第011話『3月11日』
彼女は毎日やってくるわけではない。来る日もあれば来ない日もある。
たまたま今日はそういう日ではなかったのだろう。
そして、えてしてそういう日に最悪な事件が起こるものである。
昨日の雨で地面は柔らかい。もう少し寒ければ、あるいは雪になっていたかもしれないのだ。雨であって良かったと言うべきだろう。さすがに雪の中では、毛布一枚では凍死してしまう。
小屋から出て、灰色の空を見上げる。空気はまだまだ肌寒い。元の世界では三月の始めなのだ。春の訪れにはもう少しだけ時間が必要となる。そもそも、こちらの世界にも春があるのか。
などと考えながら顔を洗い、今日も木の実を頬張る。来ない日の為にと、一応彼女は保存食も置いてくれていた。なんでも保存食の割には美味しいと評判で、こちらではかなりのヒット商品となっているらしい。何度もマズイので構わないと言ったのだが、親切心というのは厄介な側面も持つ。
これは最後の手段にとっておこうと決め、小屋の中に保存しておくことにした。
「さてと、異常無し」
蒸気馬ことラッテは相変わらず蒸気を拭きながら佇んでいる。それ自体が異常満載ではあるが、いつもと変わらないのだから異常無しでいいだろう。心なしか昨日の雨で機嫌を良くしたのか、蒸気の出も良いような気がする。
さて、今日はどうしたものか。目玉石の飼育方法は読み飽きた。他の本を貰いに行くべきか、それとも森の中で出来るサバイバルでも試してみるか。元の世界へ戻る方法は彼女に任せるしかない。
ならば、今はこの退屈な時間をどう活用するべきか。
それに頭を悩ませた矢先のこと。
「ん? 鳥か?」
曇天の空に複数の影が見える。ここは陸の孤島と呼んでも差し支えない場所。これまでの数日の間、鳥の一匹も訪れたことがない。いるのは蒸気馬と目玉石だけである。
新たな生物の登場かと思いきや、よくよく見ればそれは人の形をしていた。しかも、こちらに近づいてくる。
不意に彼女の言葉が蘇った。
『危険だからって、この子たちを駆除しようとしてる奴らがいるの。こんな可愛らしい子を駆除しようってのよ!』
よもや己の救助に来たわけでもあるまい。とすれば目的は、どう考えても蒸気馬。その駆除だろう。
慌てて懐から鈴を取り出し、躊躇なく叩き割った。仮に勘違いだとしても、その時は謝ればいいだけのこと。なんにせよ、彼女に通報しておくのは悪いことではない。
ただ、問題があるとすれば。その前に己が五体満足でいられるかどうかだ。
「くそっ! 格闘技でも習っておけばよかった!」
街のチンピラ相手でも、タイマンでボコボコにされような貧弱な坊や。それが東雲誠也である。ましてや相手は剣と魔法の世界の住人。これに立ち向かうほどの蛮勇は持ち合わせていない。
蒸気馬には悪いが、隠れるしか選択肢はなかった。慌てて小屋に入り、壁の隙間からこっそりと様子をうかがう。
「#######!」
降り立った人数は全部で八人。それぞれが槍のような棒を持っている。ただ槍と違って、両端に穂先のようなものがついていた。あれに貫かれたらタダでは済むまい。
恰好は彼女と違い、上半身もちゃんと着込んでいる。全身は真っ白で、頭には頭巾。顔はベールのようなもので覆われており、しかも怪しげな魔法陣が縫い込まれていた。どことなく陰陽師とか、神主とか。そういう方面の服装に見えた。
なんにせよ怪しすぎる集団だ。場合によっては彼女ではなく、彼らに助けを求めるべきか。そういう考えも頭にはあったのだが。あれに助けを求めたら、謎の呪文で呪い殺されそうだ。
迂闊に出ていくことは出来ない。
「#####?」
「########」
交わしている言語に覚えはない。彼女の使っているものと同じかも分からなかった。少なくとも、ヤーデナンチャラ語で無いのは間違いない。翻訳の指輪が機能していないのだから。
陰陽師集団は何度か話し合いを行った後、唐突に槍で蒸気馬を薙ぎ払った。
「っ!」
あまりに無造作だったので、一瞬何をしたのか分からなかった。すぐさま驚きの感情がわきあがり、咄嗟に口を押える。
