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五男サルガタナスの決着

 交際は順調だ―――と思う。

 彼女の弟君は僕を慕ってくれてるし、反対されたことはない。昼休み、祖父母についてそれとなく尋ねた時も、

「二人とも反対するわけありませんよ。むしろこんなドジな孫娘ですけど本当にいいのか?!ってアワアワしてるんですよ」

 ベタなドジを誘引する彼女の周りにいれば、当然巻き込まれる可能性が高い。そうやってこれまで何人もの人が去っていったらしい。

 今の同僚たちがそうじゃないのは、元々魔物と一緒に働けるだけあって普通と違うからだ。魔物も鉄球が飛んでこようが照明が脳天直撃しようが、ほぼノーダメージ。むしろひな鳥を守る母親のごとく保護スイッチが入るだけ。

「……しかし僕の生まれを聞けば心配されるだろう」

 なにしろあの悪王の息子だ。

「……一度挨拶に伺おうかと」

 彼女より先に相談してみる。

「大丈夫ですよ。心配っていっても、いつ姉さん見限られるかっていうほうの心配ですもん。あの特性を理解した上で付き合ってくれて、しかも未然に防げるなんて!って感謝されまくりますよ。祝杯だ!って酒盛りに付き合わされるかも」

「……問題ない」

 僕に酒は効かない。

 ともかく弟君によれば、そういう心配は無用だそうだ。手土産は何がいいか、好物もきいておいた。

 彼女の身内が味方にいると心強い。

 さて、まずは午後の診察に戻ろうとすると、なにやら受付のほうが騒がしいのに気付いた。

 どうしたんだろう。

「―――っだから言ってんだろ?! あいつを出せよ!」

 激高してる男性がいた。

 病人が大勢いるのに迷惑な。

 困ったことに、たまにこういう人が来る。この前は一回薬を飲んだだけで直ちに治らないのはどういうことだとクレームつけてきたのがいたな。それで治るなら軽いものだし、わざわざ病院に来るまでもないと思うんだが。

 まぁ要するに、痛みや不安から誰かに当たってストレス発散したいというわけだろう。そういう八つ当たりはやめてほしい。スタッフや無関係の人に迷惑かけても良くはならないどころか、イライラするのは体に悪い。

 落ち着いて治療と回復に専念してほしいものだ。

 ……ところで警備員は何をしてるんだ?

 すると当の警備員が走って来て、

「すみません、サルガタナス先生。追い返そうとしたんですが、どうやら彼は……」

「あ? なんだ、そこにいたのか猿!」

 僕に気付いた男性が邪悪な笑みを浮かべてのたまった。

 ―――その呼び方。顔も面影がある。

「―――」

 血の気が引いた。

 ……異父兄、だ。

 僕と違い、養父の実子。実母を奪った前王を恨み、その罪の証拠である僕を憎んでいる。

「…………」

 僕は何も言えなかった。彼が僕を憎み恨むのは当然だからだ。

 彼を兄と呼ぶことは許されていない。異父兄姉や養父・実母にとって僕は家族ではない。名前に様付けすることすら、「お前に名前を呼ばれると穢れるんだよ!」と怒られた。

 棒立ちになる僕に、異父兄はズカズカ近づいてきた。

 彼はやつれていた。ゲッソリしているといっても過言ではない。服装もだらしなく、薄汚れている。

 それなりに余裕のある貴族だったはずだが……どうしたんだろう。僕は出て行って以来一切連絡を取っていないので、その後のことは分からないのだ。

「おい、猿。猿がおえらいこったなぁ。先生、先生って呼ばれてよぉ。いつからお前はそんなえらくなったんだぁ?!」

 偉い? どこが? それは単に医者への呼称だろう。どの医師もそう呼ばれてる。

 異父兄は血走った目で酒臭い息をまき散らしながら叫んだ。

「お前はなぁ、おれたちが恩情で生かしておいてやったんだぞ! ありがたく思え!」

 王が恐くて何もできなかったくせによく言う。

「ボーッと突っ立ってんじゃねぇよ、猿が! 金あんだろ、高い酒出せよ。ほんっと脳みそねーのなぁ。チッ、いつもそうやって黙ってばっか。腹ン中で何考えてんだよムカつくな!」

 怒られたり殴られたりしないように黙ってたんだが。僕がしゃべると「耳が腐る」って言ったのは誰だったか忘れたんだろうか。

「なぁおい。猿、医者なら稼ぎいいんだろ? 今ちょーっと困ってんだよ。恩返しによこせ」

 異父兄は当然のように手を突き出してきた。

「…………」

 彼らに暴力を振るわれた記憶が蘇る。生物学上の父親にバレないようにはしていたが、連日虐待されていた。

 痛くて辛くて、一切の感情を消し、息を殺して静かに縮こまっていた幼い僕。

 ―――恐い。

 長年植え付けられた恐怖心が頭をもたげてきた。

 その時、『医師としての僕』は気づいた。

 瞳孔が開いている。目の焦点もあっていない。酒のせいかと思ったけど呂律も回っていないし、なにより首に黒い斑点。まさか……。

「……麻薬をやってるのか?」

 初めて自発的に僕が口をきいたこと、それも内容が的を射ていたことに異父兄はうろたえた。

「なっ、なんだよ!」

「……首の黒い斑点、それは特定の麻薬を使用した際に起きる現象だ」

 首を指して淡々と説明する。

「……けた外れの高揚感と一時的な身体能力の向上がみられるが、依存性が高く副作用も重いため上位の禁止薬物に指定されている」

 異父兄は冷や汗をかき、オロオロし始めた。

 それを見て情けないと思った。

 ……僕は何を恐がってたんだろう?

 恐怖がすうっと消えていく。

「……副作用の中には内臓の破壊や脳の損傷といった重篤なものもある。早急に治療したほうがいい」

 そこまでは知らなかったのか、異父兄は瞠目した。

「……この病院には専門医がいる。今から緊急で」

「うるさいんだよ!」

 彼は声を張り上げた。

 周囲に聞かれていることなど目に入らないらしい。周りがみんな、冷めた視線を向けていることも。

 単純にそっちのほうがうるさいんだが。

「弟なら兄に金出せよなぁ! 昔誰が命助けてやったと思ってんだよ。兄にたてつくんじゃねぇ、この猿が!」

「―――言いたいことはそれだけか?」

 静かで冷やかなよく知った声がしたと同時に、ズドンっと空気が重くなった。

「ひぇっ」

 何人かがうめく。

 そりゃそうだ。圧力がすさまじい。自分に向けて放たれたものでなくとも身がすくむ。

 正直なところ、僕も逃げたい。

 衝動を必死で抑えつつ振り向いた。

「……ルキ兄さん」

 どうしてここに。忙しいんじゃ。

 というか、ものすごく怒ってる。ルキ兄さんの場合、本気で怒ると殺気は出さずに威圧感を前面に出してくる。周囲にブリザード吹き荒れるし、重力も数百倍になったようで、潰されて平伏する者がけっこういる。

 生物学上の父親とは違う意味で他者を圧倒するんだ。

 それで淡々と言論のみで攻めてくるもんだから、恐ろしさが倍増。まだレティ兄さんみたく殺気全開のほうが対処しやすい。

「ひぎっ」

 速攻でプレッシャーに負けた異父兄が床にへたりこんだ。

 情けなさが悪化。

 兄の違いに、何と表現したらいいか悩んだ。

 それより今すぐ逃げたい。妹の鉄拳と長兄のゲンコツは絶対にくらいたくない。

 ルキ兄さんが僕に言った。

「ルガの母方の親族がもし現れたら、すぐ連絡するよう病院関係者には言い含めてあるんだよ。資料も渡してある」

 準備がよすぎる。

「……どうして」

 ルキ兄さんは僕に歩み寄り、頭をぽんぽんとなでた。

「俺も母方の親戚連中が金せびりに来まくってたからな」

 え? あ、そうか。ルキ兄さんも母方が存命だ。

「このテの連中は慣れてる。任せろ」

「……ルキ兄さん、忙しいじゃ」

 滅多に執務室から出ず、休憩も取らないワーカホリックが。

 いいからと言わんばかりにルキ兄さんは手を振ると、僕の前に出た。眼鏡の奥から冷え切った目で見下ろす。

「見下し馬鹿にし虐待しておきながら、よくのこのこと顔を出せたもんだな。助けてやっただと? 自分たちが殺されたくないからだろうが。ルガのことを思ってじゃないくせに、恩着せがましい。そもそも猿、猿というが自分はそれほど優れた存在なのか? 人間のほうが猿より優れているなど、何をもって言える。同族を殺し、戦争が絶えず、他の生物を絶滅にも追いやる人間という種は罪深くないとでも? 違う生物であろうが、命に優劣などない。猿に対して失礼だったと頭を下げて詫びてこい」

