メガネ君(前編)
俺は幼少時代、とある事情により酷い斜視と乱視になってしまった。
矯正用の眼鏡によりその症状はある程度改善されたが、今でも眼鏡は欠かせない存在となっている。
ちなみに、コンタクトレンズではどうにもならないらしい。
「おはようメガネ君!」
「……おはよう、小野寺さん」
そんな俺の今のあだ名はメガネ君だ。
非常に安直ではあるが、大した悪意も感じない無難な良いあだ名と言えるだろう。
小学校の頃は『カメレオン』や『クレイジーメガネ』などと呼ばれていたので、それに比べればはるかにマシである。
「メガネ君は今日も元気ないね~! ホラ、笑顔笑顔!」
そう言って小野寺さんは、俺の頬っぺたを引っ張って無理やり笑顔を作ろうとする。
「小野寺さん、痛いからやめてくれ」
「あ、ゴメンゴメン!」
本当はそこまで痛くないのだが、周囲の視線が痛いので完全に嘘というワケではない。
彼女――小野寺さんは、俺にメガネ君という素敵なあだ名を付けてくれた名付け親とも言える存在だ。
小野寺さんとは2年から一緒のクラスとなったのだが、何故かいきなり彼女の方から俺に接近して来て、そのままあだ名まで付けられてしまったのである。
それ以来、小野寺さんは何かと俺に絡んでくるようになり、それに連動するように何故か他の女子も話しかけてくることが増えた。
一体俺の身に何が起きているのだろうか……?
小中と色々やらかした俺は、地元を離れ遠くの高校に入学することにした。
そして同じ轍を踏まぬよう空気のように1年を過ごした結果、ほとんど誰とも話すことのない孤独な存在となってしまう。
最初のうちは同族と思ったのか、いわゆるオタク趣味の生徒が話しかけてくることもあったが、俺は黒髪眼鏡のパッとしない見た目に反してアニメもラノベも詳しくないため話がかみ合わず、最終的に誰も話しかけてこなくなった。
それが2年になって早々、小野寺さんに話しかけられるようになってから状況が一変した。
美人なうえに明るく人当たりも良い小野寺さんは、クラスで1番の人気者と言っても過言ではない存在だ。
そんな彼女が何故俺なんかに絡んでくるのかはわからないが、その結果として俺に話しかけてくる生徒が増えることとなったのである。
何故そんな現象が起きたかは不明だが、原因は小野寺さんにあると思って間違いないだろう。
もしかしたら、彼女が俺に対する印象を変えるような情報を広げたのかもしれない。
正直最初は戸惑ったが、俺としてもこのまま暗い青春を過ごすことは避けたかったので、小野寺さんには感謝しかない。
ただ、未だに彼女の意図についてはわかっていないため、疑問は残ったままの状態だ。
モヤモヤした気持ちを抱えたままにするのも精神的に宜しくないため、俺は色々調査してみることにした。
その結果、現状以下の説が有力な候補となっている。
①小野寺さんはオタクに優しいギャル説
②小野寺さんは誰にでも分け隔てなく接することができる聖人
③小野寺さんは①や②を演じる腹黒
小野寺さんは華やかな陽キャではあるものの、ギャルと形容するほど派手ではない。
なので厳密に言えば①は異なるのだが、似たような存在であることは間違いないだろう。
オタクに優しいギャルは、俺が調べた限りだと都市伝説やファンタジーのような存在でオタクの妄想扱いされているみたいだが、想像や妄想ができることは現実にも起こり得るというのが持論なので一応候補としている。
一応現状の最有力候補は②となっている。
小野寺さんは人当たりも良く誰にでも優しいため、聖人のような存在と言ってもいいと個人的に思うからだ。
ただ、俺の勘違いでなければ、時折僅かな違和感を覚えることがある。
正直あまり考えたくはないが、③という可能性もなくはないだろう。
また、これらはあくまでも有力候補というだけで、他の可能性もなくはない。
可能性は限りなく低いが、小野寺さんが俺を好いているということも……いや、どう考えてもそれはないか。
