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「兄貴!」
人でごった返している居酒屋の片隅で、一人の男が声を上げた。
店内は酔っ払い達の笑い声で騒がしく、人を呼ぶのにも一苦労だ。
「ディルの兄貴!」
男の声はなんとか相手に届いたらしい。
ディルと呼ばれた少年は振り返ると、ニカリと八重歯を見せ笑い、片手を挙げた。
「戻ったか、フラックス!」
男――フラックスは、ディルが座る店内一番奥のテーブルへ、人混みをかき分けながら向かう。
テーブルに着くと、仲間が彼の分の酒をドンと机に置いた。フラックスは杯をディルに向かって掲げ、ぐいと飲む。
そして歓喜の一息をつき、口を開いた。
「兄貴、頼まれてた『姫神子の情報』、いくつか掴んできましたよ」
「おお! さすがフラックス! 頼りになるな! ――で、どうだ!? 何がわかった!?」
そう前のめり気味に聞いてくるディルに、
「兄貴、落ち着いてくださいっす……」
と、フラックスは呆れたふうに言う。
――ディルは『銀狼』とあだ名され、界隈では一目置かれる盗賊だ。
(こうしていると子供なんすけどねぇ……。なのにオレ達をまとめあげ、大仕事をこなしていくんだから……。やっぱただ者じゃないっすね、このお人は)
フラックスは「早く早く!」と急かしてくるディルをなだめ、書きつけたメモを取り出した。
「喜んでくれてるところ悪いんすけど、実はそこまでたいした内容じゃないんすよね……。やっぱ王族絡みの情報は漏れにくいっす」
「いいんだよ! あの方のことならなんでもいいから知りたい!」
「兄貴……、すっかりイかれちまってますねぇ。そんないい女だったんですか? 姫神子様は」
「『いい女』とかそういう俗な言い方やめろ! あの方はなぁ!」
「はいはい。『どこか浮世離れした可憐な聖女』だったんすよね。――はぁ。初恋が一目惚れだと、こーんな面倒になっちまうんすねぇ……。ま、もともと兄貴は面倒な人っすけど」
フラックスがそう言って肩を竦めると、ディルはわざとらしく舌を出して見せた。フラックスはそれを「可愛くないっす」と切り捨て、改めてメモを見る。
「まずわかったのが、王都のほうに住む貴族達の間には『王が姫神子を疎んでいる』っていう噂があるみたいっす」
「疎む……? 今代の姫神子は、確か王の実子ではなかったか?」
ディルは怪訝そうな顔を作り、腕を組んだ。目だけでフラックスに続きを促す。
「そうなんすけど……。なんでも今代の姫神子が産まれた時、お披露目の席も何も無かったそうなんす。上の王子方が産まれた時は、お披露目パーティを開いたり、派手なパレードを行ったりしたらしいんすけどね。――一応、理由はあるそうなんすけど。どうやら姫神子様が産まれた頃に、宝石の国の王妃が亡くなったそうで……。宝石の国とは祈りの種関連で国交もあるし、祝いは控えたと」
「タイミングが悪かったというわけか」
「王はそう説明したらしいっす」
ディルは空を眺め何かを考えるふうにすると、「しかし、それだけで『疎む』とまで噂になるか?」と言った。
フラックスは、その言葉を予想していたと言いたげに頷き話を続ける。
「それ以外にも色々あるんすよ。――姫神子様は、産まれたらすぐに神殿で暮らすことになるっすけど、それでも宮中の行事には顔を出すもんらしいんす。なのに今代の姫神子様はなんやかんやと理由をつけて、一切現れないと……」
「ああ……。そういえば昔王都近くに住んでいた時、祭りに王族が来ることはあったが、姫神子が来たことは無かったような。……なんでだ?」
「王は『王都と花女神の神殿は距離があるから、無理をさせるのも忍びない』と言っているらしいっす」
