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第030話『3月30日』


 宿に分れを告げ、さあ帝国に行くぞ、で軽く行けるほど異世界は甘くない。ここには飛行機も無ければ新幹線も無かった。あるのは徒歩と馬車だけである。

 ドラゴンやワイバーンにまたがって、などというのは絵空事だ。地道に陸路を使うしかない。

 しかも帝国直通馬車など存在していない。いくつかの街を経由しなければならなかった。


「さすがに馬車に金をかけるわけにもいかないからなあ。乗り合いで我慢するしかないか」


 貸し切りの費用はこちらの想像を超えている。金持ち専用でしかない。いくら臨時収入があったからといって、ここで豪遊していたら帝国まで持たないだろう。

 同乗者がいるのは不安で仕方ない。盗賊まがいの奴がいる可能性だって否定できないのだ。

 こちらは健康魔術とよく分からん適性二つ持ち。戦闘になれば勝ち目などなかった。

 今はただ祈るしかない。同乗者が良い人でありますようにと。


「さて」


 馬車乗り場は朝から盛況だ。むしろ朝だから盛況と言うべきか。

 多種多様な服装の人たちが、それぞれの馬車に乗り込んでいく。商人らしき男もいれば、青白い顔で剣を握る若者も。女性もいた。

 特にこれといって指定席があるわけではない。どの馬車に乗り込むのかも、今後を左右することになる。

 五台の馬車を眺めながら、慎重に吟味していく。すると、一台ほど離れたところに六台目の馬車があることに気付いた。


「ふむ?」


 わざわざ離れる理由が分からない。専用の馬車は直接、家まで迎えに行くそうだ。こんな所にあるとは思えない。

 かといって、乗り合いにしては誰も乗り込まなかった。もしや廃車なのか。

 気になってそちらに足を向ける。

 御者台には誰も乗っていない。ただ真っ二つに割れた時計が置かれていた。


「異世界にも時計とかあるのか」


 宿屋や屋敷ですらお目にかかれなかった。それが壊されているとはいえ、こんな街はずれの御者台に置かれているとは。嫌な予感しかしない。

 荷台の方も確認してみる。誰も中にはいない。ただ床に砂が敷き詰められていた。

 納得するように頷き、足早に立ち去る。

 不思議生物案件だった。











 揺れる車内。荷台で男は神妙そうな顔で口を開く。


「六台目の馬車って知ってるか?」


 知っている。さっき見た。


「四台でも六台でも駄目なんだ。馬車乗り場にちょうど五台だけ止まっている時、ちょっと離れたところに六台目の馬車が現れる」


 馬車の移動は退屈だ。おまけに無駄に揺れるので、出来ることは会話か黙秘のみ。己が乗った馬車は、会話を選ぶ人間が多かった。その結果、こうして怪談じみた話が持て囃されるわけだ。

 男の語りに、他の客も興味深そうに耳を傾ける。


「俺の友達が、隣町に仕事で行こうとした時のことだ。そいつは確認とかしない適当な奴でな。その日も適当に馬車を選んだ乗り込んだ。不思議なことに、その馬車は他の馬車と違って離れたところにポツンと立っていた」


 知らない人間からすれば、創作でしかないのだろう。よく出来た作り話に過ぎない。

 しかし己からしたら実際にあった体験談である。


「男は特に気にせず、そのまま馬車に乗り込んだ。しかし何かがおかしい。よく見たら、荷台のあちこちに花が咲いていたんだ」

「花?」


 砂ではなく花なのか。そう思って、うっかりと口を挟んでしまう。

 気持ちよく語っていた所を邪魔したせいで、男に睨まれてしまった。


「コホン。だけど、そいつは気にしなかった。まあ、こういうサービスもあるんだろうなぐらいに思っていたんだ。そして他に誰も乗り込まないまま、男だけ乗せて馬車は出発した」


 あのまま乗っていれば、おそらく己も同じ目に遭っただろう。


「最初は特に何も起こらなかった。だけど、しばらく走り始めて異変に気付いた。花の数が明らかに増えていたんだ。しかもいつのまにか、男の尻の下からも花が生えていた」


 当然、馬車から花は生えない。大体は木製であるし、仮に土の馬車があったとしても生えるかは微妙だ。

 男の話に、剣を持った若者は更に顔を蒼白にする。


「こりゃおかしいと思ったが、その馬車はとんでもない速度で走っていた。降りるに降りれなくなったので、男は仕方なく座る場所を変えた。しかし、そこからも花が生えてきたんだ」


 チラリと、自分の尻の下を確認する者もいた。

 とりあえず己も確認しておく。木の板しかない。


「だけど、結局は花が生えてくるだけだ。不気味だが害はない。そう思って男は放置することにした。ところがだ」


 ゴクリ、と誰かが唾を飲む。


「気が付くと目の前に虎がいたんだよ」


 あまりに突拍子のない展開に、隣の女性がクスリと笑ってしまった。青白い顔の剣士も、肩の力を抜いている。どことなく緊張が緩んだ車内に、男は面白くなさそうに口を尖らせた。


「男は焦った。いきなり目の前に虎が現れたんだからな。慌てて荷台から飛び降りようとしたところで、ふと虎が消えていることに気付いたんだ」

「で、今度はライオンが現れたのか?」


 恰幅の良い男の発言に、車内が笑いに包まれる。恐ろしい話のつもりで語ったのに、笑い話にされたのではたまらない。男は顔を真っ赤にしながら、そっぽを向いた。

 レベルの低い怪談話に他の人間は満足したようだが、己はどうにも気になる。


「その後はどうなったんですか?」

「……気になるのか?」

「ええ」


 他の客はもう興味を失ったらしい。思い思いに話し始めている。

 ただ、一人でも関心を持ってくれた事が嬉しかったらしく。男は機嫌を取り戻したようだ。


「気のせいかと思って座ったら、今度は目の前に羊が現れた。だけど立ち上がったら、そいつらは消えてなくなるんだ。その事に気付いた男は、座らず立ち続けることにしたんだよ」


 賢明な判断だ。きっと己でもそうする。


「かなり辛くはあったけど、幸いなことにしばらくしたら隣街までたどり着けた。御者を怒鳴りつけてやろうとしても、御者台には誰もいない。ただ割れた変なアイテムが置いてあるだけだ」


 ああ、やはり時計というのは珍しいらしい。あるいはこの世界には無いのかもしれない。


「気味が悪くなって男は馬車から離れた。それに仕事があるのを思い出した。仕事は夕方からで、今はてっぺんに太陽が昇ってる」


 つまりは真昼間ということになる。


「そこで男はふと考え込んだんだ。はて、今は朝なのか夜なのかって。そう、男はいつのまにか今が朝なのか夜なのかも分からなくなっていたんだよ」

「なるほど」


 時間の概念を失う馬車か。なかなかに凶悪である。

 冷静に納得した事が気にくわなかったらしく、男は露骨に顔をしかめた。折角話してくれたのだ。ここは驚いておくべきだったかもしれない。


「以上だ」

「ありがとうございました。ああ、ちなみにその友人の方とは今でもお付き合いが?」


 そこまでは知らなかったのか、それとも友人という設定からして嘘なのか。男は適当に答えた。


「さあな。ここしばらく会ってないから分からねえよ」


 消えるところまでワンセットなのかもしれない。昨日の下半身男もそうだった。

 少なくとも今言えることは一つだけ。

 あれに乗らなくて良かった、ということだ。


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