第七十話 謀反
「閣下、フィリッポ子爵軍が到着致しました」
「よろしい。私が出迎えよう」
結婚式が襲撃されてから二週間が経ち、騎士団長のヒゲは元に戻りつつあった。
それに比例して、彼の機嫌はどんどん良くなっている。
ドラゴンを警戒して集めた兵、およそ六万。
味方は地を埋め尽くすような大軍勢だ。
対する公国側の兵が二千人と聞いた騎士団長は、笑いを押さえられなかった。
「あの忌々しいトカゲにさえ対処できれば、勝利は確実だな」
「対空兵器も全て導入しております。備えは万全ですよ」
近くで控えていた配下の騎士も、そう言って愉快そうに笑った。
彼は縁故採用された騎士団長の甥である。
辺境の軍は全て騎士団の指揮下に入ったので、彼にも五千の兵が与えられていた。
「うむ、そなたの働きにも期待しているぞ」
「もちろんです叔父上。あのような賊軍に、叔父上が出るまでもありません」
五千の兵士。
初陣で与えられる兵の数としては破格だ。
何千人もの兵が自分の指示に従うという全能感は凄まじい。
それは彼を、王にでもなったかのような気分にさせてくれたし。
何よりこれは勝ち戦である。
本来は攻城に使うための投石器やバリスタを、ドラゴン対策に根こそぎ動員した。
各家の魔法使いを集めた攻撃部隊を編成して、二千人の魔導士大隊を作った。
そして自分の前には数万の兵が立つ。
いかにドラゴンとは言えど、これだけの集中砲火を受ければ沈むだろう。
二人はそう確信していた。
「開戦から敗走までに、二十分も粘れば頑張った方だろうな」
「そうですね。あの程度の兵力で我らに歯向かおうなどと、敵は身の程を知らないようです」
ドラゴンが対空兵器や魔法攻撃の対処に追われている間に、たかだか二千人の敵軍など木っ端みじんに打ち砕ける。普通に考えればそうだった。
「武具も二級品しかあるまいし、さっさと片付けて西方へ援軍を送らねばな」
「反乱の鎮圧になど、時間をかけてはいられませんね」
楽勝ムードが漂う中で、集まった諸将は顔合わせをしていたのだが。
「お待たせしました。フィリッポ子爵軍、一万の手勢を率いて参りました」
「おお!」
北方の名家であるフィリッポ子爵家が一万の兵を率いて合流したので。
これで王国軍は総勢十三家と騎士団を合わせて、七万三千の大軍勢となる。
「子爵、よく参じてくれた」
「いえいえ、命令ですから」
領主が問題を起こして引きずり降ろされたという話は騎士団長も聞いていたが。
跡を継いだ弟は線が細めで、どうにも頼りない。
指揮権を完全に奪い取って、全ての兵を騎士団の下に編入してやろうかとも思ったが――それをやれば、いらない禍根を残すだろう。
ただでさえ、バッシングに遭って騎士団長の地位が危ういのだ。
ここは何も問題を起こさない方が賢明だ。
このままドラゴンを討ち取って反乱を鎮圧し、王子を救出するという華々しい戦果が必要になる。
「……何にせよ、忠勤大義である。さ、天幕の中へ」
騎士団の意向には従うことだろうし、駒として動いてくれればそれでいいか。
そう考えた騎士団長は、諸将が集まる天幕に戻ってからすぐ。彼の配置を最前線に置いた。
「ここに兵を配置してくれ。先鋒はお任せする」
「承知致しました。早速布陣させましょう」
少々頼りないが、仕事がまるでできないわけでもなさそうだ。
ならば肉壁として、ドラゴンを相手に時間稼ぎをしてもらおう。
そんな意図で、配置は完了した。
騎士団長からすれば、北方貴族などどうでもいい。
大事なのは中央のことだけだ。
田舎貴族などいくらでも代わりはいるし、討ち死にしたら代わりの家を立てれば済む。そんなことを思っていた。
彼らが犠牲になっている間に、騎士団の方でドラゴン討伐の戦果を挙げるのだと、彼は意気込んでいる。
一応作戦会議は開いたが、二千と七万三千の戦いだ。
正面から押し切る以外の策もないので、楽観的な軍議はすぐに終わった。
騎士団長の目は既に西に向いており。
頭の中では北西から進軍して、敵国へ踏み入る算段が大半を占めていたそうだ。
◇
そして翌日。彼らは平野部での決戦を迎えた。
二千人の敵軍――豆粒ほどの集団――を見て、騎士団長は高笑いしている。
数が違い過ぎれば。公国から届いた開戦前の使者は、「降伏するなら今が最後」と馬鹿みたいなことを言っていたのだ。
「はっはっは、奴らには現実が見えていないようだな」
「いえいえ、見たくないのでしょう」
「そうだな、違いない。……よし、我らも配置につこう」
使者を追い返した後、全軍が揃って配置につき。
開戦を告げる各種の楽器が、高らかに演奏された。
「全軍、進めッ! 敵を押し潰すのだ!」
見たところ、まだドラゴンの姿は無い。
どこから襲ってくるかと空を見上げていた団長ではあったが――
――次の瞬間、全軍で蒼い旗が上がる。
「は?」
慌てて視線を地上に戻すが、彼がいる中央騎士団の本隊以外。
北部貴族十三家の全てが。公国の国旗である、蒼い薔薇の旗を掲げていた。
「ジャンパーニュ子爵軍が寝返りました!」
「ピルスナー男爵家、謀反です!」
「ボルド子爵軍、反転! こちらに進軍してきます!」
各家を指揮しようとした騎士団の人間は既に捕らえられたし、騎士団の兵力は三千しかいない。
二千の敵軍と、七万三千の自軍。
それが一瞬にして七万二千の敵と、三千の味方という構図に早変わりだ。
「な、なんだ! 何が起こっている!」
「謀反です! 団長閣下、お逃げください!」
「どこに逃げろと言うのだ!?」
しかも騎士団は中央の中軍だった。
全軍のど真ん中にいたのだから、三百六十度全て。見える限りを敵に囲まれたことになる。
「閣下、降伏しましょう!」
「閣下!」
「ぐっ、あ、ああッ! 賊に降伏などできるか! くそっ! 撤退だ、急げ!」
騎士団長は部隊を反転させて、王都の方へ向けて撤退を開始した。
が、しかし。もちろん彼らが逃げおおせることなどできなかった。
戦闘が開始された瞬間に敗走することになり。
しかしその場から一歩も動けず、彼らはあっさりと捕虜になってしまう。
せめて軍議の時に、集まった人間の顔をよく見ておけば違和感に気づけただろう。
フィリッポ子爵以外の面々は、目に怪しい光を宿していた。
例えそこに気づいたとして、敗北は避けられないのだが。
気づいていれば、士官が逃げるくらいはできたかもしれない。
ともあれ。公国と王国の戦争は、戦闘開始から十分以内にカタがついた。
大方の予想を裏切り、王国軍の全軍謀反と全面降伏、という形で。
総大将が率いる軍以外の、全てが謀反。味方の96%が裏切るという珍事件。
後世の歴史家は頭を悩ませたが。
王国へ見切りを付けた北部の貴族が、示し合わせて公国を建国したのだろう。
という結論に落ち着いたらしい。
独立戦争が一日で終結するという、あり得ない結果に終わったわけだが。
何にせよ騎士団でも、まともに抵抗しようとする人間はいなかったので。
七万五千人ほどが集まった大戦は、死者数ゼロという結果での終戦を見た。
どうしてこうなったのか。
次回、暗躍していたあの人の登場です。




