第032話『4月01日』
気が付くと元の世界に戻っていた。
嘘である。
当然、己はまだ異世界にいた。元の世界ではエイプリルフール。これぐらいの嘘は許されると思う。将来の己がこれを見て、騙されたと憤慨してくれたら笑える。
それぐらい馬車の中は陰鬱だった。
一晩泊まり、英気を養い、さあ次の街へ出発だと馬車に乗り込んだ。そこまではいい。
しかし、同乗者に気を配るべきだった。見るからに荒くれ者がいるとか、性格の悪い奴がいるとか、そういう事ではない。
ただ五月蠅かった。
「だから、そこで俺の剣が活躍したってわけよ。こうズバーッとな、真っ二つにしてやったわけ。いやあ、村の連中が感謝してくれてさ。是非、ウチの娘を嫁にとか言ってくるわけよ」
「はあ」
冒険者なのだろうか。随分と手入れの行き届いた剣を腰にかけ、意気揚々と隣の若者に語り掛けている。それにしても綺麗な鞘だ。正直、新品にしか見えない。
話しかけられている若者は明らかに辟易していたが、残念ながら馬車に私語厳禁のルールは無い。どれだけ五月蠅くしても合法。咎める理由にはならなかった。
とはいえ、あまりにも男の武勇伝は五月蠅い。
「あの、あまり大声を出すとちょっと」
それとなく注意はしてみたのだが、
「ん、ああ、悪い悪い。生まれつき声が大きいんだよ。そう、この声の大きさで窮地を脱した事件もあったんだ。あれは俺が地下下水道の掃除を引き受けた時のこと」
という感じで反省はするものの、すぐさま大声で別の武勇伝を語り始める。無視や反論してこないだけに、やりにくい。
悪い奴ではないのだろう。ただ、声が大きくて五月蠅いだけで。
他の乗客も迷惑そうにはしているが、何も言わない。言ったところで、こいつは口を閉じないだろうと気づいたからだ。
「そこで大怪我を負った俺は……あ、そうだ。あんた聖女様って知ってるか?」
「え、ええ」
隣の若者は曖昧に頷く。急に話の内容が変わり、ついていけていないのだろう。
しかし、己にとっては興味深い話題になった。
「実は俺、聖女様にも会ったんことがあるんだよ。これはマジな」
なら、今までのはマジじゃかったのか。とは誰も言わない。
面倒な事になる予感しかしなかった。
「村で作業してた時、ちょっと落っこちて怪我したんだよ。そうしたら通りすがりの聖女様がやってきて、こう俺の膝に手を当てたんだ。そうしたら、それだけで俺の怪我が治ってたんだよ!」
聖女というのはクレジェンテの事だろう。さすがに、そう何人も聖女がいるとは思えない。
ただ、手を当てて治したというのは気になる。己の時は唾に血だった。手を当てるだけで治せるのなら、あんな真似をする必要はない。
「はぁ、聖女様でしたら私も聞いた事がありますよ。だけど、あれはあくまで噂だと……」
「違う違う。聖女様は実在するんだ。だって俺、実際に会ってるしな」
各国に訪れては無償で治療する。それだけの功績を積み重ねて尚、いや積み重ねているからこそ現実味が無い。そんな聖人君主が本当に存在するのか。疑う声も少なからずあった。
都市伝説みたいなもので、誇張でもしているのではないか。
「まあ、正直俺も会うまでは信じてなかったよ。治療魔術だって金がかかるのに、どんな怪我でも治すっていうなら莫大な金をとってもいい。だけど聖女様は、そんな事はしないんだ」
無料で患者を治して回るのなら、医者も商売あがったりである。
ただ、奉仕活動でやっているのかは疑問だ。己のよく知る彼女なら、そういうのは面倒くさがってやりそうにない。
「すみません。本当に聖女様を見たのなら、どういう外見だったか分かりますか?」
実際に見たという人に会うのは初めてだった。
ついつい気になって質問をしてしまう。
「外見ねえ。ぶっちゃけ、普通の女の子って感じだったかな。赤い髪の毛で、めっちゃ美人だった」
特徴は合っている。ただ、これだけでは何とも言えない。赤毛の美人など、世界中に溢れてそうだ。
