01【この腐敗した世界に堕とされた】
うんち!
げんばく すいばく しのはいは うみへ
どくがす へどろ みんなみんな うみへすてる
おしっこも
二ねん一組 矢野 研
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01【この腐敗した世界に堕とされた】
暗闇の中、いくつもの青い小さな光が宙を舞う。
昆虫型の『ベノムもん』の一種、『原子ホタル』だ。
暗闇の中で輝くものは原子ホタルだけではなかった。
化学反応で光るキノコ。光を反射する苔。
はかなげに光る美しい蝶。
そして蝶を狙う8つの眼と、忍び寄る8つの脚。
『美食クモ』、通称『グリスパ』だ。
8つの脚は、ナイフやフォークのような形状をしており、それらを使って狩りをするのである。
地底に咲く花に蝶が停まった瞬間、グリスパが飛び掛かる。
『捕マエタ』とグリスパが確信した瞬間、 蝶は忽然と姿を消した。
突如、「ゲローレ!」とゆう鳴き声が響き、暗闇から雨のように降り注いだ液体がグリスパの全身を濡らす。
(――攻撃ヲ受ケテイルッ!)
着地したグリスパは、態勢を整えようと後ずさろうとするが、その体はガクンと大きく傾く。
脚は溶け、間接や根元から千切れ落ちてゆく。
先ほどグリスパが浴びたは、非常に強力な酸性の胃液だったのだ。
光る蝶が再び現れ、先程よりさらに強く発光する。
「ゲラッパッ!」
光る蝶から細長い管のような物が伸びており、その先から、地響きのように野太い鳴き声が響く。
丸く大きな全身像、短い手足、大きく裂けた口と、そこから伸びる長い舌。
両生類型のベノムもん、「蝶灯カエル」である。
舌の先端が発光器となっており、それを小型の発光生物に見せかけた「擬似餌」にして、獲物を誘き寄せて捕食するとゆう習性を持っているのだ。
蝶灯カエルは、溶けかけて脱糞しているグリスパに近寄ると、口を大きく開き、グリスパを丸飲みにした。
「グーップゥ……」
蝶灯カエルは大きなゲップをすると、重たくなった腹を引き摺りながら、何処かへと去ろうとする。
瞬間、蝶灯カエルの眼を、飛来した『銛』が貫いた。
「ゲッラッッッパッ!」
蝶灯カエルは悲鳴を上げ、銛をどうにかしようと身を捩る。
しかし銛には頑丈なワイヤーが取り付けられており、先端には『反し』まで付いていた。
銛を外すことも、逃げることもできない蝶灯カエルの脳を、ワイヤーから流れてきた電流が襲う。
「ゲロォォォォレェェェェ!!!」
ほんの数秒で蝶灯カエルの脳は焼ききられ、口から胃袋と内容物を吐き出し、その場に引っくり返ると、「ブチチ! ブリュリュリュリュ!」と脱糞した。
パッと、電子ランタンの大きな照明が灯る。
煌々とした光が照らし出すのは、ごつごつとした四方の岩肌と、地面を流れる浅い水脈――そこは、水浸しの洞窟であった。
壁や天井は菌類や苔に覆われ、所々に群生する「ニキビフジツボ」が膿のような黄色い粘液を垂らし、その横をグロテスクな「ヘドロフナムシ」の群がガサガサと脊髄反射のように高速で這い回る。
水中には魚、甲殻類、虫の類などが散見できるが、どれも皆一様に、奇怪な姿形をしている。
ここは【下海】。
天の光から忘れ去られた地の底の、腐敗した世界。
ここでは、独自の生態系が形成されているのだ。
電子ランタンで洞窟内を照らしたのは、1人の大柄な人物だった。
全身に着込んだ無骨な耐圧服と、背面に装備したボンベ。素顔も見えないような、金属とガラスの重圧なヘルメット。
一見すると『潜水士』のような姿から、彼等は『潜行者』と呼ばれていた。