何せ俺は生まれてから今まで、女子に怖がられたことはあっても好かれたことなど一度たりともないのである。
それどころか、小野寺さんと出会うまでは会話すらまともにした記憶がない。
普通であれば、友達とまではいかなくても小学校で同じ班だったり隣の席だったりで、女子と会話する機会くらいいくらでもあるハズだ。
しかし俺は女子から避けられていたため、真正面から向き合うことすらなかったという……
あれから時を経て俺も成長はしたが、根本的な部分に変化はない。
見た目についても、昔から変わらず黒髪眼鏡のままだ。
中学時代陰でチー牛と言われていたことは知っていたので、高校に入る際は一応少し髪を伸ばしてみたのだが、顔自体が変わるワケではないので効果もほとんどないと思われる。
そもそもチー牛とは見た目だけを指す言葉ではないようなので、中身が変わらなければ本質的には何も変わらないだろう。
そして陰キャと陽キャは基本的に相容れない存在であるため、やはり小野寺さんが俺に好意を抱いているという可能性はゼロだと思われる。
……となると残念だが、③もしくは罰ゲームか何かで俺を嵌めようとしている可能性が高いということになってしまう。
(中々キツイな……)
「ちょ! メガネ君!? なんか涙目になってない!? そんなに痛かった!?」
「え……? い、いや、大丈夫。あくびをかみ殺しただけだよ」
否定しつつ速やかにハンカチで目を拭うと、布地に僅かなシミができる。
どうやら、本当に少し涙が出ていたようだ。
想像以上のダメージに、自分でもかなり驚いている。
最初からほとんど期待していなかったハズなのに、僅かな希望が潰えただけでここまで凹むとは想像していなかった。
……いや、違うな。
恐らく俺は、自分で思っている以上に期待していたのだろう。
何せ小野寺さんは、母親や教師以外で唯一まともに会話をする異性だ。
その時点で好意を抱かないワケがないし、そうでなくとも魅力的な女の子なのだから、男子なら誰だって好きになる可能性がある。
ただ、小野寺さんに好意を抱いているのは間違いないが、それはそれとして俺には別に好きな人がいる。
残念ながら名前は知らないが、同じ学校の生徒で眼鏡がとても良く似合う地味な少女だ。
もしその少女と出会っていなければ、俺は間違いなく小野寺さんに惚れていたと思う。
そして、今よりも確実に大きなダメージを受けていたハズだ。
そう考えると、失恋のダメージというのは想像を絶する痛みなのかもしれない。
俺は物理的なダメージには強いという自負があるが、精神的なダメージには脆い自覚がある。
仮にあの少女と再会できたとして、俺はこの思いを伝えることができるのだろうか……?
……正直、かなり厳しい気がする。
今の俺であれば「こんなに苦しいのなら悲しいのなら……愛などいらぬ!!」と言ったあの男の言葉を理解できる気がした。
――憂鬱な気分を引きずったまま昼休みに入る。
クラスメート達が楽しそうに食事をしているのを横目にしながら、俺は今日もボッチ飯を決め込む。
ボッチ飯自体は中学時代から慣れているが、最近はお喋りの楽しさを知ってしまったため以前よりも居たたまれなさを感じるようになった。
恐らくこれが、人間強度が下がるということなのだろう。
小野寺さんには九割以上感謝の念を抱いているが、一割にも満たないほど僅かに恨めしい気持ちもある。
ほとんど被害妄想に近い理不尽な感情だが、これこそが推しに些細な不満を感じるファン心理というヤツなのかもしれない。
「小野寺さーん! 神崎先輩が呼んでるよ!」
豚の軟骨をボリボリと噛み砕きながら小野寺さんを盗み見ていると、別のクラスの女子が教室に入ってくる。
その後ろを見ると、やや照れくさそうに笑みを浮かべているマッシュヘアの男子生徒が立っていた。
先輩ということは3年生なのだろうが、小野寺さんに何の用だろうか?
