3話 家族というのは
「………………ふぁ。よく寝た〜〜って、え?」
朝の日差しを目覚まし時計代わりに、ミリカールアは起き上がり腕を伸ばす。そんな時、何か違和感に気付いた。
(私って………毒を自ら飲んで、死んだんじゃなかったかしら……?)
牢獄の中にいて、そこにフェラスとラリアが自分を見下ろしている。そして、フェラスに渡された毒を、一気飲みした記憶がある。
辛く、頭が割れるくらいに痛かった。目も直ぐに瞑ってしまったし。でも、なんだか人に包まれてる気がして……今思えば、その人はアルジュだったのかもしれない。そう思うくらいに、なんだか安心感があった。
「もしかしてだけど………これは、夢? 頬を引っ張って、覚めるかしら」
両頬を引っ張ると、「いひゃい………」という言葉が出てきた。
「夢ではない?」
思えば、今ミリカールアがいるのはふかふかなベッドの上だし、必要なものは最低限ある部屋にいた。貴族令嬢なので最低限といえども家具は結構あり、ドレスやアクセサリーも隣の部屋にたくさんある。だが今注目するのはそこではなく。
「私は…………」
起床して、慌てながらバタンと音を立てながら廊下に出る。そこには、行き来していた使用人たちがこちらを驚いたように見ていた。そして直ぐに、柔らかく微笑むのだ。
「おはようございます、お嬢様」
「……………」
全部本物だ。
口々に言われた優しい視線も態度も、そしてその微笑みでさえ、捕えられてたった一日なのに恋しくなったものたち。
気が付いたらポロポロと涙が流れてきて、それを雑に手で拭いながら言った。
「おは、よう……っ」
「「「お、お嬢様⁉︎」」」
「どどうかされたのですか? いけない、私たち何か……!」
「うぅん。何でもないのっ。……んふふ」
涙が流れていてでも幸せそうに顔を綻ばせるミリカールアのことを、使用人たちは意味が分からなかったが、『お嬢様が幸せそうなら……』そう思いながら、苦笑したのだった。
そして十分後。ミリカールアの涙が止まったところで、この場にいた使用人たちは皆自身の仕事へ戻った。流石公爵家に仕える使用人、切り替えが早い。
ミリカールアも、一人の侍女によって髪を整えられていた。
「お嬢様、明日は誕生日ですね」
「え、誕生日? 私の?」
「まぁ。お嬢様以外、誰がいるんですか? そうですね……明日は、絶対に盛大に行いますよね。公爵令嬢の誕生日なんですもの。きっと数多の令嬢令息様方が祝いに来てくれるかと思いますわ。招待状も、バッチリですし」
娘に厳しいあの両親でも、誕生日は盛大に祝ってくれた。といっても自ら祝いに来るのではなく、ただ物を贈り、『これからも精進しなさい』などという一言しか書かれていない父と母合わせて二通手紙を贈られるだけ。それでもこの公爵邸の大広間にたくさんの令嬢令息を招くのだ。きっと、大勢に祝ってもらえれば充分だろうという思考なのだろう。
「そうね………そうだわ。今日は何月かしら」
「? 急にどうしたんですか、お嬢様。……今日は四月の十七日ですが……」
「……やっぱり、そうよね。ごめんなさい、学園の入学はいつかしら」
これで『もう入学されてますよ』と言われたら恥ずかしいが、その恥を忍んでミリカールアは聞いた。髪を結われているため、侍女と目線を合わせられないのがむず痒い。
「学園は……丁度、一年後でありますね」
「ほっ、良かった……あ、ありがとう」
(やっぱり、やり直しているのかしら)
そして着替えが終わった。
ミリカールアが立ち上がり歩き始めると、緩くカールを巻いた焦茶色の髪が靡く。あとは朝食を食べるだけだが、今日は朝食は断食しようと思う。
長い回廊を渡っている最中に、ミリカールアは斜め後ろにいる髪を結ったりしてくれた侍女にそれを言った。
「申し訳なく思うんだけど……今日は、朝食は要らないわ」
「え、だ、駄目、ですよ! 良いですかお嬢様? 朝ご飯を食べないと、倒れてしまうことだってあるんですよ〜?」
「えぇ、知ってるんだけど……」
「お嬢様〜〜?」
むぅと口を尖らせる侍女。彼女の名前は確か……マーシと言ったはず。マーシはいつの間にかミリカールアの隣で歩いていた。こちらを覗き込む姿は可愛らしい。十代というまだ子供なのに、マーシはルンルン働いている。
喜怒哀楽がハッキリしてる子だ。
「…………分かったわ」
「はい! もう朝食を食べないだなんて、言わないでくださいね〜?」
「えぇ……」
結局、マーシにゴリ押しされて食べることとなった。
(嫌ね〜……あの両親と、だなんて………。やり直し前と同じ態度だろうに)
回廊を渡り終え、もうダイニングルームの扉に着いた。ここからは家族で楽しむ時間だと、主人たちと料理人以外はここに入らせてもらえない。
だから、マーシに付き添ってもらえないのだ。
