六男ネビロスの決着
……というわけで、女子会が開かれている間、僕はリリス様のご兄弟全員を集めました。
ここは僕の仕事場です。城内某所にあるんですよ、組織の仕事をするための部屋が。
密談にはもってこいです。
それと、今日は父も呼びました。ルキフグス様へのアドバイスなら僕より父のほうがいいと思ったもので。
お茶を淹れていると、ネビロス様が手伝いながらささやいてきました。
「よくルキ兄さん連れてこれたね。仕事の鬼なのに」
「輝夜姫のことでグチ聞きますよと言ったら、あっさり来ましたよ」
「あー……」
サルガタナス様が「胃薬処方してもいいけど効かないどうしよう」ってオロオロしてます。
父がお茶がいきわたったところでパンパンと手をたたきました。
「はい! では、ざっくばらんにいきましょう。この場は男しかいませんし、身内だけですからね。で、ルキフグス様大丈夫ですか」
「大丈夫に見えるか?」
「いえ全く」
ぐったりげんなりしてますね。
顔色悪いのは仕事のせいだけじゃなさそうです。
「公爵にルシファー、教えてくれ。お前たちはどうやってこういう状況から立ち直った」
「私どもの場合、突撃してきたのは妹君ですがいいんですか」
「僕らに聞きますかそこを」
「こっちも真剣なんだよ! 経験者としてアドバイスくれ!」
かなり追い込まれてる感ありますね。
「はぁ、では……。ええと、正直ぼんやりしている暇がなかったんですよ。なにしろ息子が人質に取られるかどうかという状況下でしたから。リリス様の考えと本気度が分かると、すぐバックアップして行動するほうに全力を尽くしました」
ルキフグス様は最初の部分にハッとして、
「そうか。俺もぼんやりしてる暇なんかない。仕事が山積みなんだ。しばらく缶詰に―――」
「待ったー!」
全員総出で止めました。
そこにくいつかないでください。
「……ルキ兄さん、今度こそ過労死する。これ以上は医師として止める」
「ほら、サルガタナス様までこう言ってますよ! 主治医の言うことはききましょう」
父が代表して説得します。
「それに、逃げではありませんか? いいですか、女性が勇気を出して思いを告げてきたんです。きちんと答えを出すのが誠意というものですよ」
輝夜姫ははっきり告白してきたわけではありません。態度でモロバレというだけで。
でも誰もツッコミませんでした。
「誠意……」
「そうです。逃げずに真剣にご自分の心と向き合ってください。例えば……」
ルキフグス様は真面目に父の言葉を聞いてます。
父はリリス様やご兄弟にとっても父親代わり。特に最年長のルキフグス様には、自分より年上で頼れる大人は父しかいませんでした。実の父親のように慕っており、弟妹には言わない本音も漏らせます。
「……そうか。そうだよな」
真面目に考えこんでるあたり、涙が出ます。いい人すぎますよ。
「はい。では、輝夜姫のことをどう思っているか、本音をどうぞ」
父に促され、ついにルキフグス様は吠えました。
「あーもうっ! あの姫誰かどうにかしろ! なんで俺なんだよ、意味分かんねぇ! 『正義の王』だけでもめんどくさいってのに、娘までトラブル持ち込むんじゃねえ! 人の仕事増やすなよ!」
僕と弟たちは黙って聞いてました。
この方は、リリス様の前じゃ絶対こういうグチこぼせないんですよ。尊敬できる冷静沈着な兄でいたいと。妹はそれほどかわいいそうです。
が、弟や義弟となると取り繕う必要がない。口調もかなりくだけたものになります。
しっかり者の天才政治家でも、まだ二十代。ストレスぶちまけたくなる時もありますよねぇ。
こういう時最適な聞き役となるサタナキア様がうんうんとうなずきました。
「分かるぜ兄貴。ほれ、気分的なもんでしかねーけど飲めや」
「酒が効く体質になりてぇよ。ったく、何度も言うようになんで俺なんだ。元婚約者だって顔良し家柄良し性格良し、王配として理想的な男だったじゃないか。あれのどこが不満だったんだ」
「姫と元婚約者は同志・戦友といった表現が正しい間柄だったようですよ。恋愛感情ではなかった。元々政略的な婚約でしたしね」
僕は説明しました。
僕とリリス様のようにうまくいく政略結婚ばかりではありません。
「あのなぁ。俺はカタブツで融通が利かなくて、女心も分からない、気の利いたセリフの一つも言えない男だぞ。どこがいいんだ。ナキアやアガみたくモテるわけでもない。地味な奴をわざわざなんで」
「兄貴、違ぇから。どこが地味なんだよ、自分が女の子に人気あんの気づいてねーだけだっつーの!」
「ルキ兄貴のほうが俺よりよほど人気があるが」
ルキフグス様はまったく信じてないといった視線を向けました。
「兄貴―、アガのは金目当てで寄ってくる女ばっかなんだよ。それモテるって言わねぇ。この性悪傲慢野郎と違って兄貴は真面目でいい人だろ、純粋に人柄で好かれてんだよ」
「誰が性悪傲慢野郎だ、この軽薄野郎」
「こら、ケンカするな」
こんな時でもきちんと弟たちのケンカを止めるあたりが好感度高いんですよ。
「なんだよ兄貴、信じねーの?」
「これまで一度も女性から好意を持っていると告白されたことはない」
「仕事の邪魔しちゃいけねーって、みんな思いやってんだよ。自分の体より仕事を大事にしてるのは誰もが知ってる。遠慮してるだけだって」
フルーレティ様が肩をすくめます。ネビロス様まで、
「ていうかルキ兄さん、冷静に考えてみなよ。僕ら兄弟の中で付き合うなら?って女性に聞いたらどうなると思う? ナンバーワンはルキ兄さんに決まってんじゃん」
「そんな馬鹿な」
「優しいっていえば聞こえはいいけど、八方美人のナキア兄さん。傲岸不遜、プライド激高のアガ兄さん。自分より男友達とワイワイやるのを優先されそうなレティ兄さん。無口で何考えてるか分かんないルガ兄さん。極めつけは一人に異常に固執してて、彼女のためなら何でもするストーカー気質の僕だよ」
「自覚があるならやめろ」
一同総ツッコミ。
父がまとめました。
「えー、ようするに姫にしてみれば、長らく敵対関係にあった隣国の実質最高権力者が自分の好みどストライクだったわけです。客観的にみても、色んな点でルキフグス様のほうが魅力的ですしね。そりゃ乗り換えますって」
「誰が最高権力者だ、誰が」
「貴方ですよ。リリス様が権力を放棄して一切政治に関わっていない今、この国を動かしているのは誰ですか」
「軍事面ではフルーレティ様なので、共同統治とも言えますかね。真面目な話、お二人は現在超人気物件ですよ。認知されてなかったとはいえ紛れもなく前王の子で王子であり、やろうと思えば貴方がたと己の娘を結婚させて王政復古できますしね」
「うげぇ」×2
見事なハモリです。
現女王はリリス様。しかしすでに名ばかりの女王であり、「有能な兄王子のほうが正当な王である」と主張する輩は依然います。
「勘弁してくれ。オレは王になんかなりたくねーよぉ」
「それを目論み、縁談持ちかけてきてる国もあるんですよ。アガリアレプト様のところで握りつぶしてますが」
「当然だろ。ふざけるな」
ブラコンのアガリアレプト様は、尊敬する長兄の嫁の基準がとてつもなく高いです。阻止する役にはもってこいです。
サタナキア様が眉を上げ、
「でもさー、『正義の王』も姫も王制復活なんて考えるわけないだろ。姫は純粋に兄貴に惚れたんじゃね」
「婿に行くのも嫁にもらうのも、どっちだって火種にしかならないだろ。『正義の王』と争いたくはない。何の利もないじゃないか」
逆にこちらは和平を結びたいんですよね。
「大体、姫は分かってるのか。俺は法的にも自分の認識でも王族じゃないんだ。俺と結婚してこっちで暮らすってことは、『姫』の地位も権利も全て失うって意味だぞ。一般人になるんだ」
「それくらいは分かってんじゃ……」
「俺たちは初めから王族でなく平民として生きてきたからなんてことないが、次期女王として育てられ、相応の暮らしをしてきた輝夜姫が平民の暮らしに耐えられると思うか? 実情を知らないだろ。蝶よ花よと甘やかされた温室育ちのお姫様が我慢できるわけがない。まして他国に一人きり、すぐ音をあげるさ。そんで後悔するんだ。贅沢な暮らしと王になる権利を棒に振った愚かな自分の行為をな」
「…………」
ルキフグス様は苦々し気にグラスを置きました。
「そうなってからじゃ遅い。分かりきったそんな結果になる前に、さっさと帰った方が身のためだ。はっきり言ってやりたいよ」
「…………」
僕たちは目配せを交わし合いました。
どうやら皆同じことに気付いたようです。
ルキフグス様が否定の理由として挙げたのは、どれも「姫が嫌いだから」ではなく、彼女の立場を思いやってのことだと。
姫が好きか嫌いか、一言も口にしていません。
王位や継承権を捨てるのがどういうことか、ルキフグス様はよくご存じです。ご自身は初めから王族としての暮らしなどしたことがないため、権利を放棄してもたいした違いはありませんでした。しかし輝夜姫は違う。
ルキフグス様を婿にとったとしても父王は認めず、王位継承権をはく奪される可能性が高い。そうなれば生活は厳しいものになるでしょう。
こちらの国に嫁に来たとしても、ルキフグス様は引退を明言しており、いずれにせよ平民になる。まぁ相応の蓄えはあるので一般的な貴族レベルの生活水準は保てるでしょうが、王族クラスにはとても及びません。
姫も理想と願望だけで一体どこまで耐えられるか。ルキフグス様の言ってることは正しいです。
父はおもむろに質問しました。
「ところで、考古学者のローレル嬢はどう思いますか」
「教授の娘さん? 教授同様実直な学者のようだな。つい授業を初めて没頭する教授を心配する、いい娘さんじゃないか。ああそうだ、引退したら教授に個人授業してもらえないか、令嬢にも頼んでおこう」
ガクッとサタナキア様の肩が落ちました。
僕も同じ気分ですよ。
気になるのは教授の方ですか。今のところは父親の教授に頼むためのツテくらいにしか思ってないと。
……何だか未来予想図が見えますよ。このままでは、もしローレルさんと結婚したとしても、勉学への情熱のほうが高くて教授と議論してばかり。
嫁ほったらかしで義父とおしゃべりばっかりでは、確実に離婚言い渡されますね。
「私と仕事どっちが大事なの!」どころか、「私とお父さんの講義どっちが大事なの!」ってどういうことですか。
勉強熱心なのは悪いことではないし、かといってどうしたものやら。
父はあきらめてさっさと次のサタナキア様に移りました。
「では、サタナキア様」
「えええ、オレぇ? なに、順番なの?」
「はい。年の順に全員平等にいきましょう」
「うえ~」
本気で嫌がってますね。
「いいなと思う子はいないんですか」
「いるわけないじゃーん。オレはね、女の子はみんな平等・公平に好きなの。誰か一人特別扱いはしませーん」
兄君が睨んでますよ。
「ならば好みのタイプを教えてください。こちらで探します」
「強制的にお見合いさせる気かよ。マジ勘弁。あのさぁ、ぶっちゃけ、真面目に好みとか考えたことねーのよ。オレは住むとこと食い物がありゃ満足なの。恋人は必要と思わねーんだよ」
兄弟の上の三人はリリス様が集めた時すでに大人でした。不遇の時間が長く、それゆえ根が深い。
そもそも愛情を受けたことがないから理解できず、人に恋愛感情を抱くことができないんですね。
リリス様もそうなるはずでした。が、違う。なぜだろうとずっと思ってたんですが、前世の記憶なるものを聞いて腑に落ちました。親から愛情を受けたことがあったからだったんですね。
そのリリス様が兄弟の皆さんに家族愛を注ぐことで、彼らも家族への愛情は芽生えました。
ですからあと一歩だと思うんですけどねぇ。
恋愛感情が抱くことも不可能ではないのでは?