小野寺さんは部活に入ってないから、先輩が何か連絡事項を伝えるために来たというワケではないだろう。
……しかしそうなると、理由は一つしか思い浮かばない。
「うわ~、神崎先輩ってメッチャイケメンじゃない?」
「ホント、マジでアイドルみたい!」
……確かに、女子が騒ぐのも理解できるくらいには、神崎先輩は整った顔立ちをしている。
清潔感もあるし、表情も穏やかで優し気なので、さぞや女子にモテることだろう。
俺も中学時代は同じマッシュヘアだったのに、何故ここまでの差が出てしまうのか……
「でも流石小野寺さんだよね~! 上級生にまでチェックされてるとか凄すぎ~」
「ね~! 超羨ましい~!」
違う学年の生徒にまで知られているというのは、確かにかなり凄いことのように思う。
少なくとも俺は、違う学年の生徒の顔など性別問わず一切覚えていない。
しばらくしてから、話を終えたのか小野寺さんが教室に戻ってくる。
すると、待ってましたとばかりに複数の女子が小野寺さんの周りに群がった。
「ねぇねぇ、どうだったの!? 告白!? 告白だよね!?」
「ち、違うよ! 別にそんなんじゃ――」
「じゃあ何だったの!?」
「そ、それは、えっと、放課後に会いたいって――」
「キャーーーーッ! それもう告白されたようなもんじゃん!? ヤバ!」
「そ、そんなことないと思うけど……」
女子達の話に聞き耳を立てていると、どうやらさっき告白をされたというワケではなさそうだ。
ただ、俺としても他の女子と同意見で、「それはもう告白をされたようなものでは?」としか思えない。
小野寺さんだって、口では否定的なことを言っているが、本心では確実に予測していることだろう。
……俺は一体、何をソワソワしているのだろうか。
小野寺さんが告白されようと、その結果どうなろうと、俺には全く関係のない話じゃないか。
小野寺さんのことは友人として好いてはいるが、それは決して恋愛感情ではない。
俺が好きなのは――
「……メガネ君?」
「っ!?」
俺としたことが、会話に耳を傾けることに集中し過ぎて小野寺さんの接近に気が付かなかった。
……いや、理由はそれだけじゃなく、精神的な問題もあるだろう。
何にしても、情けないことこの上ない。
「どうしたのボーっとして?」
「えっと、ちょっと急に満腹感が……」
「でも、全然お弁当減ってないよ?」
「…………」
言われた通り、俺の弁当はまだ半分以上残った状態だった。
我ながら誤魔化すのが下手過ぎる。
「あの、やっぱり、聞こえてた……、よね?」
「ま、まあ、ね……」
これ以上誤魔化してもボロが出るだけなので、全て正直に答える方向にシフトする。
「いや~、私なんか相手に……、先輩も見る目がないよね?」
「そんなことはないよ。俺はあの先輩のことよく知らないけど、少なくとも見る目だけは確実にあると思う」
ついでに顔も良いと思うが、なんとなく口に出すのは躊躇われた。
「っ!? や、やだなぁメガネ君! そ、そんなこと言うキャラだったっけ?」
「…………」
キャラじゃないことは重々承知しているが、正直に答えると決めた以上嘘は口にしない。
その代わり、答えたくないことには無言を貫く姿勢だ
「だ、黙らないでよ! ……じゃ、じゃあさ、私は、どうした方がいいかな?」
それを何故俺に聞くんだ!
……頼む、これ以上、俺を勘違いさせないでくれ。
「そ、それは……、小野寺さんが決めることだろ?」
「……そう、だよね」
俺がそう返すと、小野寺さんの目が明らかに泳ぐ。
そして、その悲し気な表情を見た瞬間、凄まじい罪悪感が込み上げてきた。
俺の意思はやめておけと警告を発しているのに、その警告を振り切って口が開かれる。
「……ただ、もし小野寺さんがあの先輩と付き合い始めたら、今みたいに話す時間も減るだろうから、その……、少し寂しいかもしれない。だって俺は、小野寺さんくらいしか、仲が良いと言える相手が、いないから……」
言ってしまった……
しかも、同情を誘うような、卑怯な言い回しで……
内容自体は嘘偽りない正直な気持ちではあるが、本質を避けているため事実上誤魔化しているようなものである。
……しかし、俺だってこの感情が何なのかわかっていないのだ。
現状、言語化することは不可能なので、どうか勘弁して欲しい。
「っ!? ……そっかー! じゃ、じゃあ仕方ないなぁーっ! ちょっと勿体ないけど、お断りしようかなーっ!?」
「え……?」
「い、いやだって、メガネ君は私しか仲が良い相手がいないんでしょ? もし私の時間がなくなったら、メガネ君の話し相手がいなくなっちゃうじゃない!」
