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第013話『3月13日』


 この世界について詳しく知りたい 却下

 具体的に外の世界で何をしているのか知りたい 却下

 魔法の基礎の基礎について教えて欲しい 却下


 あらゆる提案が却下され、最後の最後に


「せめて君の名前ぐらい教えて欲しいんだけど」

「却下」


 こうして己の提案は全ては却下された。










 情報を与えたくないのだろう。理解は出来る。迂闊に知識が増えれば、相手はどういう反応をするか分かったものではない。無知のままでいてくれた方が、利用はしやすいというわけだ。

 理解は出来る。しかし納得は出来ない。

 こちらの立場がどれだけ下だったとしても、多少は何か教えてくれてもいいだろうに。塗り薬を作る合間に、考え事をするのも飽きてきたところだ。どれだけ考えたところで、結局答えは教えてくれないのだから意味がない。


「だったら、せめて崖の上に上がる魔法とかかけてくれないか。自分の目で見て回りたいんだよ。そのまま逃げたりはしたりしないから」


 活動範囲はこの半径三キロの中のみ。あるのは人の足を折る目玉石、雨が降る刺々しくなる葉っぱ、痛みで叫ぶ樹木。そして一頭だけになった蒸気馬だ。さすがに十三日目ともなれば、ここから出ていきたいという気持ちも強くなる。

 残念ながら己を転移する事は出来ないらしい。ならば、せめて崖の上を見る方法ぐらいはないものか。

 彼女は本からこちらに視線を移し、またすぐ本に視線を戻した。


「崖を歩ける魔法ならかけられるけど。どうなっても知らないわよ」


 そう言われると躊躇う。危険があったのは昔の話。今ではここでの生活にも慣れてきた。目玉石の対処法も分かったし、他の植物にしたって同じことだ。いざとなれば治療してくれる人もいる。塗り薬さえ作っていれば、何も恐ろしいことはない。

 崖の上に何があるのか。全くの未知数。これよりも恐ろしい生物がいる可能性はゼロじゃないし、むしろ高いように思えてきた。

 だが、このままここに居続けるのか。安定は大事だ。元の世界でも目指していたのは安定の生活だ。だからこそ、こちらでは冒険しなくてはならない。彼女が帰還方法を見つけてくれるまで、口を開けて待っているつもりはなかった。


「頼む」

「そう。ならいいんだけど。死にかけても助けにはいかないわよ」


 脅すだけ脅され、それでも心配してくれたのだと思うことにした。

 隠し部屋を出て、空を見上げる。絶好の探検日和。雲一つない快晴だ。異世界であっても空が青いことは変わらない。


「よし!」


 気合を入れて、一歩踏み出す。踏み出したのはいいのだが、崖を歩くとはどういうことだろうか。重力操作か何かで、崖が下になるということか。具体的にイメージできないため、最初の一歩が非常に重い。


「ええい! 成せばなる!」


 言葉の後押しで、思い切って足を崖に向けた。


「うおっ!」


 柔道家に投げ飛ばされたような感覚と共に、気が付いたら足元に崖があった。どうやら魔法の効果は絶大なようだ。

 見慣れない景色、俄かに心も踊る。雨を避ける魔法よりも、こちらの方がより魔法っぽい。思わず駆け出しそうになるのを堪えながら、ゆっくりと崖を歩いて上った。

 果たして、崖の上には何があるのか。空気は薄くない。山の上ではないはずだ。

 かといって海が近くにあるとも思えなかった。予想としては草原が広がっているのではないか。あるいは森の中かもしれない。


「いやいや、油断は禁物だ。何が待ち受けてるか分からないんだから。細心の注意を払って進もう」


 警戒しつつも、その口元には笑みが浮かぶ。久しぶりの新しい世界だ。そこに何が待っているのか。

 期待するなと言う方が難しい。

 そうして己は崖を上り、


「…………」


 空を見下ろした。

 崖の向こう側には青い空が広がっていた。


「うおおおおおおおお!」


 崖の上に尻もちをつく。何があるかどころではない。何もなかった。あるのは広大に広がる空中の風景のみ。

 崖を上って、ようやく己は気づいてしまった。

 この窪地は、空に浮かんでいることを。


「はぁ……はぁ……お、落ちるかと思った」


 実際、危うかった。勢いよく駆け出していたら、あのまま落下していただろう。高度は数百メートルぐらいとしても、落ちれば即死は免れない。というか、つま先ははみ出していた。

 だが分かっているなら問題ない。恐る恐る、地上を見下ろす。


「…………草原ってのは間違ってなかったな」


 さすがに細かく見えないものの、草原らしき風景が広がっていた。特にこれといって目立つような建造物なども見えない。当然、そういう生物も見えなかった。

 しかし、どういう原理で浮いているのか。いや、それを考えるのはナンセンスだろう。あんな不思議生物に、ありえない魔法をかけられてきたのだ。窪地が空に浮くぐらい、不思議でもなんでもない。


「はぁ、戻るか。これじゃ探索もクソもあったもんじゃない」


 崖の向こう側に何があるのか。知ることは出来た。

 出来ただけだ。そこから一歩も進めないのなら、むしろ知りたくはなかった。

 憤りを覚えつつ引き返そうとしたところで、不意に足を止める。

 見間違いかと思い、目を擦った。そして目を細め、もう一度だけ目を擦る。


「マジか」


 己が上ってきた崖の近くに看板が立っていた。

 文字は分からない。しかし矢印は崖の反対側を指示している。異世界でも矢印のような記号は共通だったらしい。

 その事に感動を覚えている暇はない。

 どうやら向こう側に何かがあるようだ。


「待て待て、冷静になれ。おかしいだろ」


 人の手が加えられた形跡はない。そんな僻地に看板がある。

 しかし冷静になると逆に、看板ぐらいはおかしくない気がしてきた。そもそもあの隠し部屋からして、人の手が加えられたものなのだ。彼女が作った可能性もあるが、第三者が作ったのかもしれない。

 ならば、これも親切からくる案内看板ではないか。

 別におかしな事をするわけではない。ただ反対側の崖を上るだけだ。


「どうせ行くところもないんだし、おかしなものがあれば引き返せばいいだけだもんな。よし、行ってみよう」


 時間をかけ、反対側の崖までたどり着く。さすがに下からでは、何がどうなっているのか分からない。やはり上り、直接見るしかないようだ。

 先ほどと違い、若干の緊張感がある。こちらは自発的ではなく、誘導された結果の探索。何かが待っていても不思議ではない。

 唾をのみ込み、ゆっくりと慎重に崖を歩く。

 急いだところで、待っているのは青い空。走り出した馬鹿がそこから落ちるだけ。急ぐ必要はない。


「あるとしたら、また看板ってパターンか。そうやって馬鹿にする為に作られたって可能性が一番高いよね。もしかしたら、あの子が作って置いておいたのかもしれないしなあ」


 まあ、既に厄介な陰陽師集団が襲来した後だ。まさか蒸気馬よりも危険な代物が放置されているとは考えにくい。だとしたら、とんだ無能集団ということになる。

 あるとしても無害で、無害すぎて何の役にも立たないぐらいだろう。それならば見逃されてもおかしくない。

 ゆっくりと歩き、そして崖の上まで到着した。


「鬼が出るか、蛇が出るか」


 覚悟を決め、最後の一歩を踏み出す。

 再び奇妙な感覚が遅い、平衡感覚が元に戻った。

 そして己は見た。


「…………ええ」


 崖から遥か遠くまで続き、先が見えないぐらい伸びた吊り橋を。


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