「女の子たちとしゃべるのは単純に楽しいよ。オレの料理のここがおいしいとか、ここをもっとこうしたらよくなるとか教えてくれるし。流行りのもん分かれば、それに乗れるしな」
「それただの試食とモニターです」
観点が違う。
「うん。それが何か問題でも?」
問題ありまくりでしょう。
ため息つきたくなりました。
サタナキア様にとって、美味い料理を作ることは生きるのに必要な条件でした。ですから分からないでもないのですが。
父は同じく過去の経験が根底にあるアガリアレプト様に話題を振りました。
「アガリアレプト様、先日のコンサート後にひと騒ぎあったそうですね」
「ふん。まったくだ、面倒くさい」
「貴方のその高圧的な態度も原因の一つですよ? アイリス嬢が仲裁に入ってくれなかったら、余計大変なことになってたんじゃないですか」
アガリアレプト様はただでさえ不機嫌なのをさらに悪化させました。
「ちっともひるまず意見してきた」
「威嚇を受け流すどころか意見できる余裕がある貴重な人材ですね」
「……まぁな。少しは骨があるらしい」
やはり。意外と好感度高いですね。リリス様に言った通りでした。
アガリアレプト様はこう見えて、能力のある者に対しては正当な評価をします。父王と違って反抗する者をむやみやたらと処刑したりはしないんですよ。
才能ある者は力を発揮できる場を与え、見どころがあれば最大限に伸ばす。こう見えて、人を使うのが上手いんですね。でなければ商人として成功してません。
「俺に大口たたいた以上、せいぜい働いてもらおう。国のイメージアップの役に立つだろう」
「ええ。はい、次はフルーレティ様の番です。まずはだいぶ地方の魔物も大人しくなりましたね。出動回数がかなり減ってます」
「ああ、さすがに噂が広がったみたいだ。自主的に投降してくるのや、和平もちかけてくるのも増えた。それでいいよ、あんま出張したくねーんだ。オレだって好きで戦ってるわけじゃねーし」
決して戦闘狂ではないのです。
「得意な部下たちにどんどん組織形態整えるの任せてるよ。選挙終わってオレが辞めてもちゃんと機能するようにしとかねーとな」
「ですね。ところで出張をしたくない本当の理由が他にあるんじゃないですか」
「え?」
「最近城勤務の男たちがスミレ嬢をかわいいと話題にしてましたね」
「―――」
とたんにフルーレティ様が殺気立ちました。
ちょっと、剣の柄に手をかけないでください。
周りにどす黒いオーラが渦巻いてます。サルガタナス様が恐がって、体を縮こまらせてるじゃないですか。
普通の人間ならこれだけで悲鳴あげて逃げてますね。
「彼女に好意を抱く男がいるのは気に入りませんか」
「ああ、気に入らねーなァ。そいつらの名前教えろ、ぶった斬ってやろうじゃねェか」
「チンピラみたいなしゃべり方になってますよ。あと、サルガタナス様が恐がってます」
「おっとと」
フルーレティ様は慌てて殺気を消しました。
「悪い、ルガ。大丈夫だ、お前に怒ったんじゃない」
「……うん」
「ごめんなー、ムカついたのはその野郎どもだ。でも考えてみればスミレの対人恐怖症はいまだに残ってるんだ。それ以前にそいつらが近寄れるわけもないんだから、そんな心配することなかったな!」
「いつまでそうやって言い訳してるつもりですか。さっさと結婚してしまえばいいでしょう」
「…………」
フルーレティ様は拳を握ったまま、口も開けたまま固まりました。
見ものです。これを部下が見たら、自分の気が狂ったか、この世の終わりかと思うでしょう。
サタナキア様があきれたように、
「つかさぁ、あの子が今も男とまともにしゃべれないの、こいつが囲い込んでるからだろ?」
「秘密を守るためだっと大義名分つけてな」
「自分以外の男が近づくと露骨に威嚇してるよな」
「……僕らが例外なのは兄弟だから」
「僕が言うのもなんだけど、レティ兄さんも大概だよ。ストーカー気質っぽいんで気を付けたほうがいい」
「ほんとにネビロス様が言うのもおかしいですよ」
フルーレティ様はまだ固まっており、じわじわ赤面し始めました。
……そう。リリス様は知らないんですが、フルーレティ様はとっくの昔にスミレさんを好きになってるんですよ。
本人も自覚してます。でもそれを頑なに隠してるんです。
リリス様に特にバレないようにしてるのは、「強くて頼れる兄貴」のイメージを壊したくないからだそうで。兄バカですね。
「……無理だっつーの……」
フルーレティ様はようやく動いて大きくため息つきました。
背に哀愁が漂ってます。
「向こうはオレのことなんて恩人か、よくても後見人としか思ってねーよ……」
「そうでしょうか」
一体何年このやりとり繰り返してることか。
第三者の視点に立てる僕からしてみれば、両想いなくせにお互い誤解・遠慮してすれ違い。
はあぁ、めんどくさい。
「どんな敵も恐れずつっこんでくくせに、どうして好きな子相手だとそこまで臆病なんですかねぇ……」
「うるせーやい」
「ゴチャゴチャ言ってないで、いいかげんプロポーズしてきてください」
「一足飛びにプロポーズかよ?!」
「こういう時はリリス様を見習いましょう」
「できるかっ! つーか、まず相手の保護者に話して承諾を得て交際を申し込むだろ、そんで文通か交換日記から始めて」
「意外と無駄に律儀で古風だよな」
ルキフグス様ですらあきれてます。律儀なとこは兄君譲りじゃないでしょうか。
父がたたみかけました。
「すでにスミレ嬢のご両親に許可取ってるじゃないですか。二人にとっても貴方は恩人です、異論のあるはずありませんでしたが。それに毎日会ってる相手に今さら文通だの交換日記だのって何ですか。フルーレティ様の交換日記はただの業務日誌になりそうな気が果てしなくしますし、怯えさせるだけなのでやめたほうがよろしいかと。というわけで、すでに購入済みの婚約指輪を使う時です。さぁさぁどうぞ」
「なんで知ってんだよ?!」
真っ赤になって慌てるフルーレティ様。
僕らは憐みの表情を浮かべました。むしろ気づかれてないと思ってたほうが驚きです。
「いやっ、公爵は知っててもおかしくないとして、兄貴たちまで知ってたのかよ?!」
「何言ってんだよ。オレとネビロスは相談受けて、買いに行くの付き合ったじゃんか。宝石取り寄せてくれたのもアガだろ」
「ナキア兄貴とネビロスは分かってるよっ。アガ兄貴にもしゃべったの?! 全員にバレてたのかよ! うわあああああ恥ずかしいいいいいぃぃぃ」
フルーレティ様は顔覆って隅っこに逃げました。そこが落ち着くんですね。
勇猛果敢な戦士らしからぬ逃亡。部下がこれ泣きますよパート2。
「わが弟ながらピュアなやつ……」
「付き合ってもいないのに婚約指輪買うとかキモイですが、結婚指輪に婚姻届け複数枚常備してるネビロス様よりはマシかと思ってしまうところが何とも言えません」
「ひどいなぁ、僕はキモくないよ。必ず実現させるって固く決意してるだけだよ」
父はネビロス様の意見をスルーして、
「サルガタナス様、各地の魔物が恭順の姿勢を見せてるのは貴方のおかげもあるんですよ」
「……なぜ?」
「魔物も治療してくれる医師がいるとの噂が魔物の間にも広まったんです。これまでにサルガタナス様が治療した魔物たちも平定に協力してくれて、複数同時に戦力を派遣できるようになりまして。おかげでフルーレティ様の負担が減ったというわけです」
先生のためなら喜んでやります、といかつい魔物たちがキビキビ働く様は壮観でした。
「……よかった」
兄の役に立ってうれしい、と本人もうれしそうです。
表情まったく変わってませんがね。
「研究所のジャスミン嬢も快く彼らを貸してくれましてね。しかし、彼女はずいぶんなドジっ子ですね」
「……ああ。気を付けてやらないと、と思う」
おっ、二文以上しゃべりましたよ。
「訪問した際はサルガタナス様がフォローして、何度も未然に防いだと聞きました。すばらしいです」
「……ほっとけなかったから。怪我しなくて、本当に良かった」
おお、続けてけっこうしゃべってます。珍しい。
「おやおや、どうやら好感触なようですね?」
「……………………」
あ、黙ってうつむいてしまいました。
「ルガ? どうし……おっと」
ルキフグス様がのぞきこむと、表情に乏しいサルガタナス様は珍しく頬を染めてました。
上三人の兄君たちがそろって肩をたたき、髪をわしゃわしゃやって頭を撫でます。
