隣と隣
直球ものではないですが、一部危ない表現があるので一応R-15指定です。
危ないのは最初だけなので、判断は個々人でお願いします。
「……だって普通、お兄ちゃんという生物は妹で童貞を卒業するものでしょう?」
「いや、ものでしょう? って言われたって……」
俺は困惑した表情をして、どうやって妹を嗜めたものかと思案する。
……その実、内心はこれから起こるかもしれない、妹とのあぶな――
「もう! また人の部屋でエロゲやってー……」
これからバーチャル妹と危ない関係になろうと言うところで、邪魔者が帰って来た。
「おう、おかえりー」
「おかえりじゃないわよ。人の部屋でエロゲやらないでって言ってるじゃんか、もう」
まったく、と大変ご立腹なのはこの部屋の主にして、我が姉。
「いいじゃんべつに。固い事言うなよ」
「言うわよ! 健全なるゲームならまだしも、エロゲーよ!? そんなものを自分の弟が自分の部屋でやってたら全世界の姉が口出しすべきことよ」
まだしも、とはなんだ。まだしも、とは。
エロゲというのは大変立派なものであって、その起源は遡る事およそ三十年前……まだパソコンがあまり普及もされていない時代から、エロゲ――いや、アダルトゲームは人々の夢と希望と性欲と何やらを数え切れないほどを抱え、人類史上の夢を携え、今日ではこのような鮮やかな発色や、何やら何かをそそられる大変いかがわし……いや、妖艶な絵が数々登場しているが、およそ三十年前に発売されたそれはアダルトゲームというにはあまりに――。
せっかくだが、俺がエロゲもといアダルトゲームを語ると本気で二時間はかかってしまうので、大変残念ながら今回はこの辺で終わらせといていただこう。
もとを正すと、なぜ姉の部屋で妹系のエロゲをやっているかと言えば、それはまあ……。
「まあべつにいいじゃん、今更」
「何開き直ってるのよ! 最初からやめてって言ってるじゃん! せめてイヤホンとかヘッドホンとかしてやりなさいよっ。三回に一回という高確率で、本番シーンだったりでもう……」
だったりでもう、の後半部分がぼそぼそとした喋りになり、何かを思い出したように頬が紅潮している。
「もう、なに?」
「なっ、なんでもいいからっ! とにかく、もう今更やるなとは言わないけど、せめてイヤホンかヘッドホンして!」
それだけ言うと、手に持っていた手提げ鞄をベッドのに放り投げ、ドアをバタンッと閉めて一階へと下りていった。
それを見届け、ゲームデータをセーブしてパソコンの電源を切る。
「……残念、今回は見計らったように本番シーンとはいかなかったか」
誰もいない姉の部屋で、椅子の背もたれに音を立てて寄りかかる。
……まあ、言うなれば、これはカモフラージュと言ったところだ。
そもそも、どうして姉の部屋でわざわざ妹系エロゲをやっているかと言うと、べつに自分の部屋がないわけではない。
二階の一室にきちんと自分専用の部屋は与えられており、部屋の大きさも姉の部屋とまったく変わりない。
パソコンも姉の物ではなく、きちんと自分の所有物であり、ついでに言うならノートパソコンなので持ち運びは出来るものの、自分の部屋では生憎パソコンの調子が……というわけでもない。
最初の一回目こそ、隠すフリはしたが、それ以降は隠すフリもせず、姉が帰宅するまでの時間揚々とエロゲを楽しんでいる。
その一回目こそ、姉は家族の知ってはならない性癖を意図せず知ってしまった――というそのままの焦った表情をして、目をグルグルと回しながら「私の部屋でしないで」と、懇願するかのように涙目になりながら訴えてきた。
しかしその翌日、昨日のことなど素知らぬ様子で、しかも今度はまったく悪びれた様子もなく俺が部屋でエロゲをしているのを目撃した姉は、昨日のはなんだったのかと思うくらいにあっさりとした様子で「やるなら自分の部屋でやってよー」と言った。そういう大雑把な性格は、どうやら我が家の遺伝らしい。いや、いい加減と言うべきかな。
散々長ったらしくなったが、どうして姉の部屋で妹系エロゲをやっているかと言えば、カモフラージュだろうか。
何のカモフラージュかと言えば、言うまでも無く、俺が姉に抱いている気持ちへの――だろうか。
ただ、直球に姉のことを異性として好きなのかと問われれば、ノーとは言えるが。
だったら何なのだ、と訊かれたらそれはぜひ、俺自身が教えて欲しい答えだったりする。
家族に抱く愛情なのかと言えば、それはきっぱりノーと言える。では、主に男女間に発生する、俗に恋愛感情などと呼ばれる気持ちなのかと言えば、それもノーだろう。
じゃあなんなんだよ、とキレられるのももっともだ。それ自体、さっきも言ったように、俺自身が知りたいことなのだ。