 僕は黙って背筋を震わせた。

 だからルキ兄さんは恐いって……怒らせないでほしい。本当に。

「だ……っ、だってそいつが! そいつが生まれたせいでうちの家族はむちゃくちゃになったんだ!」

「前王を恐れて、生まれる前に始末できなかっただけだろう。第一、生まれてきた子供に罪はない。悪いのは前王だ。あいつが伯爵夫人に手を出さなければ怒らなかった話。それ以前に伯爵は前王が夫人に興味を示しそうだと気付くと、自らそう仕向けたんだぞ」

 え?

 初耳だった。

 異父兄は知っていたらしく、驚いていない。

「夫人は後にそのことを知った。心を病んだ原因はそれだ。伯爵は自分の行いを棚に上げ、なかったことにして生まれた子供に全て押しつけた。夫人も貴様らも同調してルガを虐待した。前王と違い、非力な子供は逆襲できないからな」

 反抗できないと分かりきってる子供なら安心して虐待できる?

「大体、弟として認めず、そう扱ったこともないくせに兄貴面とは笑わせる。見苦しい」

 ぴしゃりと異母兄はたたきつけた。

「ルガがいなくなってからは他にはけ口を求め、部下や使用人にパワハラ三昧だそうだな。だからクビになるんだ」

 貴族という理由で養父も異父兄も職に就いていたはずだが、クビになってたのか。どうりで。

「自分たちのせいでクビになったというのに反省もせず、麻薬と賭博のお決まりコースか。結果金詰りになり、せびりに来ただと? それが兄のすることか」

 異父兄へのプレッシャーが倍加した。

 うわ……。

 重力操作魔法使ってないはずなのに、すさまじい圧力がかかってるように思える。床がひび割れたし。

 異父兄は恐怖のあまり呼吸困難に陥った。

「ルガの家族は俺たちだ。俺の大切な弟に今後一切近づくな」

 鋭い眼光を向けられ、異父兄はあっけなく気絶した。

 ……確かにルキ兄さんは怒らせると恐いけど。こうもあっさり失神する異父兄は小物だったんだなぁ……。

 なんだか怯えてた過去の自分がバカバカしく思えてきた。

 それにしても、ルキ兄さんはやっぱり強い。武力というより総合的に。宰相就任直後、青二才とナメてかかった諸国が返り討ちにあいまくったのもさもありなん。

 しかもルキ兄さんが怒るのは相手が間違ったことをした時だ。つまり怒られる側に100%非があり、反論できないという状況。そこに息継ぎナシの言論でたたみかけられたら無理だって。

 敵に回しちゃいけない男を敵に回すとは、異父兄も愚かな。

「……ふん、あっけない」

 ルキ兄さんがカチッと眼鏡のブリッジを直すと、圧力が消えた。

 オンオフのスイッチ?

「皆さん、お騒がせしてすまなかった。ああ、この男を拘束しろ。麻薬の使用と業務妨害、その他合わせて35の罪状がある」

 数えたのか。

 抜け目のないルキ兄さんは警官を連れてきており、彼らに命じて異父兄を連行させた。

「それからこちらはご迷惑おかけした詫びだ」

 温かい飲み物をお盆に持った侍従たちがパッパと人々に配っていく。

 これも用意してたのか。どれだけ有能なんだ、ルキ兄さんは。

 しかも見れば、数種類ある。子供向けにはジュース、大人にはお茶かノンカフェインの飲み物。年配の患者だと食べ物・飲み物に制限があったり、飲んでいる薬の関係でカフェインが併用不可だったりする。

 そこまで見越した上で手配した兄に、尊敬の念を新たにした。

 やっぱりルキ兄さんはすごい。

「……ルキ兄さん」

 おずおずと話しかけた。

「……迷惑かけてごめん」

 長兄は「はあ?」と眉を上げ、

「なぁーにが迷惑だ」

 髪の毛わしゃわしゃされた。

「弟を守るのは兄として当然のことだろ」

「…………」

 優しい兄。あっちの兄とは全然違う。

 涙が出そうだ。

「ルガこそ辛かったよな。今日はもう休みとれ。一緒に帰るぞ」

「……え」

 でも、午後の診察が。

 言いかけるとレラジェ君が嬉々として挙手した。

「先生っ、僕にお任せください! 不肖の弟子ですが、精一杯勤めさせて頂きます!」

「……弟子を取った覚えはないが」

「一番弟子だと自認してます」

 キラキラして拳を握る弟君。

「ああ、君が噂の弟君か。ルガのところで働きたいと頼み込んだんだって?」

「はいっ! サルガタナス先生はすばらしい医師ですから! 僕の憧れなんです!」

 熱く語らなくても。

 ルキ兄さんは苦笑して、

「なるほど。それでルガを侮辱したあの男を睨みつけてたわけだ」

 気づいてはいた。ルキ兄さんが来なかったら、彼が動いて速やかに異父兄を排除していただろう。一撃で仕留めて放り出す熟練の気配を漂わせてた。……一介の医師だよな?

「うん、じゃあ頼もうか。悪いがルガは体調不良で早退させる」

「かしこまりました!」

 事務員たちまで自然と頭下げてる。

「サルガタナス先生、申し訳ありませんでした。連絡を優先するあまり、対応が遅れてしまい」

「次にああいう手合いが現れたら、みんなで追い返してやります!」

「そうだ、先生のボディガード兼運転手にも協力してもらって……」

「そうそう。私らでやりますよ!」

 年配の婦長の掛け声に「エイエイオー!」の唱和。蛇足だが婦長は僕の恩師の妹である。

「……いやあの」

 騒ぎを聞いて駆けつけていた院長が「ふぉっふぉっふぉ」と笑う。

「心配しなさんな。誰も迷惑などと思っとらんよ」

「…………」

 無口で頼りなく、意思の疎通にも苦労するはずの僕を、病院のみんなは受け入れてくれた。「ほっとけないなぁ」と笑って優しく接してくれる。

 今、僕の周りにいる人たちはみんな優しい。

 昔とは違う。

 ぽん、と頭に手が置かれた。

「……ルキ兄さん」

「さ、帰るぞ。働きすぎだってみんなに言われてるだろ、ちょっと俺を休憩させると思っておいで」

 確かにルキ兄さんは働きすぎだ。

 素直にルキ兄さんの部屋についていった。

「ほら、これでも開けよう。前にネビロスから取り上げた酒だ。あいつはまったく」

「……けっこう高いよこれ」

「どこから手に入れてんだかな。まぁ俺らに酒なんか効かないが、気分的にな」

 グラスを受け取る。

 ルキ兄さんは水みたく一気に飲んだ。まぁ味のついた水同然だが。

「さっき言った通り、俺も『親戚』どもがせびりに来るのは一時期よくあってな」

「……うん」

 そこであれっと気づいた。

「……過去形?」

「ああ。最初に来たのは、俺がリリスのとこに行ってしばらく経ってからだったな。初めのうちは『唯一の王女』に殺されるだろうとふんでたのが生きてるもんだから、これはとすり寄ってきたわけだ」

