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第010話『3月10日』


「今日の食事を持ってきたわよ」

「助かる!」

「最初だから特別に美味しいものを持ってきたわ」

「あっ」


 粘土のように味のしない無駄に硬いものを齧りながら、己は涙した。

 彼女の優しさに感動したわけではない、ということだけは伝えておこう。











 怪我は本当に一晩も経たずに一瞬で治療された。治療方法に若干というか、かなりの抵抗は覚えたが。骨折が治ったのだから抗議するわけにもいかない。あのままでいいのかと言われたら、答えはノーだ。


「それじゃあ……どうしたもんかな」


 曇天の空は己の気持ちを表しているのか。モヤモヤは晴れない。

 というのも、元の世界へ帰還する為の目途はたった。しかしそれは、あくまで彼女任せで己に出来ることなど何もない。与えられた仕事はラッテに手を出す輩がいないか監視すること。

 つまりは何もしないも同然なのだ。この閉ざされた空間の中で、ただ一日中ずっと頭のない馬を見続ける。ちょっとした拷問でしかない。一週間以内に気が狂いそうだ。

 かといって部屋に行こうとすると、


「いつ来るか分からないんだし、外で見張ってないと駄目でしょうが!」


 と怒鳴られる。実際、そうなのだから反論はできない。

 目を離した隙に全滅しちゃいましたと舌を出せば、速攻で協力関係は打ち切りだ。ここに取り残されてしまうだろう。それは勘弁願いたい。

 かといって、何もせず見張り続けるだけの生活も限界があった。


「仕方ないわね。だったら、これでも読んでおきなさい。また怪我でもされたら面倒だし」


 そう言って渡されたのは、プルルスの飼育法に関する本だ。まさか、あれを飼育したがるもの好きがいるとは。異世界の価値観はつくづく分からない。それとも、あれも可愛いの部類に入るのだろうか。

 いずれにせよ、ここにいる生物はラッテと目玉石もといプルルスのみ。その生態について調べておくのは悪いことじゃない。

 実際、読み始めるとなかなか興味深いものがあった。


「プルルスは立っているものなら人間でも木でも気にせず突撃してくる。自分が死ぬのも構わず突撃してくるので、油断していると足を骨折する場合もあるのだ、か。なるほど身をもって思い知ったな」


 ただ、倒れている木や人間にはあまり興味がないようで。頭を砕かれると恐怖したのは、全くの見当違いだったらしい。

 本にはプルルスの突撃を回避する方法もしっかりと載っていた。なんでも緑色の体液を靴に塗り込んでおけば、数日間ぐらいは突撃してこなくなるんだとか。仲間だと認識しているのか、それとも恐怖で避けるのか。理由は不明らしい。


「…………」


 仕事で使い続けてきた革靴。いわば相棒のようなものだ。それに緑色の粘液を塗り込むのは心苦しいものがある。しかし、あの苦痛を再び味わいたくはない。すまないと謝りながら、ハサミの木下で死んでいたプルルスの体液を塗り込んでいく。

