五男サルガタナスの進展
弟ネビロスに続き、すぐ上の兄レティ兄さんも結婚した。
心の底からよかったと思う。
特にネビロスは、リリーさんに飼いならしてもらわないと危険すぎる。お嫁さんにじゃれついて甘えてれば、他に注意向かなくていい。
平和だ。
レティ兄さんも囲い込みが異常で、あれもあれで危ないと思ってた。しかも本人にまったく自覚がないのが恐ろしい。
スミレさんはとうに普通の人並みの健康体になってたのに、体が弱いってことをよくささやいて刷り込みしてたんだ。おかげで本人はいまだに病弱だと思ってる。
医者として言わせてもらえば、少し風邪ひきやすい程度でたいしたことはない。
無意識にそうやって長年刷り込みを重ね、さらに対人恐怖症を口実にしての囲い込み。確かに事実ではあるから職場をリリスのところにして女性陣で守ってるのはいいけど、自分の部下すら近づけさせないのはやりすぎじゃないだろうか。
軍人ていっても、見かけゴツくて恐いのばかりじゃない。貴公子然とした男性もいるし、少年みたいな子もいる。書記官とか力仕事じゃない使用人たちだっている。彼らならスミレさんもそこまで恐怖心を抱かないだろう。
でもレティ兄さんは断固として僕ら兄弟とルシファー親子以外の男性を近づけさせなかった。
独占欲がすさまじい。
僕らを許してたのは、レティ兄さんの好きな子にちょっかい出すわけがないから。主治医を僕にしたのも、僕が女性恐怖症だって理由も絶対ある。
にも関わらず、レティ兄さんは完全にこれらを無自覚でやっていた。
「つーかさぁ。使うつもりないとか言って結婚指輪用意してるのっておかしくね?」
ナキア兄さんがあきれかえってた。
「じゃあ買うなよって話。ど~考えても手に入れる気満々じゃねーか。あんだけ囲い込んで逃がさないよう退路塞ぎまくってて、なに言ってんだか」
「……同感」
「あいつ、戦略立てるのは上手い脳みそをこういうとこに使いやがってなぁ。つくづくオレら兄弟はどっか歪んでんなー」
そうだね。比較的まともなナキア兄さんすらどこか歪んでる。
もちろん僕も例外ではない。
「おはようございます、先生!」
ずらーっと魔物研究所の入り口から中、見えるとこまで全部魔物が敬礼して挨拶した。ここは極道の本部かな。
往診に来るといつもこうだ。
……やめてほしい。
ゴツい・いかつい・恐そう三拍子揃った魔物たちが花道作ってると見た目が迫力ありすぎる。僕がさせてるみたいだし。
誤解を招く光景であることは間違いない。
なにしろ僕は、外見的にも能力的にもまったくそうは見えないのだが、あの悪王の息子だ。それが魔物を服従させてるも同然なことしてたら、誤解する人が絶対いる。
「……おはよう」
言っても無駄と知りつつ言った。
「……それやめてほしい」
魔物たちはキラキラした目で力強く拳を握った。
「とんでもありません! おれらが好きでやってることなんで、気にしないでください!」
「そうです! むしろ命の恩人を歩かせるのは気がひけます。やっぱり輿持ってきやしょう!」
「……やめてくれ」
げんなりして首を振った。
魔物に輿担がせて練り歩くって、どこの悪役だ。血縁上の父親ですらやってなかったよ。
ここまで来る交通手段だって、かなり妥協したのに。
ため息をついて後ろを振り向く。翼の一方に赤十字のマークをつけた白い怪鳥が首を垂れてた。
大きさはゾウ程度と小ぶりで、形もフェニックスのように神々しいタイプ。生物学上の父親はこういうのも収集していたらしい。理由は単純、人が羨むから。
リリスが「これなら見た目いいでしょ? なにかあって患者を救急搬送しなきゃならなくなった時、救急車代わりに使えるし」と言うんで承諾した。
怪鳥に外で待ってるよう目配せし、建物内に入る。
もちろん自分の足で歩いた。……後ろからゾロゾロ魔物たちがついてきたけど。
「……これも」
「いえっ! 先生の御身を守るのはおれらの使命っす!」
危険なんてどこにあるんだ?