 『唯一の王女のお気に入り』ならうまみを吸える。

「金貸してくれ、か高い地位の職に口きいてくれ、だなどれも。貸してくれと言いながら実際は返すつもりはないわけで、無償の援助だよな。特に実母と祖父がひどかった」

 ルキ兄さんは僕みたいな虐待はされなかったけど、放置……ネグレクトに近かった。

「知りもしない親戚だの、名を騙る連中だのがよく来たよ。俺が知らないと思ってるらしい。残念だが人の顔と名前は一回で覚えられるタチでな」

 本丸ごと一冊、一回見ただけで完全に覚えられるよね。

「……どう対処したの」

「全部明確に拒絶して追い返した」

 長兄はきっぱり答えた。

「そもそも話を聞いてやる義理もないんだ。たたき出したよ。それでもしつこく次が来るもんで、誓約書に署名させた。『親族』一同一人残らず、二度と俺や弟妹に近付かないこと。人を使って接近を図るのも禁止ってな」

「……僕らにも?」

「俺が駄目なら弟妹に近付けばいいって考えるだろ。実際ナキアに接触してたのがいる」

「……ナキア兄さんに?」

「アガとレティとリリスは単純に恐くてビビったんだろ。ルガは御しやすそうに見えるけど医者だから、下手こいたら速やかに消されそうだと思ったんじゃないか。ネビロスは子供すぎて論外。一番扱いやすそうなのはナキアだって誰でも考える」

 僕は「悪王の言いなり悪徳医師」だの「本当は悪王の暗殺者。敵を秘密裡に処理してるに違いない」と言われてたっけ。そう噂ばらまいたのは養父らだ。

「……でも誓約書くらいで引き下がる?」

 10°くらい首をかしげた。

「もちろん思ってないさ。だから普通の誓約書じゃない」

 そこで思い出したのは。

「……国立図書館のカード」

 期日までに借りた本を返却しないと軽い呪いが降りかかるあれだ。

「そう。あの原型になったやつな。俺の話をリリスが聞いて、参考にして作ったんだ。こっちは貸出カードなんかよりはるかに重い呪い仕込んどいたぞ。破れば大変なことになる」

 優雅に微笑む兄に、内容を聞くのはやめた。

 ルキ兄さんのことだから合法に決まってるが、だからこそ恐ろしい。

 世の中には知らないほうがいいこともあるものだ。

「ルガもいるか? やるぞ」

「……いや、いい」

 断っておいた。

「そうか。必要になったらいつでも言え。……にしても悪かったな」

「……?」

「やろうと思えば、あいつらが近づく以前に排除することもできた。見張っておいて、別件で逮捕すると花菜。でもしなかった。事前に俺が陰で排除しておくのは簡単だが、いずれルガ自身が対決しなきゃならない問題だと思ったからだ」

「……うん」

 ルキ兄さんもそうだったからこそ言える言葉。

「逃げてもああいうやつらは追ってくる。キリがない。毅然と対処しておかないとな。ルガは心に傷負ってたからこれまでなら無理だっただろうが、もう大丈夫だと思った。だからあえて事態を放置した」

「……うん」

 分かってる。

「……僕には守りたい人ができた。彼女のために自分がやらないといけない」

 ジャスミン。

 彼女の柔らかな笑顔が思い浮かぶ。

 過去に決着をつける時だ。

 ルキ兄さんは静かにうなずいた。

「……そういえばパワハラでクビになったっていうのは」

「ああ、資料見るか?」

 ファイルが出てきた。

 将来こうなることを見越して、ずっと追跡して見張ってたんだろうな。

「あの親子は家柄だけで役職についてたようなもんだ。仕事は部下に丸投げ。クーデター後さっさとクビにして部下たちを昇進させたよ。元々人望もなかったから孤立し、財産を浪費するだけ」

「……貴族の称号も売ったんだ」

「パワハラ受けてた部下や使用人たちに訴えられ、彼らへの賠償金だけでも結構な金額でな。さらに賭博の借金があったもんだから、泣く泣く売ったわけだ。ちなみに買い取ったのはアガな。ルガにやるんだって言って、この通り書類預かってる」

 アガ兄さんも優しい。でも。

「……いらない。あちらにまともな人がいたらあげて」

「言うだろうと思った」

 あの家の称号は名乗りたくないし、その権利も僕にはない。

 僕はただの庶民でいい。

「家族同士もケンカが絶えないようだ。父親と息子はあの通り麻薬に依存。娘は結婚して家を出てるが、上手くいってないらしい。母親も現実逃避で怪しい宗教にはまってる。……母親は被害者であって気の毒だと思うし、専門の精神科医やカウンセラーに診せたほうがいいと思うが」

「……僕も言ったんだけど」

「聞く耳持たないだろうな。が、今回の件を理由に司法を介入させる。警察からの命令として専門家に任せよう」

「……ありがとう」

 僕のせいで彼ら家族を壊してしまったのは事実だから。

「……今日」

「ん?」

「……前の僕なら委縮して話すこともできなかった」

 恐怖のあまり言いなりになってただろう。でも、きちんと医者としてできた。

「……だけどしゃべれた」

「ああ、そうだな」

「……兄さんたちがいてくれたから」

 優しい『家族』が愛情をたくさんくれたから。

「……兄さんたちのおかげだよ。ありがとう」

 僕を助けてくれてありがとう。

「家族なんだ、当然だろ」

 またわしゃっと髪の毛かき回された。嫌じゃない。

 ルキ兄さんこそ大変だっただろうに。いきなり大量の弟妹ができて、一番上になっちゃって。最年長としてしっかりしなきゃってがんばったはずだ。

 ルキ兄さんにはこうやってくれる人はいたんだろうか。

「……ルキ兄さん、大変だったんじゃ」

「俺?」

「……一番上になったから」

「ああ。でもにぎやかで楽しいし、苦じゃなかったぞ。それに公爵が助けてくれた」

 ルシファーの父親?

 そうか。彼は僕らの父親代わりにもなってくれた。

 ルキ兄さんにも頼れる相手がいたんだね。安心した。

「ありがたかったよ。実の親よりよほど親らしいことしてくれた」

「……うん」

 僕らは最初家族に恵まれなかったけど、その後で手に入れることができた。幸運なことだと思う。

 長兄は力強く言った。

「これからも連中は妨害してくるだろう。でも、親戚どもが何を言おうがどうでもいい。ルガは彼女と幸せになれ。俺たちがついてる」

 ルキ兄さんは僕らという新しい家族を守るため、一つの関係を絶った。

 僕も決断しなければならない。

 顔を上げた。

「……ルキ兄さん、手伝ってほしい」



 翌日、養父も詐欺容疑で逮捕された。なんでも詐欺行為で金を工面しようとしてたらしい。ただしそれは賠償金にあてるためじゃなく、逃亡資金だった。

 あきれてものが言えない。

 異父姉も嫁ぎ先で勝手に借金しては高価な宝飾品を買いあさっていたことがバレ、離婚問題になってるという。さらに嫁ぎ先の先祖代々の家宝を密かに売り払い、その罪を使用人になすりつけていたとか。

 実母は……養父が自分を差し出したことを本当に知っていた。愛していた夫の裏切りにあい、さりとて愛しているから憎むこともできず、僕に全てのうっぷんをぶつけていたわけだ。夫と息子が逮捕されたことで精神状態がさらに悪化。僕は知り合いで腕のいい精神科医にお願いし、入院治療してもらう手はずを整えた。

