再戦要求
「ム? この気配は……」
森で修行をしていたノーウェルは、上空から何かの気配を感じて動きを止める。
そして精神を研ぎ澄まして気配の元を探ってみれば。
何か強大な力を持った個体――ドラゴン級の客が近づいてきていると察知した。
「――近いな」
ライナーやレパードが異常な力を得ているのと同様に、彼もまた常人離れした身体能力を持つようになった。
各種の強化スキルなしで人類最強格だったものが、身体とスキルが馴染んだせいで強化能力が暴走している状態だ。
元から人類最強レベルだったが、名実共に人類最強になっていた。
「青龍の気配ではない。……久方ぶりの強敵か」
ある日突然覚醒して、肉体が若返るのを感じた彼は――新たな力に対しての嫌悪感を、あまり感じなかった。
この辺境の地を守る役目は既に終えて、発展していく段階に入っている。
今さら戦うこともないだろうし、力はあったらあったで便利か。くらいの認識だ。
老後の趣味で自警団を続けていけばいいかと、ただの相談役に戻ろうとしていた矢先での強敵来訪である。
隠居を決め込もうとしていたことなどすっかり忘れて、彼は駆け出した。
「数は四。うち二体は気配が小さいが、他の二体は中々やるようだ」
森に生えた木々を交互に蹴って上方に飛び上がると、そのまま枝の上を跳んでいき――最短経路で、迫り来る脅威の方角を目指す。
凄まじい速度で森を行き、木々を抜けた先にある、滝の手前に転がっていた岩に着地して前方宙返りだ。
そうして崖の上から飛べば、すぐに彼らの姿は見えてきた。
「やはりドラゴン! 赤龍かッ!!」
『GAAAAAAッ!! 何だキサマはッ!!』
低空飛行を始めていた赤龍に対して跳び蹴りを仕掛けると、赤龍はすんでのところで身を捩って回避した。
しかしノーウェルの蹴りが首筋にかすり、鱗が弾けて血が噴き出す。
見た目はそれほど派手でもない。
しかしドラゴンにとってみれば、歴戦の勇者が振りかぶった大剣を直撃させられたレベルの攻撃だ。
『ヌウッ!? 小癪な!!』
「ハハハハハ!! さあ、来るがいい、強敵よ!!」
そしてノーウェルも意外と博識である。
ドラゴンは縄張り意識が強く、滅多なことでは他の地域に移動しない。
それに他の生物との接触を嫌う個体が多いので、人里近くでもほぼ見ない。
そのドラゴンが来たということは。青龍と縄張り争いをしに来たか、遊び感覚で国を滅ぼしに来たかのどちらかだ。
ならば被害が出ないうちに撃退しておくべきだろう。
そう判断して、即座に攻撃を開始した。
そして赤龍も、間髪入れずに反撃した。
「ウォォオオァァアアアアッ!!!」
『GYUAAAAAAAAA!!!』
骨まで蒸発させるようなブレスが周囲の土をガラス状に溶かしていく。
その熱波を正拳突きの拳圧でかき消したノーウェルが、金色に輝く拳から放った衝撃は――空に浮かぶ雲まで引き裂いていった。
接敵から五秒でこれだ。
地形や天候を激変させる、天変地異のような喧嘩が始まった。
しかしノーウェルから殺意までは感じないので、妻ドラゴンは動かない。
『あらあら、若いわねぇ』
『パパー、がんばれー』
『そこだ! いけっ!』
赤龍の家族は離れたところで観戦していたのだが、異変を感知したライナーが飛んできたのは、周囲の森が灰になった頃だった。
◇
それから少し間を置いて、リリーアがララとベアトリーゼを連れてやって来た。
王都の南にある森で山火事が起きていると聞きつけて、消火活動のために近衛たちを連れてきたはいいものの。
先に到着していたライナーは、表情に乏しいながら困ったような顔をしているし。
彼の前には何故かボロ切れを着ているノーウェルと、見知らぬ家族の姿がある。
しかも山火事は収まっており、もう消火もいらない。
これはライナーが、光速攻撃で火災を山ごと薙ぎ払った結果だ。
何が起きているのか分からない二人は、まず、少し離れた位置から成り行きを見ることにした。
「なんだ、客だったのか。はっはっは! それは済まないことをしたな!」
「少しは悪びれろ! キサマ本当に人間か!?」
服が焦げてボロボロになったノーウェルは、久しぶりに全力で運動ができたと満足そうにしていた。
反対に人化をして綺麗になった赤龍は、目の前の老人が、完全に人間を辞めた戦闘力を持っていることにドン引きしている。
多分あのまま続けていれば、赤龍の方がボコボコにされて終わっただろうと予想がついたので。
人化した赤龍――オレンジの髪をオールバックにしたナイスミドル――は少し怯えていた。
「行き違いがあったようで。申し訳ない」
「いいのよ、うちの人も最近あまり運動していなかったし」
ライナーから謝罪を受けた妻ドラゴンはたれ目でおっとりとした顔をしており、母性を感じさせる姿となっている。