「シャイだなぁ、お前は。よしよし」
「いやー、ついにルガにも好きな子できたか! 兄ちゃん感激っ!」
「よかったよかった」
皆さん心配してましたからねぇ。
「……で、でも僕は口下手だし。どうしたら」
「嫁になれ、と命じればいい」
「こいつのアドバイスは聞くな。それやっちゃいけないやつ。ルガ、それ自分の時やんなよー? フラれんぞー?」
「は? そもそも俺は嫁なぞいらん」
「そだなぁ、普通に『好きです。付き合ってください』でいんじゃね? 言葉は短くても気持ちは伝わるさ。往診口実にちょいちょい会うようにして、彼女のフォローを続ける。そうやって好感度アップしたとこで言う! ……ただし、告白する期日は決めといたほうがいいな。期限、制限時間」
「……期限?」
「目標値っつーか。んー、よし、一か月後。その日までには必ず告白すること」
「……なぜ?」
「でなきゃズルズルいくぜ。レティみたく」
「オレを引き合いに出すなよおおおおおお」
実は兄弟一のヘタレピュアボーイがうめいてますが、全員無視しました。
「……一か月は短すぎる、と思う」
「うーん、僕もナキア兄さんに同意見かな。言っちゃ悪いけどルガ兄さんメンタル弱いじゃん。期限を半年とかにすると、それまでに潰れちゃうよ」
ネビロス様の分析は正しいです。
「数か月でも『まだ余裕ある、まだ大丈夫だ』って行動しないだろうし。一か月がいいとこじゃない? ハッパかける意味でもさ」
ルキフグス様が無理やり採決とりました。
「よし。ルガは一か月後の今日までに必ず告白すること! 強制的だろうがなんだろうが決めた」
「……ルキ兄さん。そんな無茶な」
「とにかくやってみなさい。やらないうちから弱音吐くな。いいか、もし玉砕しても落ち込むな。また次があるし、俺たちが肩貸してやる。がんばれ!」
全員で励ましました。
……で、長兄は末弟を振り返り、
「逆にネビロスはがんばるな」
「えええ? ひどくない?」
わざとらしく傷ついたふりしてますが、残念ながら誰もだまされませんでした。
「ご自分でストーカーと認めてませんでした?」
「はあぁー。いつになったらリリーあきらめて僕のお嫁さんになってくれるのかなぁ。十年以上がんばってるのに」
「あきらめて、って言いましたね今」
「毎日好き好きアピールして、一日一回は必ずプロポーズしてる。奨学金ってことにしてリリーの学費に生活費出したし、卒業後独り暮らし始めた時は通勤が楽なよう、近場に女性限定アパート管理人付き警備体制万全も用意したし」
「その管理人はおろか入居者全員、ネビロス様の息のかかった者ばかりだったじゃないですか」
「近所に質のいい食料品店やら好みの服屋・雑貨店にカフェ、本屋まで誘致したし」
「やたらリリー嬢の仕事関連の書籍の品ぞろえがいい本屋ですよね」
「我ながら尽くしてると思う。糟糠の妻ならぬ夫じゃない?」
「どこが!」
総ツッコミ入りました。
そのうち心労で禿げるんじゃないか心配なルキフグス様が髪をかきむしって、
「スケールおかしい! そこまでやってたのか! おいレティ、ネビロス捕まえて牢屋にぶち込んどけ!」
「ラジャー。えー、現在時刻は……」
「待ってよレティ兄さん、本気で手錠出さないで。ところでさぁ、リリーってああ見えて可愛いもの好きなんだよねー。クールな外見とのギャップがなんとも。僕が作ったハート型抱き枕、毎日使っててくれてうれしい」
「色々待てええええ!」
最後の一文、どこからツッコんでいいですか?
「作ったんですか?!」
「うん。裁縫は姉さまに教わって、ちょちょいとね。僕、器用だもん」
「リリス様は詳細ご存じで?!」
「知らないよ。目的教えるわけないじゃん、絶対反対されるって」
確信犯ですか。
「反対するわ! つか、それどうせ策を弄してバレずに渡したんだろ」
「まぁね。リリーが時々行く雑貨店で、通算千人目のお客様来店記念ってことにしてプレゼントしたんだ。他にも普通にコーヒー詰め合わせとかあげたよ」
この偽装工作ぶり、さらにタチが悪いです。
父が冷やかな視線を向けました。
「監視カメラや盗聴器仕込んでませんか」
「やってないよ。バレたらリリーに嫌われるじゃん」
他の行為もバレたら嫌われるんじゃないか?と全員が基準を疑問に思いました。
「待てよ。リリーちゃんが使ってるって知ってるってことは、室内に仕込んでないか? 別のとこに仕掛けてるだけじゃ?」
フルーレティ様が再度手錠を取り出しました。
「ちょっと署まで来い」
「わーん、違うって! ほんとほんと! リリーって研究に没頭すると寝食忘れちゃうんだよ。何日も飲まず食わずで貧血起こしたことあるんだ。それ以来、僕が時々家政婦代わりに行ってるの!」
「本人の承諾受けてねーだろ」
「ブツブツ言いつつご飯食べてくれてるよ? 食べ物残すのはもったいない、って素直じゃないんだからー」
「そこは額面通りに受け取れよ。ナキア兄貴、コイツに料理教えたのか?」
「お前たち同様、最低限を一回教えただけだぞ。大抵のことは一回見りゃできる器用さ発揮して、あとは自力でどうにかしたな」
「フルーレティ様こそ、ピッキング教えてません? 言っときますが、私も息子も教えてませんよ」
「教えるわけないだろ?! 100%ロクなことにならねーよ!」
激しく同感です。
「じゃあどうやって侵入……」
「企業秘密だよん。じゃ、バイトの時間だから行ってくるね~」
言うや否や、すっとんで逃げていきました。
あ、逃げました。
ルキフグス様が眉を上げ、
「ルシファー、お前んとこのバイトか?」
「まぁそうですね。リリーさんの職場に産業スパイが潜りこんでます。見習い、助手として。背後を探るために泳がせてましたが、そろそろ頃合いだと削除しに行ったんでしょう」
「削除って表現が。しかし産業スパイはやはり来たか」
この可能性はすでに検討され、対策済みです。特にリリーさんの研究所はインターネットにスマホを作り出したところ、各国が喉から手が出るほど欲しい技術であふれてます。
「ま、もれなくネビロス様という番犬もとい狂犬の餌食になってますが」
「前から聞きたかったんだが……研究所がらみはネビロスに一任してるとはいえ、捕まえるだけで済んでるのか?」
僕と父とフルーレティ様はスッと視線をそらしました。
「おい」
「えー……殺してはいません。はい」
「ほっといてもペラペラしゃべってくれる状態で渡してくれまして、尋問の手間は省けてます」
「…………。分かった、もういい、知りたくない」
もはや敵が気の毒になってきてるのは内緒にしておきましょう。
―――おっと。
僕はふいにドアの方を見ました。
「リリス様の足音がします」
「お前もたいがいアレだな……」
「ルシファー、いるー?」
元気よく僕の妻が入ってきました。
すかさず立ち上がって腕を広げると、迷うことなく飛び込んできます。しっかり抱きとめれば、五人に睨みつけられました。
まったく、いいかげん妹離れしてほしいものです。このシスコンどもが。これだからさっさとそれぞれ所帯持ってほしいんですよ。
「どうしましたか、リリス様。ほんの少しの間ですが、離れていて僕は寂しかったです」
「あたしもっ。あ、ねぇ、それでさ、ちょっと来てくれる? レティ兄さまも」
ちょいちょいと手招きします。
「オレも?」
「うん。なんかね、リリーちゃんがレティ兄さまに来てほしいんだって。職場に産業スパイが入り込んでるから、ネビロスが息の根止める前に保護……じゃなかった、逮捕してくれって」
僕たちは顔を見合わせました。
「リリーちゃんも思わず『保護』って単語出てくるあたり、分かってんなー。ネビロスに捕まるより、牢屋のほうがマシだろうよ」
「殺しはしないまでも、九割殺しにはするでしょうね。行きましょう」
「九割殺しって何。うん。そうね。レティ兄さまにあたしにルシファーの三人がかりなら何とか止められると思う」
僕らは急いで事件を未然に防ぎに走りました。
☆
同時刻、こちらは女子会会場でーす。
「みんな、今日は集まってくれてありがとう!」
兄嫁候補たちを見回して言った。
いやぁ、きれーな女の子に囲まれて幸せですなぁ。←オッサンか
同性だって、こんな色とりどりの美女がそろってたらうれしいってば。
「じゃ、まずは紹介しよっかねっ。こちらは隣国の王女輝夜姫。交流のために訪ねてきたの」