 養父・異父兄は法の裁きを受けつつ、こちらも精神科医の治療を受けてもらう。更生して罪を償ってほしいと思うから。

 なお、彼らには誓約書を書いてもらった。ルキ兄さんほど仕込んではいないが、違反した場合の対処法を明記した。

「……医師として治療の手助けはします。でもそれだけです」

 誓約書を目の前に置いた。

「……あなた方は僕を息子でも弟でもないと言った。僕は赤の他人でしょう。ですからはっきりここで縁を切りましょう」

 元々、ただ血がつながっているだけの関係だった。同じく血がつながってただけの実父を僕はすでに切り捨ててる。お忘れだろうか。

 それでも彼らに対しては躊躇したのは、幼い僕にとって、彼らが『家族』だったからだ。あちらは僕を見とめておらず、拒絶されていても。

 けれど今の僕には新しい家族がいる。僕に愛情をくれる兄妹弟が。そして彼女も。

 だから十分だと思った。

 彼らとの関係は終わりにしよう。

 彼らは途端に怒り出した。

「なっ、お前は家族を捨てるのか!」

「恩知らず!」

 この人たちは家族ではない。初めからそうだった。

「……生かしておいてくれたことは感謝します。ありがとう」

 静かに頭を下げ、元に戻した。

「……僕の家族は別にいます。あなたたちではない。そして、大切にしたい人もいる。僕は彼女と生きていきます」

 ほとんどしゃべらなかった僕がスラスラ言葉を発し、堂々としていることに彼らは驚いていた。

「……さようなら」

 僕はこの日、一つのつながりをこうして断ち切った。

 でも後悔はない。

 未来のために、自分で決めたことだ。

 スッキリした気持ちで、今日も患者を診るため病院へ向かった。


   ☆


 さて、彼女と話し合って彼女の祖父母に挨拶に行くという日。

 僕はめちゃくちゃ緊張していた。

「あー、まぁ、オレら兄弟で今まで恋人の家族への挨拶ってイベントはなかったもんなー」

 服装の相談に行ったらナキア兄さんがそう言っていた。

「……ナキア兄さんはなかったのか?」

「先にセンセーから『いつ娘もらってくれるんだ?』って言われた。自覚ナシな頃に。オレの場合はなんか違うな」

 レティ兄さんとこも「まだですか?」って感じだったし、ネビロスに至ってはいない。一番近いのは……。

「……リリスが一番近い?」

「おおう。そ、そうなるな。マジか。ええー」

 リリスもだいぶ違う気がするが。

「リリスの場合は政略結婚命じられて、でも本人の希望と合致してたもんで、ここぞとばかりに追いかけてゴリ押ししたっつーか……。挨拶じゃねーな……」

「……うん」

 緊張感はゼロだっただろう、リリスなら。

 それはともかく。ごく一般的で普通で無難な良家の子弟といった格好にした。

「えー! なんで、そこはおめかしして行くべきでしょっ! 服ならいくらでもあるよ?! 正装ってことで三つ揃いのスーツ……いやタキシード、そうだ和服! それで行こう!」

 と興奮するリリスをナキア兄さんが収めた。

「待て。年配の人の中には、見なれないものや違う価値観のものは異物と認識して排除するケースが多い。無難すぎるくらい無難でフツーなほうがいいんだ」

 僕もそのほうがいい。目立たず地味が一番。

 色も茶系や深緑といった落ち着いた格好で彼女の家のインターホンを鳴らした。

 デートの際はいつも僕が彼女を迎えに行くことにしている。理由は明白。彼女なら待ち合わせ場所に来るまでに大冒険が必ず起きる。

 彼女はちょうど茉莉花と同じ色の落ち着いたワンピースだった。この前のデートで買ったものだ。

 今日もかわいいな、と思う。

「……行こうか」

「は、はいっ」

「……その服、予想通りよく似合ってる」

「ひゃいっ。あ、ありが……っきゃあああ!」

 何もないところでつまずいた彼女をさりげなくすくいあげる。

「す、すみません」

「……どうした?」

 注意力がいつもより散漫なような。

 彼女は赤くなって目をそらしながら、

「さ、サルガタナス先生に見とれてました、すみません……」

 ?

「……至って地味だが」

「だからこそいいんですっ!」

「……よく分からないが、ナキア兄さんの見立ては間違ってないことは理解した」

「あ、サタナキア様のチョイスでしたか。どうりでよくツボを心得ていると。サルガタナス先生は平凡と思えるテイストのほうがより素材を引き出せるんですよ。これならおばあちゃんたちもポーっとなっちゃいますよっ」

「……それはどうだろう」

 ナキア兄さんやネビロスならともかく。

「なに言ってるんですか。サルガタナス先生はかっこいいですよっ!」

 拳握って力説してくれる。

「……ありがとう。でも君意外にモテても意味がないと思う」

「はえっ?!」

 彼女は謎の悲鳴をあげて飛び上がった。

 ついでにぶつかりそうになった植木鉢―――なぜかどこからか降ってきた―――はキャッチして地面に置いておく。

「……そんなに変なことを言ったか?」

 事実を述べたまでだが。

「いいいいいええっ! 違くて、その……サルガタナス先生が時々平然としたお顔でときめきワード入れてくるから照れただけですっ」

 何ワードだって?

「……よく分からないが、僕は口下手だから思った通りのことしか言えない」

 もっと上手くしゃべれればいいんだが。

「わわわ分かってます。だからこそ私もこう挙動不審になっちゃうといいますか」

「……嫌なら気をつけてやめよう」

「嫌じゃないですっ!」

 彼女は慌てたように僕の腕をつかんだ。恥ずかしそうにしつつも必死で、

「うれしいんですっ! ただその、私はドジなので、テンパって何かしでかしちゃうから。むしろご迷惑おかけしてしまうといいますか。決してサルガタナス先生を嫌いなわけじゃありませんっ!」

「……分かった」

 僕とは正反対に、感情をストレートに表現してくれる彼女は好きだなと思う。

 わずかに口の端が緩んだ。

「……安心してほしい。君以外には言わない」

「はひっ?! そ、そういうとこが……そうですねっ」

「……ナキア兄さんがそれで妻に怒られたとかで」

「え? ああ、ローレルさんが。分かります。サタナキア様は誰にでも平等に優しいですから、不安になりますよね」

 もうしなくなるだろうが。

 なぜかこっちに向かって飛んでくる鳥の大群を、風を起こして他へ誘導する。

「あああ、また私のせいで何か起きかけた。ごめんなさい……」

「……別に。むしろ助けられるのがうれしいが」

 彼女のせいではないし。

「サルガタナス先生って変わってますよね。みんな私のこういう性質知ると嫌がるのに」

 僕は首をかしげた。見ても分からない程度だろうが。

「……研究所のみんなは違うだろう」

「一定以上の年齢の方や魔物は、です。孫とかほっとけないちっちゃい子って感じなんですよね」

 見た目もあるな。魔物にしてみればハムスターくらいの感覚だろう。

「同年代の人には大抵敬遠されて、年下にもよくバカにされます。しょうがないですよね。こんなですもん」

 彼女は苦笑した。辛そうに見えたのは気のせいじゃない。

「ほんとにご迷惑じゃないですか? 今日だって、無理して行くことないんですよ」

 人付き合いが苦手な僕に気を遣ってくれるんだな。

「……大丈夫だ」

 くるりと彼女の向きを変えた。

 うん、僕はもう大丈夫だよ。

 彼女の祖父母が暮らしてる高齢者専用賃貸は、元は王家の別荘があった土地を再開発してできた高齢者向け施設・病院を併設したエリアにあった。元別荘なだけに警官が良く、自然豊かな散歩コースもスポーツ場も整備されている。ルキ兄さんが各地にある王家所有の不動産を改造させたもののうちの一つだ。