潜行者は、両手に抱えたユニットを構え、ゆっくりと蝶灯カエルの死体に近付く。
『ハープーンガン』と呼ばれるユニットであり、銛状の弾を高速で射出する武装で、独自の改造が施されており、ワイヤーを通じて銛に電流を流し込む機能が搭載されていた。
潜行者は蝶灯カエルの生命活動が停止していることを確認すると、銛を引き抜き回収する。
そして腰から肉厚のサバイバルナイフを抜き、解体作業を始めようとした。
その時、
『……?』
ふと、潜行者は手を止め、川の水面に掌を押し当てる。
『水が騒いでいる……』
感覚を研ぎ澄まし、水の反響を通して、広範囲の状況を探る。
その『技能』は、彼等の種族が【下海】で生き抜くため、何世代にもわたり編み出した、一種の『特性』のようなものであった。
潜行者は、深く、長く息を吐きだした。
『ここから、そう遠くはない』
『……人型が1体……』
『それと、大型のベノムもん1体、狩りの真っ最中……か』
潜行者は装備を整えると、先ほど気配を感じた方角へ向けて、足早に歩き出した。
◆◇◆◇◆
生物の糞尿から腐乱死骸まで、大抵の汚物を食べてしまう『クソクイグソクムシ』は、「下海の掃除屋」と呼ばれていた。
汚物を食し、動きは鈍く、基本的には人畜無害。
この過酷で殺伐とした地下世界で生きる人々の中には、クソ食いグソクムシの素朴で『ほのぼの』とした食事風景を見て、ある種の「安らぎ」を感じる者も少なからず存在するらしい。
この蟲をペットにする者がいたり、眺めながら食事を楽しめるレストランが存在するとかしないとか……。
今もまた、数匹のクソ食いグソクムシが、大型のベノムもんの垂れた、バカみたいにデカい巨糞を発見し、群でとり囲み仲良く「モグモグ」「ムシャムシャ」している最中だった。
すると、そこへ『セーラー服』姿の1人の少女が、煌々とした灯りを放つ『生首』を手に、勢いよく駆けて来る。
褐色の肌には大粒の汗が吹き出し、金色の長い髪は乱れに乱れている。
厚化粧を塗りたくっていたであろう顔面は、汗と涙と鼻水と唾液がドロドロに混ざり合っており、さながら、この地下世界の混沌をテーマにした前衛的な抽象画であるかのようだった。
――ブッチッパッ!
クソクイグソクムシ達の食していた『御馳走』を踏んずけてしまった彼女は、
「だっ、ふんだぁ~!?」
と変な悲鳴を上げながら派手に転倒した。
本来の彼女の身体能力であれば、踏ん張るか、受け身を取る事が出来たかもしれないが、咄嗟に照明器具を庇う選択をした。
「尻割れたぁ~、アイタタタァ~……」
少女は、元から割れていたであろう尻を擦りながら、制服が破れたことも、肩から出血したことも気にせずに立ち上がる。
そして、抱えていた『生首』を前方に構え直し、再び駆け出した。
その『生首』の造形は奇跡的に愛らしく、絶世の美少女といえるものであった。
桃のような肌。サクランボのような唇。
黒曜石のように艶やかな、くせの有る長い黒髪。
そしてアメジストのように輝く大きな菫色の瞳は、実際に、物理的に光を発し、駆ける少女の前方を照らしている。
それは照明器具でも生首でもなく、『汎用美少女型機械人形』の、『ヘッドパーツ』であった。
個体に付けられた正式な名称は「水先案内人」を意味する『シーカー』であったが、『シー子』と渾名されたその頭部だけの機械人形は、少女に声をかける。
『姉さん、体は大丈夫?』
透き通るような美しい声だったが、無感情で冷たい印象を受ける。
「だいじょうぶだぁ~。問題ナッシング~」
少女は手でVサインを作ってみせながら、飄々と言葉を続ける。
「つか、よく考えたらさぁ、尻って元から割れてなくね~?