てことにしておく。
姫は優雅に挨拶した。
「初めまして。これまで国交がなかったので、こちらの国の方とおしゃべりできるのをとても楽しみにしてました。今日はぜひ、私が姫ということは忘れてざっくばらんに女同士の話をしたいです。よろしくね」
姫のドレスはあたしが宣伝のために提供した、和風テイスト。着物ドレスに近いね。
桜モチーフの和柄で、布自体の色は白。金の装飾代わりに金糸を縫い込んである。金糸なら金そのものじゃないから軽いでしょ。
有名な輝夜姫を前に、さすがにみんな緊張してるっぽい。
まぁねー、比較対象の自国の女王がコレだもん。威厳も優雅さもカケラもない、暴走特急娘、それがあたしっす。
わっはっは。
それでいいんだよ。
権力放棄したお飾り女王なんて、アホと思われてるくらいでちょうどいい。
「まぁまぁ、みんな、そう固くならずに。はーい、次いきましょ。年の順で紹介させてもらうね。こちら、長らく亡命してて最近帰国した考古学者ローレルさん。国内の遺跡発掘や調査をお願いしてるんだ。いずれ観光事業に使えないかなーと思ってね」
「初めまして。私は長く国を離れていたし、勉強しかしてこなかったので人と話すのは苦手なのですが……よろしくお願いします」
ローレルさんの服装は学者らしくガヴァネス(女教師)風にしてみました。地味だけど磨けば光るタイプね。
誠実で堅実、コツコツ仕事する穏やかな気質のローレルさんに合う深緑の落ち着いた色調。
ああそうそう、席順はあたしの右隣を輝夜姫にし、それから先は年齢順にぐるっと円をかいて座ってる状態。
スミレちゃんだけは対人恐怖症なため、別枠としてあたしの左隣にいる。相手が女性ならパニックにはならないけど、初対面の人は恐くて半分あたしに隠れるようにしてるよ。
「お次は昨日すばらしい演奏を披露してくれたピアニストのアイリスさん」
「初めまして。私はこの通り目が見えません。でもその点は気にせず普通に接して下さると助かります」
アイリスさんは薄い水色でマーメイドラインぽいドレス。ちゃんと足にまとわりつかず転ばないよう、素材まで配慮してる。
あ、ピアノ→歌→人魚でマーメイドラインって単純な連想ね。
「その隣は魔物研究所所長ジャスミンさん。魔物の毒に対する薬作りとか、魔物と協力して平和利用を目指す研究機関ね」
「初めまして。名称からすると怪しく聞こえるかもですが、うちはほんとにちゃんとした研究機関ですっ。よ、よろしくお願いしま……」
ゴンっていい音がした。
テーブルにおでこ強打したジャスミンさんがうめく。
「あううううう……」
本日もドジ絶好調。
ドレスも安定の黄色枠にしてよかったわー。ねえ、日曜朝某女児向けアニメ系を実写でやったら黄色役やってくれる?
リリーちゃんが冷静にバッグから冷却シート取り出して貼ってあげた。
ソーイングセットどころか、最低限の救急セットまで持ってるのね。さっすが準備万端委員長。頼れる姉御ですな。
「大丈夫? 今、冷却シートくれたのが魔法機械研究所所属、インターネットやスマホ開発の功労者リリーちゃん。ていうか、よく救急セットまで常備してるね」
「万一ということがありますから。皆さま、よろしくお願いします」
眼鏡くいってやって答え、きっちりした角度でお辞儀する秀才。
名門女子校の寮長っぽくも見える服にしたもんで余計。ネビロスがはしゃがないよう、ストイックにした結果なんだけどね。
ネビロスといえば、さっきまで断固リリーちゃんの隣に居座ろうとしてたっけ。で、とうとう「女子会だっつったろ!」って蹴飛ばされて追い出されてた。
あたしは左後ろを振り返った。フードとダテ眼鏡で顔をほぼ隠してるスミレちゃんが震えてる。
侍女の制服はまずいんで、紫色のシンプルなワンピースに着がえさせた。顔を隠せるよう、それにいつものパーカーを羽織ってる。
完全防備だ。年齢も顔立ちすら分からない。
ドレスコードにはひっかかる服装だろうけど、初めにみんなにスミレちゃんの対人恐怖症について話して理解を求めた。みんな理解してくれて、むしろ「無理しないでね」って心配してくれた。
「最後にこの子。最初も言った、長いことあたしのお付きやっててくれてるスミレちゃん。ちょっと人としゃべるのが苦手で、人見知りが激しいんだけど温かい目で見てもらえるといいな」
「もちろんです。辛い思いをなさったのね。よろしくね、スミレさん」
輝夜姫が真っ先に微笑みかけた。
さすが生まれながらの王女にして『ヒロインの母』。慈愛に満ちた、純粋な笑みだ。これだけで誰もが穏やかな気持ちになれると言われるだけある。
そして真っ先に他国の王女が容認を表明することで、場の空気をよくする頭の回転の速さ。
スミレちゃんも少し安心したっぽい。つかんでる指の力が減った。
「……よ、よろしくお願いします……」
小さいけど確かにしゃべった!
前回登場時は比較的普通にしゃべってたじゃん?って?
いやぁ、身内や同僚なら平気でも、それ以外の人とはまずしゃべれないのよ。
つーか、安心して話せるのは家族とレティ兄さまだけ。かわいがってることを隠さないなあたしと主治医であるルガ兄さまは別枠として、他の兄さまたちとですら、いまだにどもる。
「スミレちゃん! よかったじゃん、初対面の人としゃべれたよー!」
喜びのハグ。
どもってようが小声だろうが、大きな進歩だ。
思った通り、輝夜姫のキャラ設定が上手く生きた。まぎれもない「善キャラ」で無条件に信頼できる彼女の力なら、いいほうに働くと思ったんだ。
「り、リリス様、苦しいです……」
「あ、ごめん。でもほんとよくがんばったね! ただね、きつくなったらいつでも言って。無理しないでね」
「は、はい……」
「ふふ。本当に姉妹みたいですね」
輝夜姫がふんわり笑う。
「そりゃー、あたし男兄弟ばっかなもんで、姉妹もほしくてさ。妹代わりなんだ」
対人恐怖症の理由として説明した「過去のトラウマ」を、みんなバカ親父の仕業だろうと誤解してくれた。ま、わざとそう思うよう仕向けたんだけどね。
スミレちゃん一家の戸籍を偽造した時、アホ親父の圧政の被害者ってことにしてあるし。実際そういうケースは多かったから、誰も不審に思わない。
「さあ、自己紹介も終わったところでガールズトークといきましょか! そして女子会といえばこれしかないっ。話題はもちろん恋バナ、いってみよー!」
いえーい。ドンドン、パフパフ~←ラッパの音。
一人で拍手。
とまどって沈黙するみんなを無視し、ゴリ押しする。
「じゃ、言い出しっぺのあたしから! ま、既婚者なんでもちろんダンナさまのことになるんだけどー。ルシファーは超かっこよくって頭良くて優秀でイケメンでしょ。大好き~って言って抱きつくと優しく抱きしめ返してくれる優しい人なの。服作りの材料も持ち運んでくれる力持ちで、色んな意味で頼れる夫。それだけじゃなくて、疲れてるとプロ顔負けのマッサージしてくれるし、お茶淹れるのも本職並。それから……」
「リリス様。誰も止められなさそうなので私が止めます。ストップお願いします」
リリーちゃんが冷静に待ったをかけた。
「え、まだまだ言い足りないよ」
三日三晩は余裕でいける。
「いえ、リリス様がルシファー様大好きなのはみんな知ってます。ノロケはそのへんで」
「そう? なんかリリーちゃん止めるの慣れてるね」
「ああ……よくネビロスが戯言ほざきまくってるせいかもしれません。息継ぎナシでしゃべれるところ、さすが姉君ですね」
「いやーそれほどでも。……いつも弟がゴメン」
謝っとく。
「いいえ。あいつも大人です。自己責任ですよ」
「ソウネ。あのさ、きいてもいい? ぶっちゃけ、ネビロスのことどう思ってるの?」
手に汗握ってきいてみた。
超ドキドキだよ。ワクワクじゃなくてビクビクのほうね。
本気で嫌いって言われたらどうしよ……あの子、発狂するかも。それならまだいいか? 暴れてリリーちゃん誘拐監禁とかしようとしたら、悪いけどあたしはリリーちゃん助けて逃がすよ。
そこは譲れない。当たり前だ。いくら弟のためとはいえ、誰かを犠牲にするつもりはない。
最悪の場合、実の弟を殴ってでも阻止する。
悲壮な覚悟を胸に返答を待った。
「…………」
リリーちゃんは静かに紅茶の入ったカップを持ち上げた。
「端的に言いますと、ウザいストーカー野郎です」
「だよねえええええ!」
ですよねー!
