第19夜 遺跡
乾いた空気と砂に満ちた荒れ地をキャラバンは静かに進んでいく。
キャラバンとは駱駝などに荷物を積み、隊商を組んで砂漠などを行く商人の集団だ。
このキャラバンはなかなかに大きかった。その方が護衛の費用も捻出しやすいし狙われにくくなるからだ。しかも、何かあったら商人同士で融通し合うなんてこともできる。
彼らにとって旅は慣れたものだが、この荒れ果てた地は広大で、今回は盗賊も襲ってきたのだ。もちろん退かせて盗賊のアジトからきっちり持ち出してきてもいるが、その盗賊達のいた環境も悪くて、さしものキャラバンといえども疲労を隠しきれなかった。
「この先に遺跡があるみたい。そこで休憩になるってさ」
「わかった。後方にも伝えてくれるか?」
「もちろん! それが仕事だし」
彼はそう言って離れる。まだ年若い彼はこの隊商のなかでの連絡役だった。隊商から護衛に連絡があると彼がやってくるのだ。彼自身は隊商に雇われている護衛の1人という話だが、ほとんどこのキャラバン専属のようになっているらしく、商人たちからの扱いはもはや身内のようだった。だからこそ伝言役を任されているのだろう。情報共有が上手く行かなくて失敗したキャラバンや命を落とした商人の話は枚挙にいとまがない。
やがてキャラバンは休憩場所となる遺跡に辿り着いた。ここはもう誰も住むことはないが、時折人がやってきては休んでいくのか致命的なほどの崩れはない。ただ、何があるか分からないので奥にはいかないこと、迂闊に触れないようにと強く言われる。
「風が遮られるから砂漠のど真ん中でテントを張るよかマシだな」
「ほんとにね。砂漠だとどこからともなく砂が入ってくるし、砂嵐に巻き込まれたら朝にはぺしゃんこになってたりするし……」
「まぁ、この遺跡だって崩れない保証はないけどな」
「砂よりは隙間ができるから生存確率的には高めなんじゃない?」
話しながらもそれぞれテントを張ったり食糧を確認したりとせわしなく動く。護衛達は周囲の見回りに出ているものが二組、他はこの場所に待機だ。商人の護衛が仕事だから全員離れる訳にはいかない。
しばらくして周囲を見回りに行っていた連中も戻ってきたので護衛の一部(いくつかのチームの代表達)が集まって夜の見張り順を決めていく。
「そういえば、二人ほどいないようだが」
「え? 誰かいなくなってる?」
「揃っていたか? 何か、違和感があるんだが……」
リーダー格の護衛の言葉に、急遽点呼を行う。こういうときは遠慮せずに確認した方がいい。万が一のことだってあるのだから。杞憂であったのだったら、それはそれでいいのだ。
そうして慌てて(何しろ日も落ちてきたので)確認を進めたところ、隊商の商人は全員揃っているという。積荷も全部ある。
では、護衛はというとこちらも揃っている。二人組の護衛が二組。計四人だ。小さいキャラバンの護衛にしてはなかなか難しい人数だった。
そんなはずは、ないのに。
ふと気づけば、彼らは喧騒の中にいた。
「ミュガンを讃えよ!」
「「ミュガンを讃えよ」」
「ミュガンに捧げよ!」
「「ミュガンに捧げよ」」
「我らに眠りを!」
「「我らに眠りを!」」
たちの悪い宗教儀式に連れてこられたかのようだった。
彼らが今いるのは石の上だ。きれいな正方形の足場の上。この足場は2m四方くらいはあるだろうか。それを一本の柱が支えている。柱は3mはある。飛び降りようと思えば降りられるが、それはできない。何しろ、地面には油でも撒かれていたのか火が走っているからだ。
そして先程から聞こえていた声はその火が届かない場所……言うとするなら闘技場の観客席。そこにひしめき合う古い民族衣装をまとった老若男女によるものだった。
彼らが呼びかけているミュガン……それはさながら実体のある死のようだった。どこを見ているのか分からない無機質な目だが、確かにこちらを向いている。
「ど、どうすればいいんだ?」
