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声と共に扉を破って現れたもの――それは銀の毛を持った大きな狼だった。
狼には、誰かが騎乗している。ジェットはその人物に向かって目を凝らし――気づいた。
「姫!」
ジェットが声を上げると、狼に騎乗した娘がしっかり聞こえていると頷く。
狼と娘――姫神子――は何かを言い交わすと、姫神子は狼にしがみつき身をかがめた。
姫神子がそうしたのを確認すると、狼はトンと軽く地面を蹴って走りはじめる。
「――あれは……銀狼……? ま、まさか……!? クソッ、何をしている!? あの獣を止めろ!!」
どこかに潜んでいるはずの蜃気楼の術師の叫びが、大広間に木霊する。それを受けて思い出したかのように楽団は演奏を再開させた。人形達はというと、ジェットらを無視し狼に向かって走りだす。
『捕まるものか!』
狼は次から次に手を伸ばしてくる人形達の間を、するすると縫うようにして走った。
自分に乗った姫神子に人形が触れようとしたならば、牙を剥いて蹴散らしながら一目散に走った。
『どけ! 曖昧な者どもよ!』
狼が目指している場所、それは部屋の中心――花守りの騎士らが敵に囲まれている場所だった。
それを人形達も理解しているのだろう。彼らは自らの体を使って、花守りの騎士らのもとにたどり着けぬよう壁を作った。だが――。
狼はその壁を逆に踏み台にし、大きく跳躍した。
そして狼と姫神子は、騎士らの側へと着地した。
「姫! 無事だったか!」
「ああ……! 姫様!」
ジェットとウィスは敵を警戒しつつ、一人と一匹に駆け寄る。狼から降り、その首元を撫でてやると、姫神子も彼らに笑顔を向けた。
「ジェット、ウィス……! それにセージも……! 助けに来てくれてありがとうございます!」
「そんなの当たり前でしょ! アタシ達こそ、すぐに助けに行けなくてごめんなさいね……! ちょっと厄介な魔法使いに絡まれちゃって」
苦笑しながら片目をつむるウィスを見て、姫神子は悲しげに眉尻を下げた。
「存じております。苦労をかけてしまい、申し訳ありません……」
「姫……。姫が気にするようなことじゃない。……無事で……、本当に良かった」
ジェットは今にも喜び叫びたい気持ちを抑え、噛みしめるように言った。――やっと不安から解放されたのだ。
姫神子はこれに、言葉ではなく優しいまなざしをもって答える。
「ははっ……!」
そしてジェットはぐいと乱暴に目元を拭うと、彼女の足元にいる狼を見下ろした。
「ところで姫……。うちの最後の騎士が見当たらないが……。まさか……」
『そのまさかだ。私だ、ジェット』
狼――ディル――は大きな口を開けて答えた。
ジェットとウィスは、その返答が来ることを薄々わかっていたのか、軽く目を見開いた。
「獣人変化はできるって聞いていたけど……。獣変化もできたなんて知らなかったわ……」
『それは私もだ。獣変化はさっきできるようになった。驚いたが……、そのおかげで姫様を見つけられたんだ』
ディルはあおんと軽く吠えると、姫神子を見上げた。
『――さ、姫様。仲間の無事は確認できました。さっさとここを出るといたしましょう』
ディルは周りを見渡すと、目に鋭さを宿した。
幻影の人形達はジェットとウィスに牽制され、手を出すことができずにはいたが……。それでもじりじりと距離を詰めはじめている。
「オレ達だってそうしたいところだがな……。蜃気楼の術師をなんとかしないと意味はない。今、セージが大魔法の詠唱をしている。これが成功すれば奴はきっと倒せるが……」
『何か問題でもあるのか? この人形達が厄介なのか?』
「ええ……。まあ、そうなんだけど……」
『数は多いが……。蹴散らすだけなら私達が揃ったんだ。なんとかできなくもない気がするが』
「こいつらはただの人形だから、倒しても本体である蜃気楼の術師にとって痛くも痒くもない。それに奴は人形をいくらでも作り出せる。そうなるともう持久戦だ……。オレ達に分が悪い。だから本体を叩きたいが……。肝心の術師は人形のなかに隠れている……。オレ達には見分けがつかない……」
顔を歪め、ジェットは歯噛みした。
「とりあえず一体ずつ減らしてたんだけど、効率が悪くてね……。っもう! もうすぐセージ様の詠唱も終わりそうなのに……!」
焦ったようにウィスが言う。――と。
『なんだそんなことか』
ディルの言葉に、ジェットは眉をひそめた。これを見てディルは、ふいに牙を覗かせた。――笑ったつもりらしい。
『まあ私に任せろ。この姿だと、いろんなことがわかるんだ。――森の中に隠れた、腐りかけの木の匂いをかぎ分けるのなんて簡単なことだ』
