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六男ネビロスのウキウキ(本人談)新婚生活

 私の名はリリー。

 名字は知らない。金に困った両親が、口減らしのため幼い私を姉もろとも売り飛ばしたから。

 親の顔すら覚えていない。私の肉親といえるのは姉だけで、その姉もすでに亡き人だ。

 美人だった姉は前々から娼館に売られると話がついてたらしい。私はついでのオマケ。

 隙を見て、姉は私を連れて逃げ出した。たどりついたのは一軒の孤児院。

 そこの人たちは親切だったが貧乏で、生まれつきあまり丈夫でなかった姉はほどなく死んだ。

 私を抱きしめて一緒に泣いてくれたのはネビロスのお母さんだった。彼女は孤児院のみんなのお母さん的存在だった。

 けれど彼女も亡くなり、世話してくれてた大人が減るに反比例して増える孤児の数。街の治安も悪化し、孤児たちは誘拐され売られたり、殺されたりしていった。

 そこで立ち上がったのが幼いネビロスだった。

 生来のカリスマ性と人に好かれる気質、悪く言えば人の心を操るのに長けてたネビロスは街の大人たちに取り入り、食料と安全を確保した。

 人が自ら進んで尽くしたくなるよう仕向けるあの話術は素直にすごいと思う。天才詐欺師。

 が、大人びていてもやはり子供。いとも簡単に人を操れるのが災いしたのか、傲慢になっていった。

 誰も止める人間がいないだけに、一たび悪化すれば早かった。

「ネビロス、どこ行くの」

 ふらっと出かけようとした彼を私は呼び止めた。

「ああ、リリーか。ん、ちょとね。バカな大人たちからもっと出させようと思ってさ。資金が必要なんだよねぇ」

 この頃街を牛耳ってた犯罪組織のことを指してるんだってのはすぐ分かった。慌てて止める。

「やめなさい! あの悪党どもからでしょ? ろくな方法で稼いだ金じゃない、そんな金ダメよ!」

 ネビロスはあざけるような笑みを浮かべた。

「どんな手段だろうが、金は金だよ。食っくためにはやり方なんて選んでられないって。きれいごとばっか言ってたら死んじゃうよ?」

「悪事に手を染めるくらいなら、死んだほうがマシだわ」

 凛と胸を張って言う。

「これはあんたのお母さんの教えでもあるはずよ」

 ネビロスも母親のことを持ち出され、一瞬ひるんだ。そこにたたみかける。

「あの人はあんたの幸せを最期まで願ってた。敵討ちなんかしなくていい、ただ生きててくれればそれでいいって。だから―――」

「そうやって理想に従った結果、のたれ死んだじゃないか」

 ……冷たく遮られた。

「―――……っ!」

「母さんもさ、そのまま城にいようが逃げようが、そう長く生きられないのは同じだったんじゃない? 王に殺されるか餓死するかの違いだけだよ。どうせ長くないなら、思う存分好き勝手すればよかったのにね。むなしいよ」

「あんた……自分のお母さんをそんなふうに……っ」

 ギリッと奥歯をかみしめる。

 私にとっても彼女は母親同然だった。

 実の親を知らない私には、たった一人の『母親』だった。

「ていうかさ、連中だって進んであれこれくれるんだよ。僕が暴力や権力で奪ったわけじゃない。どうぞどうぞって好意でくれるものをもらって何が悪いの?」

「あんたがそう仕向けてるんじゃないか!」

 ネビロスは肩をそびやかした。

「リリーだって、僕がそうやって得た食べ物食べてたじゃないか」

 ぐっとつまった。

 本当に知らなかったんだ。元々孤児院は近隣住民や近くの店から残り物の寄付を受けていたから。

 ある時からやたら量が増え、内容もよくなったと思って調べたら……。

 顔を上げて言い返す。

「知ってからは食べてない。ちゃんと働いた賃金代わりにもらってるのよ」

 私は小さいなりに大人の手伝いをし、その対価として食物をもらっていた。だから一人だけあきらかに栄養状態が悪く、痩せて、いつもお腹を空かせてた。

 それでも主義は曲げなかった。

「足元見られてんのによくやるねぇ。たいしたものくれないじゃん。自分の姿見えてる? ガリガリだよ。今じゃ孤児院にいる中でそんなやせ細ってるのリリーだけ」

「うるさい」

 かたくなな私にネビロスはあきれ、

「ま、いーよ。好きにしたら。僕にはリリーのご高説に付き合ってるヒマないし。目的のために忙しくってね」

「……何をする気なの?」

 さっきこいつは資金って言った。

 嫌な予感しかしない。

 小さな化け物はあっけらかんと言った。

「生物学上の父親を殺そうかと思ってさ。あ、恨みとかじゃないよ。そんな感情すら浮かんでこないなぁ。そもそも僕はあいつに何の興味もない。ただ、やってることが不愉快なだけ」

 無邪気な笑顔が不気味だった。

 なんで……なんでこいつは笑ってるの?

 どうして笑いながら平然とこんなこと言えるの?

 それでも他の人ならだまされただろう。こいつの人心操作技術はそれだけすごかった。だけど、どういうわけか私には通用しなかった。

 私が頑固で潔癖すぎるせいだろうか。いつも笑顔がうさんくさいと気づいてしまう。

 心からの笑顔を見たのはいつが最後だった―――?

「うさんくさい笑顔したって、私には通用しないわよ」

「……ほんとにリリーだけはだまされないよねぇ。なんでかな」

 なんでかなんてどうでもいい。

 分かったことはただ一つ。効かないのが私だけなら、止められるのも私だけだってことだ。

「別にいいけどね。リリー一人で何ができるでもない。だってそうでしょ? 何の力もない子供に何ができるっていうの? 僕みたく才能があるわけでもない、平凡で貧乏な子供がさ」

 ……その通りだ。

 止められるのは私だけ。でも、どうやって止めればいいの?

 分からない。

 教えて、と聞ける相手もいない。ネビロスのお母さんがいれば。だけどもういない。

「じゃーね」

 必死に考えてる間にネビロスはさっさと行ってしまった。

「…………」

 確かに、私は無力だ。

 力も弱く、後ろ盾も金もない。みんなネビロスの言いなりで、私に協力してくれる人なんて誰もいない。

 でも。

 私は、私があいつを止めたいんだ!

 何も考えず走り出した。

 ネビロスをつかまえ、胸倉ひっつかんで振り向かせる。その頬に平手打ちをお見舞いした。

「やめなさい、このバカ!」

 自分の呼吸が荒い。心臓うるさい。

 死も覚悟でネビロスを睨みつけた。

「…………」

 怒り狂って反撃して来るかと思いきや、ネビロスは呆けたようにたち尽くしてた。

 ……あれ?

 身構えてたのを解く。

 ネビロスは何が起きたか理解できないかのように、きれいにモミジ型ついた頬をさすった。

 ぼんやりと私に視線を向ける。

「なっ、何よ。言っとくけど謝らないからね! あんたはこのままじゃダメになる。私だけがあんたの能力通じないってんなら、止めるのが私の役目でしょ!?」

「…………」

 ネビロスは理解してるのかしてないのかうなずき、手を離して一歩近づいた。

 とっさにこっちも一歩後退する。再び身構えた。

 来るか?