リリーさんとこならいざ知らず、魔物だらけのこっちにスパイが潜入は不可能。潜入しようものなら、人間よりはるかに勘の鋭い魔物たちに速攻バレるじゃないか。
そもそも恐いだろう。プロでもこんな所には入りたくないに違いない。
第一、この研究所の調査結果はあえて全て公表してる。もし潜入したとしても機密情報なんかなく、まったくの無駄骨だ。
そんなことを考えていると、パタパタと足音がした。
リリスの足音とはまったく違う。どこか調子の外れたテンポ。
ジャスミンさんか。
予想通り、小柄な女性が現れた。
「サルガタナス先生! お出迎えに間に合わなくてすみませ……っ!」
案の定転びそうになったから、すばやく近づき、わきの下に腕を入れて持ち上げた。
トン、と床に下ろす。
「……走らないほうがいい」
「すみませんありがとうございますっ!」
思いっきり上体折り曲げてきて頭部が僕のみぞおちにぶつかる前によけた。
激突したら危なすぎる。
「あああ、またすみませんー!」
「……君は体の重心がズレている。意識して直したほうがいい」
鞄から処方箋を出し、スラスラ人体の絵を描く。
僕はリリス同様絵が描ける。
逆に壊滅的なのはルキ兄さんだ。つい笑ってしまう傑作ができあがる。
なお、見た僕が笑ったのがものすごく衝撃的だったらしい。はっきり分かるレベルで口角あげてたそうだ。
絵を描きつつ説明。
「……体にまっすぐ芯が通ってるように立ち、体重はここにかけるように」
「なるほど。さすが先生、分かりやすいですっ!」
「……君は骨と筋肉にも微妙なズレがある。後で調整しよう」
「ほえ?」
まず先に患者の診察だ。
経過観察が主で、新しく病気やケガした魔物はいない。
いいことだ。
最後の患者が終わると、彼女に診察台へ上がるよう言った。
「え、私ですか?」
「……さっき言ったようにズレを調整する」
「そんなことできるんですかっ? 痛くないですよね? まさか手術とか?!」
ゆっくり首を横に振る。
「……マッサージのようなものだ。痛みはない」
僕は弱い魔力を注ぎ込んで体内の臓器や組織を動かすことができる。例えば骨が折れて神経に接触し、激痛を引き起こしてるとする。通常の医者なら手術するところだが、切開せずに位置を直して固定が可能だ。なんならそのまま治癒魔法で完璧に治せる。
精密なコントロールと正確な医学知識がなければ不可能な技であり、これができる医者はまだ少ない。僕も研修医時代の恩師ができたから教えてもらえたのだ。
もっとこれができる意思が増えれば患者の負担が減る。現在、大学医学部で力を入れてるカリキュラムの一つだ。
説明を聞いた彼女は素直にうなずいた。
「分かりましたっ。よろしくお願いします!」
説明しても患者によっては「魔力を入れられる」から嫌だと拒否することがある。が、彼女は全面的な信頼をみせた。
……うれしい。
「……まず腕からやってみよう」
「はいっ」
心理的に抵抗感のないように腕からやる。
許可を取って、ほんの少しだけ手に触れた。
微量の魔力を流し込む。
「…………っ」
ビクッと彼女が身を震わせた。
「……大丈夫だ。害はない」
「わ、分かってます。そうじゃなくてくすぐったくて」
「……ああ」
内部からくすぐられてるようだと評した患者が前にいたな。ほんのりしたあったかさがジワジワ広がり、くすぐったいらしい。
「……左腕も」
「はいっ」
両方のバランスを見ながら調整。
「……これでよし。次は足」
靴を見て、
「……靴と靴下ぬいでもらってもいいか」
「あ、そうですよね」
土踏まずもほとんどないな。偏平足気味でもある。
「……最後は頭部と胴体。うつぶせに」
「了解ですっ」
あんまり触れたら気持ち悪いだろう。遠慮して指一本だけにした。
僕としては……。
…………。……何を考えてるんだ僕は。
