第004話『3月4日』
時間の限り調べつくした結果、大体の現状が把握できた。どうやらココは半径3キロメートルの円状に出来た森の中らしい。
生息している生物は目玉石と蒸気馬のみ。他にも小さな虫を幾度か目撃したが、近づけば逃げてしまうのでカウントには入れないでおこう。植物に関してはハサミと赤い木の実のみ。それ以外は殆どが枯れており、例外があるとすれば毛布代わりにくるまった大きな葉っぱの木だけだ。
他は小屋と水飲み場。そして見渡す限りの崖。勿論、森の中の全てを虱潰しに調べたわけではない。漏れはどこかにあるだろう。ただ、少なくともこれ以外に目立つようなものはない。
寂れた森の中。そのような建築物の一つでもあれば嫌でも目立つ。
人の手が入ったものは小屋ぐらい。他には何もない。
だが、何かあるはずなのだ。それを信じて己は歩き続けた。
とはいえ腹は減る。喉も乾く。得体の知れぬ蒸気馬に囲まれるのは、今でも背筋が震えるのだが。それでも飢えと渇きはどうにもならん。恐る恐る、小屋に戻ってみると奴らの姿はどこにもなかった。
やはり、あれは一過性のものなのか。気にする程ではなかったのかもしれない。
そう納得しながらも、微かな物音に怯えてしまうの胆力の無さが恨めしかった。仕方ない。こんなくぼ地で怪我でもすれば、それこそ餓死するまで倒れ続けるだけ。治療に来てくれる心優しき医者はどこにもいないのだ。
何か手がかりはないかと、再度小屋を調べるも何もなく。溜息を吐きながら、森の探索へと戻った。当然、木の実をいくつか収穫しておくのも忘れない。
「あれ? まだこんなにあったか?」
小屋の近くの木の実は、昨日貪るように食べたはずだ。さすがに全てとはいかないものの、半分近く無くなったのを覚えている。地獄に仏が現れたようなものだ。その記憶のインパクトは強い。
記憶違いとは思えないのだが、確かに木には昨日と同じぐらいの木の実が張り付いていた。
「まさか、一日で生えたのか?」
異世界の植物だ。竹が霞む速度で成長してもおかしくはない。
おかしくはないのだが、さすがに一日で木の実が全部復活するのは異常すぎやしないだろうか。その速度だと、数日中に木が木の実で一杯になりそうだ。
それとも採られた分だけ復活するとでもいうのか。そんな人間にとって都合が良すぎる植物は異世界にだって生えていないだろう。おそらくは。
訝し気に思いながらも、美味いものは美味い。今更これを食べないわけにもいかなかった。
収穫した木の実を片手に、ふらふらと森を彷徨い歩く。
「ふむ」
何となく、今日は元にいた場所まで戻ってきた。当然、魔法陣もなければ怪しい装置もない。他の景色と同じく、寒々しい風景が広がるだけ。しかし、気づいたら己がここに立っていたことは間違いない。
「与えられたのはメモ帳とペンだけ。何かの実験か?」
それにしたって、もうちょっと良いものが欲しかった。チートと呼ぶには弱すぎて、ゴミというには使えてしまう。そういう微妙なチョイスをされると、こちらとしても文句が言いにくい。
いや、元凶が目の前に直接現れたら文句の一つでも言ってやらんと気が済まない。何が楽しくて、四十にして森の中を彷徨わなくてはならないのか。
などと愚痴っぽくなったところで、出口が現れるわけでも無し。
文句は飲み込み、崖の方を調べる。
仮に出口があるとすれば、崖のどこに隠されている可能性が高い。隠しボタンなり、秘密の扉なり。何かしらの違和感があるはずだ。それを見つければ、ここからの脱出も夢ではなかった。
「つっても、この崖を全部調べるわけにもいかないよなあ。いや、時間は死ぬほどあるけどさあ」
食料も水もある。しかし根気は無限じゃない。
やるしかないのでやってはいるが、砂浜から砂を探すようで気が滅入る。
それに先人も、思ったよりも早く脱出しているようだ。すぐに見つけられるわけじゃないけど、そこまで必死で探すものではない。そういうものではないだろうか、ここからの出口は。