ディルは目を丸くさせると、「なんだそれは!?」と声を出す。
それをフラックスは、「静かにしてくださいっすよ……」と制し、周りを見渡した。幸いにも店内は盛り上がりの最高潮を迎えているようで、誰もディル達の座るテーブルのことは気にしていないようだ。
「――そんな話、聞いたことないぞ……!」
少しだけ声を潜め、ディルが言う。
「もちろんそれは、貴族達のなかでも言われてるみたいっす。だから王は、姫神子と顔を合わせたくないほど疎んでいるんじゃないかって」
「……なるほどな」
ディルは鋭い目を細め、頬杖をついた。
姫神子は王と折り合いが悪いゆえに――話を聞く限り、王が一方的に突き放しているように思えるが――、自らを『いらない姫神子』と言い表したのだろうか。
「兄貴が言ってた『人手不足』ってのも納得っすよね。花守りの騎士って、基本的に社交界で姫神子と知り合った者が就くらしいっすから。それに王から嫌われている姫に肩入れするのは……。王都に住む貴族達にはリスクしかないっすもんね」
「王都の貴族達も一枚岩ではないだろうが、大半は日和っているんだろうな。情けないことだ!」
言ってディルは、目の前に置かれた葡萄ジュースを飲み干す。
「それにしてもさすがフラックス。たいした内容じゃないとか言ってたが、これだけわかれば十分だ! 《情報屋》の腕はいまだ健在だな!」
「へへ。ま、足を洗ったとはいえ、これくらいならお手の物っすよ」
照れ笑いを見せ、フラックスも自分の杯に口をつける。
「しかしこの情報をどう使っていくか……。それが問題だな」
干し肉をかじり、ディルは小さく唸った。
「うーん……。そっすねぇ……。――夜這いに行く、とかはどうっすか? 姫神子様を守る人間が少ないのは事実だったんすから、この前みたいに神殿には入り込みやすいでしょうし」
「――夜這い!?」
余程驚いたのか、ディルはイスを鳴らし勢いよく立ち上がる。
「お前! あのお方にあれだ……! そんな……! なぁ!?」
「兄貴……。顔、緩んでるっす……。怒るか喜ぶかどっちかにしてくださいっす……」
フラックスはディルの袖を引き座らせると、苦笑を漏らす。
(兄貴、ウブってわけじゃないんすけどねぇ……。今まで色恋にも女にも、一切興味なかったもんだから……。すっかり初恋に舞い上がってるっす)
頬を染め、もにゃもにゃと何か言っているディルを、フラックスは生暖かい目で見つめた。
あの銀狼がたった一人の少女に骨抜きにされてしまうとは……。思いもよらなかった。
(でもちょっと嬉しいんすよね……。兄貴が普通のガキみたいにしてるの)
ひょんなことから人生を変えられ、兄貴と呼び慕うに至ったが、実のところフラックスはディルより年上だ。
それもあってか――元来そういう性格なのかもしれないが――、フラックスはディルを年の離れた弟のように思っていた。
砂漠の狼はいわゆるトレジャーハンターのような仕事が主だが、それでもやはり盗賊団――。
いくらディルが才気溢れ、団を率いるカリスマを持っていても、人から後ろ指をさされる稼業には違いない。
フラックスも、そして他の仲間達も――。
砂漠の狼に加わったことで、ディルに救われたという過去がある。
ディルは、どうしようもない少年期を経て泥沼のような世界に足を突っ込んでしまった自分達に、宝探しという夢と成功体験を与えてくれた。
(兄貴が盗賊団なんてのをやってるのは、宝を手に入れたいという単純な好奇心と、強者と戦いたい欲求からっす……。富を得たいわけでも、権力に興味があるわけでもない)
だからこそ、慕っている『兄貴』であり、可愛い『弟』のディルには真っ当な生き方も検討してほしい。
彼は、自分達とは違い可能性の塊なのだから――――。
(兄貴はまだ戻れる……。兄貴の好奇心と恋心が、姫神子様に向かっている今なら……)