でも、人と関わるのを避けまくってた僕がこんなこと思うようになるなんて。兄妹弟以外の人に触れるのは、診察でも気が進まなかったのに。
終わったと告げ、起き上がるように言う。
立ち上がった彼女は、驚いて手を握ったりほどいたり、ジャンプしたりした。
「すごいっ。体が軽い、動きやすいですっ!」
「……君に合うようにしておいたから」
最適な体のバランスは人それぞれ。この見極めが治療の厄介な点でもある。
「サルガタナス先生ってこんなこともできたんですねっ。すごいです、ますます尊敬しますっ!」
ほんのり頬染め、キラキラした目で見上げてくる。
「……ありがとう」
「こちらこそありがとうございましたっ。お疲れですよね、お茶淹れてきま……ってきゃあああっ!」
焦ったように身を翻した彼女は、やっぱりつんのめりかけた。
すかさず両脇持ち上げてくいとめ、まっすぐ立たせる。
いつもはすぐ離す僕だけど、今回はこっちを向かせた。
「先生?」
なおも手を離さない僕に、彼女はいぶかしげにたずねた。
「…………」
「あ、ありがとうございますすみませんっ。私の場合、体の問題だけじゃなく単純にドジですもんね。気をつけますっ。それで、そのー……」
赤くなって自分をつかんでる手を見る。
どうやら意識してくれてるらしい。
「……ずっと考えてた」
「何をですか?」
「……君がうっかりケガしなくなるようにする方法がある、と思う」
「え、本当ですか?! 教えてくださいっ!」
彼女は食い気味に身を乗り出してきた。
「……僕がいつも傍にいればいいんじゃないだろうか」
彼女は勢いよくうなずいた。
「なるほど! ……って、え? そんなの申し訳ないし、無理ですよ。先生にも仕事がおありじゃないですか。私の面倒なんか見てるヒマありませんよっ」
言葉の足りない僕の発言をいつも間違わず理解してくれる彼女にしては珍しく、別の意味に取ったようだ。
「……そういう意味じゃない」
はぁ、とため息ついた。
口下手だからあんまり長文はしゃべりたくないんだが、仕方がない。
「……君の傍にいる理由が欲しい、という意味だ。僕はどうやら君のことが好きらしい」
「―――っ」
彼女は真っ赤になって硬直した。
気絶しないよな。脈拍は速いが、瞳孔は開いてない。無意識に医者として観察。
心臓麻痺も大丈夫だろう。
「あ……あの、ですね? 冗談ですよねっ?」
「……僕は冗談を言えるほどフランクな性格ではない」
むしろ兄妹弟に心配されるほどのコミュ障だ。
「だって、私は失敗ばかりでいつもみんなに迷惑かけてばっかのどうしようもないやつですよ?! こんなダメダメな人間は先生に好きになってもらう価値なんかありません!」
「……ここの職員は好意的だし、魔物もみんな君になついてるじゃないか。人に好かれるという素質がある」
僕と違って。
「……僕のほうが何の役にも」
「ええ?! 先生はすばらしいですよっ! 優秀なお医者様ですし……ほら、診療予約取るのも人気だからすっごく難しいじゃないですかっ」
「……あれは病気のふりした積極的な女性が一時期やたらいたせいだ」
苦虫をかみつぶす。
兄弟中で僕が一番攻略しやすそうだとターゲットにされただけ。おかげで女性恐怖症になった。
「……兄弟中で僕が一番大人しくて扱いやすそうだということだ」
「それはお気の毒というか……。あれ、それ以来女性は苦手と聞きましたよ?」
「……うん。その僕が唯一君だけは平気だ」
リリスは妹なんで例外。
「……こうして触れてもなんともない。会話もできてる。僕は虐待されて育ったから愛情がよく分からないけれど……君に好意を持ってるんだと思う」
断言はしなかった。
だって『好き』という感情が分からないから断定できない。
「…………」
真っ赤になって挙動不審だった彼女がスッと冷静になった。
……?