 ―――確かに来た。うん。まったく思ってもいないやり方で。

 いきなり晴れやかな顔になったネビロスは、子犬のごとく私に抱きついてきたんだ。

「リリー、大好き! 付き合って!」

「ぎゃああああああああ!」

 恥も外聞もなく絶叫した私は悪くない。

 うん、絶対悪くない。

 勢い余って後ろに倒れこみ、尻もちつく。ネビロスは構わずのっかってじゃれついてきた。

 大型犬ならご主人様に甘えてかわいいシーンだが、自分より大きくて極悪と知ってる男にやられてもかわいくもなんともない。

 なにこれなにコイツなに言ってんだバカじゃないの紛れもないバカだアホ極まりないこれ現実か夢なら覚めろ冗談じゃない悪夢にもほどがある覚めろ覚めてくれお願いだから覚めて――っ!

 声にもならず大パニック。

「離れろバカ――!」

 やっとこさ叫び、全力で押し返す。びくともしない。

 くそぅ、栄養失調で痩せた状態じゃとても敵わない。

 せめて足が上がれば顔面攻撃くらわしてやるか、顎にたたっこんでやるのに。

「やだよ。付き合ってくれるなら一旦離れてもいいけど?」

「誰が付き合うか! つーか、私達の年考えろ!」

 子供だっつーの!

 ごくまっとうな意見を述べるも、腹黒野郎はそれはそれはいい顔で、

「愛があれば年なんか関係ないって、どっかの誰かが言ってなかったっけ」

「愛なんか私にはない! 意味も違う!」

 すかさずツッコむ。

「えー。リリーを他の男に取られないようにするには、恋人になるのが一番なのにな」

 こいつの思考回路どうなってんだ。

 思いっきりひっぱたいた相手に言うセリフか。直後にどうしたらそういう発想が出てくる。

 そこで気づいた。

 ―――まさか、マゾなんじゃ……。

 ザーッと血の気が引いた。

 ふざけ……っ、冗談どころじゃない! 私にはサドの気はないっ!

 趣味嗜好は人の勝手だけど、他人を巻き込まないようにするのは最低限のルールでしょ。趣味ってのは人に迷惑かけず、個人的または意見の合う人同士で楽しむものだ。興味のない人への押しつけはいけない。

 蒼白になったのをネビロスは勘違いしたらしい。

「リリー、具合悪いの?! ちゃんと食べてないからだよ! 待って、今すぐ何か食べ物……あと医者!」

 ぱっと飛びのいて走ってこうとするのを腕ひっつかんで止めた。

「いらない」

 いや、強いて言えばネビロスに医者が必要かも。頭診てもらえ。

「で、でもそんな顔色悪いし」

「原因はあんただっつーの!」

 睨んでやる。なぜかうれしそうな反応された。

「冷やかな目もいいなぁ」

「キモっ」

 真性だ、と確信した瞬間だった。

「キモくないよ。どんなリリーも好きだってだけだよ」

「嘘つけ。さっきまでさんざん見下してバカにしてたくせに」

 信じるほどお人よしじゃない。

 ネビロスはあっさり非を認めた。

「僕が間違ってたよ。さっきまでの僕こそバカそのものだ。リリーに殴られて目が覚めた」

 うん、別の意味で開眼したね。

「リリーには僕の能力が効かない。僕が間違った方向に行こうとしたら、きちんと叱って止めてくれるのはリリーだけ。だから好き」

「それで好かれる意味が分からない。私はあんたのお守りじゃないし。ていうか、ヤバイ方向に行かないよう自分で気をつければいいだけの話でしょうが」 

「もちろん。でもさぁ、血なのかなぁ。どうも僕ヤバイ方に行きがちで、しかも自覚ないんだよね」

 こてん、とかわいく首をかしげるが、これもちっともかわいくない。

「てわけで、リリーがずーっと僕の傍にいて監視してるしかないと思う。一生どころか来世まで……ううん、未来永劫ねっ」

「絶対嫌だ」

 死ぬ気で拒否った。

「あれ、今のプロポーズみたいだね。それいい。いっそ結婚しよ!」

「するか! できるかあぁぁ!」

「大丈夫、この国は法律なんてないも同然じゃん」

 実際幼女を無理やり妻にしてる変態もいると聞く。

 そもそも届け出なんか出さずに事実婚なんかあふれてるし、不倫だってよくある話。婚外子もやまほどいる、つーかその一人がネビロスだ。

「ねぇリリー、結婚して?」

「断る!」

 友達が悪の道に走るのを殴って止めたら、別のいかん道に吹っ飛んで入っちゃったらしい。

 運命の分岐点の選択間違えた、と思っても後の祭りだった。アカン方向にフラグ折り曲げたとも言う。

 ……ひとまずコイツから逃げるために体力つけよう。

 そう決心した私だった。


   ★


 それからというもの、嘘みたいにネビロスはマトモになった。

 相手を破滅させても搾取するとか、人の心を無視して操り人形にするとか、外道な行動は封印される。

 驚くみんなにネビロスは言った。

「リリーにやめろって叱られたから。で、はっきり言っとくとリリーは僕のだよ。手出ししたら消す」

 目がマジじゃないか。

「私はあんたのものじゃないっ! あと、消すとか簡単に言うな!」

「前半はちぇー。後半ははーい」

 どうにかなった、とホッと一息つく間もなく、すぐ次の分岐点はやって来た。『唯一の王女』リリス様が異母兄弟を集めたんだ。

 リリス様について、庶民には悪評しか伝わってこない。左右色の違う瞳を持つ悪魔の子だとか、我がままで最悪なお姫様だとか。

 あきらかに何かたくらんで出かけたネビロスは、意外にも晴れ晴れして帰ってくると荷物をまとめた。といってもほとんどないけど。

「どうしたの、何かあったの?」

「うん。僕、姉さまの所に行くことにしたんだ」

「はぁ?!」

 何言ってんだこいつ。

 またろくでもないこと考えてるな!

「個人的には噂なんて信じてなかったよ。アテになんないもんじゃん。その通りで、姉さまはマトモないい人だったよ」

 ネビロスは人の性格を的確に見抜く。そうやって弱いところを突くのが上手いわけで。

「あんたが言うならそうなんでしょうけど、どうして?」

 ネビロスは私に向き直り、声を潜めた。

「リリーにさけは言っておくね。姉さまは異母兄弟と協力して父親を倒す、クーデターを起こす気なんだ」

 は……あッ?!

 今度こそ開いた口が塞がらなかった。

 クーデター? 自分が王様になろうっての?

 順当にいけば唯一の王女様なんだし、ほっといても玉座は転がり込んでくるじゃないの。あ、そんな待ってらんないってこと?

「違う違う、この国をマトモにしたいんだよ。あいつがいる限り、それは不可能だ。といってもすぐにはできない。準備も根回しも必要だもん。そこで、目標は五年後。それまでに僕らは力をつけておくんだ。単純に戦闘能力でいっても、今の僕らじゃ倒せない」

「五年……」

「倒したら、姉さま的には一番上の兄さんを王族として認知する手続きして、王様やってもらいたいみたい。これがバカがつくくらい真面目でいい人なんだよねぇ。あれならいい王様になるよ。ただ問題があってさ、本人が嫌だって」

「王様になれるのに?」

「面倒じゃん。何がいいの? 二番目以下の兄さんたちも、自分たちも王様やりたくないって」

 兄、何人いるんだ。

「五人」

 多っ!

