第20夜 神の山
カシュフィリング山脈には神が眠っている。
そんな話は山脈の麓に住まうどこの村でも聞くことができた。麓の村で聞ける話はこれに加えて“眠れる神を起こした者には罰がつきまとう。だから我々はかの神の眠りを守る守り人なのだ”と、そう続けられた。しかし、その詳細は麓から離れた都市部には伝わっていなかった。そのことが原因で悲劇は起こったのだろう。
あるとき、都市部の貴族が思い立った。
『そうだ、山脈を拓こう』
軽いノリから始まったその計画はとんとん拍子に進められ、まずは現場の調査だと何人かの調査チームが派遣された。
王立研究所地質学者アルダス
王立研究所生物学者レイラ
神父イーゴイスト
A級探索者チームソロル
緑縁騎士ウォルター隊
彼らが調査チームの中心的存在だった。
カシュフィリング山脈の麓にある最初の村にたどり着くと、まず彼らはそこを拠点にして周囲を調べ始める。
神父を除いて。
「ほう、そのような言い伝えがあるのですね」
「ああ。だから本当は調査なんてのも拒否したいところなんだよ。神父さまから言っちゃくれねぇか?」
「この私の言葉は人々の心を動かす力がありますからね……もちろん、彼らが無茶をするようでしたら神の名のもと制止いたしましょう」
「ああ、頼むぜ」
神父はきれいに一礼するとその場を離れる。そしてカシュフィリング山を見上げてため息をついた。
「神の教えを信ずる者が多くなれば私の身も安泰。そのためだけにここまでやってきたというのに、なかなかどうしてこの山に対する畏怖は大きいようでうまく進まないものですねぇ」
方針を変えるべきかと考える。
確かに村人たちの畏怖も理解できるのだ。これほど雄大でありながら、無遠慮な人の手が一切伸ばされてこなかった。まるで何かが拒んででもいるかのように。もしかしたら、かつて手をかけようとした人がいて、何かに祟られた可能性もある。思えば、王都の司祭たちは妙に腰が重かった。だからこそこの神父にまで話が回ってきたのだから。
「ふむ。いっそこの自然を神として持ち上げたほうが良いような気もしますね」
肩をすくめた神父が見た方向――カシュフィリング山脈の麓のごく浅いところでは、調査に来た者達が踏み込んでいた。
「植生は特に変わったところはないようですね、今のところ」
「そうですね。でも、手つかずだったにしては妙に豊かな気がしませんか?」
「確かに……土壌としては悪くないようです。露出している崖などを見るに、普通に時を重ねてきた土地という感じですね。しかし、それにしては森が深い」
「そうですよね。ただ、動物の種類は偏っているようです。鳥が多めでしょうか。それと猿とか、高いところへ登れる種は見られます。いないのは、猪とか狼……地表に生息しているような動物です」
「それの意味するところはわかりますか?」
「明確には答えられません。ですが、生物というものは環境に応じて変わるものです。今回の観察結果から推測すると――もしかしたら、地表では生きていけない何かがあるのかもしれせん」
それは一体何なのか。
答えは思わぬ形で知ることになった。
調査が始まってから2ヶ月後のことだ。その日、長めの調査から戻って来た調査隊は異様な光景を目にした。
「あなた方は願うだけで良いのです。神は常にあなた方を見ています。神はその願いに応え、この地に永遠の安寧をもたらすでしょう」
それは、神父を中心とした新手の宗教のようだった。
「な、何をしているんですかイーゴイスト様!?」
「見てわかりませんか」
神父の視線がモノクル越しに突き刺さる。
その異様な強さに騎士までもがたじろいだ。
「神の教えを説いているのです」
「いや、何か違う気が……」
「何を言うのです。私は気づいたのです。カシュフィリング山脈、この大自然は神の領域なのだと! 私は神に人々の心を救いなさいという使命を与えられました。私はただ、その使命を達成するためにするべきことをしているだけ」
そう言って神父が村人たちに向き合い、村人たちの願いが重なった時だった。
突然、大地が唸るように音を立てたかと思ったら山が割れた。正確には、中腹あたりの崖のところが、内側から剥がれるように割れたのだ。
「「はっ!?」」
調査隊だけでなく、村人たちにとっても予想外だったのか誰もが唖然としてそれを見つめ、動けないでいた。
パラパラと岩を落としながら山が起き上がる。
この山は、山ではなかったのだ。
少し距離があったから分かった。地面の内側は眩しいほど白い鱗が揃っている。丘だと思っていたところは瞼で、その下には紅玉のような瞳があった。