頭抱えた。
あああやっぱり破滅ルートか。
だ、大丈夫、なんとしてでもリリーちゃんは逃がすから! 安心して、そこは姉の義務です!
「―――大丈夫ですよ、リリス様」
リリーちゃんは落ち着き払ってお茶を飲み干した。
「えっ?」
「ちゃんと決着つけます。誰にも迷惑かけない形で。ずっと前から決めてました。ですから、ご心配なさらず」
「え……でも、一番危ないのはリリーちゃんだよ?」
つい言った。
「ネビロス、何やらかすか分かんないもん。もちろんそんなことになったらあたし全力で止めに入るし、どんな手段使っても逃がしてあげるから心配しないで!」
「泣きそうになりながらすごい決意してますね。ですから大丈夫ですよ。そうですね……今日中には片が付きます」
「へ?」
今日?
ぱちくり。
「き、急すぎ。え、ど、どうやって?」
「……それは後程ご覧にいれます」
リリーちゃんは話はそれで終わりとばかりにカップを置いた。
ええー、全然意味分からない。
だけどそこまで言うなら、これ以上はきかない。もう決めたというなら、意思を尊重する。
いざという時はすぐグーパンかませるように準備しとこうと思った。
「分かった。よしっ、次の人いこー。ジャスミンさんはいいなって思う人いない?」
「えっ?! 私ですか?!」
「うん、年齢順」
スミレちゃんは置いておくとして。
「はわわわわ」
パニクったジャスミンさんははずみでカップひっくり返しそうになった。
おっとぉ!
素早く手伸ばしたあたしが寸前でキャッチ。
「セーフ」
「あ、ありがとうございます。すみませんっ! その反射神経、さすが先生の妹君ですねっ」
「ははは。ルガ兄さまといえば、時々往診に行ってるそうだけど、どう?」
「みんな拝んでます。『先生を歩かせるわけにはいかん!』って、どっかからか材料調達してきて、輿作ってまして。それに乗せて所内ねり歩こうとしてました。さすがに止めましたけど」
百鬼夜行どころかファラオのおなりになってるうー。
「目に浮かぶわ」
「うちのコたちがはしゃぎすぎてすみません。控えるよう注意してるんですが、みんな尊敬する先生のために何かしたいって気持ちはわかります」
「そだね。ルガ兄さまも過去のトラウマが原因で人嫌いだしさ。小さい頃虐待されてたせいで、自己評価も低くて自信がない。そうやって大勢から必要とされるのってすごくうれしいと思うのよ」
医者として多くの患者を助けてて、なんでダメ人間と思い込んでるんだか。
「だからジャスミンさんのド……フォローするのもうれしいんだよ。こんな自分でも誰かの役に立てる、ってね」
ドジって言おうとしてごまかした。
ジャスミンさんはそんな、と拳握って力説した。
「とんでもない! サルガタナス先生はすごい方です! 優秀なお医者様な上、私がドジる前に防いでくださるんですもの!」
あ、自分でドジって言った。
「うん、今後もちょいちょい行くと思う。よろしくね」
「こちらこそ、むしろ土下座して頼み込んででも来ていただきたいです!」
魔物がずらっと並んで土下座ってすごい光景だな。
相手は医者で、往診頼んでるだけだけど。
「あ、そうだ。いいこと考えついた。あのさ、魔物一匹、ルガ兄さまの助手として貸してくれない?」
「助手、ですか? ああ、看護師として」
「そうじゃなくて、防波堤? ボディガード? 診察を完全予約制で重症患者優先にしたおかげでルガ兄さま目当ての女性はじくようにしたら、今度は病院の前で張ってるのが出るようになっちゃってさ」
アイドルの出待ちかっての。
「ルガ兄さま、前に肉食系の女性に迫られて以来、女性恐怖症でね」
「えっ……それは、私迷惑でしたね。えと、次からは男性に任せます」
おう、それは困る。
急いでヒラヒラ手を振って、
「しなくていいよ。ジャスミンさんは平気みたいだもん。特別なんだね」
「あはは……それは私がドジばっかで子どもみたいだからじゃないでしょうか。そもそも女性じゃなくて子供枠」
ええー。そっちって解釈します?
「そうかなぁ。だとしてもいいんだよ、リハビリってことで、ね。ともかく、魔物を防波堤として連れてれば、そのテの女は近づいてこないでしょ?」
「確かにそうですね。分かりました、体の大きさや器用さを考慮して、できそうなコを何人かリストアップしてみます。みんなやりたがって大変そう」
「うーん。魔物の軍団が出待ちしてたら、ヤクザのお偉いさんを待ってるみたいだね。患者さんたちが恐がらないよう、せいぜい院内は一人。外は送迎ってことで数匹いてもいいけどそんなとこかな」
リストできたら送ってもらうことにした。
「アイリスさんは気になる人いないの?」
順番とばかりにふってみた。
盲目のピアニストは苦笑して、
「ご期待に沿えず申し訳ないのですが、おりません。目の見えない私を妻にと望む方はなかなか……。それに、ピアノの練習で忙しいですし」
「やっぱ夫になる人は音楽できる人がいい?」
アガ兄さまは審美眼はあっても、自分で演奏したり絵描けたりするわけじゃない。人並みレベルはできるけど。
「音楽家同士で上手くいっている夫婦もいれば、下手にお互いできるだけに意見が合わず離婚する夫婦もおります。どちらともいえませんね。私個人としては、夫に芸術的素養は求めませんわ」
「音楽性の違いでバンド解散みたいなもんだね。まぁ、相手が芸術家であろうがなかろうが、結局はお互いの性格とかによるってことだよねー。芸術家って、中にはプライド高くて、ちょっとでも否定されるとすっごく怒る人いるもん。例えば昨日の画家みたいな」
改めてお礼を言った。
「昨日は助けてくれてありがとう。あのままじゃアガ兄さま、再起不能なまでにのしてただろうなぁ。なのにあんな態度でごめん」
「いえ。言いましたように、相手が女でも子供でも、さらに目の見えない女性でも平等に扱ってくれたという意味で好感持てましたわ。私たち障がい者に対して人が撮る態度で多いのは、軽蔑か、反対に過剰なまでに親切か。本当に対等に扱ってくれる人は少ないんです」
ちらっとあたしを見た。
「ですから女王様やご兄弟が私の目のことを気にせず普通に接して下さるのが、とてもうれしかったんですよ」
「そっか……よかった」
お世辞じゃなく、嫌われてないようでなにより。
「ローレルさんは? 外国にいた間、彼氏いなかったの?」
亡命者の中でも有名な教授の娘であるローレルさんに興味を示す男は多かったはず。純粋に好意を持ってるって意味でも、『被害者』の象徴と親しくなることで悪王への対抗勢力の旗印として担ぎ出す意味でも。
実際、十代の時に彼氏がいたとルシファーが調べ出してる。ただし恋人と思ってたのはローレルさんだけだったみたいだ。
つまり、後者だったんだね。
彼は亡命先の国の大臣の息子。『悪王の被害者』としての教授一家の評判を利用し、「恋人をひどい目に遭わせた復讐」って口実で国王を説得し、戦争起こすつもりだったわけ。で、あわよくばうちの国を滅ぼし、王様になろうと。
資源も産業もなかったうちの国なんかゲットしてもどうすんの?ってツッコミたいわ。どうやら単純に「王様になりたかった」だけみたい。どんな国でもいいから『王様』になりたかったんだね。
ちっとも理解できないわー。
企みに気付いた教授がすぐさま国王に進言、大臣の息子は親ともども左遷された。国王もバカじゃなかったんだね。
なお、大臣の息子はご丁寧に捨てゼリフのこしてったらしい。
「あんなガリ勉ブス、おれさまの計画のためでなきゃ誰が近づくか。お断りだっ」
うーん、殴りたい。
その一件から傷ついたローレルさんはますます勉強にのめりこみ、現実逃避した。
いまだに傷が癒えてないのか、彼女は困ったように微笑して沈黙したままだった。
「せっかく帰国したんだからさ、いい人見つけて家庭持ったら? たぶん、結婚しても仕事は続けるよね。ローレルさんの仕事場ってことは、遺跡発掘現場。街からは通えなくて、近くにキャンプ張って暮らすとかもあるわけだ。旦那さんにもついてきてほしい? それとも単身赴任?」
口はさむ隙与えずにたたみかけると、ローレルさんは考える暇なく質問に答えた。
「ええ? ええと、調査ならともかく発掘となると年単位です。夫側が単身赴任してた夫婦の同業者がいますが、離婚してしまいましたね。なにしろほぼ帰って来ませんもの。年に一回会えればいいほうだなんてやってられない、と奥さん側が離婚届つきつけたそうで。寂しかったのでしょう。無理もないです」
「奥さんにしてみれば、旦那さんには傍にいてほしいよねぇ」
「遺跡発掘も調査もお金になりませんし。むしろ持ち出しが多いです。夫は給料を全て発掘につぎ込み仕送り一切ナシで、奥さんは一人で子どもを育てながら働かねばならず……逆に送金してくれと泣きつかれたことも何度かある、借金もしてて代わりに返済してくれと言われて、ついに堪忍袋の緒が切れた!と奥さんがキレてました。まぁこれは一例ですが」
……そりゃ仕方ない。
「その例を知ってますので、私は一緒についてきてほしいかなと思いますが……相手の仕事もありますし、一概には。現場作業はやめて、すでに発掘されたものや本の研究なら都会でもできます。そっちに代えてもいいかと」
「なるほどねー」
ここで、ローレルさんにもルキ兄さまどう思ってるか聞きたい……けど、無理だろうなぁ。
ローレルさんはさっき輝夜姫が遠くに見えたルキ兄さまをポーッと見つめてたんで、気づいてる。その姫がいるこの場できいても、本当のことは答えないだろう。他国の王女には配慮するはずだ。
……ここでリタイアするのかな?
