第016話『3月16日』
今日の日記をつけられるかは分からない。
しかし、もしもあのメモ帳に不思議な力が宿っているのなら。
きっと、今日という日も日記は更新されているのだろう。
頬を叩かれ、目を覚ました。
森の中ではない。薄暗く、それでいて狭い部屋の中にいる。あの小屋や隠し部屋というわけではなさそうだ。コンクリートか、それとも別の素材なのか。灰色の固そうな壁と天井がそこにあった。
他には光る石を持った、例の陰陽師が目の前にいるだけで。この状況を元の世界風に表現するならば尋問がピッタリである。ジンジンと痛む頬とか、更にそれっぽい。
「########」
「だから、分からないっての。何を言ってるんだか」
皮肉げに笑おうとして、ふと己の頭に違和感を覚えた。鏡がないので見ることは出来ない。しかし何かの帽子を被っているような感覚がある。そんなもの、どこにも持っていなかったのに。
陰陽師は手首につけていた腕時計のようなものを弄り、再度語りかけてきた。
「ヤーデバロの人間かと思ったが、翻訳の指輪をつけていたとはね。それにしても見慣れない波長だな。この言葉に合わせるのは数十年ぶりだ」
状況が状況だとしても、己の言葉が分かる人間が現れた。彼女以外に。その事に対して喜びを覚えてしまうのは、仕方ないことだろう。
「あんた、俺の言葉が分かるんだな!」
「翻訳の指輪よりも性能がいいモノを使っているだけだ。こうでもしないと尋問にならないんでね」
比喩でも何でもなく、本当に尋問されていた。
元の世界では体験したことがない。警察のご厄介になった経験は無いし、せいぜい免許の更新で訪れるぐらいだ。強面の刑事から、ライトを顔に当てられるような事はしていない。
その初体験がまさか異世界となるなんて。
などと暢気に構えている場合ではなかった。
「さあ、それじゃ嘘偽りなく答えて貰おうか。お前はどこの国の人間だ?」
日本です、と答えて信じてくれるものか。ふざけるなと暴力を振るわれるかもしれない。痛いのは嫌だし、苦しいのも勘弁願う。かといって嘘を吐いたところで、それで誤魔化せるものか。こんな高度な翻訳機能を持ってる連中だ。己の嘘ぐらい簡単に見破れそうなもの。
致し方ない。ここは素直に話して信じて貰えるのを祈るしかなかった。
「俺は異世界からこっちの世界に来たんだ。元の世界では日本という国に住んでいた。嘘じゃない。本当なんだ」
残念ながら陰陽師連中は魔法陣のベールを顔にかけている。その表情を窺い知ることはできない。
ただ無反応で何も言わず、腕時計のようなモノをチェックしていた。
「そうか。ならばお前は神と名乗る存在と遭遇したか?」
「は?」
突然すぎる質問に、思わず間抜けな声が出る。
しかし陰陽師は真剣そのものだ。ただ、こちらの答えを待っている。ふざけているわけではない。というか、こんな状況でふざけられても困る。
「いや、会った事はない。こっちの世界でも元の世界でも」
勿論、自称神様とかいう輩とは遭遇した経験もある。電車の中で話しかけられ、死ぬほど困った。さすがに、あれを神様とカウントするわけにもいかない。
「この波長に合った時点で、薄々はそうじゃないかと思ったが。いいだろう、お前の話を信じよう。君は異世界の人間だ」
彼女ですら信じてくれなかったのに。こうもあっさりと信じてくれるとは。やはり嘘を見抜くような力かアイテムを持っているのだ。それがあるからこそ、己の話が真実だと悟ってくれたのだろう。
これはピンチであり、同時に交渉のチャンスだ。ここまで高度に発展した魔法か技術を持っている集団。あるいは元の世界に戻す方法も知っているかもしれない。彼女には悪いが、戻れるのなら今すぐにでも戻りたかった。
ただ、機嫌を損ねてはいけない。今は素直に質問に答え、敵意がないことを知って貰わねば。
「ああ、意味も分からず転移させられて。正直、何が何だか分からないんですよ。助けになってくれるのなら、そちらの質問には何でも答えます」
「そうしてくれると助かるね。それじゃあ次の質問だ。お前はどんな性質を持っている?」
何でも答えると言った矢先に、答えられない質問をされた。拒否するつもりはない。ただ、質問の意図が分からなかった。
「性質ってのは何です? 特技とか、そういう類のことなんですか?」
「ああ、まあそう思ってくれて構わない。お前は何が出来るんだ?」
面接を思い出す質問だ。まさか合格すれば雇用してくれるわけでもあるまい。誤魔化したり話を盛る必要も無さそうだ。