 守衛所につめているのはケンタウロスだった。こんなところにまで魔物の従業員が。ケンタウロス型を雇ったのはおそらく、住人のために荷物運びができるからだと思われる。

 ケンタウロスは僕に気付くと、すごい勢いで頭下げてきた。

「そのお顔、サルガタナス先生ですよね!? 初めましてっ、いつぞやは仲間がお世話になりました!」

 えーと、そういえば治療したことあったな。

「……顔上げて」

「とんでもございません、先生は仲間の命の恩人です! おれだって先生の兄君のおかげで雇って頂いてるんです。感謝しかありません!」

 分かるけど、魔物に頭下げられるのは人前じゃちょっと。僕も一応あれの息子なわけで。

「今日はどういったご用件で? あれ、そちらのお嬢さんは入居者のお孫さん。診察ですか。ご案内させてください。歩いて行ける距離ですが、輿をご用意しますね!」

「……自分で歩いて行くから」

 なんでみんなそうなる。魔物にとって輿が最上級の乗り物なんだろうか。飛べるのもいるし、ケンタウロスは自分で背に乗せられるのに。

 その後も道々、清掃員の鳥型魔物やゴブリンの介護士や園芸スタッフの植物系魔物に同じような応対をされつつ丁重に案内された。

「ふふ。サルガタナス先生ってほんとに魔物のみんなに慕われてますよね」

「……ほどほどにしてほしい」

 魔物も従えるなんてやっぱりあの悪王の息子、とか言われるのはごめんだ。

 インターホンを押すと、彼女の祖父母が現れた。いかにも善良な老夫婦だった。

「まぁまぁ、いらっしゃい。サルガタナス先生もようこそ」

「孫たちからお話は伺ってます。わざわざご足労かけまして」

 二人も緊張しているようだ。

「……初めまして。お孫さんとお付き合いさせて頂いているサルガタナスと申します」

 きちんと挨拶した。

「まぁ、頭下げないでくださいな! こちらこそ、孫がご迷惑おかけして頭下げなければならないところですわ」

「そうですよ。今回もこちらがお尋ねしなければなりませんのに、申し訳ない」

「……いえ、僕がお伺いしたいとお願いしたので」

 僕のほうが行くのが筋というものだ。

「……これ、ささやかですがどうぞ」

 紙袋を渡す。ナキア兄さん監修の店で一番人気のカステラだ。特に年配の人向け定番かつ高級な手土産らしい。

 彼女の祖母も知っていた。

「あら、あの人気の?! ありがとうございます、一度食べてみたいと思ってたんですよ」

「おばあちゃんも知ってた? 私もこの前初めて食べてみたんだけど、すごくおいしかったのよっ」

「それはそれは。さっそくみんなで食べようかねぇ」

 しばしティータイム。

 ……そろそろか。

 タイミングを見計らい、口を開いた。

「……僕はご存知の通り、非公認とはいえあの男の息子です。さぞご心配でしたでしょう」

 二人とも慌てて手を振った。

「とんでもない! 先生がすばらしいお医者様なのは私どもも知ってますよ!」

「ええ。レラジェの恋人を助けていただきましたし、さらにジャスミンの性質を受け入れて下さる上に事前に阻止までして下さるなんて! いつあきれられるかと逆に心配している次第です」

「おじいちゃんおばあちゃん……言い返せないのがむなしいわ……」

 レラジェ君の予想通り、別の意味で不安げに、

「ほ、本当に大丈夫ですか? 巻き込まれてお怪我とかされてません?」

「ばあちゃん。サルガタナス先生は何か起きる前に阻止できるし、回避能力もすごいんだから怪我なんてされないわよ。私みたくドジじゃないもの」

「なんとすごい……!」

 キラキラと感激の眼差しを向けられる。弟君そっくりだ。

「……僕の出生は気にならないんですか?」

 聞いてみたら、首傾げられた。

「まったく。なぜです?」

「先生だって、望んでそう生まれてきたわけではないでしょう?」

「そうですよ。前王は確かに悪人ですが、先生は関係ないじゃないですか」

「……ありがとうございます」

 温かいものがこみあげた。

 ナキア兄さんが教授に言われた時も、こんなふうにうれしかったんだろうな。

 僕ら兄弟はみんな、あの男の子どもであることに負い目を感じてる。それが許されるのがどんなにうれしいか。

 僕は彼女に向き直った。

「……ジャスミン。僕は一つの結論に達した」

「はいっ? 結論、ですか?」

 藪から棒な僕の言葉に彼女は面食らったようだ。

「……僕たちはお互い自分の気持ちがはっきりするまでお試しでいこうという話だっただろう」

「ええ、そうですね。……ってことは、その」

 僕はうなずいた。

「……僕は君が好きだとはっきり分かった。結婚してほしい」

 彼女は真っ赤になって硬直した。

 すかさず彼女の体質が作動するかと思いきや、何も起きなかった。

 おや。身構えてたのに。

 反応といえば、彼女の祖母が「まぁ」とうれしそうに口元をおさえたのと、祖父がガッツポーズしてただけだ。

 ……何も起きないな。もしや、驚きが極致を超えてパンクすると作動しないのかもしれない。ふむ。

「あ、あの、け、けけけ」

 ようやくしゃべった彼女がひっくり返しそうになったテーブルは元に戻しておいた。カップや皿ももちろん受け止めて無事だ。

 一瞬でピシッとテーブルクロスしき直して配置も戻す僕に、老夫婦の尊敬のまなざしがレベルアップした。なぜだろう。ちなみにこういうテーブルマナーやセッティングを習わせたのはルキ兄さんとナキア兄さんである。いつか役立つかもしれないからと。まさかここで役立つとは。

「と、突然ですねっ」

「……そうかな。むしろ時間がかかったと思うが」

 普通なら最初の時点で自分の気持ちくらいはっきり分かってただろう。愛情を知らなかったために気付かなかった僕が馬鹿じゃないだろうか。

「で、でも私なんかで本当にいいんですか? 私はこういうトラブル引き寄せる体質だし、今みたいに迷惑かけてばっかりで」

「……そんなことはない。君は僕でも役に立てる存在だと気付かせてくれた」

「それに私は平民です。サルガタナス先生は貴族の出身で、女王様の兄君で王族じゃないですか」

「……僕は王族じゃない」

 そう法律上はっきり決めた書類にサインした。

「……リリスも名ばかり女王だ。自ら権力を放棄した」

「確かに女王様は気さくな方ですけど、でも」

「……あと、母方とは縁を切って来た」

「えっ!?」×3

 すごく驚かれた。

 僕の実母が貴族でも、関係性は周知の事実では?

「……元々向こうは僕を認めていない。初めから縁などないも同然だが」

「それは知ってますけど。あ、弟が言ってました。父親違いのお兄さんが病院に来たって」

「……ああ」

 簡単に経緯とその後を話した。

「……彼らが今後二度と関わってくることはない。安心してほしい」

「そ、そうですか」

「……だから僕もただの平民だ。最初からそうだった」

 それでいい。

「でも」

 彼女はなおも渋った。

 やはり周りから見れば僕は「女王の兄」で「王族に準じる」。そこに嫁ぐのは不安ということか。

「……ナキア兄さんやレティ兄さん、ネビロスの妻を見ても不安か?」

「いえっ! 三人ともいい人たちで……だからこそ、といいますか。私は皆さんみたいないい奥様にはなれません」

 いい奥様?

