第022話『3月22日』
聖女クレジェンテ。
如何なる国家にも、如何なる組織にも、決して属することを許されない。強いて言うならば世界に仕える聖なる乙女。故に誰からも束縛されず、困っている人達を救う為に世界を自由に行脚している。
勧誘や誘致など言語道断。民はただひたすらに、彼女が訪問してくれるのを祈るしかない。
だが、その力はあまりにも強大だ。彼女の涙は怪我を癒やし、その血液は瀕死の病人すらも回復させるという。王も民も分け隔てなく、等しく命を救って回る聖女様。
本にはそのように書かれていた。
「…………まさかな」
思い当たる節はある。というか、そういう力を持った人物に心当たりがあった。
しかし、彼女は女性かどうかも分からない。聖女という呼び方をされるのは違和感がある。それに怪我を治したのは涙ではなく唾だった。確かに、その効果は常識の範疇にない。なんなら死人を蘇生させたぐらいだ。
力だけを見るならば、まさしく聖女だろう。
「くっそ、こんな事になるなら名前を聞いておくんだった。いや、何度聞いても教えてくれなかったけどさあ」
頭を抱えて唸る。
前の世界との共通点になるかと期待したものの、これだけでは何とも言えなかった。
読み進めていくうちに、気が付けば朝を迎えていた。うつ伏せのまま、垂れた涎を拭いとる。
幸いにも本にはかかっていないようだ。もしも濡らしていたら、なんと釈明すればいいか。ただひたすらに頭を下げ続けるしかなかった。
「聖女は衝撃的だったけど、他は殆ど地理とか歴史書だからなあ。退屈で仕方ない。漫画で分かる歴史とかあったらよかったのに」
過去のなんちゃら王とか、なんちゃら国家とか、そういうのは読み飛ばし。とりあえず近代についてだけ目を通した。縄文時代よりも、明治時代。土偶の種類をどれだけ覚えたところで、元の世界でも大した意味なんて無かった。
もっとも、聖女以外でこれといった収穫は無い。間違っても組織を匂わすような記述はなかった。当たり前だ。あればそれはもう、世界公認の秘密組織みたいなものだ。仮に存在していたとしても、こんな入門書みたいなものに載っているわけがない。
「浮島がありそうな所も分からなかったしなあ」
この世界にあるのは四つの国家。
王国、帝国、共和国、公国。それぞれが独自の社会を形成しているが、ここ最近は割と仲がいいらしく。戦争らしい戦争も起こっていない。至って平和な時代を送っている。
その為に観光もオープンで、極秘の施設があるとしても国が管理しているものだけ。浮島を隠しておくような土地などなさそうだ。
まあ、あくまでこの本に載っている限りではという注釈がつく。本が真実を語るわけではない。ここに載っていない裏の事情があっても、なんらおかしくはなかった。
「ただなあ……」
どうにも気になる点が一つだけあった。四大国家のうちの一つ。帝国の首都は、なんでもアキハバラと言うらしい。
まさかとは思う。それは己がよく知る、あの秋葉原ではあるまいか。勿論、あっちの秋葉原がこちらに転移してきたとは思っていない。ただ元の世界をよく知る人物が、なんらかの形で首都構築に関与しているとしたら?
考えられるのは、異世界転移。あるいは異世界転生。
己だけがその対象と考えるのは、あまりにも傲慢すぎた。それ以外の転生者がいたとしても、なんら不思議ではない。同じ世界かどうかはさておき、組織の連中も異世界転移については何度も質問してきた。それはつまり、既に転移してきた奴がいるという証拠である。
「さすがに転移者がいたとしても、もうとっくに寿命だろうけど。一度ぐらいは行ってみるべきか? 何か手掛かりがあるかもしれんしなあ」
天寿を全うしたなら兎も角、あるいは元の世界に帰っていったのかもしれない。同じ転移者がいそうな所こそ調べるべきだ。それは分かる。問題があるとすれば、どうやって行くかだ。
ここが共和国だというのは、何となく察しがついた。ただ共和国には幾つかの州があり、しかもどちらにせよ帝国まで遠い。歩くには大変すぎるし、馬車を雇うには金がない。
さあ行こうと決めたとしても、そう簡単に行ける距離ではなかった。
「だからって、諦めるのものなあ。とりあえずお金を稼がないと」
生きるにしても行くにしても、なにはともあれ先立つものが必要となる。やはり冒険者ギルドに戻るべきだろう。金を稼ぐのなら、あれ以外の方法が思いつかない。さすがに異世界でコンビニのバイトは募集してないだろうし。
本を閉じ、欠伸を噛み殺しながら外へ出る。今日も日差しが眩しかった。
若干の小言は言われたが、登録は難なく終わった。組織の追っ手も来ていない。
さすがに実在するのなら、こうしてノコノコと現れた己に何らかの反応を示すだろう。それが無いということは、手が伸びていない証拠である。
「仕事の依頼に関しては、あちらの窓口でお待ちください」
「はい。あの、これってランクとかそういうのは無いんですか?」