「服装はどうでしたか? 変わった格好をしていたとか」
「うーん、よく覚えてねえけど印象に残らない程度のもんだろ。覚えてないんだから」
仮に上半身を露出していたら、覚えてないはありえない。間違いなく最も記憶に残る所だろう。
だとしたら、普通の服装をしていたことになる。
人前ではそうしないのか。だとしたら、己の前でどうしてあんな格好をしていたのか。
謎は深まった。
「ふっ、聖女様の話はこれだけじゃないんだぜ。あれは聖女様が襲われた時のことだ」
こちらが興味を持ったせいか、気をよくして語りだした。
「街で治療している最中、怪しい連中が襲ってきてな。いち早くそれに気づいた俺は、聖女様に迫る奴らを一振りでなぎ倒した。まあ、なかなかの腕前だったけど俺の敵じゃなかったね」
一振りで倒したのに、どうして相手の実力が分かるのか。達人は剣を交えただけで、相手の力量が分かるという。そう言いたいのか。
ただ、気になる部分はあった。
「聖女様は感激して、是非嫁にしてくださいと言ってきたんだが……」
「ところで、襲ってきた敵というのはどんな感じでしたか?」
男は話を遮られ、ムッとした表情でこちらを睨みつける。
「知らねえよ。聞いた話……じゃなくて、一瞬で倒したからな。それに俺は倒した奴のことは忘れるようにしてるんだ。覚えていたらキリがないからな」
聞きかじった話を、盛りまくって語っていたのだろう。
多かれ少なかれ誰だってやることだ。責めるわけにもいかない。
それにしても、と己は考え込む。
聖女様を怨むとすれば、それこそ医者ぐらいのものだ。誘拐こそあっても、殺してやろうと考えるのは極一部。そして己は、その極一部に心当たりがあった。
「そうだ。なら、俺が街を荒らす盗賊を退治してやった話をしてやろう。あれは……」
陰陽師の集団。組織。奴らは不可思議な生物を問答無用で狩っていた。
もっとも、己の中では無能集団なのではないかという疑惑もある。蒸気馬のようなものを危険視して殺したくせに、ムーチャムやら六台目の馬車は放置。弱い者だけ狩っているのではないかと思った。
あるいは、単にこの王国には手が伸びていないのか。
いずれにせよ、奴らにも限界があることになる。
「っ!」
考え事をしていたせいで、突然の急停止に対応できなかった。思い切り床に放り出される。
「盗賊だ!」
御者の声が響く。
己は身体を起こし、慌てて荷台から飛び降りた。
「マジかよ……」
木製の尖った柵により、道が封鎖されている。強行突破することは出来ない。
そして馬に乗った連中が、すぐそこに迫っていた。騎士やら戦士やら、そういう類ではないだろう。
あんな身なりの汚い騎士がいてたまるか。
「ひっ!」
盗賊退治の武勇伝を語っていた男は、すぐさま逃げ出した。他の者たちも、それに続くように逃げようとする。
しかし、ここは草原のど真ん中。森の中ならいざ知れず、逃げた所で高が知れている。
相手は馬だ。人間の足で逃げ切れるはずもない。
かくして、数分も経たないうちに全員盗賊によって捕縛されたのである。
「大人していろ。抵抗しなければ何もしない」
簡易的な檻の中に入れられた。元々は猛獣を捕らえるためのモノだったのか。随分と頑丈に出来ている。
広さも申し分ない。足を伸ばして寝るだけのスペースはあった。これで床が固くなければ、さぞや快適に眠られることだろう。
「ま、待ってくれ! 実は俺は冒険者といって駆け出しで、剣だってこの間買ったばぶへっ!」
筋骨隆々の男は、無言で拳を振るった。容赦なく顔面を殴られ、血を吐きながら男は倒れ伏す。
その光景に、誰もが理解した。大人しくしなければ、ああなるのだと。
「食事は与える。明日まで大人しく待っていろ」
誰も何も言えない。
ただピクピクと痙攣し、倒れた男を眺めることしか出来なかった。
残念ながらこれは、嘘でもなければ誇張でもない。正真正銘の現実だ。