ただ、どう答えたものか。正直、これといった特技はない。おかげで面接では酷く苦労したのを覚えている。
「どうした? 答えられないのか?」
「いえ、答えたいのは山々なんですが。生憎とこれといって思いつくような特技がなくて。強いて言うならばメンタルは強い方です」
この状況において、それはいくらでも拷問してくださいと言ってるようなもの。発言してから撤回しようかと悩んだ。
ただ、それ以外にこれといった特技を思いつかない。
「……隠しているわけではなさそうだ。自分が気づいていないパターンか?」
どういうことだろうか。まさか己には、己も気づいていない真なる力が秘められているのか。連中はそれに気づき、封印する為にこうして拉致してきたとか。学生時代にノートへ書いていそうな妄想だが、異世界ならばありえる。
「ラッテの駆逐の際、お前と同じような人間を小屋で発見した。間違いないか?」
「え、ええ。何事かと思って小屋に避難して隠れていました」
やはり、あの時の陰陽集団の一員だったのか。それとも別人なのか、見ただけでは分からない。
「そうか。あの時、我々は小屋を爆破。そして発見された遺体を念入りに始末した。生体反応はなく、確実に死んでいたのを確認している」
「えっ」
今の今まで、重傷を治してくれたのだと思っていた。
冷静に考えれば、爆破された後に滅多刺しにされたのだ。死んでいても不思議ではない。むしろ死んでいないとおかしい。
「それなのに、君はこうして生きている。何らかの力が働いたとしか思えない。君は死なない肉体なのか?」
ようやく、彼らの意図を理解した。始末したはずの人間が、こうして五体満足で動いているのだ。蒸気馬や無限吊り橋のような、不可思議物体と思われても仕方ない。だからこその、あの質問だったのだ。
素直に彼女のおかげだと言うべきなのに、一瞬だけ躊躇した。こいつらは蒸気馬を葬り去った連中だ。不思議なものを許さない組織なのかもしれない。そんな奴らに彼女の事を教えれば、一体どうなってしまうのか。
想像するに容易い。
「どうした? 聞こえなかったとは言わせないぞ」
言葉の圧が強くなる。逃げることは出来ない。嘘を吐いても見破れる。
素直に話すしかない。
それでも、どうにも口が動かなかった。
過ごした時間は短い。厳しい言葉や態度も日常茶飯事だ。
それでも、彼女は何度も己を救ってくれた。一度は死からも助けてくれたのだ。
その恩人を餌にして、己だけ助かっていいものか。
「まあ、そういう力があったみたいですね」
「嘘だな」
腕時計のようなものを見ながら、陰陽師はそう断言した。やはり、あの機械で分かってしまうようだ。
気づいていない頃なら兎も角、今の己は知っている。この蘇生は彼女によるものだと。
だが、こちらも覚悟を決めた。どこまで耐えられるかは分からない。それでも彼女の為に口を割るわけにはいかない。
何があろうと、絶対に喋るつもりはなかった。
「隠したところで、何の意味もないぞ。時間節約の為だ。今ここで全てを白状した方がいい。そうしたら、今すぐお前は解放される。単純な話だ」
魅力的な提案である。
しかし受け入れるわけにはいかない。
「反抗的な態度をとれば、こちらの対応も変わる。投獄は続くはずだ。非協力的な対象を見逃すほど、我々も甘くはない。協力するならば今のうちだぞ」
飴と鞭を交互に使い分けてくる。
だが無駄なことだ。
もう話さないと決めたのだから。
「どうやら意思は固いようだ。そこまでして黙秘する理由。是非とも知っておきたいな」
陰陽師は立ち上がり、懐から見覚えのあるメモ帳を取り出した。
「これを解読すれば、何があったのかはすぐに分かるだろう」
「…………まあ、俺が真実を記しているとは限らないけどな」
「安心しろ。後で返してやる。どうやら性質もロクに知らないようだからな」
またしても性質とは。ただ、それには異論があった。
こちらはちゃんと把握している。無限に書けるメモ帳が、それだ。
「これは持ち主の日記を必ず記すメモ帳だ。たとえ手元から離れても、お前の中での日付が変われば自動的に日記が残される。そして、そこに嘘はない」
なんというチートアイテム。
こちらを手助けするどころか、足を引っ張っているではないか。
くそぉ、なんとか誤魔化してくれ。頼む、日記帳。
そんな己の祈りも空しく、陰陽師はメモ帳を持って部屋を出て行った。
「くそぉ……」
己の覚悟は、己の日記によって砕かれることとなったのである。