ディルはぐっと体を沈ませた。人形達のなかへ飛び込もうと、足に力を溜めているのだ。
『二人は姫様とセージを頼む』
「あ、ああ……!」
「考えがあるのね、わかったわ。――姫様、アタシとジェットくんのあいだに来てちょうだい」
「はい……! でも、その前に――」
ウィスに呼ばれた姫神子は、腕を広げ呪文を唱えた。すると彼女の手から光が溢れ、それはその場に居る全員の体を包み込んだ。
爽やかな花の香とともに、体力が回復していく。力とやる気が、心の奥底から湧き上がってくる――――。
「わたくしにできるのは、皆の状態を回復することくらい……。戦うことはできません。そんな私が言うのはおこがましいですが……」
姫神子はしっかりと前を見据え言う。
「わたくしを守ってください。この影の民を退けてください。――この者はいずれきっと、花の民達を脅かします。民に悲しい思いをさせたくはありません。あなた方とわたくしは一蓮托生……。国と民の安寧がわたくしの幸せ……。どうかわたくしの為と思って、わがままを聞いてください……!」
「そしてこの者を捕え、皆で神殿へ帰りましょう――!」
男達の気合を込めた吠え声が部屋に響く。
ひとり詠唱を続けていたセージも小さく頷くと、目でディルに合図を送る。
それを受け取ったディルは一際高く跳ぶと、敵へと強襲をかけた。
それと同時に、攻めあぐねていた人形達も姫神子めがけて攻撃を始める。
ジェットとウィス二人の騎士は、姫神子とセージを守りつつ、時が来るのを待った。
銀狼が、蜃気楼の術師を引きずり出すその時を――――。
◇◆◇
ディルは敵の足元をすり抜けながら、ある一点を目指し走った。
(蜃気楼の術師がこいつらのなかに隠れていると聞いて、すぐにわかったぞ――)
人形達はどれも同じ魔力量を有していて、それだけではどこに蜃気楼の術師が隠れているのか判断がつかない。しかし、ディルはこの部屋に入った時からずっと鼻につく『ある匂い』を感じ取っていた。
(かび臭くて、墓場と同じあの匂い……)
不快なそれがなんなのか断定できずにいたが、仲間の言葉を聞いてディルは確信した。あれを発する者こそが、姫神子を攫った張本人であると。
(いる……! 近いな……!)
匂いはどんどん近くなる。もうすぐそこに、奴がいるのだと鼻でわかる。
『――――!!』
杖を振りかざした紳士を避け、淑女のスカートの下を潜り抜けたところで、ディルは他の人形達の陰に隠れるようにしている紳士を見つけた。
他の人形は積極的にこちらに向かってくるのに、その紳士だけは後ろのほうで杖を振りかざす『恰好』をしているだけだ。
(あいつか!!)
行動が違うだけじゃなく、その紳士からはあのかびた匂いがする。
ディルは確信を持って、強く地面を蹴った。
「――!」
明らかに自分を標的にしていると気づいたその紳士は、目玉を飛び出さんばかりに見開くと、ふらりと後ずさる。
『もう遅い!!』
ディルは紳士の喉笛に強く噛みついた。
「――――ッ!!」
耳を鋭く切り裂くような叫び声が上がる。
「あっ……ぐぅっ!!」
そして痛みを堪えるように、男がうずくまったその時。
「ディルくん! 離れてちょうだい!」
ウィスの声に振り向くと、複雑な魔法陣が幾重にも展開されているのが見えた。
その中心にいるのはセージ――。
彼はまっすぐとこちらを――正確には蜃気楼の術師に向かって――指差している。
「待たせたねぇ。ディル君。――それと卑劣なる影の民、ルフト=シュピーゲルング」
包帯の奥で、セージがどす黒い笑みを浮かべた。
「さあ、闇の女神の糧となれ――――」
セージの言葉を合図に、彼の頭上にある魔法陣から、昏い眼をした巨大な女の顔が現れる。別の魔法陣からは、何本もの手がぬるりと飛び出す。
『――――フフ……』
女の瞳が蜃気楼の術師を映した時。女は厭らしげに嗤った。
途端に魔法陣から現れた手が、すさまじい速さで蜃気楼の術師に向かって伸びる。
逃げようと足をばたつかせる彼のあがきなど一切気にも留めず、腕は蜃気楼の術師を掴むとまるでパンを捏ねるかのように丸めはじめた。
彼の悲鳴すら漏れてこないほど強く何重にも包んでいたその腕は、しばらくするとそれを解いた。
その時掌から零れ落ちたのは、蜃気楼の術師の体ではなく――黒い小さな箱だった。
「封印完了、だね」
セージが言うと、女は魔法陣のなかへゆっくり戻っていった。それに従って、箱を作った手も陣のなかへと消えていく。
いつの間にか、幻影の楽団も、紳士淑女も消えていた。
残っているのは姫神子と、花守りの騎士達だけだった――――。