――まあ、分かってはいるけど、目を瞑りたい事実だって、あるということだろう。
べつに『姉』という属性が好きなわけでも、年上になにかしらのコンプレックスを持っているわけでもない。単なる属性に興味を示すほど子供でもないし、両親ともに健在で、姉に育てられたわけでもない。
小さな頃から仲は良かったように思うが、普通の家庭に必ずあるように喧嘩は幾度もしたし、特別仲が良かったわけでもない。
いつから、他人から見たら気色悪いことこの上ない気持ちに気付いたかと言えば、胸にぽっかり穴が空いてしまったかのように思えた、半年くらい前のことだろうか。
当たり前と言えば当たり前に起こる、ごく普通のこと――。
『私、結婚するから』
いきなり自宅に彼氏を連れてこられた父親の如き心境になった。思わず、誰とだよ! と声を荒げてツッコミそうになったが、そこは理性がなんとか勝った。
姉ももう二十を過ぎている。当然と言えば当然だろう。彼氏を自宅や周辺で見かけたことはないが、姉が選んだ人間なら信用できるだろうと、不思議とそこは確信が持てた。誰だから安心して任せられる、ということもないのだが。
結婚すると告げられたとき、素直に祝福をするどころか、えも言われぬ醜く汚い感情が自分の中に生まれたことにすぐに気付いた。それを、人が『嫉妬』と呼ぶことにも。
「これがマリッジブルーってやつかね……」
いや、マリッジブルーは当人同士がなるものだっけか。
親族累々にも適用する言葉ではなさそうだ。
昔誰かが言っていた気がする。幸せとは、失って初めて気付くからこそ、幸せだと気付けるのだ――と。
この、昔誰かが言っていた気がする、という言葉は大変便利なものだ。気がするだけであって、べつにそれが勘違いだろうが自分が発狂した際に思った言葉だろうが、このように言えば適用されるのだから。
だから、この言葉もべつに、せいぜい知り合いが言っていた程度のものだろう。どっか教科書に載るくらいのお偉いさんが言った言葉なのだとしたら、自分の記憶力に賞賛を送りたいものだ。
「失って初めて、ね……」
その通りだった。
朝姉と交わす言葉も、学校から帰って来た後姉と交わす言葉も、自分には幸せなことだったのだ。
結婚となれば姉は当然この家から出て行き、まだ俺が顔も知らぬ男と新しい家で新たな家庭環境を築くだろう。姉がいたこの家は両親と俺の三人だけになり、そうなった際に自分に訪れるであろう気持ちは容易に想像できた。
しかし、元カレどころか、血の繫がっている弟がそれに待ったをかけるのは、地球をひっくり返したところでおかしいことだろう。
だから、わずかばかりの、本当にわずかばかりの反抗心を見せ、あとどれくらいか残されている時間の中で、俺はなぜか姉の部屋でエロゲをするという結論に至ったのだ。
十人いれば十人が、百人いれば百人が首をひねること間違い無しだろう。
しかし、自分の足りない頭をどう捻ったところで、こんなような実に馬鹿な行動をすることしか思い浮かばなかった。
それは反抗心というにも、おかしなことなのかもしれない。どちらかと言うと、自分への言い訳だろうと、自分でも推測できる。
姉のことなど、好きではない――という。
わざわざ妹系のエロゲをチョイスしているのは、そこからくるものだ。普通の同世代の女の子とのものでも、年上系とするものでもなく、妹系。
『俺は年下が好きだ』
という、自己主張。
直接言うのも変なので、わざと姉の部屋でわざと妹系エロゲをして、わざと見つかる。そうすることによって、姉に「実は年下趣味だったのか……」と自然に思わせる、という実に浅はかな作戦だ。
それも、どちかというと姉を欺くのではなく、自分を欺く為にだ。なんとも虚しいということは、自分で痛いほどに分かっている。
けれど、この気持ちを正直に打ち明けてしまおうと思うほど、子供でも馬鹿でもなく――しかし、今回ばかりはその馬鹿になれるのも悪くないと思っている。なれるはずなど、無いのだが。
快く笑って見送れるだろうか。大事な人を。
自分が結婚式やらで笑って「おめでとう」と言っているところなど、地球が滅びる以上に創造ができなかった。それよりも、相手の男をぶん殴っているところのが容易に想像できる。
開いていた窓のほうをふと見ると、雨が降っていることに気付いた。
姉が白い息を吐きながら、急いで帰って来て報告したであろう日から、早いもので半年が経ったのだ。
パラパラと降る雨などお構いなしに窓を全開にすると、濡れたアスファルトのあの匂いがした。それを胸いっぱいに吸い込むと、過剰に反応して涙が溢れて止まらなくなった。
――もう、梅雨なのだ。
庭に咲く紫陽花を見下ろしながら、好きだったこの雨に濡れたアスファルトの匂いも大嫌いになることが分かった。