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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

千人斬り

作者: 小城

 石田治部少輔三成。大谷刑部少輔吉継。二人は、同じ主君に仕えていた。羽柴秀吉という。

「此度の戦、粉骨、此上無き働き。両人、此からも、存分に奮え。」

「有難き御言葉。恐悦至極に御座いまする。」

「うむ。」

 石田佐吉と大谷紀之介。と呼ばれていたときからの仲である。二人は、同じ年頃で、秀吉が、主君の信長から長浜の城を預かったときからの、朋輩であった。両名ともに、秀吉側近である馬廻衆として、働いていた同僚である。

「佐吉殿。この書状、如何にすべきかと思う?」

「この文言。口上の時は言い改めた方が良かろう。」

「成る程。いつも済まぬな。」

 本能寺の変の後、秀吉がこの国の政権に、大きく関与することになると、二人は、文官として、行政、外交、立案を担い、強く関わることになった。因みに、この時代では、男性同士の関係は、一般的な事であった。ただ、三成と吉継の間には、同僚以上の関係はなかった。しかし、それは、本人たちが、一番、良く知っていることではあるが、それ以外に、二人の関係に、強く興味を抱く者からしたら、三成と吉継の関係は、想像上、同僚以上の、関係に、容易になり得た。

「九郎。」

「只今。」

「此を、刑部の所へ届けよ。」

「承知仕りました。」

 宇喜多次郎九郎という男が、秀吉の馬廻衆にいた。

「御免。上様よりに御座る。」(大谷刑部少輔殿。)

「御足労、傷み入りまする。」

「いえ。」(なんと麗しい。)

「ところで、申し訳ないが、事のついでに、此を上様の下へ、お届け願えぬか。」

「喜んで。」(御尊顔。)

「?」

「いえ。では、確かに承った。」(我が手で触れたい。)

「御頼み致す。」

 九郎が、秀吉の馬廻衆になったのは、三成と吉継よりも、ずっと後、秀吉が播磨で、毛利を攻めていた時であった。彼は、備前の宇喜多の親族で、宇喜多が秀吉の臣下となってから、召し出された。九郎は、そのとき、陣中で、吉継と出会った。そして、すぐに、彼に、好意を寄せた。しかし、吉継の傍には、既に、三成がいた。

「九郎。」

「只今。」

「此を治部少に届けよ。」

「承知仕りました。」

 かといって、九郎は、三成を誹るようなことはしなかった。

「御免。上様よりに御座いまする。」

「御苦労。」

「…。」

「何か?」

「いえ。上様へ何か御用などは、御座いませぬかな?」

「特に御座らぬ。」

「左様。では。此にて失礼仕りまする。」

「待たれよ。」

「は。」

「此を刑部少輔の所に持って行ってくれ。」

「承った。」

 九郎は、二人に従順であった。

「御免。」

「果て。どうかなされたかな?」

「治部少輔殿からに御座る。」

「治部少め…。」

 吉継の感情の機微な変化に、九郎は敏感であった。

「何か?」

「いや…。そこもとのことには御座らぬ。治部少。本来ならば、斯様な些事。上様の馬廻衆である貴公に頼むべきものではないのだが…。」

「某としては、一向に構いませぬ故、御案じ召されませぬよう。」

「貴公は兎も角、立て前事として、粗略には出来ぬので御座る。」

「左様。では、此にて失礼仕る。」

「御苦労至極。治部少には、某の方から申し伝えますので、上様には、何卒宜しく頼みまする。」

「は…。承りました。」(治部少輔殿を御庇いなされたのか…。)

 九郎の心に妬みというものが存在しないわけではなかった。ただ、彼は武士の矜持で、その感情を非なるものとして、否認していただけである。

「病が酷くなったのか?」

「若干。」

「まあ、無理はせぬようにな。」

「有難き御言葉に御座いまする。」

 吉継は病を患っていた。それは業病と言われた。不治の難病のことである。しかし、それ以上に、彼は有能であり、吏僚として、秀吉から、重用された。

「業病は、天に一千人の血を捧げ、祈願すれば治る。」

「真か。」

「嘘か真かは、試してみれば分かるだろう。」

 怪しい遊行僧から、九郎は、そのことを聞いた。ちょうど、その頃、大坂の城と京の聚楽第の建築のために、全国から、人夫が集められていた。その人数は、5万人とも、それ以上とも言われた。九郎は、仲間を募り、夜な夜な、歓楽街から帰る途中の人夫を襲って、斬った。

「2人。」

「2人。」

「3人。」

「2人。」

「4人。」

「(あま神王しんのうよ。今宵は、総じて13人を捧げ奉る。)」

 1日10人斬ったとして、3カ月はかかる。

「(百度詣のようなもの。)」

 雨の日は、九郎一人、深編み笠を被って町角に立ち、通りかかる者を斬った。

「(2人のみか…。)」

 それでも、多い方である。今は、冬の年末の時期にあたる。時には、雪が舞うこともあった。

「おっと、申し訳ありませぬ。」

 帰る途中の辻で、遊行僧と鉢合わせた。その者は、九郎に、千人祈願の事を教えた男であったが、九郎も遊行僧も、お互いに相手の事は、忘れており、遊行僧が、そのまま行こうとした後ろから、九郎は、抜き打ちで、一文字に、斬って捨てた。