何を言い出すかと思えば、俺にとってそれは大した問題ではない。
自分で言った通り確かに少し寂しくはなるが、それはただ元のボッチに戻るだけの話である。
「それは大した問題じゃ――」
「大した問題なの! とにかく! 私は断るつもりだから、今日は放課後ここで待っているように!」
「……何故?」
「気分転換に付き合ってもらうから!」
気分転換……? あぁ、そういうことか。
答えを聞いても一瞬理解できなかったが、よくよく考えれば告白を断るのだからそれなりに気は重いハズだ。
経験がないから想像でしかないが、仮に俺が小野寺さんから告白をされれば同じ展開になる可能性は十分ある。
そして、いくら俺に好きな人がいるからといって、小野寺さんの告白を断るのは断腸の思いとなるに違いない。
一応は俺の言葉が告白を断る要因になったのだろうから、せめてそのくらいのメンタルケアには付き合うべきだろう。
「……わかった。可能な限り、小野寺さんをおもてなしすると誓うよ」
◇
――放課後になり、小野寺さんが教室から出ていくのを確認する。
俺はこのまま教室に残り、小野寺さんが戻るのを待つことになっているが……、なんだか凄くソワソワする。
いつもなら真っ先に教室から出ていくため、こうして放課後の教室に残るのは初めての経験だ。
教室を見渡すと、まだ多くの生徒が残って雑談をしていた。
いつもダルそうに授業を受けている男子も、放課後は活き活きしているように見える。
てっきり学校が嫌いでパッと帰るものだと思っていたのだが、実はそうでもないらしい。
「ねぇねぇ! 小野寺さん、ちゃんと神崎先輩のとこ行くって?」
ボーっと人間観察をしていると、昼休みに小野寺さんを呼んだ他クラスの女子が教室に入ってきて、残っていた女子グループに声をかける。
「うん。でも断るって言ってたよ?」
「え、マジ? うわ贅沢~! まあでも、あんま関係ないか~」
「ん? 関係ないって、どういう意味?」
「だって神崎先輩だもん、断るとか別に関係ないと思うよ?」
断るのが、関係ない……?
どういうことだ?
「あ、もしかして知らない? 神崎先輩ってあんな感じで超優しそうに見えるけど、女癖超悪くて狙われた子は何しても必ずヤラれるって」
っ!?
「ちょ、ちょっと待って! それってマジ!?」
「マジだって。だって、そのために私が直接神崎先輩に声かけたんだもん」
「どういうことよ!?」
「え、え? だって小野寺さん、ちょっと調子乗ってるでしょ」
「はぁ?」
「あ、これも知らないんだ。小野寺さんって、実は1年の頃はもっと地味で暗い子だったんだけど、なんか2年になって急にメイクしたり明るいフリして男子に色目使い始めたんだよ? 遅咲きの高校デビューみたいな(笑)」
……あの小野寺さんが、1年の頃は地味だった?
俄かには信じられない話である。
「中身は陰キャの地味子のくせにさ~、なんか今、このクラスどころか学年で一番可愛いとか言われてるんでしょ? 流石に調子こき過ぎっしょ~! だから1回男で痛い目みたらいいって話になってー?」
「……アンタこそ、何も知らないでしょ」
「はい?」
「小野寺さんは確かに可愛いし、ちょっと演技っぽい雰囲気あるのは間違いないけど、男子はもう誰も狙ってないって話だよ」
「へ? そんなワケな――」
「こう言っちゃアレだけど、私も安パイだって思ってる。だって、小野寺さんってどう見ても一人のことしか見てないから」
…………それは、一体誰のことだろうか。
「誰が見ても明らかだから、男子も女子もとっくに見守るモードになってるんだよ! 調子こき過ぎとか、ウチじゃ誰も思ってないから!」
「……マジ?」
「「「「「マジ!!!」」」」」
その場にいた全員が声を揃えて答える。
「え、ヤバ、どうしよ……。それって、マジでマズイかも……」
他クラスの女子は、周囲の様子を見て流石に罪悪感を覚えたのかもしれない。
いや、それにしたって焦り方が少し過剰に見えるが……
「マズイって、そりゃマズイでしょ」
「いや、その、マズさのレベルが違うって言うか……」
「っ! どういうこと?」
「いや、神崎先輩っていうか、あの先輩グループって、そういう純粋だったり一途な子イジメるの大好きだって噂で、彼氏とか好きな男子がいるなんて断ると、その男子も含めて酷い目にあわされるとか――」
「おい」
次の瞬間、俺はその女子の頭を鷲掴みにしていた。
「そいつらの溜まり場を教えろ」
後編は小野寺さん視点になります。