それからはあっという間だった。連中は佇んでいた蒸気馬を全て薙ぎ払っていった。胴体を真っ二つにされた蒸気馬は、文字通り煙のように消えていく。地面には何の痕跡も残っていない。
「何してんだよ……」
小声で毒づく。通報をしても、すぐに駆け付けないのなら何の意味もない。後から抗議されても、知った事じゃないぞ。
彼女に何と答えるべきか。心配していた己だったが、それどころではない事に気付いた。
「######」
陰陽師の一人が、地面に落ちている鈴の破片に気付いた。
何と愚かな。どうして回収しなかったのか。いや、気づけるわけがない。あの状況で冷静に回収できる判断力など持ち合わせていないのだから。
しかし、連中は気づいてしまった。ここに誰かいるのだと。
そうなると、最も怪しいのはどこか。この小屋だ。
「くそっ」
だが逃げる場所などあるわけがない。全速力で駆け出しても、相手は空を飛べるのだ。しかもここは閉鎖された空間。陸上選手でもいつかは捕まる。
鈴を持った二人が、こちらの方を向いた。残りの六人は森の探索に向かうらしい。なんとも賢い連中だ。蒸気馬にはぐれがいる事もちゃんと理解している。その上で、怪しげな小屋を調べようと言うのだ。
どうすればいい。話し合いは出来ない。言語が通じないのだから。
ボディランゲージはどうだ。それで命乞いでもしてみるか。土下座が通じる相手ならいいのだが。
それよりも彼女が来てくれればいい。そうすれば通訳してくれるかもしれない。だが、彼女は蒸気馬を保護しようとしていた張本人。マトモに通訳してくれるだろうか。蒸気馬が殺されて激怒するのでは。
そもそも、どうしてまだ来ないのだ。いくらなんでももう来てもいい頃合いだろう。蕎麦屋じゃあるまいし、今出た所ですとでも言うのか。
小屋の中で、思考だけがグルグルと回り続ける。
「##########!」
小屋の外から怒鳴り声が聞こえてくる。おそらくは出てこいとか、抵抗するなとか、刑事ドラマみたいな台詞を言っているのだろう。通じなくても、それぐらいは分かる。
抵抗はしない。しても何も良くならない。
かといって無抵抗でいいのか。言葉が通じたとしても、話の通じない可能性がある。ああいう輩に理解力があるようには見えなかった。しかし、人間は見た目で判断してはいけない。
実は温厚で柔和な性格かもしれない。
「…………」
迷いに迷い、悩みに悩み、混乱した挙句に己は毛布にくるまった。部屋の隅でダンゴムシのように小さくまとまる。
相手が馬鹿なら、これで何とかなるはずだ。頼む、見逃してくれ。
後から見直せば、愚かな行為でしかないが。今の己には、もうこれぐらいしか無いと思っていた。
「###!」
扉を開く音が聞こえてくる。毛布をかぶっているので様子は分からない。後はただ、気づかないことを祈るだけだ。小屋の中で毛布が丸まっていても、それはおかしくない世界であれ。
床越しに足音が聞こえてくる。内部を探しまわっているのだろう。蒸気馬の殺害では飽き足らず、他にもまだ目的があるのか。それとも飼育している奴がいると踏んで、それを探しているのだろうか。
今更それは私ですと名乗りだすわけにもいかないし、そもそも飼育していない。今はただ、震える身体を押さえながら嵐が過ぎ去るのを待つだけだ。
「#####」
「####」
何を話しているのか。語気は荒くない。こちらを見つけたわけではないのか。
いつ毛布を剥がれ、あの槍を突き立てられるのか。そればかりか気になってしまう。
呼吸が大きくすぎないか。それを聞かれて気づかれないか。
三月だというのに、己の顔は汗だくだ。
「######」
だが、奇跡は起きた。
歓喜の声は上げられない。それで気づかれては元も子もないから。
足音が小屋の外に出ていき、聞こえなくなる。己は恐る恐る、毛布から顔を覗かせた。
そこには誰もいなかった。
やった。奴らめ、とんだ節穴もいいところだ。こんな怪しげな毛布があるのに、全く気付かず外に出ていきやがった。それでいい。おかげで助かった。奴らの節穴に乾杯したい気分だぜ。
心の中で喝采を叫び、ガッツポーズしたところで、
「#########!!」
己は小屋ごと爆破された。