「それでは、お嬢様、お楽しみ下さい。………『朝食を食べないと』、なんて言ってしまいましたが、絶対に無理しないでくださいね?」
「えぇ。心配してくれて、ありがとう」
当然だが、この公爵家に仕えている使用人たちは皆、ミリカールアの家族事情を知っている。貴族の娘に生まれたからには、愛情など注がないで、教育に精を出した方が良いのだろう。そんな両親の思考は知っているため、朝食はあの人たちと共に摂りたくないと思ってしまう。
そして、男性使用人によって扉が開かれた。
「あら、来たの。遅かったわね」
「はい。申し訳ありませんわ、お母様」
そこには、長いダイニングテーブルと、それに沿って数々の椅子が並べられていた。上座となる椅子には当主である父、カシラート公爵が座り、その隣には公爵夫人である母、カシラート公爵夫人が座っていた。ミリカールアは母と対面になるように座る。正直言って、辛すぎる。
何の感情も籠もってない淑女の笑みで返すと、次は父が話し掛けてきた。
「何かあったのか? 公爵令嬢として、もっと早く対処しろ」
「はい。申し訳ありませんわ、お父様」
(なんで私に構うのかしら。興味がないのなら、別に放っておいても良いでしょ)
今思えば、朝食の時間も挨拶は交わしてなかった。何故こんなにも娘に冷たいのか、というのは、多分『公爵令嬢らしく過ごして欲しいため』。
———そう、やり直し前の自分は思っていた。
(でも、それは全て間違っていたのよ。やり直し前の私は『お母様とお父様に認められてないことが悔しくて』、わざと思い込んでいたんだから)
産んでくれた公爵夫人は何も母らしいことはしていないと、長くここに仕えている侍女に教えてもらった。公爵も、公爵夫人の出産を見届けてからは、何も父らしいことはしていないとも。
だから、きっとやり直し前のミリカールアは、平静を保とうとしていたんだろう。
「……………」
「……」
「………」
沈黙が続いても食べ続ける家族三人は、最早家族という面影もない。
「家族というのは、皆が皆、愛されるという訳ではないのよね」
ポツリと呟いたその声は、公爵と公爵夫人には聞こえなかった。
沈黙、沈黙。黙々と食べ続けているのは、もう両親だけ。ミリカールアはこの空気が居た堪れなくなり、早く食べ終わったのだ。
そんな中、ミリカールアが立ち上がりそうになった所で、父が話した。
「ミリカールア」
「……………はい、何でしょうか。お父様」
「お前の明日の誕生日のことなんだが」
「?」
記憶は朧げだが、滅多にミリカールアに話し掛けない。そのため返事をするのに時間が掛かってしまったが、父はどうでも良いという顔で言った。
「そこで、お前の婚約者を探すように」
「は………」
何を言っているんだ、この父親は。
娘の誕生日。しかも、まだミリカールアは十四歳。明日の誕生日に十五歳になり、学園に入学して丁度、十六歳になるのだ。アルジュと出会った日が誕生日だった。令嬢は、二十歳までは婚約者が居なくとも行き遅れとならない。二十歳を過ぎても婚約者、結婚相手が居ない場合は、行き遅れとなるが。
「お父様、まだ私は十四歳。明日には十五歳になりますが、それでもまだ五年は、行き遅れとなりません」
大人相手に言い聞かせるように言うと、父は意外にも頷いたあとに口を開いた。
「俺はな、お前が心配なんだ。二十歳まで娘を貰う者がいないと想像すると、心配なんだ」
「………………」
(なーにが、『心配なんだ』よ)
若干棒読みで、しかもどうでも良さそうな表情で言われても、逆に嫌悪感が増すだけだというのに。唯一分かったことは、自分を公爵令嬢として、我が家の道具として見ていたことが分かった。
「それは、何のために?」
「お前の幸せのためだ」
思わず舌打ちをしたくなった。
椅子がガタンと音を立て、立ち上がったミリカールアは机に両手をついた。
「本気で言っていますの?」
「音を立てながら立ち上がるな。やり直せ」
「今は、そんなことじゃないでしょう………」
頭を抑える。
食べ続けていた母も流石に顔を上げ、二人の成り行きを見守っているようだ。
きっと、公爵夫人も公爵の意見を尊重するんだろう。
娘の意見なんて、聞きもしない。だから今、ここで言うことにした。
「お父様、お母様。私は明日をもって十五歳。先程も言いましたが、あと五年は耐えられます。それなのに、行き遅れ、行き遅れ、うるさいんです」
実はやり直し前も、何度か『娘が行き遅れになったら』ということを何の感情も籠もってない表情と、棒読みで言われたことがある。
その時は『申し訳ございません』と謝罪してきたが、もう限界だ。
「えぇ分かりましたわ。明日に良い殿方を見付けてきて差し上げます。ただし、婚約者になってくださいと懇願することは、カシラート公爵がやってください」
自分でも驚くほどに冷たい声が出た。