 ちなみに、この体液は食用としても使えるそうだ。

 絶対に食べないでおこう。










 プルルスの飼育方法があるのなら、ラッテの飼育方法もあるに違いない。そう思って、そちらの本も欲しいと頼んだのだが当てが外れた。


「は? ラッテの飼育方法なんて誰も知らないわよ。こんな生物、誰も見た事ないでしょうね」


 目玉石はありふれていて、蒸気馬は珍しいらしい。全く違いが分からない。

 現実世界から見れば、どっちもモンスターだ。


「それよりも、この部屋で入り浸るんじゃないわよ。何のために見張りを命じたのかしら。いいからとっと、外に戻りなさい」

「いやだって、雨が降って来たからさ」

「じゃあ雨避けの魔法を使えばいいでしょ」

「俺、魔法とか使えないし」


 傘でも差せばいいみたいに言われても困る。

 彼女は読んでいた本を閉じて、しゃがめと合図を送ってきた。困惑する己だったが、言われるがままに屈みこむ。

 そして思い切り頭を叩かれた。


「これで文句ないでしょ。ほら、とっとと戻る」


 何がいいのか分からない。ただ頭を殴られただけだ。

 しかし唾を吐かれて傷が治ったのだから、頭を殴って雨を回避する事だってあるだろう。あるだろうか。分からない。

 分からないので、とりあえず外に出てみた。


「おお」


 傘は昔から形が進化しないものだと言われてきた。実際、どこの世界でもそういうものだと思っている。その考えを改める日が来ようとは。

 己を避けるように、雨が割れていくことに感動を覚えた。これがあるのなら、傘なんてもう必要ない。手も使わなくていいのだから、ある意味では傘の終着点だろう。

 年下の少女に頭を殴られた甲斐があるというものだ。


「確かに、これなら見張りも楽だな」


 魔法の偉大さを思い知りながらも、雨の中を歩く。異世界でも雨は降る。これが赤色の雨なら恐怖するのだが、こちらの雨も己がよく知る透明な雨だった。

 ただ、今までは雨が降らなかったこともあるし、そもそも降っても外に出る気など起こらなかっただろう。こんな状況でずぶ濡れになれば、病気になるのが関の山。それで得られるものは何一つない。


「雨のラッテを見るのも乙なものってか。いや、それにしてもいつも通り過ぎるだろ」


 あれだけ熱い身体をしているのに。雨を受けて何の反応も起きていなかった。熱したプライパンに水を当てたら蒸発するのに。それとも、雨の中だと体温が下がってしまうのだろうか。

 しかし頭の切れ目からは、相変わらず蒸気が噴き出している。よくよく見れば、ラッテは雨を胴体から吸収していた。まさか、これが奴らなりの食事だというのだろうか。

 転がっている時に付着した土を食べるプルルスと違い、ラッテの生態は分かっていないらしい。これを発表すれば、異世界の人間も驚いてくれるかも。


「まあ、それは言葉が通じるようになってからだな」


 はぐれたラッテがいないか、雨の中を進む。

 基本的には集団生活を送り、その中の一頭が交代制であの魔法陣の上に立っている。どうして魔法陣に引き寄せられるのか、当の彼女も理解していないそうだ。ただ空気清浄の魔法陣を描いたら、ああやって寄ってきたらしい。

 加湿器として使えるので、完全に放置しているとか何とか。


 それを抜きにしても、ラッテの中にははぐれラッテと呼ぶべき個体が存在している。何故か集団の中に属さず、森の中をウロウロしている奴もいるのだ。

 集団だけを見張っておいても、はぐれが襲われたら意味はない。一人で全てを管理するのは不可能だとしても、出来るだけ見ておこうと決めた。彼女の心証を悪くする必要などない。

 そうして雨の中、見た事のない植物を発見した。


「……嘘だろ」


 いや正確には見た事がない植物になっていた。それは転移してきた初日。お世話になった、あの大きな葉っぱの植物だ。くるまって一晩過ごしたことをよく覚えている。

 温かく己を包み込んでくれた葉っぱは、今や棘だらけの危険な植物と化していた。これにくるまれようものなら、アイアンメイデンに放り込まれるのと同じ目に遭うだろう。

 この間までは普通の葉っぱだったのに。どうしてこんな、ハリネズミよりもハリネズミしている植物になってしまったのか。考えるまでもない。違いがあるとすれば雨だ。


 おそらく水を浴びると、こうなってしまうのだろう。恐ろしい。もしも寝ている最中に水を吸ったら、今頃己の肉体は穴だらけになっていた。安全な植物だと思っていたのに、条件でこうも変わるとは。改めて異世界の恐ろしさを思い知る。


「まさかとは思うが!」


 もしかすると安全なものなどないのかもしれない。そう思い、慌てて隠し部屋の中へと駆け込んだ。


「あの木の実って食べても大丈夫なんだよな!」


 唯一残された、己のオアシス。あの赤い木の実すらも、今となっては狂暴な牙を秘める爆弾にしか思えない。

 彼女は面倒くさそうに本を閉じ、


「だから食べるもんじゃないって言ってるんだけど。食べても問題ないわよ。ただクソマズイだけで」


 ホッと胸を撫でおろす。

 オアシスはオアシスのままでいてくれた。その事に感謝の気持ちしかない。

 ありがとう、赤い木の実。


「まあ、異世界の人間に問題がないかどうかは知らないけどね」


 感謝するのは、もうしばらく経ってからでいいのかもしれない。

 頼むぞ、赤い木の実。


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