「あいつの行いからすると少ないんじゃない? たぶん他にもいたんだろうけど、殺されてるんだと思うよ」

「ありそう……」

 つーか、自分で言うかそれ。

「姉さまだって信頼されてるわけじゃないしね。あ、姉さまは政略結婚させられててさ。きっかけは政略でも、ラブラブなんだよー。ほら、僕らも結婚しない?」

「断る」

 さりげなくぶっこんでくる提案は粉砕した。

「姉さまの夫、ルシファーは食えないやつだよ。あいつにも僕の能力効かない。リリー、あんな腹黒に絶対近づいちゃダメだからね。あれは外面こそいいものの、中身は姉さま以外どうでもよくて、姉さまのためなら何でもする外道だ」

「あんたが言うか?」

 その人とあんた似てるんじゃないの?

「とにかく仕方ないんで、クーデター後は姉さまが一旦女王として即位→すぐ退位するつもり」

「えっ? 王様どうするの」

「王様って制度自体やめるんだって。国中から広く人材集めて、彼らによる会議で政治を決めるシステムに変えるんだってさ」

 初めて聞いたシステム。とっても興味深い。

「できるのそんなこと」

「さあ? ま、やってみようよ。僕も王様なんかなりたくないしー」

「…………」

 ネビロスはかつて、父親を倒して自分が王になると考えてた。

 もう違うんだね。

「姉さまのとこなら力をつけられる。リリーも来るなら妻としてしかないよ、一緒に行こう」

「お断り」

 きっぱり。

「だよねー。リリーと一緒に暮らせないのだけが残念だなぁ。まぁ、毎日会いに行くよ」

「来なくていい」

「あはは。僕のことは心配しないで。……このことはみんなには秘密にしといてね」

 ネビロスは笑って孤児院を後にした。

 私は黙って見送っていた。

「……はぁ」

 怒涛の展開に、とりあえずため息しか出ない。

 ……ともかく、この部屋誰かが使えるように掃除しておこう。

 ネビロスは能力を使って個室を手に入れてた。人に見られちゃまずいものとか、いっぱいあったんでしょうね。

 孤児の数は依然多い。ぎゅうぎゅう詰めの他の部屋から、これで何人か移れる……。

「真面目ないい子ですねぇ」

「?!」

 思わず飛びのく。

 バッと声のする方を振り向けば、壁際にネビロスみたいに偽物の笑顔を張り付けた少年がいた。

 一体いつ来たのか。いつからいたのか。全然気づかなかった。

 少年は丁寧にお辞儀した。

「初めまして。君がネビロス様御執心のリリーさんですね。僕はリリス王女の夫、ルシファーと申します」

 巧妙に計算しつくされた声音と動作。ずっとそんなやつを見てたから分かる。

 身構えつつ、臆さずに礼を返した。

「こちらこそ初めまして」

「へぇ。確かに肝の据わったお嬢さんですね。そして僕の本質を初見で看破するとは……なるほどただ者ではない」

「うさんくさいやつがずっと近くにいたもので。ところでまず感謝を述べさせてください。ネビロスにまとわりつかれて困ってたので、引き取ってもらえてスッキリしてます」

「おや、飼い主に見捨てられるとは。ネビロス様が聞いたら泣きますよ、きっと」

 勝手にウソ泣きしてろ。

 あと私は飼い主じゃない。

「それで、何の御用でしょうか? 私のようなただの子供に」

 ルシファー様は笑みを深めた。

「貴女には通じないようですから、単刀直入に言いましょう。実は僕はスパイ組織の者です。王と敵対し、リリス様の意にのみ従う者。貴女は人心操作の才能が通じない貴重な人材です。ぜひスカウトしたい」

「―――」

 私は眉をひそめた。

「おや。驚いてませんね」

「ええ、意外と。むしろ納得しました。ネビロスがあなたは政略でリリス王女と結婚させられたと言ってました。普通の男なわけがありません。そしてそういう組織と手を組むから、ネビロスが行った理由も分かろうというものです」

 きいてみた。

「あいつは王女様に協力する代わりに、私達の安全と衣食住を保障させた。違いますか」

 ルシファー様はあっさり肯定した。

「その通りです。ネビロス様の仲間だった貴女が王に捕まって人質にされても困るという意味でも、保護したい。うちの部下になるなら確実に守れますよ?」

「逆じゃないんですか。ネビロスがあなたたちを裏切らないための人質として、私を押さえておくんでしょう?」 

 答えはなかった。

「対価ですので、今日中に孤児院の皆さんには移動してもらいます。新しい支援者が現れ、もっといい住まいを用意してくれたと言ってね。対外的にはならず者どもの襲撃に遭い、全員殺害されたという体を装いますが」

 死んでいれば、王も何もできない。ネビロスが成長して「やっぱり殺しておいたほうが……」と思ったとしても、人質に取れないってことか。

「新しい住まいは組織の保護下にあります。ご心配なく。ネビロス様も近くにお住まいですよ」

 いや、あいつからはできる限り離れたい。

「というと、王都内ですか」

「むしろお膝元のほうが隠れるにはうってつけなんです。さて、どうでしょう? うちで働きませんか?」

「…………」

 私はため息ついた。

「……選択肢なんてないじゃないですか。知ってしまった以上、嫌だと言ったら消されるんでしょう」

 ルシファー様は笑顔のままだ。ネビロスみたいで腹が立つ。いや、それ以上に悪辣だ。

「理解が早くてなによりです。では、よろしくお願いします。あ、働いた分はきちんとお給料払いますよ」

 唯一のいい知らせね。

「ネビロス様にはくれぐれも貴女が組織の一員だということは内密に。貴女を引き込んだと知れば暴れるでしょう。おわかりでしょうが、ネビロス様は一歩間違えれば大変危険な方。貴女にはぜひ歯止めになってもらいたいです」

「……つつしんでご辞退申し上げます」

 かくして私は組織の一員となったのだった。


   ★


 ①ネビロスがだまされるとは思えないけど、もしいいように使われてるなら、引きずり出すのが私の役目。虎穴に入らざれば虎子を得ず。

 ②力と能力を身につけるには、プロぞろいの組織に入ったほうが効率的。

 ③そういう組織下に入れば、ネビロスから逃げるのに役立つかもしれない。

 以上の点から働くこと五年。

 クーデターは成功し、リリス王女は有言実行した。私はその間何やってたかっていうと、組織のバックアップで勉強し、研究者になってた。私に戦闘能力はなく、後方支援員のほうが合ってると判断されたためだ。

 機械を作る才能はそれにうってつけだった。組織の役に立つ器具をよく作らされた。

 ネビロスはっていうと、ほんとに離れて暮らしてるのか?というくらい毎日やって来た。あれ完全にストーキング。

 危険を感じて独り暮らし始め、やっと安住の地を見つけたと思ったが、そこも速攻でバレた。帰宅するの尾行したらしい。誰かあいつを牢屋にブチ込め。

 ある日、今日は会わずに済んでよかったと安堵して家のドアを開けると。

「リリー、お帰り! ごはんにする? お風呂にする? それとも僕?」

 バァン!

 条件反射とものすごい拒絶反応でドア閉めた。

 ……今の幻覚よね。

 うん、そうに違いない。そうだと言って。

 脳みそが全力で理解を拒否する。

「疲れてんのね、私。こんなろくでもない幻覚見るとか……寝よう。もいちど開いたら、きっと普通に私の部屋が見えるに違いない。うん、よし」

 意を決してドアノブを握り、引いた。

「ひどいなー。幻覚じゃないよ」

 しれっと現れたネビロスによって引きずり込まれた。

「ギャ―――――――!」

 誰か助けて―! おまわりさーん!

 犯罪者だ、まごうことなき犯罪者がここにいる!