フラックスは「そっすねぇ」と大げさに肩を竦める。
「じゃあどうするのがいいっすかねぇ……。だって兄貴は、姫神子様を攫いに行くのも嫌なんっすもんね?」
「そりゃあなぁ……。いくら私達が盗賊といえど、人攫いは駄目だろう。こんな仕事してるから説得力なんてないが、道徳に反するのはどうかと思うぞ。――それに、仮にあのお方を攫ったとしても、うちのアジトみたいな……きったないところに住まわせられるものか」
「うーん……。花守りの騎士の手が足りてない今はチャンスなんすけどねぇ……。――街で聞いたんすけど、なんでも一般公募するくらい姫神子様の周りには警護がいないんだと。しかも『実力重視、家柄経歴を問わず』って募集をかけてるらしいっす。王族の警護なのに家柄も経歴も問わず! これは異例っすよ! よっぽど切羽詰まってるんすねぇ」
「花守りの騎士を……。募集……」
これまで恋愛ごとに興味の無かったディルは、自覚した恋心にたいしてどう対処していけばいいのか、わからずにいるようフラックスには思えた。
何せ「兄貴、それは恋っすよ」と言われるまで、自分が恋をしたことに気づかなかった少年だ。当たり前だろう。
体を重ねたいのでも、側に置いて愛でたいわけでもない。
ならば少年が望むことはなんなのか――。フラックスはそれに、一つの答えを出した。
それは庇護欲――。
あわよくばいい仲になりたいという下心もあるようだが……。何よりも彼女を守りたいというのが、ディルの言葉の端々から表れていた。
そう思っていたところに、フラックスは花守りの騎士募集の話を聞きつけた。
――これは、ある種の運命なのかもしれない。
ディルは上手く乗ってくれるだろうか。
(うーん……。ちょーっと、話題の出し方がわざとらしかったっすかね……)
フラックスは横目でディルを盗み見た。
「…………」
ディルはしばしポカンとしていたが――すぐに喉を鳴らし笑った。
「なるほどな! 私に花守りの騎士になれと!」
「へへ……。やっぱバレたっすか。で、どうっすか? 兄貴、騎士様になってみたらどうです?」
「花守りの騎士……なぁ……。あのお方をお守りする、それは悪くない」
ディルはふむ、と顎に手を当て考える仕草をした。
「砂漠の狼はどうなる?」
「もともと砂漠の狼は、兄貴に『一緒に楽しいことしよう!』って言われたのが発端だったじゃないっすか。今生の別れじゃないんす。兄貴が騎士になったって、『楽しいこと』は皆でやれるっす。――そりゃ、今までみたいに遺跡に忍び込むとか、大々的なのは無理っすけど……。それだってやりたいならバレないようにやればいいんす!」
「……必死だなぁ……」
フラックスのあまりの勢いに、ディルはつい苦笑いをこぼす。
「だがまぁ――」
ディルの金眼がフラックスを射抜く。
「お前の……、お前達の考えは知ってるからな」
「兄貴……」
「だからさ、やってみようか! 花守りの騎士!」
テーブルからワッと歓声が上がる。
同じ卓につき、黙って話を聞いていたフラックス以外の仲間も、手を叩き杯を掲げ喜びを表現した。皆気持ちは同じなのだ。
――オレ達の兄貴なら、もっと上に行ける!
「よっし! じゃあ兄貴の門出を祝って、今夜は飲み明かすっすよ!」
「あのなぁ、私は酒が飲めないんだぞ?」
「兄貴はオレ達が酔っぱらって、これまでのことを泣きながら話すのを聞いてくれればいいんす! 話したいこといっぱいあるっすから!」
「なんだそれ!」
それはそれで面倒だと、ディルはフラックスを小突く。
「痛いっすよ~!」
こうして、砂漠の狼頭領のディルは、一度は盗みを働きに入った、花女神の神殿へと再び向かった。
今度は一目惚れをした少女を守る――花守りの騎士になる為に。