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蜃気楼の術師による、姫神子の拐しから数日後。
花女神の神殿では、姫神子の誕生日を祝う、ささやかな宴が開かれていた。
――この宴が開かれるまでの数日間、神殿はもう目が回るほどの忙しさだった。
まず姫神子が帰ってきたことに、独り留守番をしていたアジュガが感極まり……。姫神子に抱きついてわんわんと泣きながら、その無事を喜んだ。
――そこまでは子供のようにはしゃぎ喜ぶ彼を、皆温かく見守っていたのだが……。
それから姫神子が心配だからと、片時も側を離れようとせず。
彼女について浴場にまでやってくるものだから、騎士達は疲労を抱えた体に鞭打ち、姫神子からアジュガを引きはがさねばならなかった。
「ひ、姫が風呂に入っている時に何かあったらどうするんだぁ……!!」
「いやいや、ないから。アジュガ様、安心して向こうでお茶でもしててくださいねぇ」
「そうそう。セージ様が結界を張ってるし、外にはアタシがいるから。何かあればすぐ駆けつけられるわ」
「でも……、でもっ……!」
「ほら……。アジュガ先生、行くぞ……」
「ひ、姫ー!! おかしなことがあったらすぐに声を上げるんだぞ、姫ー!!」
ジェットに引きずられながら叫ぶアジュガを、その場に残されたセージ、ウィス、そしてディルは苦笑しながら見送った。
「アジュガ様は優秀なんだけどねぇ……。自覚のない変態だから」
「ははっ! でも昨日の朝みたいなのと比べたら、まだ今のほうがいいな。……昨日の落ち込みようは、目も当てられなかったからさ」
「まあね。――さて、僕はそろそろ出かけてくるよ」
くすりと笑うと、セージはマントを翻し、神殿の出口に向かって歩き出す。
ウィスはセージに向かって軽く手を振り、ディルはセージについて出口に向かった。
「どこに行くんだ?」
「馬を預けていた村さ。――あの王宮騎士の迎えが来るんだ」
蜃気楼の術師に操られ、その手足となっていた王宮騎士。彼を王都に連れ帰る為に派遣された一団が、もうすぐ村に到着するらしい。
「あと、こいつも渡さなきゃならないから」
セージはマントをチラリとめくると、内側に収められた黒い小箱を指した。
「あんまり長いこと、ここに置いておきたくないからねぇ」
「蜃気楼の術師……。こいつ、これからどうなるんだ?」
セージは顎をさすると「さて……」と独りごちた。
「とりあえずは裁判にかけられるだろうね。――そのあとはわからない。姫神子の誘拐という罪の重さと、王様の影の民嫌いがあるから……。まあなんとなく想像はつくけど」
「ふうん……」
「あの館も、王宮が管理することになりそうだ。幻惑の森……、あそこはもともと花の国の土地だけど、影の国の影響が強い場所で、これまで積極的に花の国側は手を入れてこなかった。――でも『あの』王様だからねぇ。蜃気楼の術師がいなくなったおかげで、森にかけられていた魔法も消えたし、少しは管理しやすくなるだろう。これを機に、一気に開拓を進めていくかも」
「セージはそれをどう思ってるんだ?」
ディルが小首を傾げ訊くと、セージは鼻で笑った。
「大歓迎さ。花の国が影の民にやられっぱなしじゃないと見せることは、姫神子に不届きな行いをしようって影の民が減る可能性もあるってことだ。――王様は姫神子の為には何もしないけど、国の為には力を惜しまない。幻惑の森の管理は国の為だけど、結果的には姫様の為にもなるだろう。――僕は嬉しいよ」
「……私は姫様をただ守れたらそれでいい、けど……。……ややこしいな」
「大人に振り回される姫様が、不憫でならないよ……。なのに自分は、その『大人』なんだから……」
セージは意味深に笑うと、そこで言葉を途切れさせた。これには続きがあるように思えた――が。
(訊いたとしても、答えるつもりはないんだろうな、この男は――)




