両想い(後編)
「その必要はない」
青ざめた表情で床に倒れている小野寺さんを見る限り最悪の状況にはなっていないようだが、間に合ったとは言い難いかもしれない。
怒りで我を忘れそうになるが、幼少より鍛えられた精神制御力により鎮静化される。
怒りに任せて蹂躙したい気持ちもあるが、今それをすれば小野寺さんにもトラウマを刻むことになってしまうだろう。
「なんだお前! どこから入ってきやがった!」
「ドアからだが」
「熊澤はどうした!」
「……コレのことか?」
俺は一旦外に出て、ドアの前で伸びている男子生徒を引きずり入れる。
よくよく考えればこんな所に放置しておくのはマズイので、丁度よかったかもしれない。
さっきは焦っていたので思い至らなかったが、今は少し落ち着いているので色々と冷静な判断が可能だ。
「熊澤っ!!!?」
「呼んでも無駄だよ。完全に意識を失ってる」
「……お前、熊澤に何しやがった?」
「少し邪魔だったから、寝てもらっただけだ」
「「「「「「…………」」」」」」
質問されたから答えただけなのだが、黙られてしまった。
……いや、そうか。こんなことを言われれば警戒するに決まっている。
しまったな。スマホに熱中してたから不意打ちして昏倒させた――くらいの理由にすべきだったかもしれない。
「い、いやいや、お前らビビり過ぎだって! 熊澤なんて見た目が厳ついだけの雑魚じゃん? どうせスマホでも弄ってて不意打ちでもされたんだろ」
「そ、そうだな! 見張りくらいしかできないから任せたってのに、それもできないとかマジ使えないわ~」
「それな! つか不意打ちとはいえ、あんなチー牛みたいなのにやられるとかヤバくね?」
……よくわからないが、勝手に何が起きたかを想像し、勝手に納得されてしまった。
こっちとしては助かるが、よくもまあ憶測だけで結論を出せるものだと変な感心をしてしまう。
今更遅いかもしれないが、これに便乗してチー牛っぽい? 演技でもしてみることにしよう。
「お、小野寺さんに、何をした!」
「……ああ、安心してくれ。まだ何もしていないよ。ホラ、助け起こしてあげたら?」
「っ! おい神崎! いいのかよ!」
「黙れ。お前も熊澤と同レベルの扱いを受けたいのか?」
「っ!」
……ふむ、狙いは俺を誘い込んで隙を見せたところを一斉に叩く――といったところか。
どうやら一人を除いて意思疎通はしっかりできているらしく、小野寺さんを中心に囲うようにポジショニングをとっている。
中々に優秀な人材の集まりのようだが、集団に一人でも愚者がいると必ずそこから綻びが生じるものだ。
もしあの愚者が余計な反応をしなければ、お人好しくらいなら嵌めることができただろう。
逆に言えば、あの愚者がいなければお人好しのフリをして嵌まったフリもできたのだが、今となっては警戒しない方が不自然に見えてしまう。
「……」
何にしても近付く必要はあるため、とりあえず壁を背にして迂回するように接近を試みる。
「ハハッ! そんなに警戒しなくても何もしないよ! 何かする気なら……、最初から彼女を使って君を脅しているさ」
悪意を隠す気はなし、か……
恐らく俺がここに駆け付けた時点で、ある程度自分達が何をしようとしていたかバレていると判断したのだろうが、そうだとしても少し違和感がある。
俺をチー牛と雑魚に見ているのであれば、さっさと武力行使すればいいだけのことだし、自分で口にしたように小野寺さんを人質にでも使って俺を従わせればもっと手っ取り早いだろう。
それをしないということは……、そうか、俺と、さらに言えば小野寺さんの人質としての有効性を信用していないのかもしれないな。
あの神崎という男がどこまで事情を把握しているかはわからないが、事実として俺と小野寺さんは付き合ってもいないただのクラスメートである。
仮に小野寺さんが好きな人として俺の名前を出していたとしても、その時点では一方的な好意に過ぎない。
であれば、俺が小野寺さんを見捨てて逃げ出す可能性も十分にある――と思われてもおかしくはない。
特に、俺をチー牛の弱小男子だと思っているのであれば尚更である。
「……小野寺さん! 立てるか!?」
試しに小野寺さんに声をかけてみるが、青ざめた表情のまま首を横に振るだけで声すら出せない様子だ。
あれでは自力で立つなど不可能だろう。
「お、お前ら、変なことしてみろ! 今の会話は全部録音してるからな! が、学校中にバラまくからな!」
「あ~、それは凄く困るね」
「じゃ、じゃあ、もっと離れろよ!」
「オーケーわかった、みんなもう少し距離を取ろう」
