第019話『3月19日』
門番というからには門があるだろうと思っていた。ただ、それは己がイメージするようなものではなかったようだ。
巨大な壁もなければ、都市を覆いつくすものでもない。ただ道を塞ぐように作れているだけで、さながら関所と呼んだ方がいいかもしれない。都市は柵が幾つかあるだけで、その気になれば簡単に関所を回避して中に入れそうだ。
わざわざ通る意味があるのか。謎である。
道のりは長かったが、審査はあっさりだった。プレートを見せただけで、通って良しと素通りだ。これで本当に警備できているのか。それとも、このプレートの効果が絶大なのか。
防犯意識の無さそうな都市においては、どちらなのか分からない。
ただ、己はそれどころではなかった。
「おお……」
齢四十にして、海外旅行の経験は一度しかない。それも近場で済ますという、ものぐさ精神だ。多少の感動はあったものの、やはりアジアはアジア。どことなく雰囲気は似ている。
それに対し、こちらはまるで西洋を思わせる街並み。元の世界でも洋風建築は増えているものの、やはり本場は一味違う。作り物でないというか、これこそが本物だと主張しているようだ。
イメージしたファンタジー世界は、まさにこういうものだった。間違っても未確認生物じみた怪物が闊歩したりはしない。
「などと感動している場合じゃないな。ええと、貰った地図によると……こっちか」
素通りだけではなく、門番はご丁寧に地図もくれた。ここに行けば泊まる事に関しても困らないという。まさに至れり尽くせり。あの少女、いや彼女の両親はどれだけの権力者なのか。今更ながらに恐ろしくなる。
しかし、こちらは無一文にして裸一貫。お言葉に甘えるしかない。
行きかう人々の服装に驚き、感動しながらも地図との睨めっこを続ける。異国の街を歩くのは楽しい。空気や匂いからして違う。しかし目的地にたどり着くには、なかなか厳しいものがあった。
幸いにして文字は何故か分かるので、地図に描かれた店を頼りに探すしかない。
そうして一時間ぐらい経ったところだろうか。ようやく目的の建物を発見した。
「宿屋エンリ、ここだな」
額の汗を拭う。季節はまだ三月。こちらの世界も寒い。
ただ人間、迷いに迷えば脂汗も流れるというものだ。このまま見つからず白骨死体になったらどうしようと思っていたぐらいには。
呼吸を整えてから、店の扉を開く。
「すみません。こちらに来れば良いと言われてきたのですが……」
「はいはい。どうしましたか?」
中はかなり狭かった。いや、入口が狭いだけなのか。入ってすぐに上への階段が目についた。その左側には受付らしきものがあり、人の好さそうな女性が笑顔を浮かべている。女将さんだろうか。
「ええと、まずこちらを」
「まあ! フォリン家の! これは大変失礼いたしました」
「あ、いえ、こちらこそ」
本来ならば、別にこちらが畏まる必要はない。ただ生まれながらの習慣で、相手が頭を下げたらこちらも下げてしまうのだ。
「お部屋はいつでも用意してありますので。二階の奥の部屋をお使いください。ご不満でしたら他の部屋もご用意いたしますよ」
「そ、そうですか。助かります。あー、お金に関してなんですけど……」
「まあ、フォリン家のお客様から頂くわけにはまいりません。どうぞ、お気になさらず」
払えと言われても払うものはない。薄々はそうでないかと期待していた。
勿論、いずれは宿代も返却はしたい。受けた恩を忘れて立ち去るほど、東雲誠也は薄情な人間ではなかった。ただ、今は先立つものがないだけで。どうにもならないだけで。
とりあえず案内された部屋に入る。入口を見た時はどうなるものかと不安になったが、なかなかどうして。白いシーツは清潔そのもの。床や壁の掃除も行き届いている。まあ、今までの寝床に比べたら何だって天国だ。
まずは街に出て、色々と調べるべきだろう。そう分かっているのに、飛び込まずにはいられない。
「ああ、久しぶりのちゃんとした寝床」
気が付いたら夕方まで爆睡していたのは言うまでもない。
目玉石に頭を砕かれる夢で目覚めた。そんな攻撃はしてこないと理屈では分かっていても、やはり無意識で怖いものは怖いのだ。
ただもう恐れる必要はない。ここは浮島でもないし、尋問室でもない。ただの宿屋だ。
「はぁ……はぁ……嫌な夢だ」
水を飲もうとして、水飲み場が無いことを思い出した。ホテルならば廊下に自動販売機の一つでもあるし、最悪蛇口を捻れば水が出る。さすがにこの宿屋にそこまでは求めていない。頼めば持ってきてくれるのかもしれないが、タダで泊まらせて貰っている身だ。そこまで頼むのは図々しい気がした。
せめて水を飲める所を教えて貰おう。そう思い腰をあげたところで、外の薄暗さに驚いた。
そこでようやく、己が夕方まで寝ていたことに気付く。
「いくらなんでも熟睡しすぎだろ、俺。そんなに疲れていたのかよ」
