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第026話『3月26日』


 朝帰りをすると、まだいた。

 昨日から微動だにしていないんじゃないか。それぐらい同じポーズで己を待っていた。


「やあ、お盛んだね。だけど会話の途中で遊びに行くのはどうかと思うよ」


 軽薄そうな口調だ。上半身が無いので人となりは分からないが。

 また逃げてもいい。しかし、この手のタイプが逃がしてくれるとは思えない。それならば、ここでちゃんと相手をした方がいいだろう。

 己は覚悟を決めた。


「昨日も言いましたけど、依頼ならギルドを通してからにしてください」

「ハハハ、じゃあ逆に質問するけれど。私がギルドに行くとして、ちょっと依頼をしたいんですと言って騒ぎにならないとでも?」


 確実になる。むしろ入った来た時点で大騒ぎだ。受付のお兄さんなど卒倒しかねない。

 そこまではいい。ならば、どうして己の所に来るのか。


「それなら他の冒険者に依頼してください。俺はつい最近なったばかりで、なんの実績もない新米ですよ。ベテラン冒険者なら、きっとあなたの依頼も解決してくれることでしょう」

「それはそれで討伐されそうだからね。生憎と自殺願望は無いんだ」


 何の力もない東雲誠也。四十歳だ。

 目の前に不可思議生物が現れても、逃げることしか出来ない。命の危険は確かにないだろう。


「じゃあ他の新米にしてくださいよ」

「随分と嫌がるじゃないか。聖女の知り合いなんだから、こういうものには耐性があると思ったんだがね」


 耐性など出来るわけがない。そう反論しようとした言葉が止まる。

 聖女と言った。下半身男の口からは、いや口はないのだが。確かにそう聞こえた。

 己の知識が確かならば、聖女で思い当たるのは一人しかいない。

 聖女クレジェンテ。あの隠し部屋の彼女ではないかと、目下疑い中の対象だ。


「その聖女ってのは、クレジェンテという名前ですか?」

「おお、やはり知り合いなのか。あの偏屈が気にしていたから、これはよほどの相手に違いあるまいと思っていたんだよ。いやはや、見た目は凡庸ながら中身は傑物のようだ」


 まだ点と点が繋がったわけではない。聖女が己の知る彼女と決まったわけではなかった。ただ疑惑は深まった。こんな不思議生物と知り合いなのだ。浮島の隠し部屋で、蒸気馬を加湿器代わりに使ってもおかしくない。


「しかし、俺の居場所を伝えた覚えはないんですけど。よく分かりましたね?」

「直感だよ、と言えたら格好良かったんだろうね。残念ながら偶然さ。困っていたところで、たまたま君を見かけた。そして、おお聖女の知り合い君じゃないかと気づいて声をかけたというわけだよ」

「なるほど」


 ふと脳裏に『数奇』という適性が思い浮かぶ。

 いやいや、まさか。そんなはずはない。

 頭を振ってかき消した。


「さて、意思疎通も終わったところで。早速依頼といこうじゃないか。なあに、別に難しい依頼じゃないんだ。ただ、私ではどうしても出来ないことなんだよ」

「あの、まだ引き受けるとは……」


 こちらの言葉を遮り、一方的に依頼の説明を始めた。

 強引な男だ。男か?


「実はとあるアイテムを奪われてしまってね。それを取り返して貰いたいんだ。ああ、勘違いしないでくれ。何もこっそり盗んでくれと言ってるわけじゃない」


 足を組み替えながら、下半身男は続ける。

 泥棒の相談なら、速攻で断るつもりだったが。どうも事態は更に複雑なようだ。


「対価は用意してある。君達の言葉を使うのなら、金銭というやつだ。相応の金額を用意してある。これで奪われたアイテムを取り返して貰いたいんだ」


 依頼内容は至極真っ当だ。上半身さえあれば、ギルドに依頼しても問題はない。


「質問しても?」

「ああ、どうぞ」


 つま先でうながされる。

 指先の代わりになるのは、そこしかないのだが。馬鹿にされているようで気分は良くない。


「あなたが直接頼みにいけない理由は何となく分かります。しかし奪われたんですよね? それを買い戻すっていうのは、大丈夫なんですか?」


 いわば美術館が盗まれた絵画を買い戻すようなものだ。戻ってきたのだから良し、というわけにもいくまい。盗まれた側からすれば、どうして大金を支払う必要があるのかと激怒してもいいくらいだ。


「正直な所、やるせない気持ちはあるよ。だけど仕方ないじゃないか。私が乗り込むわけにもいかないし、泥棒を依頼することは出来ない。君だって、盗みを頼まれたら断るつもりだったんじゃないかい?」


