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(ここは……)
少年はかろうじて動く瞳であちこちを見やり、ここがどこなのか把握しようと努めた。
だが目に映るのは限られた範囲だけで、場所についてはっきりこれと言える情報を見つけることはできない。
――しいていうなら、女の部屋のようだということか。
花が模されたシャンデリアに、幾重にも重ねられた紗のカーテン。部屋の中央には、足の華奢なコンソールテーブル。どれも趣味のいいものばかりで、この部屋を整えた人物のセンスが窺える。
「ああ、間に合って本当によかった……!」
突然背後から――うつぶせになっているので正確には背中の上から――安堵したような声をかけられた。
「――っ!」
少年はその声にピクリと体を震わせる。そして声のほうへ体を起こそうとするが、
「動かないでくださいな。今治療いたしますので……」
それは温かみのある声で制された。この声の持ち主が、先程の魔法陣を展開した者だろうか。
少年は彼女の言葉におとなしく従い――体が動かない為、そうするしかなかったのだが――、その身をゆだねた。
「ありがとうございます。――では、少し失礼して」
人の気配が自分の腰近くに来るのを感じる。
「――、――――……」
近づいてきた誰かは、小さな声で聞いたことのない呪文を呟いた。すると――――。
「――!?」
太ももに刺さっていたナイフの感触が、霧散するように消えていく。引き抜かれた感覚ではない。文字通り『無くなった』のだ。
「刺さっていたあれは、いうなれば魔力の塊……。それを散らしました。――さ、次はお傷のほうを診ていきましょう」
声の主が再び呪文を唱えると、少年の体にはびこっていた痺れも痛みも、あっというまに溶けて消えていく。
「……これでもう大丈夫だと思います。もしどこかおかしなところがあれば、すぐおっしゃってくださいね」
少年はグッと腕に力を込め、起き上がった。そして両手を見つめ、握っては開きを数回繰り返す。
攻撃を受ける前と変わらずちゃんと動く。おまけに、ここに忍び込んで消耗した体力まで回復しているようだ。
「……すごい」
少年の口から思わず感嘆の言葉が漏れる。
――さっきの攻撃は呪いの類に見えた。
呪いの解呪がややこしいというのは、魔法をかじったことのある人間のなかでは常識だ。それを道具も何も使わず、こうもたやすく行ってしまうとは――。
声からして若く思えたが、もしかすると彼女はここの神官長なんだろうか。
――これに思い至った時、少年はつい声を上げてしまった。
「しま……っ!」
転移させられたとはいえ、部屋の壁に使われているこの白い石は廊下で見たものと同じ。この場所は、いまだ神殿内だと思われる。
つまり助けはしてくれたが、彼女も攻撃をしてきた騎士の仲間だということ――――!
(私としたことが……!)
少年は弾かれたように振り返った。
そして相手の動きを用心し拳を握りしめた。が――――。
ゆるりと流れる豊かな金の髪。
陶器のような白い肌に、花びらのような唇。
優しげな桃色の瞳には星がいくつもきらめいて――。
振り返った先にいた少女はあまりにも可憐で――少年の目は彼女に釘付けになってしまった。
攻撃されるかもしれない、戦闘の構えを取らなければと思うのに……。体が動かない。
そんな少年の姿を不思議に思ったのか、少女はコテンと首を傾げるのだが――それがまた愛らしく、少年は無意識に自分の胸を掴んでいた。
何か言わなければと口を開けてみても、喉がきゅうと狭まり言葉が出ない。
それでもなんとか声を絞り出そうと努力する。
「あ……、あり、ありが……とう……!」
少年の口からこぼれたのは、感謝だった。
「こちらこそ。あなたが魔法陣に触れてくれなければ、ここにお呼びすることもできませんでした。――ふふ、あなたを助けられてよかったわ」
少女のふわりとした笑みに、少年は耳まで熱くなるのを感じた。
――少年は、巷を騒がせる盗賊団の頭領だ。
警備の厚い貴族の城にも盗みに入る度胸と、一癖も二癖もある団員をまとめあげる器量があり、行きつけの酒場では色っぽい姉さん方に可愛がられ、街を歩けば娘らに憧れの目線を向けられる。
こんな少女一人に参ってしまうような人間ではないはずなのに――。
(私はどうしてしまったんだ……! 確かにこの子は可愛いが、同じくらい美しい女だって会ったことはある! なんでこんな……! 敵地でこんな状態になるなんてありえない!! まさか魅了の魔法をかけられたか!?)
