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 札幌ステラプレイスの最上階にあるシネマフロンティアで映画を見た。


 白黒の洋画で、とある外国の貴族の悲恋を描いたものだった。


 恋愛に関しては、自分には縁遠いものだという自覚があった。それが理由になっているのか、画面上に映し出されている登場人物の心の機微がよく理解できなかった。見る映画を間違えてしまった。


 帰りにHMVに立ち寄って、好きなバンドの新譜を手に取っていると、不意に話しかけられた。


「高橋くん?」


 振り返るとそこには向坂みぞれがいた。紺色のブレザーに赤いリボンが揺れている。僕の通う高校の制服だ。


「あ、うん」


 我ながら情けない返事だと思う。けれども僕は向坂みぞれを前にして、まともな返事ができるわけもなかった。


「そのバンド、好きなの?」


 向坂みぞれは僕が手に持つCDのジャケットを覗き込んで聞いてくる。


「好きだけど……、知ってるの?」


 一面真っ黒で、右下に英語でタイトルとバンド名の『Suicide in Scotland』が書いてあるジャケットだ。一見してこれがバンドだとは判断できないはずだ。


 向坂は少し間を置いて、「うん、知ってる」と答えた。


 意外だった。割とマイナーなバンドで、テレビ出演なども全くない。曲調も決して明るい物ではなく教室の中で話題には一切ならない、そんなバンドだった。それを学年の人気者の向坂が知っているとは思わなかった。


「これから何か予定があるの?」


 僕が「無い」と答えると、向坂はそれじゃあと僕を近くの喫茶店に誘った。




 向坂みぞれはいわゆる輪の中心にいる人だった。


 同じ高校に通い、クラスも同じだけれども接点なんてまるでなかった。向坂みぞれの周りにはいつも男女問わず人で溢れていて、一人でいるところを見たことなんてまるでない。成績も良いらしく、先生からの接し方も僕とは全然違う。クラスのその明るい輪の中に入れない僕からしたら人種が異なる人間のように思えていた。住む世界が違う、というありきたりな言葉が頭に浮かぶ。


 もし人がそれぞれ人生の地図を持っていたのなら、僕の持っている地図と向坂みぞれの持っている地図は全くの別物で、どの道も重なることはないのだろう。そう思っていた。




 札幌駅の西口にあるサンマルクカフェで向坂はベトナム風コーヒーというものを頼んだ。聞きなれない飲み物だなと思いつつ、僕はアイスティーを注文する。


 店内は混んでいた。二人分の飲み物をのせたトレイを持った僕を向坂が先導する。偶然、席を立った客がいて、僕たちは奥側のテーブルを無事確保することができた。


「知ってるこれ? 最近ハマってるんだよね」


 向坂は自分が注文したコーヒーを掲げてゆらゆらと揺らしながら僕に問いかけた。


「知らない。ベトナム風ってことは香辛料とか入ってるの?」


 向坂はふふと笑い、得意げな顔をしながらそのコーヒーをストローでかき混ぜて、一口飲み、僕の前に差し出してきた。僕に味見をしてみろ、と言う意味だとは思うけれども、向坂はあまり関節キスとか気にならないのだろうか? 少し躊躇してしまい、向坂の顔を見ると、どことなく恥ずかしがる僕を見て笑っているように見える。


 思い切って僕は向坂からコーヒーを受け取り、少しだけ口に含んでみる。すると口の中には猛烈な甘みが広がって僕は顔をしかめてしまう。


「何これ」


 向坂は僕の反応を見て、くすくす笑っている。


「練乳だよ。ベトナム風コーヒーって練乳が入っているの」


 改めてコーヒーを見るとミルクを溶かしたようにきれいなブラウンだった。間接キスに戸惑ってしまい、その色の変化に気付けていなかった。


「たまにこれ知らない人にやってるんだよね。みんなびっくりしてる」


「悪趣味だね」


 僕はコーヒーを向坂に返すと、向坂は一口飲んで「うん、美味しい」と小さくこぼした。


 その後は他愛もない話をした。金曜日にでた宿題をやったかとか、国語の教師が授業中にする世間話についての話とか、クラスのあの子が付き合ってるとか別れたとか。


 目の前で楽しそうに話す向坂は一体なぜ僕を喫茶店に誘ったのだろう。僕はクラスにもあまりうまく馴染めていない日陰の存在であり、彼女はクラスの中心的人物だ。もしこの状況をクラスの他に人に見られでもしたら彼女の評判が下がってしまうのではないだろうか。そんな僕を他所に、なおも彼女は笑顔で話し続ける。


 お互いの飲み物が底をつき始めた時、彼女は一旦間を置いてから言った。


「あのさ、『Suicide in Scotland』好きなんだよね」


「え、うん」


 先ほどの調子とは変わって、どこか重々しいように見える。これから好きな音楽について語り合おうと言う雰囲気では決してない。


「実はさ、『Suicide in Scotoland』のライブチケットが二枚あるんだけど一緒に行かない?」


「ライブ?」


「うん、夏休み始まってすぐだよ」


 彼女は具体的な日付を口にする。夏休みの予定は特になかったし、その日も空いている。まだ高校二年生だから受験に本腰を入れるような状況でもない。ライブ自体に興味もあったので、僕は「いいよ」と返事をした。


「決まりね! じゃあ飛行機のチケット取っとくね」


「飛行機?」


 僕は驚いて聞き返した。そして札幌でそのバンドのライブが予定されているなんて話はWebサイトや公式Twitterで告知されていることを見たことがないという事実に思い当たる。軽く誘ってくるものだからてっきり近場だと思い込んでいた。


 僕は額に汗が滲み始めたのを感じながら、尋ねる。


「あの、ライブの会場って?」


 向坂は僕を見ながら、「東京だよ」と一言だけ返事をした。


 そのときの向坂の、獲物が罠にかかったときのような光る目つきが今でも忘れられずにいる。そしてあのときの僕にはその瞳の奥底にある向坂の真意を何一つ想像することすらできていなかった。

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