「何でそんな化け物見た時みたいな反応してんの。ていうか、リリー、軽すぎ。まーた寝食忘れて没頭してたでしょ。貧血起こして倒れそうだなぁ。そうだっ、お姫様抱っこして運ぶね!」

 キラキラした顔で抱えられて運ばれた。私はパニック状態だ。

 照れでは断じてない。恐怖と絶望だ。

「だっ、なっ、どっ」

「何で部屋入ってるのかって? そんなの簡単だよ。僕、マスターキー持ってるもん」

 こいつが本当の大家か!

 最悪の事実を悟った。

 大家として紹介されたのは年配の女性だったはず。それでここは女性専用のアパートだと言ってた。

「あんたが裏にいたんかい! 道理でちょっと安いと思った!」

「未来の奥さんを守るのは夫の役目だもん」

「妄想も大概にしろ!」

「てわけで、ごはんも作っといたよ! ちゃんと栄養とらなきゃ倒れちゃうってば。健康管理も仕事のうちだよ」

 並んでたのはおいしそうな匂いの数々。

 これ全部作ったのか。一汁三菜、栄養素もバッチリなカロリー計算完璧メニュー。

 ……正直なお腹の虫が鳴いた。

「うう……」

「ほら、食べて。リリーのために作ったんだもん。愛妻料理♪」

「あんたは妻じゃない」

 ツッコミどころが多すぎる。

「リリーが食べてくれなきゃ、捨てるしかないよ」

「はぁ? 食べ物を粗末にするんじゃない! もったいない、食べるわよ! 仕方ないわね」

 しぶしぶ承知すると、ネビロスは私を下ろした。……自分が椅子に座って、膝の上に。

 問答無用でぶっとばしておいた。

「いただきます」

 料理に罪はない。箸を握り、手を合わせて食べ始めた。

 翌日、さっそくボスのルシファー様に直談判した。

「ネビロスを何とかしてください」

「リリーさんにできないことを、僕ができると思いますか?」

 あっさり切り捨てられた。

 ちょっとは考えないのか! ほんっとこの性悪上司はリリス様以外どうでもいいんだな!

「まぁ、あまりネビロス様にうろちょろされても困ります。君の監視報告はうちがやってネビロス様に報告してるわけですから、そこんとこで多少ごまかしておきますよ」

「ありがとうございます。というか、やっぱりやってたんですか」

「ネビロス様自身がやる暇はないでしょう? 人の手を借りなければできませんよね。協力者であり、プロがそろってるうちの組織以外どこに頼むと? それよりまずはきちんと食事をとるなど、君の生活を変えるべきですね。ネビロス様につけこまれないよう自衛が第一です」

 確かに。

 それ以降はなるべく生活に気をつけた。おかげでネビロスの毎日弁当差し入れ攻撃や、不法侵入&一方的家政夫行動は阻止できた。

 やがて私の任務は研究所でのもののみになった。珍しいもの・貴重な技術は狙われる。これは万国共通。産業スパイや破壊工作員阻止のため、組織のメンバーが配置されることになる。私はその潜入の手伝いや連絡員だ。

 そうやって、現にいくつか事件を食い止めた実例がある。詳しくは言えないけど。

 なんだかんだで月日は過ぎ……現在。

 結局私はあいつの嫁になる道を選んでしまった。

 一日十回くらいは自分の選択を後悔してる。

「ネビロス様から逃げられるとは思ってませんでしたが、君が自発的に選ぶとは思ってませんでしたよ」

「自分でも思ってます。やっぱり離婚届突きつけようかと」

「それはいけません。こちらとしても優秀な技術者で部下を失うわけにはいきませんし、ネビロス様が暴走しても困ります。逃亡の手伝いはしませんよ」

 ……この上司も最悪だ。

 笑顔で言うことがエグイ。

 よくまぁリリス様はこんなのにベタ惚れしてるもんだ。素直にすごいと思う。なんで本性知ってて平気なんだろう。

 朝、自室―――城の。半ば強制的に引っ越しさせられた―――で本読みながらそんな長~い回想をしてると、バーン!と勢いよくドアが開いて諸悪の根源が飛び込んできた。

「おはようっ、僕のお嫁さん!」

 ウザい物体が朝もはよから抱きついてきた。

「テンション高い。ウザい。離れろ」

 魔物すら凍る眼光を浴びせる。

「愛しの旦那さまに向ける目とセリフじゃないよー」

「別にあんたなんか好きじゃないし」

 クールに返した。

「ふふ、ツンデレだなぁ。そういう素直じゃないとこも好きだよ」

 本心だけど。

 さりげなく近づけてくる顔に、読んでた分厚い本押しつけておく。

「何のつもり」

「え? おはようの挨拶。新婚夫婦のお約束でしょ」

「どこの世界の常識だ」

「姉さまのとこはやってそうだよ」

「リリス様んとこを基準にするんじゃない」

 あそこはかなり特殊だ。

「朝起きたらお嫁さんが腕の中、ってシチュもやりたいのにー。一度もやらせてくれない」

「寝言は寝て言え。さ、朝食の時間」

 無視して食堂へ向かった。

 そこにはすでに元王族の方々がせいぞろいしていた。

「おはようございます。遅れてすみません」

 リリス様はあっけらかんとして、

「いいのいいの! どうせ今日もネビロスがまとわりついてたんでしょ。しつこい弟でほんとゴメン」

 私が城のネビロスの住居に引っ越してくることになったのは、たぶんにリリス様たちの懇願によるところが大きい。どこかに家探して住むものだと思ってたら、必死で頼まれたんだ。

「ネビロスが建てた家だけは絶対ダメ! 取り壊させる! 新居ってのはホラ、お嫁さんの意見もちゃんと聞いて、ゆっくり建てなさい。ね?」

 さてはあいつ、屋敷と書いて監禁できる檻と読むもの作りやがったな。

 まっぴらなんで、お言葉に甘えた。

 ネビロスも兄姉全員に説教されてあきらめたようで、今は新たな家の計画に余念がない。で、しょっちゅう妄想暴走しては私のチョップが脳天に炸裂してる。

 さて、仕事に行こうとすると、当然のごとくネビロスもついてきた。

「何で来るの」

「お嫁さんを守るのは夫の役目だよ。リリーは重要な技術者で狙われる危険性高いんだから」

 スマホやネットを作り上げたことで、私は一躍国家的重要人物になってしまった。といっても組織の保護があるから、心配はしてない。

 まぁ実際は、組織が出る前にネビロスが危険人物片っ端から排除してるみたいだけど。

 前庭で待ってた通勤車もといペガサス馬車のドアを開け、ネビロスがうやうやしく手を差し出した。

「さ、どうぞ僕の奥様」

「…………」

 私はじろっと一睨みし、あきらめて手を取り乗り込んだ。

 これも徒歩通勤しようとしたら、リリス様はじめみんなに止められたのよね。通勤途中に狙われたらどうするんだって。

「大丈夫、歩かなくていい。僕がお姫様抱っこして運ぶよ。それが一番安全だね♡」

「ふざっけるな!」

 恥以外の何物でもないわ!

