02「おはよう異世界」
砂塔蝋太郎という個人のプロフィールについてざっくりとした説明をするなら、『引きこもりの十七歳』となる。
引きこもりのきっかけは些細なものだ。
ある日、ふと「頑張るのってめんどくさくね? どう考えても非効率的じゃん」と思い、その考えに従って水泳部に退部届けを出した。
一度なにかを諦めればそれは連鎖するものであり、そのまま学校を休みがちになり、気が付けば引きこもりになっていた。
こうして立派な省エネ人間、あるいはダメ人間が完成したのである。
その結果が海のど真ん中に転移だなんて、まるで天罰のような気もするが……それはさておき。
ロータローは目を覚ます。
背中の感触から自分が何かの上で横になっていることを知った。周囲を水で包まれている感覚はない。
──ほらな、やっぱり夢だったんだよ。
安心して瞼を開く。
視界に映ったのは、こちらを覗き込む骸骨だった。
「ぎやあああああああああああああああああああああああああ!」
「わああああああああああああああああああああああああああ⁉」
「いや、なんでお前も驚いてるんだよ」
「やっと目を覚ました奴が急に叫んだら、驚くに決まってるだろ! あー、びっくりした!」
人間の心理とは不思議なもので、感情が乱されたとしても、自分よりも激しい感情の只中にいる相手を目にすると一気に落ち着きを取り戻すものらしい。そんなことが書かれていたネット記事を思い出すロータローであった。
寝ている姿勢から上半身を起こし、瞼を閉じる。息を深く吸い、大きく吐いた。心音は正常、もうさっきのように不安定な精神ではないはずだ。
自己のメンタルの診断を終えたロータローは、再び目を開いた。正常な視界には、相変わらず骸骨が映っている。
逆方向に視線を向ける。そこには窓があり、その向こうにはふたつの太陽が浮かぶ空が広がっていた。
「もしかして、これは……」
流石に二度も続けば、目に映るものを夢だと思い込むのも無理がある。
見慣れぬ空とファンタジーみたいな怪物たちのことを思いながら、ロータローは呟いた。
「いわゆる異世界転移というものをしてしまったのでは?」
「いせか、いてんい? なに急に意味不明なこと言ってんだおまえ? 頭でも打ったのか? ……って、さっき打ったばかりだったな! あっはっは!」
骸骨は大きな声で笑った。顔に肉がついていないのに、豪快な笑顔を錯覚するくらいの笑いっぶりである。さっきの悲鳴といい、おどろおどろしい見た目に反して割と感情が豊かなタイプなのかもしれない。
室内を見渡す。そこにはロータローと骸骨以外誰もいない。色んなものが雑多に置かれており、木箱を並べて作られた即席のベッドの上にロータローは寝かされていた。
ときおり部屋全体が僅かに揺れる感覚は、ここが海の上であることを示している。
「キャプテンが言った通りにあのまま甲板に放っておいたら邪魔だったんでな。結局、手の空いてたオレが、目を覚ますまで見といてやることになったんだよ。大変だったぜ? お前をここまで運ぶのはよ」
「それはどうも、ありがとな……ええと」
名前を呼ぼうとしたが、ロータローは骸骨の名を知らない。流石にそのまま骸骨呼びするのも躊躇われるので、言葉に詰まった。
そんなロータローの心情を察したのか、骸骨は名乗った。
「スメネシだ。呼びにくいだろうし、スメなりメネなり好きなように呼んでくれ」
「そうか。俺は蝋太郎。砂塔蝋太郎だ。じゃあ改めて、ありがとな、メネ」
「いいってことよ。……そんじゃ、オレはお前が目を覚ましたって報告してくるわ。お前はそうだな……キロリッターの姉さんに会いに行っとけ。たぶん、船尾の客室にいるだろうから」
「キロリッター……っていうと、あの……」
ロータローの命の恩人だ。キャプテンの女と船員たちの会話を思い返すに、キロリッターがロータローを引き取ると言わなければ、彼は今頃海の底に沈んでいただろう。
「ったく、羨ましいよなあ。あんな別嬪さんに拾ってもらえるだなんて。俺も肉と皮があればアタックしてるんだが。……いや、今からでもイケるか?」
「そんな綺麗な人なのか⁉ っていうか、この船ってお前たちみたいな……その、ええと、ほとんど死体みたいな見た目をしている奴以外もいるのかよ」言葉を選ぶロータローだった。
「姉さんは客人として乗っているからな。正確にはこの船の乗組員じゃねえんだよ。それに、あのヒトは綺麗なんてレベルじゃねえ。ウチみたいなシケた船に乗ってなければ、こんな世の中でも顔だけで一生分の金が稼げるくらいにはバケモンじみた美しさだ」
「うお、うおおおお……」
思わず鼻の下が伸びる。
命の恩人であるキロリッターの情報を聞いて、そんな下卑た反応をするのはどうかと思われるかもしれないが、それでもロータローが健全な青少年(引きこもりを健全と言っていいのかは議論の必要があるかもしれないが)である以上、そうなってしまうのも仕方ない。
「ま、精々死なない程度によくしてもらいな」
スメネシは最後に何か言って、報告に向かうべく簡易ベッドから離れたが、期待に胸を膨らませているロータローの耳に届かなかった。