彼女は何やら考え込んだかと思うと、苦笑した。
「そこで『と思う』って言っちゃうとこが正直ですよね、サルガタナス先生」
「……嘘は苦手だ」
小さい頃ただでさえ差別されてた僕は、嘘つきにまでなったらさらに殴られると考えた。でも苦しいとか辛いとか本当のことも言えず、沈黙するしかなかった。
彼女はまっすぐ僕を見て言った。
「私も正直に言いますね。私は先生を尊敬してますが、これが恋愛感情なのかはよく分かりません。尊敬の域を出ないものかもしれません」
「……そうであれば仕方ないと思う。引き下がる」
「あははっ。本当に誠実でいい人ですよねぇ」
「……? それはルキ兄さんだ。僕はただ無口で気概がないだけ」
「違いますよ。サルガタナス先生の優しさですよ」
……優しさ?
首をかしげたくなる。
違う。僕は痛いことやひどいことをされたくなくて、逃げてただけだ。
単に自分のため。
「育てのご家族を恨みもせず、前の王様に告げ口もしなかったじゃないですか。そしてそんな境遇でもがんばってお医者様になった。胸を張っていいんです。もっと自信持ってください」
ぎゅっと両手で僕の手を握りしめてくれる。
「…………」
人に触れられてるのに恐くない。嫌じゃない。
スミレさんが言ってたっけ。彼女にとってはレティ兄さんだけがそうだと。
……なるほど。
「……僕はやっぱり君だけは平気みたいだ」
ふっと口の筋肉が緩む。
彼女が驚いていた。
「……それならこれはどうだろう。お互い恋愛感情かどうか見極めるため、お試しで付き合ってみるのは」
「お試し、ですか」
ナイスアイデアだと賛同してくれた。
「それはいいですねっ。では、よろしくお願いしますっ!」
「……ああ。よろしく」
握手する様は、まるでスポーツのチームメイトのようだった。
……なんかちょっと違うか?
☆
「……そんなわけで、彼女と付き合うことになった」
その日の夕食後、みんなでのんびりしてる時にタイミングを見計らって報告した。そうしたら大騒ぎになった。
まぁそれは想定内。
おかしいのは、
「結婚じゃなくて?!」
「……なんで」
兄妹弟そろってなぜ一足飛びなのか。
「あっ、分かった。ルガはレティやネビロスと違って、ものすごく当たり前なことに指輪だの婚姻届けだの用意してないからだよ!」
「ああ、そうか。よし、ちょっと来い。俺の執務室に用紙ある」
「宝石商もすぐ呼び寄せよう」
「ナキア兄貴、さりげにオレらディスってね? あ、既製品買うんじゃなくて一から作るんなら、素材採ってくるぜ」
「ウェディングドレスなら最速であたしが作るよっ!」
「式場の手配も今なら僕らと合同で、新しく手配しなくて済むよ」
「……みんな落ち着いて」
飛ばしすぎな兄弟たちに待ったをかけた。
「……普通、いきなり結婚じゃなく交際から始めるものだと思う。リリスは政略結婚、レティ兄さんとネビロスはもう何年も相手が傍にて付き合ってたも同然だったから例外なだけで」
ものすごくまっとうなことしゃべったのと、長文だったの両方にびっくりされた。
リリーさんが援護してくれた。
「まったくその通りです。諸々すっ飛ばすほうがおかしいんですよ。あと、私は断固こいつと付き合ってませんでしたのであしからず」
そこはきっちり否定するんだね。
「ひどいよリリー。でもそんな冷たいとこも好き」
「はいはい。私は自分で言ったわけで、まぁともかくとして、覚悟も予想もまったくしてなかったスミレさんは相当驚いたはずです。少しは相手のことも考えてあげてください」
こくこくとうなずくスミレさん。
ただし彼女のいる位置はレティ兄さんの膝の上である。
さらにがっちり腕で囲い込まれてる。恐ろしいことにこれが結婚後の二人のデフォルト。