 脳みその血管ブチ切れそうになった記憶が新しい。

「そ、そうだよネビロス。普通に無難に馬車にしな」

「それなら誰も襲撃する気なくすようなやつに曳かせよ。レティ兄さん、ちょうどいい魔物とっ捕まえてない? ちょっと調教するよ」

「いても教えねーよ! お前以上に危険なやついんのか?!」

 まったくもってその通り。

 リリス様が前王コレクションの中から、比較的見た目ソフトなカッコイイ系黒ペガサス馬車を掘り出してきて、やっとこさ落着した。

 研究所内までネビロスは当然のようについてくる。誰も止めない。

「誰か止めてほしいわ、ったく。で、今日はどうすんの? ずっといるの、出かけるの?」

 ネビロスは日によって一日中いる時と、フラッと出かける時がある。出かける際は必ずボス直属の精鋭を護衛として置いて行く。

 そうそう、通ってた大学はさっさと卒業した。元々とっくに卒業してるはずなのを、無理いって在籍させてもらってたわけで。

 だから出かけて何してるのやら。ちっとも知りたくないけど。

「ん―、今日はリリーといる。新婚だもんね」

 腰に回してくる腕をつねった。

「後ろから抱きつくな。まぁ、こっちとしてもあんたが見えるとこにいれば、悪さしなくて安心か」

「僕といられてうれしいとか、超幸せ!」

「どうやったらそう曲解できる」

「リリー大好きっ!」

 姉君みたく抱きついてきたが、ボスと違って私は頭ひっつかみ、ひきはがした。

「リリス様ならほほえましくても、あんたはほほえましくも何ともない。離れろ」

「痛い痛い、ハゲるハゲる。なんで僕はダメなの~?」

「リリス様は無邪気でかわいらしい方だけど、あんたは邪悪の塊だから」

 頭はひっぺがしたものの、体まではガッチリ食らいついてて離れなかった。

 くそぅ、無駄に腕力ありやがる。

 しかもなまじ助手できるレベルの知識あるもんだから、出て行けとも言いづらい。

「リリーの助けになればと思って、がんばって身に着けたんだ」

「あんた、ストーカー行為が減った代わりにベタベタしてくるのが増えたんじゃない?」

 一緒に暮らしてて、つけ回す必要がなくなっただけともいうが。

「だって、長く片思いしてやっと手に入れたお嫁さんとイチャイチャしたい~。リリー、愛してる!」

「あっそ」

「ねぇ、リリー」

 ふと変わった真剣な声音に振り向いた。

 ネビロスはどこかすがるような目をしていた。

「僕にはリリーだけなんだ。リリーだけが、僕をまっとうな人間でいさせてくれる。おかしくなったら、ちゃんと叱って引き戻してくれる。ずーっと一緒にいてね」

「…………」

 私は黙って夫となった人物を見あげた。

 ……まるで子供みたい。

 いつも甘えん坊だけど、あれは『弟キャラ』を演じてるだけだ。

 でも私に対しては違う。()()()()()()()()()

 自分の利益を引き出そうとせず、利用目的でもない。

 ただ単に、本心から。

「―――バカね」

 ぺちっと頬を軽くたたいた。

「あんたは無自覚に人心操作してしまう。裏を返せば、いくら好意を向けられても、それは自分が仕向けたせいでしかない。そう分かってしまう。……悲しいわね」

「……リリー」

 ネビロスが押し殺した声でうめいた。

 空しいよね。全部本物じゃないんだもの。

「でも、私だけは通用しないんでしょ。だったら私があげるわよ。何年経っても忠犬みたく後ついてきて、本気度は分かったし。だから妻になってあげたんじゃないの」

 そっけなく言いつつ、両頬を包みこんだ。

「仕方ないから、ずっと傍にいてあげるわよ」

「…………っ」

 このバカに本物の無償の愛を注げるのは、他にはリリス様たち兄姉だけ。家族以外だと本当に私しかいない。

 私はね。孤独な甘えん坊のおバカさんを、抱きしめてあげたいと思ったのよ。

 ネビロスは一瞬泣きそうに顔をゆがめた後、それを隠すように肩にうずめてきた。

「リリー、大好きだよ」

「知ってる」

 それが本当だと、とっくに知ってるわよ。


   ☆



 僕のお嫁さんは世界一だ。

「堂々と世界中に明言したい」って拳握ったら、お嫁さんから鉄拳食らいそうになった。なんでだろう。

 今日も朝から熱烈な愛情表現してみた。

「おはようっ、僕の大好きな大好きなお嫁さんっ!」

 愛しの妻に朝の挨拶=抱きついた。

 並みの魔物なら瞬間冷凍される眼光食らった。

「テンション高い。ウザい。離れろ」

 うーん、今日も朝からクールで素敵。

「最愛の旦那さまに向ける目とセリフじゃないなぁ」

「誰が最愛だ誰が」

「もちろん僕♪」

 ゴミを見る目向けられた。

 でも平気。照れ隠しなの知ってるもんね。だって、耳がちょこっと赤いもん。

 言っとくけど僕はツンデレ萌えなわけじゃない。誰でもいいわけじゃなく、リリーだからいいんだ。

 この気持ちを自覚したのは幼い頃。生意気で鼻持ちならないクソガキだった僕は、マインドコントロールが上手かっただけに天狗になり、自分が何でもできると驕ってた。

 母さんの死で止められる人がいなくなり、リミッターが外れたんだろうなぁ。それを止めてくれたのがリリーだった。

 いやぁ、あれは衝撃だったよね。

 思い出して頬をさする。

 一瞬で目が覚めるいい攻撃だったよ。うん、マジで痛かった。

 思えば僕ってそれまで誰かに叩かれたことないんだよね。母さんも「言葉で諭す」人だったし、手をあげたことはなかった。文字通り初めて「痛み」を感じた瞬間だった。

 鮮烈な体験に、おかしくなってた思考が正常へと戻ったんだ。

 ……僕は何をしようとしてた?

 真っ先に思ったのは恐怖。

 何がまずいって、自分がおかしいって自覚すらなかったことだよ。

 大量の屍を踏みつけてでも突き進むつもりだった。家族と思い、あんなに大事にしてた孤児院仲間すら切り捨てて。

 リリーが止めてくれなければ、一体僕はどうなってただろう。

 唯一僕の力が通じず、どんなにやせ細っても僕の施しを受けようとしない少女。思い通りにならないたった一人の人物。

 僕は暴走しても自分で気づくことができないんだと悟った。たぶん、気をつけていてもまったく自覚なくやってしまう。それはどれほど恐ろしいことだろう。

 誰か教えてくれる人がいなければいけない。僕を見張り、制御してくれる誰かが。

 それはもちろん一人しかいない。

 幼いながらも悟った僕は、じっとリリーを見つめた。

 どうすればずっとリリーが僕の傍にいてくれる?

 結論はこれ。

「リリー、大好き! 付き合って!」

 快哉を叫びたい気分だった。

 これっきゃない!

 最高の解決法じゃん!

 感極まって抱きついたら、勢い余って押し倒しちゃった。

 おっと。

 とっさにリリーの体を衝撃から守る。

「ぎゃあああああああ!」

 ものすごい悲鳴が聞こえた気がしたけど、気のせいだよね、うん。

「離れろバカ――!」

「やだよ。付き合ってくれるなら一旦離れてもいいけど?」

「誰が付き合うか! つーか、私達の年考えろ!」

「愛があれば年なんか関係ないって、どっかの誰かが言ってなかったっけ」

「愛なんか私にはない! 意味も違う!」

「えー。リリーを他の男に取られないようにするには、恋人になるのが一番なのにな」

 リリーは僕のもの。もう決めた。今そう決めたんだもん。

 彼女がいなきゃ、僕はまたおかしくなるかもしれない。ていうか、その可能性が高い。

 次の悪王が生まれないようにするために、彼女は必要不可欠だ。

 よし、リリーの周りの危険はチリ一つ残さず全部掃除しなきゃ。どんな手使っても、徹底的にね。うんうん、世の平和のためだ、仕方ないでしょ?