あたしは冷静にローレルさんを眺めた。
どっちがルキ兄さま射止めるにしても、「他に嫁候補いるなら引き下がろう」っていなくなるなら、そんな程度の想いしかないってこと。
悪いが、その程度の覚悟しかない女を兄嫁と呼ぶつもりはない。
あたしの兄弟の出生は一生つきまとうものだ。それに耐えられること、それが兄嫁の条件。これは絶対に譲れない。
うるさい小姑って言われようが構うもんか。あたしにとって兄さまたちは大切な兄弟なのよ。任せられると認めた人にしか、あげらんないんだから。
姫の覚悟をはかるべく、輝夜姫に向き直った。
「輝夜姫はどう?」
「はえっ?!」
すっとんきょうな声出たね。
真っ赤になってモジモジしてる。
先を促すように待ってると、「はわわわわ」とか「ひにゃあああ」とか謎の奇声を発して悶えてようやく意を決したように顔を上げた。
「そのっ、私の知り合いの話なんだけど」
あたしたちは一様に黙ってうなずいた。
姫本人のことだと分かってて知らないフリだ。いくらあたしがアホでも、それくらいの気は遣う。
「……ルキフグス様が好きで」
「うん」
知ってる。
姫もあたしにはバレてるの承知の上で言ってる。が、他の人たちには気づかれてないと思ってる。
「まーねー、ルキ兄さまイケメンで真面目でいい人だもん。知り合いの人が惚れるの分かるわぁ」
あえて知り合いの話、っての強調して言ってあげた。
「そうですね。宰相様は本当にいい方だと思います」
最年長者のローレルさんも同意した。
「でしょ?! 初めて見……ええと、知り合いも初めて見た時に一目ぼれしたらしいの」
「分かります。素敵な方ですもんね」
あっれぇ?
なんか意気投合してる。
ローレルさんは姫がルキ兄さま好きっての気づいてるよね? それで演技でもなくそう言えるって……単純に「いい人」としか思ってない?
ううむぅ。
「もう告白しちゃえば?」
「ええっ?! 無理無理無理無理!」
姫は大慌ててで両手を振った。
「なんで」
もう本人にもバレてますし。今さらだよ。
「だって……父とこちらの国はあまり仲が良くないでしょう? 私個人としては、過去のしがらみなど捨てて仲良くしたいのだけど。宰相のルキフグス様と交際したいだなんて、父が決して認めないわ」
アイリスさんが静かに言った。
「確かに、国王陛下がお許しにならないでしょうね。宰相様のもとへ嫁に出すなど」
ルキ兄さまと姫の取り合わせとなれば、交際=婚約だ。国家レベルの要人同士、ただのお付き合いにはならない。結婚前提である。
「国王陛下の同意を得られない場合、最悪絶縁、家出ということに……」
「家出……」
やめてそれ。
げんなりするあたしと違い、輝夜姫は乙女脳が覚醒してキラキラしてる。
「駆け落ち! それもいいかも……っ」
「よくないよ! えーと、ホラ、家族には祝福してほしいじゃん? やめたほうがいいよ」
「それはそうですけど。でも、たとえ父が許さなくても、私は好きなんですもの!」
あ、はっきり『私』って言っちゃったよ。
全員聞かなかったことにした。
「いいの? ルキ兄さまは一年後の引退を決めてるよ。大学で勉強し直すか、田舎でスローライフ送りたいって。嫁にくるとしたら、貴族の暮らしじゃなくてそういう生活になるけど」
「構わないわ。好きな人といられるなら、どこでだって」
現実は甘くないんだけどね。
こういうとこが、しょせんは箱入りお姫様か。
庶民のジャスミンさんが控えめに提案した。
「あのう、庶民の暮らしというのは貴族には大変だと思います。いっそ第三国へ渡るのはどうですか?」
「素性隠そうにも隠せないんじゃない、目立つ容姿だもん。第三国っつったって、そっちも困るでしょうよ。とばっちり食らいたくないって、出て行ってほしがるよ」
なにしろ輝夜姫は顔が知られすぎてる。ずっと変装して暮らすのもきついでしょうし。
リリーちゃんがたずねた。
「リリス様はどうなんです? 兄君が他国の方と結婚されるとしたら」
「ん? あたしら弟妹はルキ兄さま本人が好きなら、国籍や身分は気にしない。あたし自身、母親はそんな身分高くないじゃん」
しれっと答えた。
「とはいえ、もしその知り合いさんがルキ兄さまの嫁に来るとしたら、彼女は持ってた権利や地位を全部捨ててくることになるだろうね。生活も今まで通りにはいかない。慣れないよその国で孤軍奮闘しなきゃならないんだよ。夢見るだけじゃなく、現実的なところを覚悟した上で告白するならしてね―――ってのが本音かな。厳しいこと言うようだけど」
「―――」
姫は沈黙した。
初めて現実に目を向ける気になったかな?
どうも、これまでの姫は恋心だけで動いてるように見えたもんでね。あえてきついこと言わせてもらったよ。
『ヒロインの母』が『ヒロインの父』と結婚するシナリオに抗うなら、相応の代償を払わなければならないと思う。あたしのように、何の影響も出ないはずがない。
ヘラヘラと甘い考えと夢に酔ってるだけなら……ここで消えてもらおう。
あたしは覚悟ができてる。何が起きても立ち向かう気でいる。
姫、あなたは?
黙り込んだ姫に、誰も声をかけられなかった。
「…………」
あたしはおもむろに振り返った。
「さて、最後はスミレちゃんの番ね」
「はいいいっ?!」
まさか自分まで話題ふられると思ってなかったのか、ミニマム少女は石化した。
ありゃりゃ。
「えー、そりゃ公平にさ。で。いいかげんレティ兄さまに告白しちゃいなよ」
フードを限界まで下ろして縮こまり、横に振るスミレちゃん。
「え? 恩人に迷惑かけたくない? まーたそんなこと言って」
「よく分かりますね、リリス様」
ジャスミンさんが感心したように言う。
いやぁ、ジャスミンさんも大概だと思うよ。
「付き合い長いから。レティ兄さまがスミレちゃん大事にしてんのは明らかじゃん。どう見ても特別待遇だよ?」
「……そ、それは、私が……その……」
スミレちゃん、普段はこうよ。身内しかいない状況なら会話できても、初めて会う人がいるとまず委縮してしゃべれない。
これでもまだ言葉発してるだけいいほうだ。女性しかいないのと、輝夜姫効果のおかげで。
「体弱くてほっとけないからって? そーかなー。アホ親父のせいで体壊した人は他にもいるけどさ、レティ兄さまが気にかけてんのはスミレちゃんだけじゃん」
「……でも……」
「勘違いしてるイタイ女と思われたくない? そんなん考えなくていいってばー」
「……レティ様は」
「はい、マイナス思考はそこまでー」
がしっとおびえる少女の肩をつかんだ。
「外野は黙ってようと何年も静観してたけど、全っ然進展しないんだもん。いい加減こっちが限界。つーわけで、積極的に攻めよう! 大丈夫、簡単だから。その調子でウルウルお目め+上目遣いで哀願するだけ。こーんなかわいい子がオドオドしつつも勇気振り絞って告ってきたら、落ちない男はいないっ!」
ね?←威圧
悪役がすごんでるようだった、と後でリリーちゃんに言われた。
そういやあたし悪役だったわー。おほほ。
「むむむ、無理ですぅ……!」
涙目でぴるぴる震えてる。
もー。これじゃいじめてるみたいじゃん。
「いけるいける。勝負服も提供するし。そうねー、ここは定番押さえよう。スタンダードにおとなしくて引っ込み思案な子のテンプレ的な格好で。そのほうが絶対いい。レティ兄さま、メイド服はロング丈押しなように、露出度低めでド定番がストライクゾーンとみた」
「リリス様、兄君をなに分析してるんですか」
「大事なことでしょ。ちなみにリリーちゃん、ネビロスもミニよりロング押しだよ。パンツスーツも似合うんじゃないかなぁってつぶやいてたんで、着てあげない?」
「お断りします」
さりげなーく勧めてみたが却下された。
ちぇ。
その後、真面目にマーケティングすることにした。どういう服がほしいか聞き込み調査。
女性はファッションのこととなると盛り上がる。終わったのは予定時間をはるかにオーバーしてからだった。
☆
「今日はみんなありがと。楽しかった!」
それぞれ帰る中、リリーちゃんがあたしに近付いてきた。
「リリス様。お願いがあるのですが、少しお時間いただけますか?」
ぎくり。
やな予感マーックス!
「そそそそれは、ネビロスのことかなっ!?」
いた、舌かみそうになった。
そういえば今日片をつけるって言ってたよね。忘れたかったから忘れてたよ。
このまま忘れてたかったよー。
「まぁそうです。先ほど申し上げましたよね、決着をつけますと」
バッドエンドしか思い浮かばないー!
冷や汗だらっだら流れる。
ああ、ついに弟が引導渡される時が来たか。
マジでいつでもパンチかませるよう、準備しとかなきゃ。
お姉ちゃん泣きそう。
リリーちゃんは冷静にカチャッとメガネ上げてみせた。
「研究所までお越し頂けますか。フルーレティ様にもお願いします。男手が必要になるかもしれないので、ルシファー様も」
「え、レティ兄さま?」
なんで?