兄の獲物は逃がさない精神と独占欲に捕まったスミレさんが気の毒。
「現実問題、色々大変なんですよ。住まいも変わる、生活スタイルもガラッと変わる。急な引っ越しも大変だし、勤務先での手続きとか報告とか面倒で。城内の地理やルールも覚えなきゃなりませんしね」
「うーん。リリーちゃん、経験者の言葉は重いね」
「自分の立場も考えなきゃいけません。あなた方は王族でしょう」
「僕らは認知されてなければ、権力もないよ?」
「それでも前王の子供なのは間違いないでしょ。そんな相手と結婚なんて、一般の女性にはハードル高すぎるのよ」
ルキ兄さんが顎をなで、
「確かにな。君たちは元から近くにいたから、心理的にもそんなに困難ではなかったが、まったくかかわりのない女性ならばそうか」
だよね。
みんな納得してくれた。
「……ところでナキア兄さん。相談が」
「ん? 珍しいな。頼れる兄ちゃんに何でも聞け聞け」
「……普通の恋人同士って何をすれば」
二番目の兄はふむとうなった。
「あー、そこからか。んー、リリスとレティとネビロスのが普通じゃないって分かってるだけでえらい。……そうだなー、まずデートしてみたら? 女の子連れてくと喜ぶとこリスト作ってやるよ」
サラサラ書いてくれた。
「とりま近場のだけな。ジャスミンちゃんの好みに合いそうなのに絞ったぜ。植物園とかいんじゃね? 仕事柄、魔物の食物とかで植物にも詳しいだろ。貴重な品種の特別展があって、一日百人限定公開だぜ」
てことは、チケットが必要になるんじゃ?
「どうぞ、サルガタナス様」
スッとルシファーが差し出してきた。
「……なんで」
「ここは国立なんです」
関係者枠は別で、いつでも手配できるってことか。
なぜ持ってるのか、どこから出したのかは聞かないことにする。
「たださぁ、ルガ。お前大丈夫か? どこ行くにしても、ある程度人気のとこいくってことは、人多いぞ? 女性もいっぱいいるけど」
「…………」
僕は沈黙した。
そこまで考えてなかった。
「……がんばってみる」
「ふん。簡単な解決法ならあるだろう。貸し切りにすればいい」
「アガ、どこのセレブだよ。そーゆーことばっかやってっから金目当ての女の子しか寄ってこねーんだぞ? 兄ちゃん心配」
「うるさい黙れ」
ナキア兄さんはわざとらしくルキ兄さんの後ろに隠れた。
「うわー、こわーい。兄貴助けて~」
「何やってんだお前たちは。二人ともやめろ。それよりルガ、無理はするなよ」
「……うん」
メモをしまい、
「……彼女にも聞いてみてから決める」
「そうだな」
「ああ、そういえばサルガタナス様」
ルシファーが思い出したように言い出した。
「サルガタナス様のところに明日配属される研修医なんですが……」
☆
翌日職場にやって来たのは、彼女とよく似た風貌の、しかし落ちついた青年だった。
穏やか、線が細く、人畜無害を絵にかいたような。「草食系イケメン」と女性看護師たちが騒いでた。
コミュ障の僕はこれまで研修医の指導を引き受けたことがない。周りも理解してくれてた。
ところがこの青年だけは何度も頼みこみ、果ては土下座までしてとにかく僕の元で修業したいと言い張ったそうだ。
「初めまして、姉がお世話になっております」
ピシーッと90°のお辞儀をする律儀な青年。
「ジャスミンの弟レラジェです」
……そう。彼は彼女の弟だった。
よく似ているのも道理である。
「……こちらこそ」
「姉から伺った時はまさかと思いました。尊敬するサルガタナス先生があの姉の恋人だなんて!」
がばっと起き上がり、キラキラした目を向けてくる。無邪気で純粋そのもの。
これも彼女にそっくりだ。
無邪気といえばネビロスがこういう表情よくしてるが、あれは純粋どころか裏がありすぎる。本物はこういうのだよ。