途端に空腹も覚えた。一日ぐらいは何も食べなくても平気になってしまったが、それでも腹は鳴る。
お金は持っていないので、どうしたものか。
悩み始めたところで、突然来訪者が現れた。
「待たせたわね! さあ、今度こそ話を聞かせて貰うわよ!」
扉を蹴破る勢いで飛び込んできたのは、ミラー・フォリン。己にあのプレートをくれたお嬢様だった。
「そんなに大声を出さなくても聞こえますよ。ただ話すのは構いませんけど、こちらの質問にも答えてくれませんか? 俺、この世界について何も知らないんですよ」
隠し部屋の彼女は教えてくれなかったし、陰陽師は言わずもがな。知っているのは目玉石の飼育方法だけである。
「へえ、それなら明日には本を持ってきてあげるわ。それを読めばいいと思うわよ。それよりも今はあなたの話が最優先なんだからね!」
鼻先に指をつきつけられる。猪突猛進を具現化したようなお嬢様だ。若い勢いに圧倒されて、全てを話してしまいたくなる。勿論、彼女については一応黙秘しておくつもりだ。恩もあるし、ベラベラと喋っていいはずもない。
「分かりました。話します。ただ、その前に水を飲ませてくれませんか?」
「それならこれを飲みなさい。まだ口をつけていないから、綺麗なままよ」
渡されたのは皮の水筒。映画などで見た事がある。ここに水とかを入れて飲むのだ。正直、一度試してみかった。
ワクワクしながら口をつけ、独特の臭いに顔をしかめた。覚悟はしていたが、よほど喉が渇いていないと厳しいものがある。勿論、己はここで文句を言える立場にない。我慢して喉を潤した。
「ありがとうございます。では、何について話しましょうか。正直、色々と体験してきたので……」
「まずは組織についてよ! どういう見た目をしていたの?」
口ごもる。アレに関しては別に話す義理もない。世間に知られたからといって、己は何も困らないのだから。むしろ広まって困ればいいまである。
しかし、奴らは秘密主義を貫いていた。隠蔽に関しては何だってやるだろう。ここでミラーに全てを話せば、彼女は果たしてそれを自分の中だけにしておけるか? 答えは当然ノーである。確実に周囲に言いふらす。
それが奴らの耳に入れば、始末されるのはフォリン家かもしれない。うっかり口を滑らさせてしまった以上、今更組織について知りませんと言うわけにもいかないが。
「それなんですけどね、よく分からない装置を頭につけられまして。そのせいかもしれませんけど、どうにも記憶が曖昧で。奴らについては、俺を尋問してきたという情報しか覚えてないんです」
「そう。まあ、組織がそう簡単に痕跡を残すわけがないもの。仕方ないわ。あなたは何も悪くない」
あっさり納得してくれて助かる。少女の頭には、少女なりの秘密組織があるのだろう。己の説明は、そこから逸脱しなかったようだ。
ただ、ここまで良くしてくれた恩もある。それ以外の目玉石やら蒸気馬やらに関しては、別に話しても問題あるまい。恩もなければ義理もないのだから。
「その代わり、連れ去られる前の事についてはよく覚えています。空に浮く島に取り残されて、そこで不思議な生物と暮らしていたんですよ」
「詳しく!」
目を輝かせて食いついてくれた。要するに不思議な話に弱いのだ。秘密組織じゃなくても、未知の生物であれば構わない。そういうことだろう。
「目玉石……プルルスでしたっけ? それはまあ、割と有名っぽいから省くとして」
「なにそれ? 勝手に省かないで頂戴! 私、その生き物に興味あるわ!」
請われたので話す。ミラーの反応から察するに、あの目玉石もメジャーな存在ではないらしい。むしろ蒸気馬と同じカテゴリーに入るようだ。あんな飼育本まであるのに、と疑問に思ったが。どうやら、そんな本は世間に出回っていないとか。
妙だ。彼女は普通に読んでいたし、あの本だって気軽に渡してきた。貴重な生物の飼育方法が書かれているのなら、もっと大事に扱ってもいいだろうに。
「面白い! 面白いわ!」
分かりやすいぐらい興奮してくれるので、こちらとしても話し甲斐がある。ただ、時間がそれを許してはくれなかった。外の暗さもいよいよ夜に変わろうとしている。この世界の夜が、元の世界ぐらい治安がいいとは限らない。
「ええと、お嬢様?」
「ミラーでいいわ。分かっているわよ。そろそろ帰らないとね」
チラチラと外を見ていたせいか、既に気づかれていたようだ。ベッドから腰を下ろし、パンパンとお尻を叩いて扉に手をかける。しかし、何かを思い出したかのように戻ってきた。
そして己の手を握り、
「素晴らしい話を聞かせて貰ったわ。これはそのお礼よ」
数枚の銀貨を握らせて、ミラーは部屋を立ち去った。
呼び止める暇もない。あっという間の出来事だ。
「まいったね。まるで彼女のヒモだ」
気分はあまり良くない。しかし背に腹は代えられない。
まずはこの銀貨で何を食べられるのか調べに行こう。
外からは香辛料の匂いがしている。