 とか考えてたら、リリーの顔色が悪化してた。

 あ、もしかしてまたヤバイ方に行ってた?

 うーん。やっぱ僕ダメだな。

 待てよ、リリーもしかして単純に貧血なのかも。栄養失調だし。

「リリー、具合悪いの?!」

 オロオロしてたら、思いっきりねめつけられた。

 おおっ。これまた初めての経験。僕にこんな塩対応する人、これまでいなかったもん。

 これはこれで楽しい。

「冷やかな目もいいなぁ」

 ポロっと本音漏らしたら、ドン引きされた。

 全力で逃げようとするリリーを必死で捕まえる。懇願に近い形で傍にいてほしいと頼み込んだ。

 ていうか、プロポーズっぽかった。

 結婚。

 その単語に、ぱあっと視界が薔薇色になった。

 そうだよ。付き合うより結婚すれば、名実ともに一生共にいてくれる。

「ねぇリリー、結婚して?」

 改めて求婚すると、速攻拒否られた。

 ……あきらめない。

 それからというもの、連日アピールし続けた。同時に人を操るのはやめる。リリーに嫌われたくない、ただその一心だった。

 まっとうな手段で食料を手に入れれば、リリーも食べてくれた。これで餓死は防げた。

「次は……リリー、ほんとは勉強したいんだよね。どうしたらいいかな……」

 そこへ現れたのがルシファーの父である公爵だった。異母姉である『唯一の王女』が僕らを集めてるという。

 行ってみることにした。罠であっても切り抜けられると思ったし、逆にこっちの目的に利用できるんじゃないかとふんで。

 待ってたのは意外な結果だった。

 またしても僕は鼻っ柱へし折られることになる。

 自分がただのガキだと痛感した。世の中にはこんなすごい人たちがいたのか。

 頭がよく、マルチな才能を持つ長兄。僕同様人心操作の才能を持ちながら、人を喜ばせるために使う次兄。性格は難アリでも商才のある三番目の兄。戦闘能力がハンパない、人徳のある四番目の兄。トラウマを持ちながらも優れた医師として人々を救う五番目の兄。

 そして何より、地位も何もかも捨てる勇気を持つ姉。

 ―――敵わない。

「僕、姉さまの所に行くことにしたよ」

 リリーにだけは本当のことを話しておいた。

 彼女が何の憂いもなく、好きなだけ勉強できるよう、公爵と取引した。公爵としてもリリーに科学の才能があると分かると、願ったりかなったりな話だった。

 リリーが働く研究所も、元は組織が作った私設機関だ。彼女のために僕が作らせた。クーデター成功してアホ親父が消えるまで、リリーの存在は隠しておきたかった。

 ルシファーに頼んで常に組織からプロのボディガードをつけてもらい、同僚たちも手なづけて無自覚な監視者にした。こうして無事、リリーの身の安全は守られた。

 計画通り五年後にアホ親父を倒したけど、あいつのことなんてもうどうでもよかった。

 ようやく堂々とリリーを妻にできる。姉さまが「メカに強い人紹介してほしい」って言いだしたのも、渡りに船だった。紹介するのにちょうどいい。彼女が僕の奥さんになる人だよーってね。

「ほどほどにしないと嫌われますよ」

 ルシファーがあきれて言った。

「好きな子からかってかまってほしい子供みたいですよ」

「違うよ。僕はいつもストレートに愛情表現してるもん。リリーには小細工通じないしね。毎回本気」

「リリス様の弟君ですから、本気なのは分かってます」

 実感こもってるね。

「ねぇ。じゃあさぁ、逆にいけそうなプロポーズの仕方教えてよ」

「…………。僕は経験がないので分かりません」

 なんかちょっと微妙にいたたまれない気分になった。

 姉さまがうん、なんていうか、ねぇ……。

 ふと質問してみた。

「受ける側の気持ちよく分かってるよね? あのさ、グイグイ迫られるのってどんな気持ち? リリーがどう思ってるか知りたい。参考として教えて」

「僕とはだいぶ違うケースと思いますが。そうですねぇ、正直、最初にきたのはパニックですね。いくら僕でも、あまりに予想外な事態すぎて」

「あー……。それでリリーも青くなってたのかな?」

「よくよく話を聞いてみればリリス様はすばらしい方だと分かりましたので、一生お支えしようと思いました。それで承諾したわけです」

「うん、ノロケはいらない。ちょっと黙ろうか」

 姉さまは上手くいったのに、どうして僕は上手くいかないんだろ?

 次兄に聞いてみた。

「ナキア兄さん。女の子って、ちょっと強引な男が好きなんじゃないの?」

「好みは人それぞれだろー。お前のリリーちゃんには逆効果だな。自分勝手で尊大、自分を尊重してくれないと思われるだけだ。だから手に入れるために誘拐監禁とかすんじゃねーぞ。それ犯罪」

「ええ、だめ? ずっとリリーと二人っきりって幸せじゃん」

「自然とそーゆー思考に走るのがあぶねぇっつってんだよ!」

 持ってたスパチュラで頭たたかれた。

「いたい~。ナキア兄さんも僕と同じ人種のくせに、なんで全然違うのさ」

「ま、始まりはオレだって自分のためさ。生きるために食いっぱぐれない職に就きたかっただけだ。でもそんなオレの料理で人が喜んでくれる。うれしいなぁって思ったんだよ。オレが操ったからじゃない、心からの本物の笑顔がほしい。それはお前もだろ?」

 本物の笑顔。偽物じゃない好意。それは僕らにとってはえがたいものだった。

「……うん。そうだね」

「幸いお前はそんな相手を見つけたんだ。彼女の幸せのためにその力は使え。いいな、くれぐれもお前の独りよがりな『幸せ』のためにじゃねーぞ」

 思い切り釘さされた。

 そんな僕危ういかな。

 まぁ、同類のナキア兄さんの言うことは聞いとこう。

 理想のマイホーム計画はあきらめ、誠実・真剣な求婚を続けた。……そしたらリリーの周囲がきなくさくなってきた。

 アイデアや製品を盗もうとする者。リリーの才能を狙う者。最悪なのだと、リリーを誘拐し、拷問して口を割らせようってのもいた。

 速やかに排除しておいたよ。

 ルシファーは苦言を呈してきた。

「ネビロス様……痛めつけるのはいいですが、口をきける程度にしておいてもらえますか。あれじゃ尋問できません」

「吐かせるだけ吐かせた後だよ。ちゃんと証拠撮ってあるじゃん。殺してないし」

「殺人じゃリリーさんに嫌われるからしないだけですよね」

「あいつらがリリーにやろうと考えてたこと実行してあげただけだよ? 自分がやられたくないことを人にやろうとしてたんだって、気付いてもらわなきゃ」

「本職も引く所業しないでください」

 あ、引いたの? ふーん。で?