少年の葛藤をよそに、少女は透けた薄手の布を何重にも重ねた、上等な寝巻をひらめかせ、テラスへと小走りで向かう。そしてテラスの戸を開け放ち、
「どうぞここからお逃げください。じきに花守りの騎士が参ります」
スッと外を指差した。少年は彼女に戦う意思が無く――むしろ逃がそうとしてくれていることに若干の驚きを抱いた。
舞い上がっていた心が落ち着いていく。少年は率直な疑問を彼女にぶつけてみた。
「私が何者か、わかっているのか……?」
少年の質問に、少女は首を振る。
「いいえ。わたくしはあなたのことを何も知りません」
「ならば言うが、私は盗賊だ。――この神殿にあるという、祈りの種を盗みに来た。花守りの騎士に攻撃されるだけの理由がある……、ただの賊だ」
「…………」
少女の瞳は、まっすぐに少年を捕らえ離さない。少年はつい動揺してしまいそうになるが、それをなんとか抑え、言葉を続ける。
「お前はこの神殿の人間だろう……!? なぜ私を逃がそうとする!?」
少女は、「あなたは正直者ですね」と言い目を細めた。
「祈りの種は金銭に代えられない『奇跡』を花の国全土にもたらす大切な物ですし、盗まれてしまうのは……。少し、困りますわね」
「ならば……!」
「ですが、種はまた作ればいいだけ。盗賊だとしても、あのように傷ついた者を見過ごすなどできません。――セージはやりすぎです。わたくしのことを考えての行動だとわかっていますが……。それでも……」
少女の言葉に、少年はその金の瞳を満月のように丸くした。
花守りの騎士が守るのは神殿の花――姫神子だけ。
今この少女は、花守りの騎士が『わたくし』のことを考えて、と言ったのだ。
「…………お、お前……、もしかして……」
「はい?」
「……姫神子……、なのか?」
「――はい。わたくしが今代の姫神子ですが……」
少年はもしやと頭に浮かんでいた『答え』が正解してしまい、あんぐりと口を開けた。
今でこそ盗賊なんてしているが、少年は生まれも育ちも花の国。子供の頃は愛国者の親から、姫神子が国を豊かにしてきた歴史やら、影の民を退けた話やらを飽きるほど聞かされてきた。
花女神の魂を持つ姫神子は神聖な現人神であり、この国にとってかけがえのない存在なのだ――と。
「はああああああ!?」
「ど、どうかしましたか!?」
「いや! なんで! 姫神子が私を!?」
「なんでと言われますと……。爆発音が聞こえましたので、何事かが起こったのかと部屋の外の花守りの騎士を呼んだのですが、誰もおらず……。それで神殿内の様子がわかる魔法道具を使ったら、あなたが倒れているのが見えて……。先程も申しましたが、お助けしないと、と……」
姫神子の少女は、「ご迷惑でしたでしょうか……?」と眉根を下げた。
――少年は彼女の無防備さに、なんと返したものかと戸惑った。
「……私、盗賊なんだが……」
「おっしゃってましたね?」
少年は彼女の返事に言葉を失った。彼女は自分が姫神子で、存在自体が宝だというのを理解しているのだろうか。
「……あの、さ、花守りの騎士は何をしてるんだ……? さっきのアイツ以外の……。警護は……」
「……それは……。すべて、出払っております……。あの、おそらくあなたのお仲間を止めに向かっているかと……」」
「……すべて? 私達は少数精鋭の団、花守りの騎士を全員足止めするのは、さすがに難しいと思うが……」
独り言のように少年が呟くと、姫神子は頬を朱に染め口ごもりながら「人手不足でして……」と言った。
「は……? 王宮の次に重要と言われる、花女神の神殿を守護する騎士が……。人手……不足……?」