「(3人か…。)」

 水溜まりの泥に混じって、雨に打たれた男の血が、波紋状に広がっていた。

 京、大坂に出没する辻斬りの噂は、町々や村々を、一網に席巻していた。誰が言い始めたのか、市中では、千人斬りなどと呼んでいる。

「巷では、大谷刑部殿が、業の病を治そうと思うての仕業だと言うぞ。」

 そのようなことを話している町人に、九郎は、町で出会った。

「誰が秘密を漏らしたのだ…。」

「俺ではないぞ。」

「知らぬ。」

「わしもだ。」

「そのような企み、今、初めて聞いたぞ。」

 九郎は、仲間を募るにあたって、千人祈願のことは、伝えていなかった。彼らには、それぞれ、腕試し、金品、嗜好など異なる目的の下で活動していた。目的は違えど、手段が同じ、それだけである。

「(同じように考える者もいるものだな。)」

 案外、業病と千人祈願のことは、世間に知られた知恵なのかもしれない。

「(1人。)」

 九郎は、町の辻で1人斬り。場所を変えて、林の陰に潜んだ。しばらく、すると、人がやって来た。

「…。」(死ね。)

「(何だ?)」

 やって来た町人を斬ったとき、声が聞こえた。それは、自分の声のようであり、違うようであった。九郎は、手拭いを被っているし、斬るときに、声は掛けていない。ただ、無言で、声を立てないようにしていた。九郎は、場所を変えた。

「…。」(大谷刑部。)

 向こうからやって来た町人を、また一人斬った。

「(何だ。これは?)」(死ね。)

 九郎は、無言であった。はずだが、九郎の頭の中では、声が響いていた。それは、心の声では、なかった。しかし、100%身に覚えがないというわけでもない気がした。

「…。」(治部少め。死ね。)

 最後に、九郎は川の畔に、寝ていた者を斬った。

「(今宵は、4人か…。)」(死ぬがよい。刑部。)

「(うるさいわ!)」(麗しい御尊顔。触れたい。)

「(刑部殿に死ねなど、俺が、思うか!)」(業の病。わしが治す。)

「(治す?)」(我が手で。病を治す。)

「(これは、天つ神王の声か?)」(そうだ。)

「(やはり。)」(違う。これは俺だ。)

「(くっ…。)」(お前も死ね。)

 年が開けると、千人斬りと吉継の噂は、秀吉の耳にも、入った。

「誰が、そのようなたわけた事を言った!?」

 その話を聞いたとき、秀吉は、大いに腹を立てた。

「どうも、直臣の者の間から、湧いて出たように御座います。」

讒言ざんげんか?」

 秀吉は、京都所司代の前田玄以と話していた。

「下手人を、すぐに洗い出せ。」

 その日の夜から、京、大坂の各所に、所司代の手の者が、探索に出た。それと同時に、噂の出所の調査も行われた。

「どうやら、馬廻衆の宇喜多次郎九郎という者が、噂を立てているように御座る。」

「その男を探れ。」

「承知。」

 前田玄以配下の密偵の降田与五右衛門は、町人に化けて、宇喜多の後を付けた。どうやら、宇喜多は、昼間から、遊廓に上がっているらしい。

「(ここか。)」

 降田は、宇喜多の隣に部屋を取り、聞き耳を立てた。

「大谷刑部は、病を治すため、俺に、命じて、人を斬らせている。」

「千人斬りのことどすか?」

「業の病は、千人の生き血をすすれば治ると聞いて、この俺の所に、すがり寄って来たわ。やつは、他に、頼れる者がおらぬと見える。」

「お客はん。うちを斬り殺すのだけは、堪忍しておくれやすな。」

 宇喜多は、酔ってはいないようである。その割には、よくしゃべる。結局、宇喜多は、遊廓で、日暮れまで、遊んでいた。

「(さてと…。)」

 今日は、満月である。それだけ、姿を見られやすいが、獲物も多い。辻斬りの噂が立っても、相変わらず、京、大坂の建築は進められており、人夫たちも、多くいる。彼らも、また、辻斬りの噂に屈することなく、夜の町を、遊廓目指して歩いている。

「…。」(死ね。刑部。)

 町の辻で1人斬った。この頃には、仲間たちが、集まって、収穫した数を数えることもなく、それぞれ、思い思いに、市中を歩き、斬っていた。もはや、九郎は、幾人、斬ってきたか、分からない。続けていれば、いつかは、千人に上るだろう。

「…。」(治部少。死ね。)

 声は、変わらず、響いている。今では、それは、頭なのか体なのか、どこから響いているのか、分からない。それは、音響となり、九郎の行動を規定していた。

「(3人…。)」(刑部。)

「(4人…。)」(俺のおかげだ。)

「(5…。)」(俺が病を治した。)

「(…?)」(感謝せよ。)

「これで、終わりか。」

 京都所司代らの調べにより、京、大坂を騒がせた千人斬りの下手人は、捕縛された。首謀者の宇喜多次郎九郎ら、5人は、程なく、処刑された。宇喜多らが、何人、斬ったかは、伝わっていないが、彼らの行いにより、大谷刑部少輔吉継の病が、治ったという記録はない。

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