「イライラされてますね。リリス様がファッションショーにリリーさんを出した結果、言い寄る男どもが増えたからでしょう? それは分かりますが、八つ当たりしないでください」

「あの時のリリー、素敵だったよね……! 僕のお嫁さん←予定ていうか決定事項、美人でしょって見せびらかしたくてOKしたら、まさかこんなことになるなんて。チッ」

 国内の邪魔者は潰し済みだから油断してた。さすがの僕も国外まで掌握はしてない。

 対処方法を真剣に練ってると、研究所に産業スパイが入りこんだって報告を受けた。

 しかもよりによってそいつはリリーに好意を抱いてる。リリーを自国へ連れ去った後は自分のものにしようとしてた。

 そいつがリリーに一目ぼれしたのはファッションショーの時だという。

 僕の自業自得。

 分かってていてもイラついた。平気なつもりでいたけど、長年フラれ続けたダメージは確実に僕の中に蓄積されてたっぽい。

 それがとうとう爆発した。やっぱりまったく自覚なく。

「―――さて、君は一体どこのスパイ? 逃げらんないし、白状したほうがいいよ。腱を切るんでもよかったんだけどさ、大事なリリーの仕事場汚したくないもん。掃除は別に苦じゃないけどさ、気分的にね」

 無様に転がる産業スパイを見下ろして言う。計算しつくした角度とタイミングで足を組んだ。あえて笑みも浮かべてみせる。

 自発的に吐いてもらおうと、生物学上の父親が実際やってた拷問を並べたててみせた。オーバーラップするの承知の上での行動だよ。

 おやおや、顔色悪いねー。でもだーめ。許さない。

 だって、僕のリリーに危害くわえようとしたでしょ?

 ドス黒い思考のまま、行動に移そうとした。

 そしたら。

「やめなさい、このバカ」

 パチン、て音と痛みがそれを破った。

 ―――!?

 実際はそんな痛かったわけじゃない。肉体的な痛みはほぼなかった。

 それだけに分かったんだよ。リリーがどうして今度は抑えて僕を平手打ちしたか。

 一気に思考能力が戻ってくる。

 呆然として顔を向ければ、リリーがいた。

「……リリー?」

 後ろに姉さまたちがいるのに気付き、理解した。

 ルシファーは産業スパイのこと知ってる。さては僕を止めるため、リリーに教えたな?

 睨みつけたけど受け流された。

「……僕はリリーを守りたかったんだよ」

 冷めた目向けてくるリリーに、おずおずと言い訳した。

「……リリー、怒ってる?」

 本気で怒ってるよね。あえて手加減して叩くほど。

 ため息ついたリリーは、あろうことか僕に小切手押しつけてきた。

 ざぁっと血の気が引いた。

 呆然と見つめる。

「……リリー、なんで」

「そのお金全部返さないと駄目だと思うから」

「…………っ」

 息をのむ。

 そうか。

 リリーは僕の存在自体、自分の人生から切り離したかったんだ。金を返すことによって、二度と関わるなと。

「……僕、そこまで嫌われてたんだ……」

 ははっ。

 自嘲するしかない。

 マインドコントロール得意なくせに妙なとこで鈍感。自覚症状がないとかさ。自分がそういうやつだって分かってたじゃないか。

 僕はリリーの気持ちが全然分かってなかった。

 ナキア兄さんが言ってた。独りよがりの幸せじゃなく、リリーの幸せを考えろって。ちゃんと忠告してくれてたのに。

 こんな自分勝手で危険な男、嫌いに決まってるじゃないか。

「いつもの調子でしつこく粘ったり、暴走したりしないの?」

「しないよ。人に八つ当たりしたら、リリー怒るじゃないか。これ以上嫌われたくないし……」

 嫌われてると知ってるくせに、未練がましい。

「当たり前でしょ。無関係の人たちに迷惑かけるんじゃない」

「分かってるよ。……でもさ、リリーは俺にとって大事な人なのは本当。小さい頃間違ってた僕を、きちんと叱ってくれたじゃない?」

「どの件? 多すぎてどれだか」

 事実だけど容赦ないな。

「僕が人を人とも思わず、利用するだけの駒だと思ってた頃だよ」

 姉さまたちが白い目向けてきた。

「生き延びるためとはいえ、けっこうやらかしてたもんだよね。あのまま大人になってたら、親父みたいに……それ以上ひどい暴君になってたと思う」

「でしょうね。だから私はあんたをひっぱたいてでも止めようとしたのよ」

「うん。あれで目覚めた。僕に操られず、本気で叱ってくれたから。だから、リリーがいれば大丈夫だと思った。親父みたいにならずに済むって。僕がその方に行こうとしたら、絶対止めてくれる。……でも―――」

 拳を握りしめ、必死に言葉を絞り出す。手の中の小切手がしわくちゃになった。

 がんばれ、僕。言え。

 さんざん迷惑かけたんだから、せめてもの償いしなきゃ。

 大丈夫。もしいよいよヤバくなった時用に、措置は講じてあるでしょ?

「リリーはそんなの嫌だったんだよね。ごめん、気づかなくて。そりゃ、いつまでも僕のお守りなんかしたくないよね。……ほんとにごめん」

 小切手を返そうとした。けど、リリーは断固として受け取らなかった。

 ……そっか、そうだよね。

 観念してしまう。後で破り捨てておけばいい。

「もう二度と迷惑かけないよ。近寄らないし、安心して」

 ちら、とルシファーに目配せした。

 頼むよ。あんたにしか頼めない。

 前に言っておいた手はず通りでよろしく。僕はこれからまっすぐあそこへ行く。後のことは任せたよ。

 用意しておいた屋敷へ向かうと視線で告げた。

 あそこはレティ兄さんが考えてたのとは違う、僕を閉じ込めておくための檻なんだ。間違ってもリリーを監禁するためのものじゃないよ。

 僕がいよいよ危険な存在になった時、そこへブチこんでほしいとルシファーに頼んでおいた。ルシファーなら本気出せば僕を取り押さえられるし、実の兄弟じゃないからドライに対応できる。

 僕がいなくなっても、組織の仕事で長期出張中とかごまかしてくれるだろうしね。周りはきっと失恋して傷心を癒す旅に出たと思うはず。

 自分で自分が信用できない。本当におかしくなったら、リリーまで傷つけてしまうかもしれない。そうしないためには、二度と出てこれない牢獄に入るしかないんだ。

 たとえ自分の想いが叶わなくても、愛する人が幸せていてくれるなら。

 ―――それでいい。

 不思議と安らか気分になれた。

 やっと僕はそう思えるようになったんだね。よかった。

 お母さん、そっちへ行ったら成長したねって喜んでくれるかな? 最期まで心配かけてたもんね。もう大丈夫だよ。

「はぁー」

 リリーが大きくまたため息ついた。

 ?

「ほんっっっと―――――――――におバカ」

 ぐいっと胸倉ひっつかまれたかと思うと、唇に柔らかいものが触れた。

「……!?」

 頭の中が?マークで埋め尽くされる。

 驚きすぎて言葉も出ない。真っ白。

 わー、リリーの顔近ーい。綺麗だなぁ。今日もキリッとクールビューティーでステキ。でも今はちょっと赤くなってる? ん? なんで? あ、そっか。キスしてるからかー。ふーん。

 ……………………。

 ………………。

 …………。

 え?

