすと、隣に人形があった。フランス人形だろうか、青い瞳に作り物の美しい金髪が、暗いこの洋館にいる私達により一層恐怖を煽っている。
――不気味だなあ。
ずっと同じ方向を向いている筈なのに、まるでこちらに視線を向けているような。そういえばさっきから感じていた、見られているような感覚は、この人形から来ているのかも知れない。
「私、お腹が空いているの」
「ひっ……!?」
急に、フランス人形が口を動かした。驚き、尻餅をつく。
ユウトは腰を抜かした私を行儀悪く指さし、馬鹿にするような笑い方をした。おもしろがっているようだ。
「きみ、面白すぎ! 何でそんなに驚いてるの? 人形が喋るなんて当たり前じゃない! もしかしてここにいるのはぼくら二人だと思ってた?」
クスクスと、口に手を当てる。確かにオーバーリアクションかも知れない。だが、どこからどう見ても人形だ。明るい場所で見れば普通に可愛い。なのに、『人形が喋るなんて当たり前じゃない』なんて、意味がわからない。だって人形だ、魂が宿らない物体なのに。
「くすくす……お姉さん、私お腹が空いているの」
人形はユウトの真似をしてせせら笑うと、台詞をリピートさせた。
「私が喋るのは当たり前。小さい頃、よく遊んでくれたでしょ? 私達は、持ち主に愛されると心や、意識や、脳や……まあ、つまりは魂を授けられる」
彼女はさっきとは違い、にっこりと笑うと、スカートの裾を指先でつまみ、上品にお辞儀をした。私もファンタスティックなその光景に圧倒されながらも、恐る恐る真似をすると、ユウトはついにお腹を抱えだした。
ムッとしながらも無視し、人形を見つめる。だが、彼女は顔を曇らした。何が悲しいのだろう。そこまでお腹が空いているのだろうか。
「でも、そうなる前にみんな興味を失うわ。ねぇ、ユウラ、お腹が空いているの。何か頂戴?」
フランス人形は、通常の人形より少しばかり大きい。ぬいぐるみのように抱きつくことも出来る、大抵は高級なのでそんなことはしないが。それでも私とは体格差もかなりある。彼女は上目遣いで尋ねた。もしこの子が人間で、今通っている中学校に通うこととなったら、男子からも女子からも注目の的だろう。それぐらい、可愛かった。女の私でも、ドキッとしたくらいだ。
私はテーブルに残った料理に視線を移した。まだここにある料理は半分程も食していない、ユウトも食べるつもりはないようなのであげることにした。
「いる……?」
ぎこちなく微笑んで、トレイを渡す。それは、クラスで一人になった子を誘うような、気まずい空気を我慢するような仕草だった。
フランス人形があまりに可愛かったのが、仇となったのだろう……。
彼女はしばらく、器用に長いスプーンやフォークを手にもぐもぐしていたが、すぐに食べ終わり、その手を止めた。
「 ま だ 足 り な い 」
「――よけて!」
暗転。
ユウトの声が、頭の中でぐわんぐわん、と鳴る。この光景、私知ってる……?
大きく牙をむく人形の元に駆け寄ると、彼は私を押しのけて、ずい、と前に出た。
狂気的な目をこちらに向けながら、人形はその『大きくて小さな』口を閉じる刹那。
あああああああああああッッ!!!
まだ幼い少年の、絶望的な叫び声が鼓膜を貫いた。
「やめて! ねぇ、やめてよ!」
包帯で顔は隠れているものの、痛みに苦しみ顔を歪ませるユウト。
ボタリボタリ、と雨水とは歴然とした差がある、粘り気のある液体の音がする。
赤黒い血だまりは、あまり人が通らなかったであろう、美しいままのカーペットに染み込んでいく。
『片手をほぼ全て食われて』いた。
私は押し退けられて身体を崩しながらも、何とかすぐに立ち上がり、彼の片手を貪り喰う人形に、反撃しようと考える。
おあつらえ向きなのだろうか。肩に下げてあるものは、本来の目的とは全くの別の使い方をするというのに、待っていたかのようにランプで黒光りしている。
私はラケットを思い切り構え、力いっぱいスマッシュした。
人形はメテオの要領で真下に飛び、更に床に直撃し上に飛び天井にあたり、最後にゆっくりと落下した。
ハラハラしてその様子を見守ったが、しばらくすると、人形は真っ赤な目を碧眼に戻し、命が宿る前の、そう、元の人形に戻った。
コロコロ、と可愛く転がる人形を下目に、私は荒い息を整えるが……それよりももっと、比べ物にならないほどの呼吸音が聞こえた。
ユウトは、肩で――もっとも、片方は肘までないのだが――息をしながら、虚ろな目で床を睨む。
はあ、はあ、と左肘を抑え、必死に止血しようとしているが、どころか、右手のひらは真っ赤に染まり、まるで殺人を犯したような光景に見える。
咄嗟に体操服のTシャツをびりり、と破いて肘を巻く。見るみる間に赤く染まる簡易的包帯に不安を覚え、何重にも巻いた結果、着ていたTシャツはなくなってしまった。
「……あ、ひ、ユ、ユウ……がはっ」
「やめて、お願いだから喋らないで!」
必死に止める私に、やけに素直にユウトは黙りった。私は静かに彼を横にした。
――「生きてるって言える?」
さっききみは、そう言った。生きてる。それは、当たり前のこと。死と隣り合わせなのに、身近なのに、死の方がずっとずっと珍しい。
だからきみは、ぼくのことがしんでいるように見えたらしい。でも無理はない、他の幸せを知らないぼくでも解る、ぼくは普通の生活を送っていない、と。
でも、生きているのなら、しぬより幸せだと思った。そう、信じていた。だから、命を失いたくなかった。
失いたくなかったのに。
魂を所持している物体など、危険でしょうがない。ましてやフランス人形のような、捨てられたおもちゃなんて余程危険だ。いつ狙ってくるか解らない。
ぼくは彼女と仲が良い、だからといって警戒していなかった訳ではないか、脳が危険信号をストップさせていたのだろう。
言い忘れたのだ、彼女は肉しか口にしないと。
これがハンバーグなら、或いは別の何かなら、何か状況が変わっていたのかもしれない。しかしぼくは、それを忘れていた。何て失態だ。
だから、ぼくがきみを庇ったなんて当然だ。どうして、そんな哀しい眼をするんだよ。
「何で、どうして……!」
ぼやけた視界に、きみの眼から墜ちる雫を捉えた。こんなんで泣いてたら、生きていけないよ……今、ぼくが言えることじゃないけど。頬に雫があたる、冷たいなあ、やめてよね。
駄目だ、瞼が閉じるのをやめてくれない。ぼく、死ぬのかな。もうこれで、短い生涯を終えることになるのかな。
嫌だ。まだぼくは、ここで……共存なんてせずに、あの子と……
晶が、ぼくの前からバイバイする。やめて、やめろ、助けて――
そのとき、確かにぼくは見えた。
「お願い、死なないで。生きて」
きみの顔が、あの子と重なる瞬間が。