子どもドラゴンは十代前半の、双子の姉妹のような姿だ。
全員が真っ白な肌に夕焼けのようなオレンジの髪、そして真っ赤な瞳をしているのだが。
全員の特徴が似通っているところを見ると、やはり家族なのだろう。
「あー、妖精さんだー」
「勝負! 絶対に見破ってやるっ!」
この赤龍一家だが。当時B級冒険者パーティだった蒼い薔薇が、限界へ挑戦するために挑んだことのある家族だ。
「それで、今日は何の御用で?」
しかし彼らとは結局、武力を用いた勝負にはならず。ライナーが手品を披露して、見破れるか否かの勝負を仕掛けることとなった。
最後にはお土産ももらえて、友好的な雰囲気で別れたが――それはたった三年前の話だ。
時間の感覚が人よりも大分長いスパンで生きているドラゴン一家なので、たったの三年で移住するとは考えにくい。
だからライナーが、何があったのかと聞けば。
「北の方角から、何か引き寄せられるような感じがしてね? 生活も落ち着いたし、様子を見に来たのよ」
「……なるほど」
多分レパード師匠のせいだ。と、思いつつ。
妻ドラゴンがレパードへ首ったけになり、夫ドラゴンと青龍が激怒しないかと心配になるライナーであった。
しかしそんなことはつゆ知らず。
妻ドラゴンは背負っていた大袋の中から、両手で抱えるようなサイズの壺を取り出した。
「向こうではお魚が美味しくてね。――あ、これ、お土産にどうかしら」
「ツボ? 中身は……タレか」
「タレをかけて焼くと、かば焼きにできるの。美味しいのよ?」
人化すれば人里にも下りられるので、最近は人間が開発した調味料などを使うのがマイブームになっているらしい。
というか最近ではかなりご当地グルメにハマっているらしく。
この地でも特産品を仕入れて帰る予定だと妻ドラゴンは語った。
「ず、随分と所帯じみていますわね」
「青龍さんのところは使用人がいるけど、自分でやるってなったら、ね」
「……ん」
ドラゴンという種に対する幻想が崩れそうになったリリーアだが、青龍がレパードにデレデレなところを見れば今さらかとも思い直す。
そしてララはドラゴンの人化という、珍しい光景を興味深げに見ているし。
ベアトリーゼは「ドラゴンは結構貯め込んでいるから、目当ての物があれば金払いはいいかな」という思考に入っていた。
何にせよ危害を加えに来たのでなければ、お客様としてお金を落としてもらおう。
国として関与することはない。
そう結論が定まりそうになった時。
「ねー、勝負しよー」
「そうよ! 今度は手品も勉強してきたんだから!」
前回の推理勝負で惨敗した子どもドラゴンから、ライナーに再戦の要求があった。
「客人を相手に勝負も何も」
「にげるの?」
「不戦敗ってやつね! わーい! これで私たち、パパより上よ!」
「!?」
一家揃ってライナーに敗北しているので、ここで娘たちが不戦勝すれば「父親を負かした男に勝った」という実績は得られる。
だから父親ドラゴンは慌てて言った。
「ニ、ニンゲン。受けてやってくれ。大した手間でもないだろう」
そして勝ってくれ。
と、言外に言いたいことは伝わってきた。
娘の手前、大人げなく「打ち負かせ」とも言えないのだろうが。
父親の威厳を守るためにライナーが勝ってほしいと願っているのは、子どもたち以外のメンツにはバレバレだった。
そして赤龍から見れば、ノーウェル以上にライナーがヤバい。
脳内でどうシミュレーションしても、勝てるビジョンが浮かんでこないのだ。
彼には、戦えば、一秒未満で灰にされそうな未来が見えていた。
「……ドラゴンへの幻想が、どんどん崩れていきますわ」
「……もう少し、カッコよくあってほしかったね」
「あれはあれで、愛嬌が……」
得体の知れない圧迫感を感じた赤龍が、既にライナーと戦わないことを固く誓っていた一方で。
リリーアとベアトリーゼ。そして周囲の近衛兵までもが微妙な表情をしていた。
神話にも出てくる伝説の種族。その実態がこれだ。
俗に言う、夢が壊れている状態だろうか。
そんな中で父親ドラゴンのジレンマを、ララだけは好意的に見つつ。
「さ、さあ娘たちよ、コテンパンにしてやるがよい。応援するぞ。我は大人だからな」
「あなたったら……」
「さー、しょうぶー」
「かかってきなさい!」
ドラゴン一家はやる気満々で。何はともあれ、両親も応援の態勢に入っている。
「いい機会だ、たまには勝負事もいいだろう。勝負強さも国王には必要だぞ?」
「……どうしてこうなったかな」
師匠であるノーウェルがこう締めくくれば、ライナーとしても拒否はしにくい。
しかし、どうして突然こんなことになったのか。
と、ライナーは突然の事態に困っていた。