「ああ、ネビロスが暴れた時に取り押さえ要員ね? でも、どして研究所まで行く必要が?」
真面目委員長は声をひそめ、
「産業スパイが入り込んでるんです。フルーレティ様よりすでに注意を促されてまして」
!
あたしは表情を引き締めた。
確信的な技術は狙われる。それはどこの世界でも同じだ。
知識や技術は時に強力な武器にも金にもなる。
産業スパイの危険性はとっくにルシファーが考えて対策済みだ。てことは、これ気づいてて泳がせてたんだろうね。
「フルーレティ様からの指示で、ダミーのデータを仕込んであります。ブロック破ってアクセスがあると私のスマホに表示されるようにしておいたところ、先ほど確認されました。なお、監視カメラの映像も転送されてるんですが、ネビロスの姿が映ってます」
それやっべ。
ものすごい危険を察知。弟のほうがしでかすって意味でね。
「分かった。レティ兄さまにすぐ知らせる」
全員急いで急行する。
「ネビロスも行ってるってわけね。さてはあの子、独自に警戒網張りめぐらせてたな?」
「あのストーカー野郎は勝手に番犬を自認して、ほっといても私の周囲に干渉してきてますから。とっくに知ってたんでしょう」
「独断で処理してなきゃいいんですけどねぇ」
のんびり言うルシファー。
笑いごとじゃない。
「処理って。せめて排除って言えよ」
「表現はどっちでも、内容同じだと思う。てゆーか、絶対確実にやりすぎる! 止めなきゃ!」
過剰防衛って罪になるんだよ?!
産業スパイじゃなく弟のほうを止めるべく、猛スピードで向かった。
リリーちゃんもまとめてステルス魔法かけ、中に入る。あたしの魔法ならネビロスにすら気づかれない。
リリーちゃんの案内で急いだ。
「ダミー仕込んどいたのは、あるプロジェクト専用の部屋のパソコンです。うちは情報流出阻止のためプロジェクトごとに部屋を分け、ネットワークを独立させてます。よって、ネットからの侵入はできないんですよ。直接室内に入ってパソコンをいじるしかありません」
なるほど、それでか。
目当ての部屋に着くと………………予想通りの展開になってた。
あああああああ!
心の中で絶叫&頭抱える。
犯人?は床につっぷしてる!
殺してない?! 死んでない?!
どう考えても真犯人は明白だよー! 名探偵もいらないくらいあきらかだよ!
血は出てないけど、だからって分からない。手足ダラーンてしてるし。あれかな、ルガ兄さま得意の関節外しかな。
流血沙汰になってないのは、たぶんリリーちゃんの仕事場汚したくないからとみた。そこんとこはよかった。
でも全体的にはよくない。
リリーちゃんは落ち着いて眺めてコメントした。
「へぇ、こいつでしたか。産業スパイが入り込んでるのは知ってましたが、誰だかまでは知らされてなかったので」
「冷静だね?!」
慣れっぷりに、ネビロスのこれまでの行動想像してゲンナリした。
あ、声も聞こえないようバリア張ってるんで。
「別にネビロスはこれまでもよくやってますし。見た目ソフトな分、まだいいほうですよ」
「そんなん慣れちゃダメ! あと弟が長年ごめんなさい!」
「リリス様のせいじゃありません。で、犯人の男ですが、最近入ってきた助手の一人ですね」
机に腰かけてたネビロスが、世間話みたいな調子で語りかけた。
「―――さて、君は一体どこのスパイ?」
普段通りニコニコ笑ってんのがこっわ!
ネビロスって恐怖で威圧するタイプじゃなくて、笑ってるけど怒ってるタイプなんだよねー。
背後の毒々しいオーラが怒りを表現してる。
「逃げらんないし、白状したほうがいいよ。腱を切るんでもよかったんだけどさ、大事なリリーの仕事場汚したくないもん。掃除は別に苦じゃないけどさ、気分的にね」
無邪気な笑みを浮かべたまま、優雅とすら思える動作で足を組んだ。
「もし吐かなかった場合だけど、例えば……」
うひぇっ。
とっさにリリーちゃんの耳を両手でふさいだ。同時にルシファーがあたしに同じことする。
聞こえなかったけど、どうやら拷問方法をとうとうとしゃべってたらしい。犯人がみるみるうちに蒼白になった。
「―――とまぁ、これは僕の生物学上の父親が実際やってたやつ」
実際あった話かい!
知りたくない。永遠に教えないで。
「安心して、僕はやらないよ。肉体的に痛めつけるのは好きじゃないんだ。血が流れるのって、好きじゃないんだよねぇ」
よかったああぁ。弟まで猟奇趣味の危険人物だったらお姉ちゃんマジ泣く。
が、弟はにこやかに続けた。
「でもホラ、いたぶる方法は他にもあるし? 僕のリリーに害をなそうとしたんだ、無罪放免てわけにはいかないよね。どうしよっかな。ねえ?」
ブワッと殺気が膨れ上がった。……ネビロスは笑みを浮かべたまま。
―――っ!
あたしは思わず息をのんだ。
これは、父親そっくりの……いや、それを超えてる?!
犯人は殺気に押されて呼吸困難に陥り、昏倒した。
本来の悪役が現れなければ、それに代わる敵キャラが出現するかもしれない。『魔王の叔父』は血縁者なだけに可能性が高い―――。
息子がならない代わりに、弟がなっちゃうの?!
「ヤバい、オレが出る!」
レティ兄さまが力ずくで止めようと身を乗り出した。が、それより早く動いたのはリリーちゃんだった。
バリアとステルスは各自自由に解けるようにしてて、「解けろ」とつぶやけばいいだけ。
解除し、急がず慌てずネビロスに近付いた。
「やめなさい、このバカ」
パチン、て音がした。
思いっきりひっぱたく「バチン」じゃなくて、軽くたたいた程度。
あたしはあんぐり大口あけた。
今ならハンバーガー一口でいけそう。
うええええええ、あの状態のネビロスにフツーに近付いた挙句、ほっぺた叩いたよ!
信じられんもの見た。
ボーゼンとしたネビロスも、夢でも見てるかのようにリリーちゃんを眺めた。嘘のように殺気が消えてる。
「……リリー?」
「なによ。私じゃなきゃ誰なの」
リリーちゃんは恐がってるっていうか、あきれた声で言う。
「うん。この叩き方、あのセリフ、リリー以外いない」
ネビロスは何やら納得したようにうなずき、
「……なんでここに?」
「ネビロス」
あたしたちも姿を現し、リリーちゃんの後ろに立った。
「姉さま」
それで全部察したらしい。カンは鋭い子だ。
レティ兄さまがさりげなく泡ふいてる犯人をぐるぐる巻きにし、ネビロスから遠ざけた。
うん、身柄を確保しましょう。色んな意味で。
ネビロスはバツが悪そうに、リリーちゃんにきいた。
「……リリー、気づいてたの?」
「あんたが私のボディガードしてたってこと? 知ってたわよ。この前も一人、何だか知らないけど片付けてたわよね。職員が急に病休なんておかしいでしょ。それで今度は止めなきゃと思ってね」
「……僕はリリーを守りたかったんだよ」
いやいや、やりすぎだっつーの。
しょぼくれた子犬みたいにしゅんとしてても、だまされない。
「……リリー、怒ってる?」
すがるような目を向ける。
これは本気でおびえてるな。
おびえて……え?
うん、そう。恐がってる……?
「………………」
リリーちゃんは冷ややかに見返し、大きくため息ついた。
「はあー」
バッグから紙きれを出す。
べちっとネビロスの額に押しつけた。
「へ? なにこれ。小切手?」
リリーちゃんは腕組みして仁王立ちした。
「奨学金だの奨励金だの、あんたが今まで嘘ついてあたしに渡るよう仕向けたお金と同程度の金額書いといた。やっと貯まったわ」
げっ。
数字チラ見したあたしたちは仰天した。
多っ!
「―――」
ネビロスは愕然とリリーちゃんを見つめたまま動かない。
常に子犬弟キャラぶってるこの子が、ここまで素なの初めてかも。
指震えてるよ。
「……リリー、なんで」
「そのお金全部返さないと駄目だと思うから」
うわあぁ。
あたしまで青くなる。
コレ、引導渡される前フリだ。
来ました。ついに恐るべき事態が現実に。
ルシファー・レティ兄さまとフォーメーション組もうとして……。
「あれ?」
首をかしげた。
弟、暴走しない。
ネビロスは微動だにしなかった。
おかしいな。
どしたの?
見れば、ごっそり覇気や気力が抜け落ちてた。あらゆるエネルギー削げ落ちた感じ。
真っ白に燃え尽きてます。
「お……おい、大丈夫か?」
心配したレティ兄さまが声かけても反応がない。
「聞こえてる? おーい、お姉ちゃん見えてる?」
「サルガタナス様呼んできましょうか?」
ネビロスはただ小切手を握りしめていた。
「リリー……リリーは、僕とのつながりを一切絶ちたいの?」
「…………」
リリーちゃんは黙って答えなかった。
「……僕、そこまで嫌われてたんだ……」
ネビロスは必死に言葉を絞り出すと、力なくうなだれた。
人間、あんまりショックが大きすぎると涙すら出ないっていうよね。それか。
ど、どうしよう。
暴れるのは計算してたけど、逆に落ち込んで死にそうになるのは予想外だった。
オロオロするばかりで、どうしたらいいか分からないあたしたち。
リリーちゃんもこれは意外だったのか、眉を上げた。
「いつもの調子でしつこく粘ったり、暴走したりしないの?」
「しないよ」
ネビロスは苦笑した。
「人に八つ当たりしたら、リリー怒るじゃないか。これ以上嫌われたくないし……」
「当たり前でしょ。無関係の人たちに迷惑かけるんじゃない」
「分かってるよ。……でもさ、リリーは俺にとって大事な人なのは本当。小さい頃間違ってた僕を、きちんと叱ってくれたじゃない?」
「どの件? 多すぎてどれだか」
なんも言えーん。ひとまずごめんなさい!