神崎が声をかけると、全員が広がるように距離を取り始める。
しかし、包囲するポジショニングは変わらないため、最初から逃がすつもりがないことがバレバレだ。
そしてあの愚者だけは包囲には加わらず、熊澤とやらを介抱しにいくフリをして出入口を押さえに向かった。
恐らく汚名返上が目的であり、実際悪くはない行動ではあるが、そういう勝手な行動を取られる方が嫌われるということを理解していない。
想像力の欠如した愚者は、いずれ切り捨てられることになるだろう。
……まあ、そんな機会があるかはわからないが。
「小野寺さん、大丈夫か?」
「あ、あぅ、あ……」
余程の恐怖にさらされたのか、呂律が回っていない。
普段の明るい小野寺さんからは、全く想像できないような怯え方だ。
仮に小野寺さんが本当は臆病な性格だったとしても、これだけ怯えるのは異常に思える。
……駄目だな。どうやら、抑えられそうにない。
「折角警戒してたのに、ここで気ぃ緩めちゃダメっしょ」
「そう言うなよ、大好きな女の子を前にしたらならドキドキしちゃうし、カッコつけたくなるだろ?」
「わかる! それに可愛い子に目が釘付けになるのは男なら当然だよなぁ!」
一時的に距離を離していた男達が、俺が視線を切った隙をついてサッと距離を詰めてくる。
こういった状況では、気配を殺してゆっくり近づくよりも素早さの方が重要だ。
やはりコイツ等、場慣れしているな。
「んじゃ、時間ももったいないし、早速始め――お?」
ややロン毛気味の男が伸ばしてきた手を無造作に叩き落す。
「あ、もしかしてコイツ、なんかやってるパターンじゃね?」
「あ~、成程! だから助けになんか来ちゃった感じか~! 熊澤がやられたのも納得だわ~」
「これは燃える展開! そういうちょっと自信ありそうな奴ボコボコにして、目の前で女がヤラれてるの見せつけるのが最高なんだよなぁ!」
再度ロン毛が手を伸ばしてくるが、今度は同時に他の男達も手を伸ばしてくる。
身を退いて躱そうとするが――
「ハイ、ドーン!」
狙いすましたかのように放たれた凄まじい速度の打撃に、眼鏡が吹き飛ばされてしまった。
「眼鏡野郎は眼鏡が本体だから、外しさえすれば無力化できるって基本中の基本なんだぜ?」
「いやいや、そこまでするの可哀そうくない? インターハイ3位がそこまでするとかドン引きっすわ」
「だって反撃とかされても面倒だろ~。もし空手とかやってたら、当たると流石に痛いんじゃね? 俺は当たらないからいいけどさ」
「確かに。ワンチャン当たったらダルイな。ナイス判断だ――わばっ!?」
ヘラヘラ笑うロン毛の顔面に拳をぶち込む。
しっかり鼻を狙ったので、軟骨が陥没して美形だった顔が見るも無残な残念顔になった。
「っ!? 早く潰せ!」
一瞬、何が起きたかわからないといった表情を浮かべていた4人に対し、唯一囲いの外で高みの見物を決めていた神崎が慌てて指示を出す。
それにしっかり反応して手を出した4人の判断スピードは見事だが、無駄である。
「はぁ!? 嘘だろ!? なんで避けられるんだよ!」
「っ! ていうかコイツの目、なんだ!? 気持ちワル!」
まあ、やはりそういう反応になるか……
人前で見せたのは久しぶりだが、ほぼ全ての人間が同じ反応をする。
「無知なお前らに二つ教えてやる。一つ、これは散眼という技術だ。そしてもう一つ、眼鏡者の眼鏡を奪うという行為は、時に死を意味する」
言うと同時に、ボクサー以外の3人をほぼ同時に無力化する。
右手と左手で二人の喉を突き、そして片足でロン毛の股間を蹴り上げた。
ロン毛については取り返しのつかないダメージを負った可能性が高いが、あってもロクなことがなさそうなので因果応報ということにしておく。
ボクサーを狙わなかったのは、万が一回避されると多対一が継続するからである。
負ける気はしないが、念には念をというヤツだ。
そういう意味では、このボクサーと俺の考え方は近いかもしれない。
「こ、このカメレオン野郎がぁっ!!!!」
「懐かしいあだ名だ。しかし、今の俺はメガネ君と呼ばれている。訂正してもらおう」
流石はインターハイ3位。中々素晴らしい技術を持っている。
が、焦っているのかモーションに乱れがある。
残念だが、予備動作が見える以上、まぐれでも俺に当てることはできない。
そして――
「がぁっ!?」
ストレートに合わせ、ロン毛と同様に股間を蹴り上げる。
純粋なボクサーは下段攻撃に対する意識が低いため、無警戒な相手だと面白いように下段蹴りが当たるのだ。
「……それで、神崎先輩は来ないんですか?」
「……やめておくよ。島袋が勝てないなら、俺程度じゃ絶対に無理だからね」