悩みながら歩いていたせいか。あるいは崖の方にばかり注目していたせいか。
目の前の蒸気馬に気付かず、己はぶつかった。
まず熱かった。バイクのマフラーぐらい熱かった。
もしも肌が直接触れていれば、今頃は大やけどを負っていただろう。幸いにも服の一部だったので、熱かったのは一瞬だけだったが。
尻もちをついた己は触れた部分を擦りながら、身をすくませた。
「シューッ」
相手は一体。相変わらず胴体はこちらに向けたまま、首のところから蒸気を噴出している。威嚇しているのか、それとも心配でもしているのか。全く意思疎通が出来ない。
それでも確かなことは一つ。仲間が集まってくる前に逃げるべし。
木の実を投げ捨て、己は駆け出した。
「うおっ!」
よくよく考えてみれば当たり前のことだが、相手の胴体は馬なのだ。本気で走れば、人間に負けるわけがない。気が付けば蒸気馬が横を並走していた。
恐怖で速度を更に上げようとするが、帰宅部のおっさんが出す本気など高が知れている。すぐに息が切れ、膝をついて立ち止まってしまう。
「はぁ……はぁ……っ!」
蒸気馬も足を止めていた。そして、ただじっとこちらに胴体を向けている。
目玉石のように突撃してくるわけでもないし、虫のように離れていくわけでもない。ただ身体を向けられているだけなのに、これほど恐ろしいことがあろうか。
再び駆けだそうとしても、衰えた肺と心臓はそれを許してくれない。バタバタと足は動かすものの、子供の行進かと思うぐらい遅かった。
「はぁ……」
「シュッ」
「はぁ……」
「シュッ」
最早これまでか。ただ息を整えるだけの機械となった己を嘲笑うように、蒸気馬の蒸気も小刻みに吹き出している。
いや、これは己の息に合わせているのか?
「まさか……はぁ……息を合わせようとしているのか?」
蒸気馬は答えない。口もないのだから当然だろう。
もしかしたら言葉は理解できなくとも、呼吸は把握できているのかもしれない。
試しに呼吸のリズムを変えてみた。
「ひっ、ひっ、ふーっ」
「シュッ、シュッ、シューッ」
間違いない。蒸気馬はこちらの呼吸を理解している。
ただ、何故か吹き出す蒸気は黄色に変わっていた。ラマーズ法に対して何か思い入れでもあるのだろうか。
ただ、この事実は危険でもある。意思疎通が半端に出来るということは、相手を怒らせる可能性も高いということ。まさか白旗で激怒する種族ではないだろうとしても、迂闊な呼吸は相手の逆鱗に触れる恐れもある。
「俺は何もしないって、呼吸で伝える方法も分からないしなあ。しかもこれ絶対、色も関係あるんだろう」
リズム、勢い、そして色。その辺りが蒸気馬にとっての言語なのかもしれない。
要するに己には使いこなせないという事が分かった。
リズムはどうにか出来ても、勢いには限界があるし、色などどうにもならん。
ただ、そこまで恐ろしいものではないと分かっただけで収穫だ。
いや、そう思わないとやってられない。
「とりあえず害は無さそうだな。うん」
まあ懐かれても困る。あんな高温の生き物に頬ずりでもされたら、頬の皮膚が爛れて焼け落ちそうだ。触らぬ神に祟りなし。触らぬ蒸気にやけど無しだ。
放置しておくことに決めた。
もっとも、そんな決定は己の心の中だけのこと。蒸気馬に伝わるはずもなく、奴は立ち去る己の後をつけてきた。
止めろと言うこともできず、仕方なく野放しにしておいたのだが。
気づいたら三匹に増えていた。
「…………」
「シュー」
揃って赤い蒸気を吐き出す。分からん。どういう意味だ。
ただ一匹なら我慢できても、数が増えてくるとまた怖くなってくる。
おそらくこちらに興味があるのだろう。それは理解できるが、三歳の赤子を大人の集団が囲むようなものだ。どんな意図があろうと、怖いものは怖い。
かといって駆け出して追いかけられても困るし、逃げられないのは先ほど証明したばかり。下手に追い払って敵対するのも面倒だから、やはり無視するしかなかった。
仕方ないのだ。
だから気づいたら奴が五匹に増えていても、己は何も悪くない。