「……そうである必要はない。僕も兄弟も、妻に『いい妻』であることを求めてるわけじゃない」

 求めてるのはもっと他のことだ。

「……僕は君といると安らげるから一緒にいたいと思った。君は恐くない」

 女性恐怖症のこの僕が、妹以外で唯一大丈夫な女性。

「……まともにしゃべることもできなかった僕がここまで話せるようになったのも、君のおかげだ」

 誰かを守りたいと思ったから強くなれた。

 改めてきいた。

「……これからもずっと傍にいてほしい。……駄目だろうか?」

 駄目だと言われたら? それは素直に引き下がる。

 迷惑はかけたくない。引き際は心得てる。

 静かに遠くから彼女を想い、感謝して生きていくよ。

 言葉にしなかった部分を正確に理解した彼女ははじかれたように立ち上がった。

「だ、駄目じゃありませっきゃああああ!」

 はずみで椅子ごと後ろにひっくり返りかけた。

 が、余裕で間に合った僕が受け止め、元のように腰かけさせた。すとん。

「おお……!」

 拍手する老夫婦。感激の眼差しがさらにレベルアップ。

「なんて手慣れた……!」

「ジャスミン、先生を逃したら次はないぞ! ぜひ嫁にもらって頂きなさい!」

「むしろこっちが頼みこんでお願いしたいくらいよ!」

「ううう……情けないよぅ」

 彼女は顔を覆って小さくなった。

「……大丈夫か?」

 彼女はゆっくり顔を上げ、

「あのう……本当にこんな私でいいんですか? こんなですよ? 今みたく、ドジばっかするし、トラブル引き寄せるろくでもない事故物件ですよ」

「……君がいいんだ」

 はっきり明言した。

 彼女は恥ずかしいのと情けないのとで涙目になりながらもうなずいた。

「わ、私でよければお願いします……っ」

 ―――。

 ドッと安堵が押し寄せた。

 ずっと強張っていた筋肉の緊張が解ける。

「……よかった。断られるかと」

 実はけっこう自信がなかった。

「と、とんでもないです! 身に余る光栄というか、夢みたいっていうか!」

「先生、ありがとうございますー!」

 がしっと老夫婦に両手握られ、ぶんぶん振り回された。

「こんな孫娘ですが、どうかよろしくお願いします!」

「本当によかった! これでもういつお迎えが来ても心残りはありませんとも!」

 医者として見る限り、二人ともまだまだ元気だが。お迎えは当分先だろう。

「ちょっとおばあちゃん、不吉なこと言わないで。まだまだ元気で長生きしてよねっ」

「そうだぞ、くたばるのは先だ。曾孫を抱くまではな!」

「あらそうね、楽しみだわ~。ところでレラジェのほうとどっちが先になるかしら」

 弟君に恋人はいるが、気が早いのでは。

「あ、先生、この子の両親が何か言ってこないかご心配ですか? 大丈夫です。私らが口など挟ませませんとも」

「その通り。今さら親ヅラして割り込んでくるなんてさせませんよ」

「……こちらでも対処します」

 一応後程、僕一人でこっそりご両親にも話をしに行くつもりだ。そこで何かあれば対処しておく。

 彼女の幸せを守るのは僕の役目だ。

「……それにしてもここまで歓迎して頂けるとは思ってませんでした」

「いやいやいや、反対なんかしますか。この子の特異体質分かった上で嫁にもらってくださるんですから!」

「この子はこれまで何度も心無い言葉を浴びせられ、傷ついてきました。先生のようないい方が現れて、本当にうれしくて涙が」

 目をぬぐう祖父。

 ……ああ、そうか。過去彼女は好意を抱いた男性がいたけど、この性質ゆえうとまれ傷つけられたということか。

 なんだか少し腹が立った。

 彼女に好きな男の一人や二人あったのは当然だけど、それでも腹立たしい。なるほどこれが独占欲と嫉妬というやつか。

 ナキア兄さんはよく平気だな。尊敬する。

 レティ兄さんとネビロスはそもそもそんな相手を事前に潰してるからありえない話だ。

 で、どうしよう。とりあえずそいつを特定して……。ああうん、僕もやっぱり兄弟だな……。

 と考えていたら勢いよくドアが開いてレラジェ君が飛び込んできた。

「おめでとうっ、姉さん!」

「えええ?! レラジェ、なんでここにいるの!」

「先に来てこっそり隠れてた。サルガタナス先生はもちろん最初から気づいてたけど」

 ああ、気配で気づいていた。

「あらぁ」

「おや、いたのかい」

「だって尊敬する先生が姉さんをもらってくれるっていうんだよ? これが祝わずにいられると思う? ていうかありがとうございますと感謝の土下座しに来た」

 くるっと僕の方を向いた弟君はお辞儀した。

「というわけありがとうございます! ね、祖父母は反対しなかったでしょう? おじいちゃんおばあちゃんも、先生はすばらしい人だったでしょ?」

「……そのへんで」

 弟君がキラキラした目で話し出そうとしたので、話をそらすためにも僕はポケットから小箱を取り出した。

「……ジャスミン、これ付けててくれないか」

「ひゃいっ?! ここここれって」

「……婚約指輪だ」

 兄弟に聞いて買いに行った。

「……婚約者がいると分かるよう付けていてほしい」

 愚かな男の独占欲と言われようがかまわない。

「わっ、私がつけていいんですか? うれしいです……っ」

 ダイヤの指輪をはめてあげると彼女はうれしそうにはにかんだ。

 ……かわいいな。

 もっと大ぶりの宝石にしてもよかったんだが、ナキア兄さんに一般的な大きさにしておけと忠告された。大きすぎると相手が委縮すると。

 その通りにしておいてよかった。無難な大きさだから彼女も安心してはめてくれたわけだ。

「よかったね、姉さん。サルガタナス先生、ついでにどちらのお店で買われたか聞いても? 僕も彼女にプレゼントしたいんですよ」

 弟君がこれまで恋人と結婚しなかったのは研修医だからじゃない。長年付き合ってて周りもとうに認めてるんだし、学生結婚してもよかったはずだ。ひとえに姉がほっとけなかったからである。

 なお、彼の恋人はジャスミンの秘書だ。わざわざ斡旋したのは言うまでもなく、姉を助けるためと職場の環境から他の男は近づけないため。研究所に男性はいるけれど大抵かなり年上で、数少ない同年代も変り者。

 純真な弟君だが、恋人のこととなると黒いなと思った。でも気持ちは分かる。

 とりあえず店名を教えてあげた。

 彼女の祖父がポンとひざをたたいて、

「よし、今日はお祝いにしよう! デリバリーでも頼もうか。ここは宅配も充実しててねぇ。はい、メニュー」

「ええ、お式のこととか話し合いませんとねぇ」

「けっ、結婚式っ?!」

 飛び上がった彼女が天井に激突しないうちに、椅子に落ち着かせる。

「あら、やるでしょう? あ、先生もしかしてそちらのしきたりなどあれば、従いますが……」

 僕は首を振った。

「……いえ。四番目の兄と弟は身内のみでひっそりでしたし、二番目の兄も下町の食堂でした」

 僕自身も地味希望である。

「……彼女の希望にあわせます」

「姉さん、ゴンドラに乗って降りてくるとか、シャンパンタワーとかやる?」

「無理無理っ! 地味なのがいい。身内とお世話になった人だけでこじんまりと……できるかな」

 彼女の懸念ももっともだ。

 魔物たちが来るだろう。物理的にこじんまりとできない。

「……式は身内のみにして、別に祝いの席を設けたらどうだろう」

「あ、そうですねっ。その場合、いっそ研究所の敷地内でできないかな? 借りられるかきいてみますねっ」

「楽しみねぇ。ジャスミンの晴れ姿を見られるなんて……」

 彼女の祖母がうれし泣きし、祖父もうんうんとうなずいた。

 こうして僕らは和気あいあいと今後のことを話しあった。


   ★


 私の名前はジャスミン。魔物研究所で働いてます。

 えーとえーと、この度、サルガタナス先生と結婚しました。本当に私でいいのか、今でも信じられません。

 なにしろ私は筋金入りのドジ&トラブル吸引体質。やりたくもないのに引き寄せてしまうという厄介な特性の持ち主です。

 例えばバナナの皮を踏んで転ぶとか、野球ボールが飛んでくるとか、ベタなのが。水道管もよく壊れます。

 自分でも嫌で仕方ないのに、サルガタナス先生は「別に」と受け入れてくれました。

 これまで一体何人にこの性質が理由で去られてきたか。傍にいてくれたのは弟と祖父母、弟の彼女で親友だけ。両親が離婚時に私達を引き取らなかったのも、私のせいだと思う。

 平然としてるどころか未然に防いでくれる先生は本当神様みたい。

 えっと、結婚式はお城で身内のみでやり、二次会を別に研究所を借りてやりました。出席者が研究所のメンバーと病院スタッフで、魔物のみんなを移動させるより人間が移動したほうが早いのと物理的なスペースの意味でです。一般の会場じゃ、魔物の体は入らないから。

 先生の礼服がかっこよすぎて、正直それ以外のことはあまり覚えてません。

 二次会にあちこちから魔物が大挙してお祝いに来るかと思われましたが、意外とそういうことはありませんでした。事前に注意しておいたら、魔物たちの間でこういうことになったらしく。

「ハッ、そうか。押しかけたら先生のご迷惑になる!」

「魔物の侵攻と勘違いされんぞ」

「先生に不快な思いさせんじゃねーぞオメーらぁ!」

「承知!」

 先生への尊敬度がすごい。

 その代り、後日分散して行こうってことに話し合いでなったそうです。順番は公平にクジ引き。平和で紳士的な魔物たちの行動。

「今日は薬草みたいですね」

 私は先生の横から「今日の分のお祝い品」*毎朝順番に魔物たちが持って来て城門前に置いて行く、が入った箱を覗き込みました。

 結婚後、私はサルガタナス先生の住むお城に引っ越しました。ご兄弟の奥様同様、警備の関係でしばらくはそうしてほしいと。

「……ああ、貴重な薬草だな」

 薬草でよかった。

 最初の頃、魔物たちが持って来たものは「〇〇の丸焼き」とか見た目がアレで、毎朝城の前にドーンと置かれた門番さんたちが泡ふいてました。

 悪王の息子が魔物を使役して狩らせてると誤解されたら困ると先生が言ったら、次の日から医薬品の材料になりました。薬草とか、病を治す泉の水1トンとか。

 先生は手際よく選別し、

「……これとこれはそっちで使えるだろう」

「あっ、ありがとうございますサルガタナス先生」

 うちにいる魔物の毒消しとして使える。

 先生はほんのわずか眉を寄せた。

「……呼び方。またなってるぞ」

「え? あっ、ごめんなさい!」

 つい癖で。

 他人行儀な呼び方はやめてほしいと言われてたんでした。敬語・丁寧語は元々こういうしゃべり方なんで構わないとしても、せめて呼び方はと。「先生」だと他にもお医者様はいるわけで。