神崎先輩も何か格闘技をかじっている雰囲気はあるが、見た目だけで判断すると美容とか健康目的でやる程度で本気ではなさそうだ。
少なくとも、殴られた経験など一度もないに違いない。
「そうですか。じゃあ俺から行かせてもらいます」
「っ!? ちょ、ちょっと待てよ! 俺は何もしてないだろ!?」
「してます。小野寺さんを怖がらせました」
「そ、それは否定しないが、だからって暴力はやめ――ぶへぇ!!!」
最初から会話や舌戦で解決する気などなかったため、問答無用で拳をぶち込む。
イケメンの顔が醜く歪み、豚のような声を出すこの瞬間が堪らな――――っと、封じ込めていた嗜虐性がつい顔を出しそうになってしまった。
こんな顔、小野寺さんに見られるワケには――
「不知火君!」
「っ!?」
◇
それは、一年前見た光景の焼き直しのようだった。
あの日も私は、今のように彼に助けられたのだ。
気付けば私は、さっきまでの絶望感が嘘だったかのように活力を取り戻していた。
そして体にも力がみなぎって、立ち上がる勢いをそのまま利用して不知火君に抱きついていた。
「お、小野寺さん!?」
「不知火君、不知火君、不知火君!」
不知火君には申し訳ないけど、メイクが乱れることも構わず顔をグリグリと押し付ける。
このあふれ出す感情を止める術を、私は知らない。
「小野寺さん、落ち着いて!」
「無理!」
私がそう答えると、不知火君は諦めたように脱力し、背中をポンポンと叩いてくれた。
ああ、幸せ過ぎる……
そうして5分くらいすると、流石に体力的に限界が来たのか比例するように感情も少し落ち着きを取り戻してきた。
「ご、ごめんね、しら――メガネ君、取り乱しちゃって……」
「いや、いいんだ。こんなことになって、取り乱さないワケないよ」
背中から去ってしまった温もりが名残惜しいが、これ以上不知火君に迷惑をかけるワケにもいかない。
……でも、この感情の昂ぶりが完全に落ち着いてしまったら、私はまた元の地味で奥手な自分に戻ってしまう。
私から想いを伝えるなら、今しかチャンスはない。
「……不知火君、私……、ずっと、不知火君のことが、好きでした」
「っ! それは……、うん、もしかしたら、そうなんじゃないかとは、薄々気付いていたよ」
なんだ、私のアプローチ、ちゃんと届いてたんだ……
それなのにアレコレ空回りして、バカだな私。
……いや、でもこればかりは不知火君にも責任があると思う。
だって本当、全然動じないんだもん……
「ただ、理由がわからない。小野寺さんの気持ちは嬉しいけど、俺にそんな魅力はないと思っているし、そんなきっかけもなかったハズだ」
「それは……」
理由を言えば、もしかしたら当時の私のことを思い出してしまうかもしれない。
私の正体が、あの地味な私だとわかれば……、不知火君は間違いなく幻滅するだろう。
だから、このことだけは絶対に隠し――
「ごめん、答えられないならいいんだ。……ただ、申し訳ないけど、俺にはその、他に好きな人がいるんだ」
「っ!」
ああ、やっぱりそうだったんだ。
私の気持ちに気付いていて、それを嬉しいと感じていて……、それなのに距離を作っていたってことは、そういうことだよね……
でも、私は諦めない。
たとえ不知火君に好きな人がいたとしても、その人と結ばれるまでは必ず私にもチャンスがあるハズ。
「その人って、同じクラスの人? 同じ学年?」
「いや、その……」
ああ、こんな聞き方をすれば警戒されてしまうか……
もしかしたら、私が何かするかも? と思われてもおかしくない。
「ち、違うの! もし見た目の問題なら、私もその、その人の見た目に近づければまだチャンスがあるかもって――」
「そ、そうじゃないんだ! その、実は俺も、その人の名前とかは知らなくて……。同じ学校で、多分同級生ってことくらいしか、わからないんだ……」
私のことを警戒して言うのを躊躇ったのではないとわかり、少し安心する。
それに、今のでさらにチャンスが膨らんだと言えるかもしれない。
少なくとも不知火君とその子は現状接点がなく、交流もないこと。
そして、外見しか知らないということは、何か別の理由で好いているという可能性も少ないということがわかったからだ。
「あの、その子の見た目ってどんな感じ、なのかな? もしかしたら、私が知ってるって可能性もあるかもしれないよ?」
「見た目は、俺と同じ黒髪眼鏡の子だよ。丁度1年前くらいかな、今みたいにタチの悪い3年生に襲われていたところを助けたことがあるんだ。そのとき、その、一目惚れしてしまって……」
「…………え?」
ちょ、ちょっと待って!