「僕が人を人とも思わず、利用するだけの駒だと思ってた頃だよ」
うわぁひどい。
白い目になってた自覚はある。
「生き延びるためとはいえ、けっこうやらかしてたもんだよね。あのまま大人になってたら、親父みたいに……それ以上ひどい暴君になってたと思う」
リリーちゃんはあっさり肯定した。
「でしょうね。だから私はあんたをひっぱたいてでも止めようとしたのよ」
「うん。あれで目覚めた」
ネビロスはどこか懐かしむような表情になった。
「僕に操られず、本気で叱ってくれたから。だから、リリーがいれば大丈夫だと思った。親父みたいにならずに済むって。僕がその方に行こうとしたら、絶対止めてくれる。……でも―――」
再び壊れそうな声音で、
「リリーはそんなの嫌だったんだよね。ごめん、気づかなくて。そりゃ、いつまでも僕のお守りなんかしたくないよね。……ほんとにごめん」
小切手を返そうとした。けど、リリーちゃんは断固として受け取らなかった。
決然とした拒絶ととったネビロスは、静かにそれをしまった。
後で破き捨てるつもりだろう。
「もう二度と迷惑かけないよ。近寄らないし、安心して」
おっ?
素直にあきらめる系?
マジで?
ちょっと「やった」と思いつつ、ルシファーやレティ兄さまと視線を交わした。
「………………」
リリーちゃんはもう一回大きくため息ついた。
「ほんっっっと―――――――――におバカ」
つぶやいたかと思うと、ネビロスの胸倉ひっつかんで引き寄せた。姉御肌なツンデレ委員長は、自分からキスしてました。
「〇×△□☆*♡?!」×3
三人して叫んだ。言葉になってないけど。
驚いてたのは当のネビロスもだ。
目が点。
リリーちゃんはしれっと顔離すと、胸倉はつかんだままねめつける。
「まぁ、合格点てことにしといてあげるわ。もし怒り狂って暴れ出するなら、本気で引導渡してやろうかと思ったけど」
「……? ???」
ネビロス、驚きのあまり言葉も出ないっぽい。
おーい、大丈夫―?その2。
あたしらもまだパニック中ですけど。
「バカだバカだとは思ってたけど、ここまで突き抜けた大馬鹿野郎だったとはねぇ。ったく、あんたみたいな事故物件、叱れんの私しかいないだろうから仕方ない。これからもっとビシバシしつけてやるわ。覚悟しなさい」
えらいこと言ってますよ。
まぁ、『しつけ』ってのはあながち間違ってない気もする。
「……あのー、リリーちゃん?」
おそるおそる聞いてみた。
「完璧にフるんじゃなかったの? えーと、それだとその、ネビロスと付き合ってもいいよみたいに聞こえたんですけどー」
なぜか敬語。
「そうですけど」
「ええええええええ?!」
奇跡に三人して絶叫した。
奇跡だよ、これをミラクルと言わずに何と言う! ミラクルマジカ……おっとこれはいかん。
大失敗からの大逆転、まさかのオチ!
ありがとうリリーちゃん、女神か! マジで拝ませてください! 神様仏様女神様菩薩様!
つい拝んだ。
ネビロスはまだ混乱中。ルシファーが肩叩いても無反応。
レティ兄さまも拝みつつ、
「でもほんとにこの愚弟でいいのか? ろくでなしだぞ。考え直されたら困るけど!」
「困るけど言っちゃうの分かる! リリーちゃん、もっかい確認させて。夢じゃないよね。この子のお嫁さんに来てくれる?!」
彼女すっ飛ばして『嫁』って言ってるのは、こっちもせっぱ詰まってんのよ!
ここでゴリ押しでも何でもしなきゃ二度目はない!
ハンパない危機感に、リリーちゃんの左手握って懇願した。ちなみに彼女の右手は胸倉つかんだままである。
「そうですよ、感謝のしるしとしていくら包んだらいいでしょうか」
「落ち着いてください。フルーレティ様、撤回はしませんのでご安心を。リリス様、必死さにこちらのほうが涙が出ます。ルシファー様、お金なんていりません」
「律儀にツッコミえらいねぇ! ありがとう!」
「別にいいですけど、こいつの嫁になってくれる奇特な女性なんて他にいないでしょうからね。嫁になりますよ」
「―――!」
キタ―――!
感極まって泣きそうになった。当人じゃなく、あたしとレティ兄さまが。
ご、後光がさしてるように見えるぅ。
ありがたやありがたや。
またしても拝む。
「ネビロス! ほら、あんたも何か言いなさい!」
「そうだ、いつまでも呆けてるなっ!」
「ここで黙ってたら、撤回されるかもしれませんよ」
「それはやだ――!」
ブルブル頭ふって、ネビロスが飛んでた魂引き戻した。
「はっ! 都合よすぎる夢見てたよ。本格的にヤバいね僕」
「夢じゃなくて現実。ヤバいのは誰も否定しない事実だけどね」
リリーちゃんの鋭いツッコミに、ネビロスは再び固まった。
たっぷり三分。
三分ていえばカップ麺できる時間だね。チーン。
やおら、パアッと晴れやかな表情になった弟はリリーちゃんに抱きついた。
うれし泣き始める。
「リリー! うわあああん!」
「うるさい。しつこい」
しっしっと追い払う仕草。
こんな時もブレませんなぁ。
でも、ちょっぴしほっぺた赤いよ? それどうしたのかなー?
マジ泣きしてるネビロスはえぐえぐ言いつつ、
「ほんと?! ほんとに僕のお嫁さんになってくれるの?! だって、嫌いだって言ったじゃん!」
「言ってないし。そういうウザいところは嫌だけど」
「僕はそういうクールなとこ大好き!」
誰かと同じようなこと言ってるなぁ。誰のセリフだっけ。
あたしだよッ。
あたしがルシファーに言ってるのと似てるわ。姉弟……。
「二度と僕とは関わりあいたくないんじゃなかったの? 関係断ち切るために、お金全額返すって。ていうか、よく僕が裏で糸引いてるって分かったね」
「分からないでか。別に、単に貸し借りナシの対等な立場にしたかっただけよ」
援助と引き換えにって意味じゃないよって示すためか。
理解した。
「金で買われたみたいに思われたくなかったのね、リリーちゃん」
「そんなこと言うやつはシメとくよ」
「あんたがそうやりそうだから、先手打ったんでしょうが」
よくお分かりで。
「ところで気になるんだけど……リリーちゃんて、いつもネビロス嫌いオーラ前面に出してたけど、実はそんな嫌じゃなかったの?」
ツンデレさんにきいてみた。したら、バッサリ斬り捨てられた。
「いいえ。あれは本気で嫌でした」
「デスヨネ」
「けどさ、嫁になってもいいってことは、ネビロスが好きではあったんだろ?」
リリーちゃんは黙ってそっぽを向いた。耳が赤いのは気のせいじゃない。
ネビロスが大喜びでしっぽ振った。こっちは幻覚。
「リリー! 僕のこと好きだったの?!」
「うるさい黙れ。認めない。私は絶対認めない」
「態度で分かるからそれでもいいよ~。ふふ、かーわいい」
「黙れ。どっか行け」
つーんと顎をそらす。
助け舟っていうか、別の質問した。
「えーっと、自覚あったならどうしてもっと早くOKしてあげなかったの?」
そうすりゃあたしらも肩の荷が下りたのに。とこれは本音。
「だってこいつ、初めて告白してきたの、さっき言ったひっぱたいた直後ですよ? 別の意味での告白だと思うじゃないですか」
「…………」
……Oh……。
あたしたちは反応に困った。
「そっちのケはない……と思う……たぶん」
フラれてもフラれても懲りずにアプローチするし、蹴飛ばされて追い出されてもうれしそうだけど……あれ、おかしいな。自信どんどんなくなってくるぅ。
「頬にバッチリもみじ型つけて、イイ顔して言ってきたんですよ。どう考えてもMじゃないですか。個人の嗜好は自由ですが、私はSじゃありません。気が合う女性を見つけ、末永く周りを巻き込まずに円満に幸せになってほしいなと」
「……そだね」
「ひどいよリリー! 僕は違うってばー!」
四人とも疑いのまなこ。
「姉さまたちまで! 僕が叱られてもうれしいのはリリーだけだよ?!」
「その発言、疑われてもしゃーねーぞ」
「違うのにぃ。ねぇリリー、後か……じゃなくて逃……じゃなくて、これサインして? ね?」
ぺらっと出してきたのは婚姻届け。
後悔、逃げる、って言いかけなかった? つか、常備してんのかこの弟は。
「オイ。なんで持ち歩いてる。しかもお前の記入するとこきれいに埋まってんじゃねーか」
副署人も誰よ。知らん。
「え? 万が一、リリーが頭打って記憶喪失にでもなったら、あれこれふき込んでサインさ……嘘嘘」
「嘘じゃねーだろ」
ぽろっととんでもないこと言いおった。
リリーちゃんがゴミを見る目を向ける。
「やっぱ取り消そうか……」
「さないでくださいお願いします―――!」
満場一致の叫びが響きわたった。