 あうう、分かってはいるんですけど、恥ずかしくてなかなか……。

 真っ赤になりつつ目をあげれば、あきらかに待ってる先生が。

 はううううう。

 意を決して口を開いた。

「……ルガ、様」

「……様はいらない」

「でででもっ。呼び捨てなんてできません~っ!」

「……夫婦なんだから」

「そ、そうですけどっ」

 先生、じゃなかったルガ様は私にとって尊敬する人でもあるんです。畏れ多くて呼び捨てなんて。

 必死に考えて妥協点を探しました。

「『あなた』で勘弁していただくわけにはいかないでしょうか……」

 『貴方』でもあり『夫』でもある。これなら。

 ルガ様はしばし固まりました。

 ほんのり耳が染まって来たのでうれしいようです。光の加減といっていいくらい、ものすごくわずかな変化ですけど分かります。

「……それでもまぁ」

「よかったぁ。あ、でもいつかは呼べるようがんばりますので! 精進します! それまでは許してください~っ」

「……ああ」

 優しくて大人でかっこいい私のだんな様。

 どうやったら私はふさわしい妻になれるでしょうか。

 このドジでヘマばっかり、妙な特性持ちの出来損ないが。

 ローレルさんにきいてみました。一番最初に聞きに行ったのは、彼女が最年長だから。

「あの、女王様のご兄弟と結婚するにあたり、不安とかありませんでしたか?」

 ローレルさんは首をかしげた。

 それにしてもすっかり雰囲気変わってびっくり。柔らかい感じになった。

「んー……私は『女王様の兄に嫁いだ』んじゃなく、『下町の食堂で働いてるナキ君と結婚した』つもりだったし。今でもナキ君がロイヤルファミリーだなんて実感ないわね」

「なるほど」

 お二人の場合は昔の感覚のままなんですね。私とはケースが違うか。

「ナキ君は今も一介の料理人のつもりで過ごしてるし。……不安よりむしろ誰にでも優しいとこがイヤかな」

「ああー。サタナキア様ってそういうとこありますよね」

 妻としては嫌ですよね。自分以外の女の人にも優しくするの。

「もうやらないって約束してくれて、以降やってないけど。あなたは心配いらないわね、サルガタナス様はどこからどう見てもあなた以外にしないでしょ」

「ええまぁ……私みたく変なドジ発生特性持ってる人間、そうそういないですからね」

「そういう意味じゃなくて、他の女性に興味ないってこと。誰だって失敗くらいする時あるわよ、でもその時あなたにするみたいに丁寧に優しくはしないでしょ」

 女性恐怖症なのもあると思いますけど。

「だといいんですけど……。あと、いい妻ってどうやったらなれるでしょうか」

「…………。私自身、全然いいお嫁さんじゃないんだけど……。知っての通り、ナキ君のこと忘れてたし、再会しても思い出さなかったひどい女……」

 ああっ、ローレルさんが落ち込んでしまった!

 地雷を踏んだ。

「すみません、そんなつもりは!」

「ううん、いいの。しかも私、家事全然ダメだしね……」

 まさかそんなーと言ったら、無言でスマホの画像出された。

 モザイクかけたほうがいいレベルの謎の物体が。

 私は共感でうめいた。

「卵焼き作ろうとしたんだけど、どうしてこうなるのかな……」

 がしっとローレルさんの手を握った。

「分かります! 私も料理しようとするとフライパンふっ飛んだりナベ爆発したり、コンロが妙な歌みたいな音出したり、水道管破裂したり、冷蔵庫が飛んで天井に突っ込んだりするんです! 料理する以前に何もできないんですよね」

「……いや私はそんな事態には。でも分かってくれる?!」

「はい!」

 仲間同士うなずきあった。

「うん、女だから家事できなきゃなんて時代じゃないしね。性別関係なく、得意な人がやればいいと思う。役割分担よ」

「ですよね! 私なんか危ないから家事はやめてくれって弟と祖父母に言われてますし。リアルに周囲の人の命の危険が。できないことはできないと腹くくります! 侍女の皆さんというプロにお任せしようと思いますっ」

「うんうん。お金払って家事代行サービス頼んだっていいじゃない。というかそのほうがいいと思う」

「はい、周囲の人の身の安全という意味でそうします!」

 家事能力皆無同士、しっかり手を握り合った。

「そうそう。妻は家にいて家事育児、夫は全部任せきりで外で働くなんて古いよ~」

 どこから聞いてたのか、サタナキア様がひょっこり顔をのぞかせました。

 いえ、お二人のお宅なのでいるのは当然なんですが。たぶん隣の部屋でずっと聞いてましたね。

「誰しも得意不得意あるじゃん。オレだって勉強からっきりだし~。それに、ローレルは家事下手でいいんだよ。オレがいなきゃダメだなぁって、うれしいじゃん?」

 サタナキア様は後ろからローレルさんに抱きつき、ローレルさんはうれしそうにしながらも唇とがらせました。

「ナキ君はいつもそうやって甘やかそうとするんだから。私がますますダメ人間になったらどうするのよ」

「いいじゃん。世話焼き気質のオレは、お世話しがいがあるほうがうれしいの」

 言葉の通じない魔物とも関わることが多い職業柄でしょうか、ふとサタナキア様の目の奥にあった色を条件反射で読み取りました。

『―――むしろもっとオレに依存して、離れられなくなればいい……』

 わぁ。サタナキア様もなかなか歪んでますねぇ。本人もこの衝動は自覚してるっぽくて、抑えてるみたいですけど。

 長い間離れ離れだったせいでそう思ってしまうわけですね。でも大人だから自制してる。

 ……あれ?

 待って。何か、これと同じような目をルガ様もしてたことあったような……?

 本能的な危険を感じ、勢いよくその思考にフタをしました。

 気のせい。記憶違いです。うん、違う違う。

「ジャスミンちゃんもガンガン頼っちまえば。ルガ絶対喜ぶぜ。人に頼られたことないだけに、自分でも役に立てるんだってうれしいんだよ」

「そんな。ルガ様は多くの患者の命を救うというすばらしい仕事されてるのに」

「医者としてしたことは、職業上当然だと思ってんだよ。なにしろある程度の年齢になるまでずーっと否定され続けてたからなぁ。自己評価めっちゃ低いの。だからさ、ジャスミンちゃんは役立たずなんかじゃないって一生傍で言って、あいつに自信与えてやってくれ」

 珍しく真剣な口ぶりで頼まれました。

 弟思いな方ですね。私も弟いるので分かります。

「はい、もちろんです!」

 次に一番年下だけどしっかり者のリリーさんにきいてみました。

「私のは、あいつ見張ってないと何しでかすかって意味での不安ですね」

「ですよね」

 否定できない。

「どっちかっていうと、子育て? アホな子の面倒見てるって感じです」

「ひどいなぁー」

 リリーさんにベタベタくっついたままのネビロス様がむくれて、肩口に顔埋めようとしてはたかれてました。

「女同士のおしゃべりに入るなっつったでしょうが」

「だってリリーに甘えたいんだもん。今そんな気分」

 確かにこれは子育てですねぇ。まぁネビロス様も分かっててあえて子供っぽい言動取ってるみたいですが。

「いつもじゃないの。ジャスミンさん、こいつと違ってサルガタナス様は人への甘え方をご存じないと思うんですよ。ですから、甘えさせてあげるというのは?」

「甘え、ですか」

 キリッとしたルガ様の甘えた姿? 想像できません。

 あ……でもそうか、ルガ様は実のお母さんにも抱きしめてもらえなかった。リリーさんの言う通り、誰かに甘えるということ自体を知らない。

「甘える夫へ優しく対処するのなら、私よりスミレさんにきいたほうがいいですよ。私はこういう対処ですから。というか、うっかり優しく接するとつけあがる」

「僕はそういうクールなリリーが好き~。ふふ」

 しっぽパタパタ振って←幻覚、抱きつくネビロス様を、リリーさんは冷たくあしらいました。

 スミレさんは寝ても寝ても足りない期間がようやく過ぎ、起き上がれるようになってました。ただフルーレティ様が過保護で「まだベッドで安静!」と言い張り、産科医があきれて説得、ようやく自室内は動けるようになったそうで。