『神を動かさんとする不遜な者共よ。この地はお前たちの土地にあらず。荒らす者共には末代まで祟ってくれよう』
重苦しい声を誰もが聞いた。どこから聞こえてくるのかはわからない、頭に響くような声だ。
『だが、今そこに空けたその穴の先にある白い岩を切り出し岬に神殿を建て、贄を捧げるのであれば、この地の端に住む程度は許されるだろう』
「贄、とは?」
『神の代わりに奇跡を起こす駒のことだ。永遠に神の下僕となり、神を楽しませるのが仕事だな。初めの年には最も運が良い者を1人、次の年には最も運の悪いものを1人、最後の年には罪人を1人。それだけで神殿には不思議な力が宿るだろう』
ということで、山の開拓は断念。
神の言葉を携えて戻ってみたところ、自治権をあげるから神を鎮めてきてくれと言われてしまった調査隊は途方に暮れてカシュフィリング山脈の麓の村へとんぼ返りすることになった。
結局、神に言われたことをやらないわけにもいかなくてまずは神殿を建てる。
「うっわ、何だこの岩。今までに見たことねぇ」
「アルダスって素だとそんな感じなのね」
「あ〜、まぁ、そうだよ。もう出世街道からも外れたからいいだろ」
「ね。押し付けられたわよね、私達」
白い岩は思ったよりも量がなく、神殿はシンプルかつ小さなものになってしまった。しかし神は特に気にした様子もなく次を求める。
『では贄を』
そして始まる運試し。
やり方は簡単だ。2人でコインの裏表を予想する。最後まで残った者が“最も運が良い者”だ。
「表」
「裏」
果たして、勝者は――
「優勝は、神父さんだ」
「これほど嬉しくない“勝ち”は初めてですよ」
『決まったか』
神に呼ばれたイーゴイストは山の中腹あたりの穴にひとりで向かった。それが、彼を見た最後だった。
その翌年には、最も運の悪いシスターが、そのまた翌年にはたまたま通りかかった風体の盗賊が、同じように穴に向かい、姿を消した。
カシュフィリング山脈の麓の村は栄えずとも滅びない絶妙な繁栄を続けることになる。
しばらく経って……その日、カシュフィリング村の空は珍しく重たい雲が広がっていた。農具を片付けていた手を止めてアルダスは空を見上げる。
「神父さんはどうなったんだろうなぁ……あれからもう、10年だ。でも、今でさえ、あれは悪い夢だったんだと思いたいよ」
その時。
ガラガラピシャン
空から光と轟音が落ちてきた。それは、アルダスが思わず身を縮めて腰を抜かすほど大きく近かった。
ガラガラピシャン
ガラガラピシャン
更に続けて2つも落ちる。
「アルダス! 何があったの!?」
レイラが家から駆け出してきた。
他の家からも、ざわめきが出てくる。
「雷だ! 危ないから家の中にいるんだ!」
「じゃあアルダスも家へ!」
「いや、僕は少し神殿を見てくるよ。雷が落ちたのはあそこなんだ」
「神殿くらい明日でも……」
「いいや、きっと今じゃないとだめなんだよ」
何かに突き動かされるかのようにアルダスは神殿の方へ向かった。
そんな彼が目にしたのは――。
『やれやれ、ようやく戻ってこられましたか』
『あなたが不真面目にサボったせいでしょう。ソレすらも忘れましたの?』
『「私にかかればこの程度、1日で終りますから」……なーんて言っていながら結局やることを忘れていたボケ神父だからな』
『パシリ、眷属階位では私の方が上なのを忘れましたか?』
『あら、パシリも白髪色の脳細胞なのかしら』
『誰が白髪だ。灰色だろうが』
『パシリの白髪はいいとして、“も”とはなんですか“も”とは』
『意味はお分かりでしょう?』
聞き覚えのある声が会話をしている、がらんどうな神殿だった。
「神父さん……? いないのか? いや、でも声がした……」
その時の彼は気づかなかった。神殿に新しく加わった、それはそれは小さい石像のことを。
◆◇――――――――――◇◆
前話から引き継いだ要素:彫像(というか、石像)
ちっちゃい神殿
山の竜から切り出された岩を使って建てられた神殿。三筋の雷が落ちてから、それはそれは小さい石像が現れた。見覚えのある3者の形をした石像。
やがて、この神殿は小さな願い事が叶う場所として巷では密かに噂されるようになる。
ヴァーミリオクルサルブムドラコ
普段はカシュフィリング山脈を布団のようにまとって深く眠っている。
かつて、この竜は神も手を焼くほどの暴れ者だった。この竜を抑えるために神は大地に星を落としたが、肝心のこの竜は生き残ってしまった。
しかし、荒廃した世界を見て思うことがあったようで、再生の折には自らの力を大地に注ぎ償いとしたいと申し出た結果、竜はカシュフィリング山脈の一部として眠ることになった。