「ランクですか? ええ、そのようなものは御座いません」
少しだけガッカリする。銅級だとか、A級だとか、そういうのに憧れるお年頃なのだ。いや、四十歳だけど。それでもまだ憧れるお年頃なのだ。
秘かに肩を落としながら、言われるがままに斡旋窓口まで足を向けた。
そこそこ待たされてから、ようやく己が番が来たようだ。窓口には、昨日会ったばかりのフワフワ緑毛のお兄さんが座っている。
「まず、こちらの書類に名前と登録番号をお書きください」
「はい」
登録番号というのは、冒険者登録した時に渡される番号のことだ。これがないと依頼を引き受けることは出来ない。カードのようなものもあるらしいのだが、発行するには金がかかった。ひとまず依頼を受けて、金を稼いで発行することにした。
「……確認しました。ええと東雲さんの適正ですと、こちらの仕事が対象となります」
何枚かの書類を受け取る。
学生時代はバイトこそしていたが、就職してからは当然何もしていない。日々の業務で手一杯だった。こうして他の仕事をするのは、それこそ何十年ぶりになる。果たして己に務まるだろうか。
不安と緊張で唾をのみ込む。
「ふむ」
さすがに『数奇』と『1382400』関連の仕事は載っていなかった。むしろ載っていたら恐ろしい。全力で逃げ出すだろう。
なので当然、残っているのは『健康魔術』の仕事のみ。
なかなかに需要があるのか、多種多様な依頼が来ているようだ。報酬も悪くない。これならば一つこなすだけで、数日は生活できるだろう。
満足げに頷きながら、己は書類を返し、そのままギルドを後にした。
そういえば、健康魔術とか全く使えなかったわ。
己がすべきは調査でもなければ、ギルドで仕事を受けることでもない。
健康魔術の習得だ。適性があるだけで出来る気になっていたが、当然使えるはずもない。魔術も他の適正と同じ。頑張って身に付けなければならないのだ。
「だけど、どこで習えばいいんだよ。健康魔術の教習所とかあるのか? それとも通信講座? まさか学校で教えてるわけじゃないよな?」
地理だの歴史だのは本に書いてあった。しかし一般常識はどこにも載っていない。あれはあくまで、この世界について大雑把に纏めたものに過ぎなかった。
このままで犯罪に身にやつす未来しか見えない。仕方なく、フォリン家の屋敷を探し始める。今日の今日だが、既にもう溺れていた。藁を掴む準備はバッチリだ。
「フォリン様の御屋敷? それなら、あの見えてるのがそうだよ」
この街は親切な多くて助かる。それともフォリン家というのは、それだけ人々から愛されているのだろうか。一人目であっさりと屋敷の場所は見つかった。
小高い丘の上。ひと際目立つ、大きな屋敷。あれがフォリン家のお屋敷のようだ。
現代の建物に比べたら小さいものの、その風格は大型ビルにも負けていない。遠目からでも年季と歴史を醸し出してくる。なかなかに圧のある建物だった。
「門前払いを食らいそうだ」
ここまでのお嬢様とは思わなかった。不敬を働けば首をはねられそうな気もする。やはり止めておくべきか。臆病な心が警鐘を鳴らす。
しかし、いつもそうなのだ。己は立ち止まることを許されない。常に前へ進まないと、どうにもならなかった。
「あのお、お嬢様はご在宅でしょうか? こちらを預かっているんですけど……」
門の前に立っている二人の男。なるべく低姿勢を貫きつつ、少女から渡されたプレートを差し出した。既に少女は帰宅しているはずだし、誘拐犯と間違われることはないだろう。これで上手くいくといいのだが。
男は渡されたプレートを見て目を見開いた後、すぐさま屋敷の中へと走って行った。
「あの」
「確認をとっているところだ。悪いが、もう少しだけ待って貰えると助かる」
「あ、はい」
確認は大事だ。本当に渡したのか、どういう男に渡したのか。詐欺師の偽物かもしれないし、泥棒かもしれない。これだけの御屋敷だ。狙う犯罪者も多いだろう。
ならば、それだけ警戒するのは当たり前のこと。むしろ門前払いを食らわなくて助かった。
「しかし旦那様ではなく、お嬢様のプレートとはな。あんたも苦労してそうだ」
「は、はあ」
確かに活発で猪突猛進じみたお嬢様だが。苦笑いを浮かべられるほど、性格に難があったのだろうか。話は通じるし、そこまで悪い人間には見えなかった。
「旦那様! お待ちください!」
大きな声が聞こえてくる。屋敷の中からだ。
何事かと思えば、土煙をあげながら突進してくる男が一人。身なりは豪華で、あちらこちらに勲章のような金色の装飾品が光っている。灰色の髪の毛を靡かせながら、鬼のような形相でこちらに走ってきていた。
あれが旦那様だろうか。
「貴様かああああああああ!」
「えっ! ちょっ!」
門番たちが止めるのも聞かず、旦那様が華麗にフライングクロスチョップを決めた。
己の意識があったのは、そこまでだった。