「こう言ってはなんですが、ほんとにあの姉でいいんでしょうか。ご存知の通り、姉はものすごい天然&ドジです。今朝も蛇口ひねったらなぜかドバーッと水が吹き上がって、台所がびしょ濡れに。おかげで朝から大掃除ですよ。まぁよくあることなんですけど」
よくあるのか。
弟くんは苦労しているらしい。
「さらに雑巾持ってこようとしてすっころび、あやうく顔面強打するところでした。朝食もひっくり返しかけましたし。いつものことですが。靴は左右逆に履いてるわ、出がけに何もないところでつまずくわ。とにかくとんでもないくらい手がかかるんですが、本当に大丈夫ですか?」
ナキア兄さんがルシファーに調べさせた調査書を無理やり押しつけてきたんだけど、それによれば彼女と弟くんは二人暮らし。両親は幼少時に離婚、どちらも子供の引き取りを拒否したため祖父母が預かることなったそうだ。現在、その祖父母は高齢のため介護施設にいる。
弟くんは小さい頃から姉のフォロー役で、今も家事を一手に引き受けてるという。飛び級で医学部を出た秀才で、まだ十六歳。人柄も人当たりもよく謙虚、将来出世間違いなしの有望株。
当然非常にモテるが、それより姉をみててあげなきゃという真面目ないい子……とナキア兄さんがコメント書いてた。
「正直、あまりのトラブルぶりにフラれても仕方ないと思ってます」
「……いや」
むしろ怪我しないよう守ってやりたいと思うが。
……ああ、レティ兄さんがスミレさんに対して思ってるのってこういうことか。
レラジェ君はさすが彼女の弟、察しがいいようでぱっと顔を輝かせた。
「さすがサルガタナス先生っ! 無理にでも先生に指導して頂けるよう頼みこんだ甲斐がありましたっ!」
「……なぜ?」
僕なんかより他の医師についたほうがよほど勉強になると思う。
「昔、友人が先生に治して頂いたことがあるんです」
聞けば、何年か前に手術した患者のことだった。頭を負傷して細かな破片が中にちらばっており、普通の医者じゃ対処できなかった。そこで僕にお鉢が回ってきたというわけだ。
微量の魔力を流し込んでの治療、あれは手術にも使える。細胞レベルで動かし、傷もつけず異物を排出することも可能だ。破損した細胞は同時に治癒魔法で治せばいい。
「あんな方法があるなんて……! あれに感動しまして、僕は医者を志すことにしたんですっ!」
僕も恩師が初めて見せてくれた時は感動したものだ。分かる。
「昨日姉も治療してくださったそうで。おかげで当社比10%ドジが減りました」
残りの90%は?
「残りは元々の体質というか特性なんでしょうがないです。少し減っただけでもほんとに助かります……!」
涙をぬぐう仕草をする弟くん。
……どれだけ苦労してるんだ。
「改めましてどうかよろしくお願いします!」
またもきっちり頭下げられた。
……どうやら嫌がられてはいないらしい。
実は僕が一番気にしてたのは、彼女の家族に反対されることだ。リリーさんと違い、彼女には家族がいる。スミレさんにはいるけど、あそこは命の恩人であるレティ兄さんに感謝してるから除外。
普通の家庭なら、悪王の息子と娘が付き合うなんて反対するだろう。
職業が医者なのもマイナスに働く恐れがある。「王の手先」「毒とかで王の敵を排除してるんだろ」「暗殺者なんじゃないの?」と人に言われたことがある。……特に言ったのは育ての家族だ。
さらに魔物も診られる医者ということで、余計不気味がられた。
黙って淡々と患者の治療を続けてたら誤解した声は減ったけど、いまだに嫌悪示す人はいる。
もしも彼女の家族が反対したら、すぐに謝罪して去るつもりだった。
……これなら大丈夫かな。
僕は密かにホッと息を吐いた。