◇◆◇
「これは?」
セージが拾い上げた箱を、ジェットがしげしげと見つめながら言う。
「これ? これはね、中に蜃気楼の術師を封印してるんだよ」
わずかに光沢のある深い闇色の箱を、セージが手の中でくるりと回す。
『死んだ……のか……?』
神妙にディルが訊くと、セージは首を振った。
「生きてるよ。ただ何もできないようにゆっくり力は吸われている。もともと弱体化していたみたいだからね、早く出ないと衰弱死はそのうちするかもねぇ」
「そんな……!」
姫神子が悲痛な声を上げる。セージは姫神子を安心させるかのように、にこりと笑うと、箱をマントの内側に仕舞った。
「大丈夫。さすがに僕もそんなことしないよ。すぐに王宮に連絡して彼の身柄を移すから、それまで中にいてもらうだけ……。その為に無力化したのさ」
姫神子の頭をぽんと撫で、セージは先程より笑みを深くする。
「そんなことより……。君が無事でよかった……」
「本当にそうよ! アタシ達姫様のことがずっと心配で……!」
ウィスは姫神子の手を取ると、力強くその手を握りしめた。
「セージ、ウィス……」
「ジェットくんもね、姫様を探すのも、ここに来てからもすごーく頑張ってたのよ」
ウィスは自分の後ろにいたジェットをぐいと前に引き出す。
「あっ……! おい、ウィス!」
ぎろりとジェットはウィスを睨みつけた。――が。
ウィスはというとそれをまるで気にせず、逆に茶目っ気のある笑みを返してきた。
「……はぁ」
ジェットが小さく嘆息すると、正面にいる姫神子はくすりと笑みをこぼした。
「…………」
ジェットは彼女に向き直ると、申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「姫……。今回は全部、オレのせいだ……。オレのせいでみすみすアンタをこんなところに……。怖い思いをさせて本当に……。すまない……。謝罪させてくれ……」
「ジェット……」
姫神子はそっとジェットの手を握ると、不安が浮かんでいる彼の瞳を見つめた。
「あれはわたくしも迂闊でした。いつも皆が大切にしてくれているから……、いえ、大切にしてくれているのに、警戒心が無かったことが問題でした。わたくしこそ無用な心配をさせてしまい……、皆に迷惑をかけてしまいました。ごめんなさい……」
そう言って姫神子は、ぺこりと頭を下げた。姫神子の金糸の一房が、肩に落ちる。
ジェットは顔を上げるようにいうと、彼女の落ちた髪を優しい手つきで直してやった。――その表情は、柔らかい。
――と、その時。
カッとまばゆい光がその場に広がった。何ごとかとジェットが光の放たれた場所に顔を向けると、ちょうどディルが狼から人の姿へと戻る瞬間が目に入った。
人の姿に戻ったディルは軽く右肩を回すと、髪をかき上げた。そして三白眼を吊り上げると、犬歯を覗かせ「おい!」と吠える。
「なーに私を差し置いていい雰囲気を作ってるんだ!」
つかつかとジェットに歩み寄り、悔しそうにつま先で床を叩く。
「別に……。そういうわけじゃない」
「ああそうか、そうなのか。それならそれでいいさ。でも私はわかってるぞ? お前の気持ち」
「なっ……!」
「ふふ、私に意味ありげに聞いてくるんだ。意図が読めないほど私は馬鹿じゃない」
違う、違わない、下心がある、無いと二人がわあわあ言い合うのを見て、姫神子は楽しそうに笑った。
「うふふ! ディルは最近来たばかりだけど、すっかりジェットと仲良くなったのですね! ジェットもいつもならそんなに喋らないのに……。やっぱり同世代の男の方が近くにいると、お話も弾むのですね!」
姫神子に反論しようと二人は同時に口を開いた。が――。
「なんだかわたくしまで、嬉しくなってしまいます!」
そう姫神子に言われてしまっては、もう何も言えない。ディルとジェットはお互い顔を見合わせた。
「ははっ」
「――ふん」
ディルは照れたように笑い、ジェットはそっぽを向いてしまう。そして姫神子は、そんな二人をにこやかに見守った。
「はいはい、そこまでね。危険が去ったとはいえ、ここは敵地。長居する理由はないよ。さっさと神殿に帰ろう」
呆れたように二人のやり取りを眺めていたセージだったが、いい加減にしろとでも言いたげな顔をして、屋敷を出るよう急かしはじめる。
「そうね! アジュガ様も心配していると思うし……。早く帰って安心させてあげましょ!」
ウィスは制服の上に着込んだドレスを翻し、さあさあと手を叩いた。
姫神子がそれに「はい!」と元気に頷く。ディルもジェットも、つられて頬を緩ませた。
「帰りましょう。――わたくしたちの花神殿へ」