「あ、あのぅ……。それは……」
姫神子は体を縮こまらせ、恥ずかしそうにうつむいた。少年はこの姿を見て、自分で質問をしておきながら、
(可愛い……)
とつい意識が逸れてしまう。
もしかしたら本当に自分は、彼女に魅了の魔法をかけられたのかもしれない。自分の身も顧みず侵入者を助けるような少女が、そんなことはしないだろうと思うが……。
――少年の剣の腕はそこらの騎士にも劣らず、魔法だって生まれつき才能があり、どんなものでもなんなく覚えてきた。
年若いながらもその強さは、恐ろしい犯罪者すら少年の名を聞けば怯むほど。
そんな自分が、会ったばかりの少女にこんなにも心かき乱されるなんて――――。
うつむき黙ってしまった姫神子に、少年は胸の苦しさを感じながらも続きを促した。
「それは……、なぜだ……?」
返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。
「……お恥ずかしながら、わたしを守ろうという者はほとんどいないのです」
肩を震わせ彼女は、一拍置いたあと消え入るような声で言った。
「わたしは……、『いらない姫神子』だから」
茹だった頭が、瞬時に冷えていく。彼女が、いらない姫神子――――?
「……いったいどういう意味だ……? だって姫神子は――」
少年は背を向けてしまった少女を振り向かせようと、彼女の肩に手を伸ばした。
――その時。
「――――!!」
夜空を切り裂くような甲高い音が響く。
(これは……!)
この場で音に気づいたのは、少年だけだった。姫神子は音に気づいておらず、変わらず背を向けたまま。
それもそのはず。この音は、《狼の魔笛》という魔法道具から発せられているもので、文字通り狼――砂漠の狼団――に属する者にしか聞こえないからだ。
そしてこの笛の音が意味するところは――。
(時間切れ……。部下らは神殿を脱出したか)
笛の音はなんらかの理由で戦線を離脱する、だから他の者も早く逃げ出せという意味。
(敵を遠ざけるのも、もう限界だったか……。ということはすぐにこの部屋に、花守りの騎士達が集まってくる……)
姫神子の少女が言うとおり、本当に人手不足だとしても、花守りの騎士を何人も相手にするのは少々面倒だ。何せ、あの『セージ』という騎士一人でも厄介だったのだから。
少年は伸ばした手を下ろし、拳を握る。
気になることや聞きたいことはいくつかあるが――今はここを抜け出すのが先だ。
少年は開け放たれたテラスに向かって走った。そしてそのままの勢いで柵に飛び乗ると、顔を彼女のほうへ向けた。
「さっきは本当にありがとう……!! 時間が無くてな、私はここを出る……。が、またお前……。いや、あなたに会いに行く!!」
下を向いていた少女が、パッと顔を上げる。
「だからその時は、また私と話をしてくれると……。う、嬉しい!!」
姫神子は彼の突然の行動と言動に目をパチクリさせ、圧倒されるままに「は、はい……!」と答えた。
「~~~~っ!」
少年の口が嬉しそうにもにょもにょと動く。
そして「では!」と喜びまじりの声を上げ、少年は柵を蹴りつけ大きく跳躍し――夜のなかへと消えていった。
残された少女が、ほうと一息ついた時、部屋の扉をノックしてくる音が聞こえてきた。彼女は彼の姿がもうすっかり見えないことを確認すると、「どうぞ」と外の人物に向け返事をする。
(どうか……、ご無事で)
侵入者の無事を祈ったのち、彼女はふと気づく。
急にたくさんのことが起こったせいですっかり忘れていた。
「お名前……、聞きそびれてしまったわ」