 図星だったので何も言えない。犯罪の依頼は御免だ。

 ただ、そうなると断りづらくなってきた。ここまで説明されて、今更嫌ですとは言いにくい。内容も至ってシンプルで、そこまで難しくはなさそうだ。

 引き受けるべきか。相手に上半身があれば、悩みはしなかったのだが。


「仮に交渉失敗して、取り戻せなかったらどうなります? まさかその時は盗め、とか言いませんよね?」

「その時は諦めるさ。これだけ積んで渡せないのなら、いくら積んでも応じてくれないよ」


 どれだけの額を用意したのか。

 いずれにせよ、はした金では無さそうだ。


「引き受けるのは構いませんけど、その前に取り戻すのはどういうアイテムなのか。それを教えてください」


 なにしろ相手は不思議生物。何を奪われたのか想像もできない。

 それにジノのように、奇妙奇天烈なものを集める好事家もいる。あまりにも不気味だったり、危険すぎるものは取り戻せない。その時は容赦なく断るつもりだった。


「別に変ったものじゃない。帽子だよ」

「は?」

「おいおい、その身体のどこに帽子をかぶるんだ。と言いたげな顔をしているね」


 心の中でもそう思っていた。

 人間が尻尾のブラシを買うようなものだ。どこで使うのだとツッコミを入れられても仕方ない。

 それとも、被れるのだろうか。透明人間のように。


「あくまで私の私物だ。どう使おうと勝手じゃないか。それよりも、他に質問はないのかな?」

「ええと、じゃあ相手はというのは誰なんでしょうか?」


 深入りするべきじゃない話題を避け、もう一つの懸念事項に踏み込む。

 下半身男はまた足を組み替え、つま先を楽し気に揺らした。


「君も知っているはずだ。この町じゃ有名人だからね。ラグナ・フォリン」


 ジノではないか、という予想は秘かに裏切られた。

 そうか、ラグナ・フォリンか。フォリンというからには、きっとフォリン家の人間なのだろう。

 ミラーじゃないのは助かった。あの少女なら、意地でも譲らないだろう。ましてや下半身男の帽子なのだ。どれだけ金を積もうと、首を縦には振るまい。


「フォリン家の当主様だよ」


 天井を見上げた。こちらはこちらで難物だ。

 しかも己は嫌われている。


「すみませんけど、その依頼は難しいかもしれません。ちょっと当主様とは、あまり良い関係を築けなかったもので」

「そうなのかい? まあ、気にしないよ。どうせ頼めるのは君しかいないんだから。駄目で元々だ」


 そう言われると、何とも言えない。確かに、彼が部屋で待っていたら普通は逃げ出す。いや、かくいう己も逃げ出したが。間違っても戻ってはこないだろう。

 あの浮島で謎生物と暮らしていたからこそ、仕方ないなあで相手が出来るのだ。これが転移前だったなら、即刻引っ越しを検討していた。


「では報酬は?」

「無事に帽子を取り戻せたのなら、スツールの首飾りをあげよう」

「いりません」


 聞いた事もない首飾りなど、呪いの前兆としか思えない。つけた瞬間に動物にでも変身しそうだ。


「聞く人が聞けば泣いて羨ましがるだろうに。君は欲がないな。じゃあ、金銭でいいかい?」

「はい、それでお願いします」


 得体のしれない首飾りより、慣れ親しんだ金の方がいい。

 ただ、それがちゃんと使えるのかは後で確認しておこう。私達の世界でのみ使えるお金だよ、となったら骨折り損は確定だ。


「では依頼は成立だね。おっと、そういえば一番大事なことを説明していなかったよ」


 はてさて。訊きたいことは大体訊いたはずだ。

 他に質問しておきたかったことなど、パッとは思い浮かばない。


「はじめまして、私の名前は######と言う。以後、お見知りおきを」

「えっ? 何ですって?」


 名前の所だけ、露骨に発音が違った。というか言語なのか怪しい。

 タンバリンを連打したような、おおよそ言葉とは程遠い何かだった。


「………あ、失礼。これは人間に聞かせたら駄目な名前だったよ。ハハハ」

「ハハハじゃないんですけど! ちょっと、何してくれてるんですか!」


 掴みかかろうとして、掴む所がないことに気付く。

 しかし、下半身男は全く気にしていなかった。


「失敬、失敬。私の名前はムーチャムだ。可愛らしい名前だろ? こっちはちゃんと人間が聞いても平気な方なので。安心するといい」


 欠片も安心できない。耳を押さるが、今更対応しても遅かった。

 人間に聞かせたら駄目とは、一体どういうことなのか。死ぬのか、それとも寿命が縮まるのか。

 相手は不思議生物。何をしてきてもおかしくはない。


「そう顔を真っ青にすることはない。幸いにも君には聞き取れなかったようだからね。大変なことにはならないよ」

「……それならいいんですけど。仮に理解できてたら、どうなってたんですか?」


 ムーチョムは、何故か足を組むのを止めた。

 両ひざを合わせて、キチンと座りなおす。


「いや別に大したことじゃないよ。ちょっと上半身がなくなるだけかな。ハハハ」


 当然、己は笑えなかった。


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