 ええええええええええええええええええええええええええええええええ?!←長っ

 距離取ったリリーは、赤い顔のまま睨んできた。

 うん、照れ隠しだね。わぁ、めっちゃデレてる。初めて見た。超かわいい。何コレこのかわいすぎる生き物。無意識な上目遣いとか、悶え死にさせる気? ここで萌え死にしても本望です。

「まぁ、合格点てことにしといてあげるわ。もし怒り狂って暴れ出するなら、本気で引導渡してやろうかと思ったけど」

「……? ???」

「バカだバカだとは思ってたけど、ここまで突き抜けた大馬鹿野郎だったとはねぇ。ったく、あんたみたいな事故物件、叱れんの私しかいないだろうから仕方ない。これからもっとビシバシしつけてやるわ。覚悟しなさい」

 事故物件なのは否定しない。むしろ全力で肯定するよ。

 ていうか、しつけってペットの犬? うんまぁ、リリーの忠実な犬ならなってもいいかなぁ。

「……あのー、リリーちゃん? 完璧にフるんじゃなかったの? えーと、それだとその、ネビロスと付き合ってもいいよみたいに聞こえたんですけどー」

 なんで敬語なの姉さま。

「そうですけど」

「ええええええええ?!」

 ボーゼン二度目。

 ああこれは夢だな夢。うんそうだ、そうに違いない。

 姉さまたちも必死で確認とる。

「でもほんとにこの愚弟でいいのか? ろくでなしだぞ。考え直されたら困るけど!」

「困るけど言っちゃうの分かる! リリーちゃん、もっかい確認させて。夢じゃないよね。この子のお嫁さんに来てくれる?!」

 彼女すっ飛ばして嫁になってるよ、姉さま。せっぱ詰まってるね。二度目はない危機感ハンパない。

「別にいいですけど、こいつの嫁になってくれる奇特な女性なんて他にいないでしょうからね。嫁になりますよ」

「―――!」

 感極まって祈りのポーズする姉さまたち。神でも崇めてるみたいになってるよ。

 うんまぁ、僕のリリーは女神様と言っても過言じゃないけど。

「ネビロス! ほら、あんたも何か言いなさい!」

「そうだ、いつまでも呆けてるなっ!」

「ここで黙ってたら、撤回されるかもしれませんよ」

「それはやだ――!」

 バンバン背中たたかれ、正気に返った。

「はっ! 都合よすぎる夢見てたよ。本格的にヤバいね僕」

「夢じゃなくて現実。ヤバいのは誰も否定しない事実だけどね」

 鋭いツッコミ。これはまぎれもなく本物だぁ。

 て、え? マジで?

 たっぷり数分は固まってたと思う。

 やおら、瞬間解凍してリリーに抱きついた。勝手に涙が出てくる。

 最後に泣いたのはいつだっただろう。たぶんお母さんが死んだ時だ。

「リリー! うわあああん!」

「うるさい。しつこい」

 しっしっと追い払う仕草されてもうれしい。

「ほんと?! ほんとに僕のお嫁さんになってくれるの?! だって、嫌いだって言ったじゃん!」

「言ってないし。そういうウザいところは嫌だけど」

「僕はそういうクールなとこ大好き!」

 だってそういう反応してくれるのリリーだけだもん!

「二度と僕とは関わりあいたくないんじゃなかったの? 関係断ち切るために、お金全額返すって。ていうか、よく僕が裏で糸引いてるって分かったね」

「分からないでか。別に、単に貸し借りナシの対等な立場にしたかっただけよ」

「金で買われたみたいに思われたくなかったのね、リリーちゃん」

 あ、なるほど。

「そんなこと言うやつはシメとくよ」

「あんたがそうやりそうだから、先手打ったんでしょうが」

 よくお分かりで。

「ところで気になるんだけど……リリーちゃんて、いつもネビロス嫌いオーラ前面に出してたけど、実はそんな嫌じゃなかったの?」

「いいえ。あれは本気で嫌でした」

 グフゥッ。地味にサクッと胸に刺さった。

「けどさ、嫁になってもいいってことは、ネビロスが好きではあったんだろ?」

 リリーは黙ってそっぽを向いた。

 耳が赤いのは気のせいじゃない。

「リリー! 僕のこと好きだったの?!」

「うるさい黙れ。認めない。私は絶対認めない」

「態度で分かるからそれでもいいよ~。ふふ、かーわいい」

「黙れ。どっか行け」

 つーんと顎をそらす仕草もかわいい。

「えーっと、自覚あったならどうしてもっと早くOKしてあげなかったの?」

「だってこいつ、初めて告白してきたの、さっき言ったひっぱたいた直後ですよ? 別の意味での告白だと思うじゃないですか」

「…………」

 違うよ?!

「ひどいよリリー! 僕は違うってばー! 姉さまたちまで! 僕が叱られてもうれしいのはリリーだけだよ?!」

「その発言、疑われてもしゃーねーぞ」

「違うのにぃ。ねぇリリー、後悔するま……じゃなくて逃……じゃなくて、これサインして? ね?」

 さりげなく婚姻届け出す。

「オイ。なんで持ち歩いてる。しかもお前の記入するとこきれいに埋まってんじゃねーか」

「え? 万が一、リリーが頭打って記憶喪失にでもなったら、あれこれふき込んでサインさ……嘘嘘」

 いけない、油断しすぎてポロッと。

「やっぱ取り消そうか……」

「さないでくださいお願いします―――!」

 泣きついて頼み込んでハンコ押してもらった。

 ……いやぁ、大変だったよねぇ。

「邪魔」

 回想に浸ってたら、思いきり顔面に分厚い本押しつけられた。

 固い。痛いよ。

 幸せボケのせいか、最近かわせるはずの物理的ツッコミくらうことが多くなってきたなぁ。まぁいいけど。

「何のつもり」

「え? おはようの挨拶。新婚夫婦のお約束でしょ」

「どこの世界の常識だ」

 姉さまのとこはやってそうだよ、いって言ったら基準がおかしいと返された。

 そうそう、リリーが城に引っ越してきてくれたんだよ。第一に、作った屋敷は僕の牢獄用であって、とても住める環境じゃないってこと。第二に、マイホームはちゃんとリリーの好みで作りたいから。第三に、リリーの身の安全確保。

 通勤手段も考えた。移動手段兼ボディガードとして使えそうな魔物でも調教しようとしたら、皆に止められちゃった。

 結局、姉さまが「これならカッコイイ系かつ無難ってことでリリーちゃんも許してくれるでしょ!」って黒ペガサス馬車発掘してきたんでそれになった。

 研究所に着き、仕事の準備しながらリリーがきく。

「今日はどうすんの?」

「ん―、今日はリリーといる。新婚だもんね」

 何のために助手できるレベルの知識と技術身につけたと。

「番犬が傍にいるのが一番安全じゃん?」

「どこがだ、この駄犬」

 むしろお前が一番危ないって? 一理あるね。

 ぎゅーっと抱きつきながらささやいた。

「僕にはリリーだけなんだ。リリーだけが、僕をまっとうな人間でいさせてくれる。おかしくなったら、ちゃんと叱って引き戻してくれる。ずーっと一緒にいてね」

 ……今でもこの幸せが信じられない時がある。

 やっぱ夢なんじゃないか。とうとう発狂して牢にいて、幻見てるんじゃないかって。

 自分がおかしいと知ってて気をつけてても、自覚なくその領域に足を踏み入れてしまう僕。

 ……自分が恐い。

 僕はただの弱いガキのままだ。

「―――バカね」

 ふっとリリーが笑った。

「仕方ないから、ずっと傍にいてあげるわよ」

 優しく頬を包んでくれる。

「…………っ」

 泣きそうだ。

 僕がずっと欲しかったもの。それは本物の愛情。

 だから姉さまたちにも懐いた。そして、肉親以外でくれるのはただ一人。

 妻になってくれた人を抱きしめた。

「リリー、大好きだよ」

「知ってる」

 よしよし、となでてくれた。

 ……安心する。

「さ、仕事するわよ。手伝いなさい」

「はーい!」

 犬みたくしっぽ振って、お嫁さんの後についていった。


 


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