「逃げられるならそうするべきなんだろうな……だが、見ろ。アレの足元」
「え? ……ひっ!」
「死にたてだ。……キャラバンの、一番若い護衛のあいつだろう」
命を啜られている。
それは悍ましさを感じさせる“死”の有り様だった。
ここに来てようやく、何かが起こってキャラバン全体がこの場所に落ちてきてしまったのだと悟った。足場の石はいくつかあって、そのどれもに人が乗っているのだ。彼らは少しずつ認識を狂わされていて、異常を異常と思えないまま何らかの魔術でも使ってここへ連れてこられたのだろう。
「やれやれ、どこで引き金を引いたかねぇ」
そう言って立ち上がったのは隊商をまとめているオババだった。この中で最も落ち着いていて、余裕がある。
「オババ、何か知っているのか? あれとか」
「ミュガンはね……確か、古い古い神の名前さね。悪魔ともされていた。死者には安息を約束する一方で生者の命を啜る。正しくあんなふうにね」
「俺達はどうやったら逃れられる?」
その言葉に、オババは表情を暗くして言う。
「一つは、生贄を捧げることだ。ここの周りにいる連中もそうして安寧を得ているのだろうさ。でもそれであたしらを見逃してくれるような性質じゃあなさそうだね」
「もう死んでいるあいつが生贄ってことにはならないのか?」
「いいかい。生贄というのはね、こっちが捧げるつもりで差し出したもので、捧げられた相手が満足しなけりゃ意味がないのさ。今のアレが満足しているように見えるかい?」
「いや……」
「だから生贄案は却下だよ。何人減るか分かったもんじゃない」
「それならどうするんだよ!」
「ミュガンは神でもあった……もしかしたら神を鎮める何かがあるのかもしれないね。それを探してみるとしよう」
オババはそういうとスゥッと息を吸い込み、観衆に負けない大きさの声で隊商へ呼びかけた。
「あんたたち! 今持っているモンを全部出しな!」
オババの声に、怯えきっていた他の商人達も正気づいたようだった。慌てて自分達が持っているものの全てを足元へ出していく。
護衛たちももちろん、同じようにしてポケットの中の物や隠し持っていた武器などを出していった。
そして、いつもとは違うもの、しかもあのミュガンが反応したものが見つかった。
それは骨付き肉の彫刻という微妙な代物だ。盗賊のアジトから持ち出してきたものだった。朽ちた骸が抱いていたものだ。
「ど、どうするんですか? オババ」
「一か八かになるね。それがアレを鎮めるものになるのか、それとも荒ぶらせるものになるのか。あんたはどっちに賭ける?」
「ええ……僕、運はない方なんですけど」
「商人が運なくてやってられるものかね。ふん、あたしはある方さ。よし、鎮める方に賭けよう。あんた、あいつにその彫像を投げといで」
ぽいと渡された彫像を護衛はほとんどヤケクソでミュガンに向けて投げた。
「ミュガン! あたし達をもとのところへ帰しとくれ!」
「お願いします! 帰してください!」
「「お願いします!!」」
大丈夫だ。よしんばアレを荒ませたところで死ぬのは皆同じこと。
果たして、ミュガンの反応は――
目の前に広がるのは砂漠だ。背後には覚えのある遺跡があり、その手前で駱駝がのんびり寛いでいる。
「か、帰ってきた……?」
その場で商人達と護衛のそれぞれが点呼を行う。
一人を除いて全員が戻ってきていた。
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前話から引き継いだ要素:運
遺跡
致命的なほどの崩れはない遺跡。外から見えるのはごく一部で、中に入れば奥に進むほど深くなっていく。
かつては神を祀っていた神殿で、埋葬地でもあったので何百人もの人が眠っている。
ミュガン
ミュガ・ワンと呼ばれていた、蝿の王。人の悪意を争いへと発展させることを好む悪神。一致団結して立ち向かうことでその脅威から逃れられる。決してひとりで向かってはいけない。