それって、その話って、あまりにも身に覚えがあり過ぎる……
でも……、まさか、そんなことってあるの!?
あまりの動揺に目を泳がせると、視界の隅に不知火君の眼鏡が転がっているのを見つける。
私はそれに惹かれるように近付き、拾い上げ、迷うことなく装着した。
「し、不知火君、それってもしかして、こんな顔じゃ、なかった?」
「っ!? ま、まさか……」
この反応……、え!? 本当に、本当にそうなの!?
だとしたら私は、今まで何をやっていたっていうの!?
「オホン!」
「「っ!?」」
二人して衝撃の展開に固まっていると、違う方向からワザとらしい咳払いが聞こえる。
慌てて顔を向けると、そこには見知らぬ男子生徒が立っていた。
……いや、一瞬動揺して知らない人だと思ったが、よく見れば私はこの男子生徒を知っている。
「なんだ氷支離か」
「はい、氷支離でございます」
「え? え? 不知火君?」
この男子生徒は、恐らくこの学校で最も有名な美男子である、筬火 氷支離君だ。
一体何故彼がここに? それに、なんだろう……、不知火君と筬火君から、まるで兄弟のような雰囲気を感じるような……
「浮かれているところ申し訳ありませんが、流石に油断し過ぎです」
そう言って筬火君は、足元を指さす。
そこには、見覚えのない男子生徒が白目を剥いて転がっていた。
「……まだ仲間がいたのか」
「ええ、恐らく撮影担当ですね。まあ見ての通り雑魚ですが、しっかり撮影されていましたよ」
っ!? そうか、そもそも彼らは視聴覚準備室で私達のことを見ていたのだ。
恐らく、動画を撮影し私を脅すために……
「その動画は?」
「回収しました。ハードディスクに録画するタイプのようですし、オンラインへのバックアップの心配はありません」
「それは良かった。いつも世話をかけるな」
「いえ、それが私の仕事ですので。それより、その神崎という男ですが少し面倒な家柄のようです」
「……そうか。そっちは俺の方でどうにかしよう。氷支離はここの後始末を頼めるか?」
「それが私の仕事ですので」
「そうだが、ちゃんと男衆の手を借りるんだぞ? いくら氷支離でも、女手一つでこの人数は厳しいだろ」
「ご心配なく」
「いや、心配というか……、もういい、これは命令だ」
「承知いたしました」
え? え? ちょ、ちょっと?
あまりのことに、理解がまるで追いつかない。
二人は一体どういう関係?
命令? え、ていうか女手って――、女手!?
「ちょ、ちょっと不知火君!? い、今筬火君に対して、女手って言わなかった!?」
「……あ、しまった。すまない小野寺さん、どうかこれは、二人だけの秘密ということで」
「二人だけの秘密!?」
もっと重要なことがあるハズなのに、二人だけの秘密という言葉が魅惑的過ぎてつい意識がいってしまう。
「色々伝えなければいけないことはあるんだけど、まずこれだけは聞かせて欲しい。君は、本当に1年前俺が助けた、あの眼鏡の女の子なのか?」
「た、多分、間違いないと思います……」
何故か敬語になってしまった!
ダメだ……、もう完全に、私の情報処理能力をオーバーしてしまっている。
もう演技どころか、素の自分すら保てる気がしない……
「そうか……、まさか、同じクラスになって半年以上も気づかなかったとは……」
「そ、それは私も一緒だよ! まさか、不知火君が私のこと好きだったなんて、全然気づかなかったし!」
なんとか好きになってもらおうとメチャクチャ頑張ったっていうのに、まさかそれ以前に好かれていたなんて……、私ってピエロ?
「好き、か……。君に気付かなかった俺が、本当に好きだなどと言っていいものか……」
ちょ、ちょっと待って!?
そこで悩まれるのは、私が凄く困るから!
「じゃ、じゃあ聞くけど、不知火君はその、今の私のこと、嫌い?」
「……いや、こう言ってはアレだけど、実は小野寺さんのことは大分前からかなり好きだった。だから一目惚れしたあの子との間で凄い揺れてたんだけど、それが同一人物だとわかった今となっては、その感情が混ざり合って、その……、大好きになってしまっている」
「っっっ!!!!!?」
や、やった!?
なんかもう、情緒がメチャクチャだけど、私の願い、叶った!?
……それなら、もう一度声を大にして伝えたい。
きっとしばらくしたら、私は元の地味で内気な自分に戻ってしまうから……
その前に、今の私の全力で、この思いを叫ぼう。
「私も、不知火君のことが大好き!!!!!」
~おしまい~