 心配性のフルーレティ様はずーっとスミレさんについてようとしてました。

 過保護もほどほどにしておいたほうが。ネビロス様といい、愛が重いです。

 たまにはスミレさんもフルーレティ様から離れておしゃべりしたいでしょう。

「フルーレティ様、申し訳ありませんが、ちょっと聞かれたくない話でして……。個人的な悩みなんですよ……」

 私のドジ特性とそれに対する不安に関しての相談だと暗ににおわせれば、フルーレティ様も納得してくれた。

「分かった、隣にいる。スミレ、ちょっとでも体に変調あったらすぐ言うんだぞ!」

「ご安心を。私は妊娠中の魔物のケアも、出産も手伝ったことあります。赤ちゃん魔物の育児も現在進行形でやってますし。今ここで誰か産気づいた!とかなっても慣れてますよ~」

 魔物の妊娠出産は人間と違い、期間も方法も様々だ。急なお産も慣れっこです。

「昨日は育児疲れのママの代わりにミルクあげましたよ。といっても哺乳瓶はドラム缶サイズなんですけどね」

「……そ、そうか」

 何か違うような?って顔しながらも、フルーレティ様は席を外してくれました。

「……えっと、私も不安だらけでした。レティ様は強くてかっこよくて、私みたいな体の弱いので本当にいいのかって」

 スミレさんは対人恐怖症ですが、すさまじいドジな私は脅威と感じないらしく普通にしゃべってくれます。

「その……どうやったらレティ様のお役に立てるか、リリス様たちにうかがったことも」

「何か有益なアドバイスありました? 私もこういう妙な特性持ちなんで、色々必死なんです」

「んっと……だんな様の呼び方とか。リリス様は抱きつくと喜ぶよって……」

「む、無理です!」

 恥ずかしすぎます!

 スミレさんも同意してくれました。

「で、ですよね。私もムリです」

「呼び方は分かります。ルガ様も『先生』だと他人行儀だし、他にもお医者様はいるからって。でもご希望通り

呼び捨てなんて、畏れ多くて」

「わ、私も」

「あ、スミレさんは変える必要ないと思います。そのままのほうがフルーレティ様喜びますよ」

 そこは確信があります。

「リリーさんに、ルガ様は甘え方を知らないんじゃないかって指摘されたんです。フルーレティ様も同じなんじゃないかと。そこでスミレさんはどうしてるのかなって……」

「ええっ? わ、私そんな。いつも私のほうがレティ様に寄りかかってばかりで」

「大丈夫ですっ。私のほうが迷惑度は上です!」

 胸を張って言いました。

 悲しい。

「だんな様がこうすると安心するっていうようなテク知りたいんです。例えばリリーさんがごくたま~にネビロス様の頭なでてるのとかみたいな」

「ああ……そ、ですね………レティ様、最近よく私のお腹に頭つけて赤ちゃんに話しかけてるんですけど、そういう時頭や背中なでるとすごくうれしそうです」

「それはそうですよっ。最愛の奥様と赤ちゃんがいるんですもん」

 研究所でもめちゃくちゃ凶悪な魔物が妻子の前じゃデレデレなのはよくある話です。

「あと……レティ様が前に言ってました。サタナキア様がニヤけてキモ……変だったからきいたら、ローレルさんに膝枕してもらったってうれしそうに話してたとか……」

「ひ、膝枕っ!?」

 な、なんてハイレベルな! そこまで高レベルな技は私には無理です!

 テンパって飛び上がり、ドジが発動しないよう死ぬ気で足を踏ん張りました。身重のスミレさんに迷惑かけちゃダメです!

 スミレさんは膨らんできたお腹を撫でた。

「えと、今は無理ですけど、産後しばらくしたらがんばってみようかなって……私、レティ様が喜ぶことなら何でも」

「えーと、それご本人の前で言っちゃダメですよ」

 大変なことになりそうな気が。

「スミレ!」

 バーン!とドア開け放ってフルーレティ様が飛んできました。

 はい、予想はしてました。

 スミレさんに抱きついて、

「ああもう、ほんっとかわいいな。でも無理しなくていいんだぞ。けどいつかやって」

 マジ顔でしっかり希望入れましたね。

「は、はい。レティ様がお望みなら」

「くうっ、オレの嫁さん最高」

 フルーレティ様、悶えてます。

 まぁ気弱な奥様が恥ずかしがりながらも上目遣いで言ったら、そうなりますよ。

 こんな高等テクを無自覚にできるスミレさんはすごい。私には無理ですね、彼女のようなかわいらしさと儚さがない。

「お邪魔しました~っ」

 ラブラブ夫婦の邪魔をしないよう退散しました。

 自宅―――ルガ様の部屋―――に戻りながら考えます。

 うーん……。色々聞いて回ったけど、どうすればいいだろう。

 『いい妻』? 『女王の兄の嫁としてふさわしい女性』?

 うう~ん……。何か違う気がする。

 それよりもっと大切なことがあるんじゃない?

 私がルガ様にしてあげたいと思うことは。

「……お帰り」

 ルガ様はソファーで医学書読んでました。休日なのに真面目な方です。

 思わずへにゃっと顔がほころびました。

「ただいまですっ」

「……? すごくうれしそうだな」

「はいっ。ルガ様のいるところが私の家で、帰ってきたらルガ様がいて『お帰り』って言ってくれるのがなんだかすごくうれしくて」

 私の唯一の取柄、素直に思ってることを口に出したら、ルガ様はまばたくした後で恥ずかしそうに視線をそらしました。

「……そうか」

「はい、そうなんですっ」

 転ばないよう、ゆっくり歩いた。

 ルガ様の前まで来て口を開く。

「ご兄弟の奥様たちに色々ためになるお話きいてきました」

「……ああ」

「私、こんなドジだからいいお嫁さんにならなきゃって気負って不安で。でも皆さんからお話聞いて気づきました。私はそれよりあなたの安らげるところを作りたい」

 なにより大事なことは。

 ルガ様は驚いたように私を見上げました。

 私は微笑んで、

「だって、大事なのは人からの評判よりもあなただから。あなたが一番欲しいもの、願ってたことを叶えたいって思ったんです」

 ルガ様の頭をそっと抱きしめました。

 私たちはどちらも親に捨てられた過去を持つ。あなたはご兄妹弟、私は祖父母という救いが現れたけれど、それでも傷は消えない。

 自分が不要だと突きつけられた現実は。

「あなたは不要な存在なんかじゃないんです。私はもちろん、ご兄妹弟、多くの患者さんに治してもらった魔物たち、病院の皆さんにとっても大切な存在です」

「…………」

 ルガ様は身動き一つせず聞いています。

 私は色んな想いをこめて言いました。

「大好きです、あなた」

 ルガ様は目を見張り、ついで優しい微笑みを浮かべました。

 はっきり分かるほどの笑顔を初めて見た。

「……ああ。僕も君が好きだよ」

「はい」

 ルガ様は安心したように顔をうずめ、私の背に腕を回しました。

 何度でも、毎日言おう。

 大切な愛するこの人が自身を持ち、自分は不要な存在じゃないと確信できるまで。

 私がすべきことは『いい妻になること』じゃなく、この人と愛情あふれる幸せな家庭を作ることだもの。

「愛してます、あなた」

 目を閉じて穏やかな表情の夫に、私は何度でも語りかけた。

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