なんなら新鮮な空気を出し入れするための通風口も空いてっし~。
ちな、頭も打たなかったし、脚も挫いてね~から」
『お尻は空気を入れる所ではないと思うのですが……』
「それよかさぁ~。『後ろのやつ』、どーにかしたくね~?」
『後方』から、何やら轟音が響いてくる。
土埃や水飛沫、暗闇から見え隠れする5、6本の「巨大な脚」は、地を穿つかのように繰り出され、地響きを上げながら、光束で少女に迫る。
『姉さんの脚力でそれなりに引き離せていた筈ですが、先ほどの転倒で、かなり距離を詰められてしまいましたね』
「シー子ぉ、何か『手立て』は無いのぉ?」
『見ての通り、ワタシは現在、頭部ユニットのみです。切断されたボディユニットが無くては……“手も足も出ない”状況なのです……』
「あ、上手いこと言ったつもり~?」
『いえ……至って真面目な話なのですが……』
「実は、目からビームとか、出るんじゃね?」
『そのような機能は搭載しておりません。……その代わりに……』
「お? なんかあんの? おせーてよ!」
『頭部だけのワタシを、敵目掛けて投げ付ける、とゆう方法がございます。有効打になる可能性は非常に低く、最終手段と言える方法ですが……』
「投げ付けろって、本気でぇ~? まさかぁ、ノリで自爆とかする感じ~?」
『頭部ユニットには、陽気なミュージックと色とりどりのライトで場の空気を盛り上げるとゆう、“パーティーモード機能”が搭載されています。
それを使えば、敵の注意を一瞬だけそらせる可能性が有ります』
「それな~。パーリー嫌いな奴なんてぇ、居ねえっしょ~。
って! なんか道無くね!?」
叫びながら、少女は減速する。
洞窟の先が、通路が消失していた。
足下を流れる川の水は、目の前の真っ暗な空洞へ、滝のように流れ落ちていた。
少女が振り向くと、地鳴りと、骨が軋むような音と共に、追跡者が速度を緩めながら姿を現す。
それはまるで、『白骨』を寄せ集めたかのような甲殻で全身を覆った巨大なカニ、甲殻類型のベノムもん、『アバラタラバガニ』である。
「獲物にありつける」と確信したのか、ハサミ型の巨大な爪をカチカチといやらしく鳴らしながら、ゆっくりと少女へと迫ってくる。
「このカニやっこぉ、あーしらのことぉ、完全にナメてるべ?」
『姉さん、あのカニにワタシを投げ付けてください。私がパーティーモードで注意を引けば、姉さんだけでも逃げられる可能性が高まります』
「それだと、シー子はど~なんの?」
『姉さんは照明を失うことになりますが、その代わりに今より身軽になれる筈です』
「シー子はぁ、ちっとは自分自身の心配しろよなぁ~」
『ワタシは姉さんを支援することを目的に製造されました。ワタシの使命は、少しでも姉さんのお役に立つことです。使命を全うすることが、ワタシの存在意義です』
少女は、アバラタラバガニと睨み合いながら口を開く。
「シーカー。あんたの頭の中に~、あーしに関するデータが色々と入ってんでしょ?」
『そうですが……それが何か?』
「なら、そのデータに、アタシが欲張りで~、その上~、物も捨てられない自堕落だったってこと、記載されてねーの?」
『はい、データにも、物品の所持、管理能力が極めて低く、それ故に、俗に言う“汚部屋”に住む、“汚ギャル”であったと……』
「シー子はさぁ、あーしの家族が残してくれた、忘れ形見っつーの? そういうもんなんだよ。
頭だけでも、たとえ動かなくなったとしても、大切に部屋に飾っておくしぃ~。
カニのオバケなんかには、あーげないっ」
『本当に欲張りな人なのですね……』
少女の眼前にまで迫ったアバラタラバガニは、高くのけぞり、勢いよく爪を降り下ろす。
少女は、シー子を抱えたまま、勢いよく後ろに跳躍し、底も見えない闇の中へ躍り出た。
「それに、あーし、末っ子だったからぁ」
放物線を描いて跳躍した少女の体は、頂点を越え、自由落下を始める。
「シー子から、『姉さん』って呼ばれるの、バリあがるんだよねぇ~」
指数関数的に上昇する落下速度を検知しながら、シー子はなんとも言えない表情で呟いた。
『理解しかねます』
褐色金髪の少女の名は、『穴外 饂子』、14歳。
本来なら、現代日本で、日の当たる地上で平凡な学生生活を送っている筈であった。
そんな彼女が、どうしてこんな腐敗した地の底で、機械人形の頭部を抱えてカニの化け物に追いかけられているのか。
ことの発端は、彼女にとっては、つい昨日の出来事であった。
次回、饂子が脱糞し、時を駆ける。