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背の高い木々が空を隠しているせいで、幻惑の森は真昼間だというのに、日没後のような暗さだった。
霧が出ているせいで視界も悪い。
――『拒絶』、という言葉が似合う森だ。
先頭を走るセージが灯している魔法のランタンのおかげで、仲間を見失うことなく進んでいけるが、先の見えない道というのはどうにも不安を煽る。
「ん……? 魔力反応が強まってきたな」
コンパスを確認し、セージが言う。花守りの騎士達は今、魔力に反応を示すコンパスを頼りに森を走っている。
――幻惑の森というのはその名の通り、どこもかしこも同じに見え、普通に行けば必ず迷ってしまう魔境であった。
その為一行は、『蜃気楼の術師は、屋敷に結界を張っているだろう』という推測のもと、コンパスに従って馬を走らせていた。
結界の発する強力な魔力の発生源――そこが蜃気楼の術師の拠点、そう考えたのだ。
「あれは……!」
ジェットが呟くと、そのうしろからディルがひょいと顔を出す。探索の時と同じく、ディルはジェットの馬に相乗りしていた。
「屋敷だ! セージ、屋敷がある!!」
「うん。僕にも見えてるよ。多分あれが蜃気楼の術師の屋敷。――姫様が捕らわれている場所だ」
木々の隙間を縫って見えてきたのは、古めかしい、ともすれば廃墟ともいえるような建物だった。
壁を覆うように這っている蔦、崩れかけた石垣、荒れ放題の庭――――。
人が住んでいるとは思えない有様だ。
門前に着いた四人は馬から降り、古ぼけた屋敷をまじまじと眺めた。
「こんなところに、本当に人が住んでいるのかしら……」
「影の民は退廃趣味だというからね……。好んでこういう場所に住んでいてもおかしくはないのかもしれないね」
ウィスは信じられない、といったふうに両手で口を押さえた。彼は他人の美的感覚を否定するような野暮な男ではないが――単純に自分の好みには合わなかったのだろう。
「セージ……。正面から行くか?」
瞳をぎらつかせ、ジェットが訊く。今すぐにでも突入したいという気持ちがありありと見て取れる。
「そうだねぇ……。多分、蜃気楼の術師も僕達が来ていることは気づいているだろうから……。下手に分散して突入するよりかは、全員で玄関をくぐらせてもらうほうがいいかもしれないね」
よし、とジェットが勇んで門へと足を向ける。が――。
「ちょっと待ちなさい。だからといって何もせずに入るのは馬鹿者だよ」
セージは全員に自分の周りに集まるよう言う。
「意味があるかはわからないけど、念の為魔除けをかけておこう。」
片手をまっすぐ伸ばし、セージは小声で詠唱を始める。
「闇の女神、テネブロよ。暗雲たる道を歩む我に力を貸し給え。その大いなる力で、浅ましく縋る者らを退け給え――――」
詠唱を終えた瞬間、セージの掌から黒い光が発せられた。
ディルはその光を浴びた瞬間、何かが体を通り抜けたような感覚を味わった。
「これでよし。ま、気休め程度だけどね。あとはアジュガ様から貰った薬を忘れないように飲むこと」
ディルは頷くと、空色の液体が入った小瓶を取り出した。光の差し込まない森のなかなのに、瓶はどこからか得た光を弾き輝いている。
(神秘的、といえば聞こえがいいが……。魔法薬は本当に不可思議だな)
そう思いながらも栓を抜き――それを一気に飲み干した。
「――ん!」
薬は色と同じで、爽やかなハーブの味だ。ほんのりと甘味も感じ、案外美味しい。
「さあて。準備はいいかな?」
全員が薬を飲んだのを確かめ、セージが尋ねる。
「いつでもどうぞ」
「私もだ。早く姫様をお助けしよう!」
「……ああ。セージ、行こう」
四人は顔を見合わせ頷く。
そして花守りの騎士達は、禍々しい気が立ち込める屋敷の門扉をくぐった――――。
◇◆◇
重苦しい木の玄関扉を開くと、赤い絨毯――乾いた血の色と似ている――が印象的なホールが目に飛び込んできた。
不思議な話だが、屋敷のなかだというのに霧が立ち込めている。
「嫌な霧ね……」
「そんなことより……、姫はどこにいるんだ……!?」
焦ったようにジェットが辺りを見渡す。
「丁重に扱われているなら客室……。粗末に扱われているなら、地下……かな。――見た目はともかく、広さは普通の屋敷と同じに見える。一つ一つ探していけば見つかるさ」
ディルはジェットの肩を軽く叩いた。さっきからずっと落ち着かない様子のジェットに、冷静になるよう言いたいのだろう。
ジェットはこれに片眉を吊り上げたが――すぐに軽く頭を振り、セージに話しかけた。
「……セージ、俺達はどうするのがいいんだ? 何も案が無いなら……。こいつの言うように、一部屋ずつあたっていこう」
「それもいいけど……。まずは屋敷の主にご挨拶しようかね――――」
この言葉に、ジェットが首を傾げた時だった。
「――私の屋敷へようこそ、姫神子を守りし者達よ。たいしたもてなしはできないが、精一杯のことはやらせてもらおう」
品の良さそうな男の声が、あちらこちらで反響している。
ディルは声の持ち主を探そうと辺りを見回すが――。その瞬間、ぐわりと周囲が歪んだ。
「……ぐ、ぅ……!」
襲ってくる吐き気を堪えようとするが、ディルは思わず下を向き膝をついてしまう。
「みん、な……」
他の者は大丈夫なのかと顔を上げるが、その時にはもう、ディルの周りには誰もいなかった。




