1、血濡れの狼
戦場に建てられた前線基地の内部から狂気の交じった笑い声が響く。
戦火に人生を歪められた少女の嗤い声。
手に持つのは鋭利なナイフ。馬乗りになっているのはもはや人の原型を留めてはいない肉塊。
ナイフも少女の来ている軍服も、血に染まっていない部分など無く、嗤い声とあいまってどこまでも純粋で濃い狂気の臭いが立ち込める。
振り乱された長い黒髪にも血液がベッタリと付着しており、塊のようにまとまっている部分も多い。
肉塊に向かってひたすらナイフを振り下ろし続ける。もうミンチのような物なのに、まだまだ滅多刺し。おぞましい笑顔を浮かべながらまだまだナイフを振り下ろす。
少女の名はウルリカ・ベーゼ。
混成亜人突撃隊に所属するウルリカ・ベーゼ伍長という存在である。
「ウ、ウルリカ伍長?い、一体君は何をしているんだね?」
前線基地を制圧したと連絡が入ってから、他の隊員はみな帰投している中、1人戻って来ないウルリカ伍長を探しにやってきた副隊長はその狂気を見てしまった。
副隊長がウルリカへ語りかけたその瞬間に、笑い声もおぞましい笑みも鳴りを潜めて、ただただ冷静な軍人が現れる。
「これは失礼致しました。私としたことが少々我を失っていたようです。」
軍服から血液を滴らせながら立ち上がるウルリカの顔に一切の表情は無い。先程までの狂気的な笑みも笑いも、目の前の人物が発していたとは到底思えない変わり身。
だからこそウルリカに対して副隊長は恐怖を覚えた。
平時のウルリカはどちらかと言うと冷静な方で、戦闘時こそ気分の高揚からうっすら笑うことはあるが、正気を失った狂った笑い方をする性格ではない。
彼女は悪魔に憑かれているのではという考えが副隊長の脳裏をよぎる。
全身に血を浴びて悦び、狂った笑い声をあげる異常者が正常な人間とはとても考えにくい。
「夢中になってしまうのも困りものですね。ある種仕方の無いことではあるのですが。」
立ち上がる少女の体からはボタボタと服が吸収しきれなかった血液が滴り落ちる。
立ち上がった後、少女は死体の頭と思われる場所を思い切り蹴り唾を吐きかける。
そしてウルリカの行動に引いている副長の前へ歩みを進める。
「ウ、ウルリカ伍長、速く帰投してその服をなんとかしたまえ。」
「はっ。副長殿、ウルリカ・ベーゼ伍長只今より帰投行動へと移ります。」
震える声でなんとか命令を下す副長。その指示を素直に聞き入れ、先に帰投している隊員に合流すべく駆け出すウルリカ。
「あれは本当に我々と同じ生物なのか…?悪魔の間違いではないのか…。」
思わず盛れる副長の本音に答えるものは居ない。
「おお、主よ。あの悪魔がこちらに牙を向けませぬように…。」
その祈りはどこまでも切実であった。