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花守りの騎士達に連れられ、ディルは神殿の奥深くにある一室へ足を踏み入れた。
部屋に入ってすぐ目に飛び込んできたのは、優美な装飾が施された祭壇だった。
「ここは《祈りの間》という」
セージの言葉に、ディルはやはりと頷く。
神殿内でも、特別ここは厳かな空気が流れている。
そのせいか、騎士達は等間隔に並べられた大きな花瓶が作る祭壇への道を、一歩一歩踏みしめゆっくりと歩いていた。この空気を壊すまいと。
「ここで跪いて待つんだ」
祭壇を目の前にして、ディルはセージに言われる。「ああ」と返し従うと、ディルの少し後ろで他の騎士達も同じくしゃがみ込んでいる気配がした。
――つかの間の沈黙が訪れる。
(叙任式……。またあのお方に会えるのか……)
ディルは、自身の胸が少しずつ弾んでくるのを感じた。
あの夜以来こうなのだ。姫神子のことを思うと苦しくてもどかしくて仕方ない。持て余した感情が、心の堰を切って溢れてきそうだった。
(あのお方の側にいる為に花守りの騎士になるなんて、考えつかなかった……。フラックスのおかげだな)
正直に言って、ディルは実力を試されるだけなら簡単に騎士にはなれると思っていた。自分にはそれだけの能力が十分にあるとわかっていたからだ。これは慢心ではなく、客観的に自分の実力を測った結果だ。
けれども身元があやふやで、職業は盗賊という、お世辞にも良い経歴とは言えない自分が、王族の一人で神の魂の器である少女に侍ることを許されるかは――わずかに不安だった。
(あのお方は、恵まれているのに恵まれていない)
真の内情など、ディルにはわからない。
だがそう考えてしまうほどには、噂と、実際目にした光景が、高貴な人間にはふさわしくないものだった。
(姫神子は産まれた時から、敷かれた運命を歩むことを強いられている……)
それが良いか悪いかはディルには判断がつかない。道がはっきりしていることを喜ぶ人間もいれば、うっとうしがる人間もいるだろうから。
だから姫神子がこの現状をどう受け止めているのかは――ディルの与《あずか》り知るところではないのだ。
(それでも私は、彼女を憐れに思った。この環境では、彼女は健やかに暮らせないのではと憤《いきどお》った)
それは人によっては、傲慢とも不敬とも取れる考えだろう。
しかし、これこそが恋を知らなかった少年の……、少年なりの恋心の発露――。
(――私が、彼女の行く道の枝払いをしよう)
◇◆◇
沈黙に支配された祈りの間に、扉が開く重い音が響き渡る。
「――――っ!」
ディル達が入ってきたのとは別、部屋の脇にある小さな扉が開き――一人の少女が現れた。
喜びがディルの口から漏れる。
「……姫神子……様……!」
彼女は神殿に忍び込んだ晩と変わらず、可憐であった。
あの時とは違いきちんとしたドレスを身にまとい、ふわふわした髪には花冠が載せられている。
姫神子は、後ろに濃い藍色の髪を持つ不健康そうな青年を引き連れ祭壇までやってくると、ふんわり微笑んだ。
「――――!!」
ディルはカッと体が熱くなるのを感じた。
(――彼女は、私のことを覚えてくれているのだろうか……!?)
心臓が早鐘を打ち、体がこわばるなか、ディルはぎこちなく笑みを返した。
そしてそれと同時に、姫神子の隣の青年が口を開く。
「……これより、叙任の儀を執り行う。形式張る必要はないゆえ、簡素にゆくぞ……。――《心映しの花》を得た者よ」
青年は暗く沈んだ口振りで言うと、疑念の含まれた居心地の悪くなる目線をディルに送る。
心映しの花とは、おそらく誓約書とペンが変化した金属の花のことだろう。
「――ここに」
ディルは青年の重苦しい視線を気にも留めず、自信に満ちた返事をする。
「……花の一つを、姫神子に捧げよ。姫が花を受け取れば、お主は正式に花守りの騎士となる」
青年の言葉に頷き、ディルは花の一つを取り出した。そして。
「姫神子様にこちらを捧げる前に、一つお伺いしたいことが」
「……?」
姫神子の澄んだ瞳に疑問の色が浮かぶ。
ディルの言葉に、姫神子の隣にいる青年が苦々しげな顔をし、何か言おうと口を開いた。だが姫神子はそれを片手で制し、ディルに「なんでしょう?」と問いかける。
「貴方様は、私のことを覚えておいででしょうか?」
心臓がドキドキとうるさく音を立てる。期待と、ほんの少しの不安がよぎった。
姫神子は少し驚いた顔をすると、
「――ええ、もちろん。あの時は布でお顔をお隠しになっていらっしゃいましたね。今こうして、ちゃんとお顔を拝見することができて、とても嬉しく思います」
「――――!!」
ディルは、なんだか泣きたくなった。
これは嬉しいという感情なのだと思う。けれども胸が詰まって詰まって……、瞳に涙の幕が張られそうになってしまうのだ。
「……あの時は……失礼いたしました」
なんとか絞り出して言うと、姫神子は「いいえ」と笑む。
「確かに、花守りの騎士達には大変な思いをさせてしまいましたが……。縁とは不思議なものですね」
姫神子はドレスの裾を器用に捌き、跪く。そしてディルと目線を合わせた。
「私、あなたのお名前が聞きたいなと思っていたんです」
ディルは歓喜が波のようになって押し寄せてくるのを感じた。なぜ自分は、彼女の一挙一動にこうも心動かされるのか。
本当に不思議だ――――。
「私は……、ディルと申します」
「ディル。不甲斐ない主ですが、私がお役目をまっとうするまで、どうか力を貸してください」
「――御意に」
ディルは恭しく、心映しの花を差し出す。
「ありがとうございます」
姫神子は金属の花を受け取ると、ふうっとそれに向かって吐息をかけた。
すると金属は紙吹雪のように剥がれ飛んでいき――姫神子の手の中に残されたのは、一輪の白い花だった。
「これは……」
ディルは自分に残されたほうの花を見てみるが、そちらは依然変わりなく冷たい金属のままだ。
(魔法……。いや、姫神子の起こす奇跡……か?)
ディルが姫神子の御業に目を奪われている時、
「白い……ツツジ……」
姫神子の白い頬は、ほんのりとバラ色に染まっていた。
「なっ……!?」
姫神子の隣にいた青年は驚きの声を上げ、何かを言いたげに口をぱくぱくさせる。
――先に言葉を紡いだのは、姫神子だった。
「あ、あの……。ありがとう……ございます。とても……、とても光栄です……」
眩しそうに目を細め、彼女は掌にある花を見つめた。
ディルは彼女がなぜそんな顔をするのかはわからなかったが――――。
彼女のこの表情を、とても尊いと思った。
世間は彼女に優しくないのかもしれない。
この神殿は彼女を閉じ込める檻なのかもしれない。
それでも、少しでもいい。彼女が安心して笑えるのならば。
「これから何があっても、あなたをお守りし、お助けします。――私の姫様」