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アジュガの両親は、貧しい一般人だった。
何の取り柄もない、ごくごく普通の村人。
ただ、ほんの少しだけ魔法の知識があった。早いうちに挫折してしまったが、若い頃に魔法を学んでいたことがあったのだ。
それが功を奏したのと、住んでいる村が紫の学舎に歩いて行ける距離にあったことから、アジュガの親は学舎に選ばれ雑用として働いていた。
アジュガはそのことを誇りに思っていた。
農業をやっている他の村人と違い、自分の父と母はあの《紫の魔法使い》様のもとで働く、選ばれた人間なんだ――と。
実際に両親が行っていたのは、魔法に使う薬草の採取や分別、あとは掃除などの取るに足らない仕事だったが、幼いアジュガにはそれすら立派な仕事に思えた。
そしてもう一つ。アジュガには、両親が学舎で働いていてよかったと思えることがあった。
それは学舎にある本を、好きな時に好きなだけ読めるということ――。
学舎には貴重な蔵書が何冊も何冊も、数えきれないほど大量に収められていたのだ。
紫の学舎は金銭的にはゆとりのない魔法研究所だった為、使用人に払える給料は少なかった。だがその代わり、本を好きに読んでいいと、使用人とその家族にも図書室を開放していたのだ。
アジュガは毎日学校が終わると、学舎の図書室で本を読み漁った。休みの日など、朝から晩まで図書室に籠っていた。
初心者向けの、魔法の基礎について書かれた教科書。
大魔法使いの偉業が大げさに記された偉人伝。
何に使うのかわからないくだらない呪文から、誰も使えなさそうな大魔法まで網羅した魔術書。
花の国の歴史書。
花女神の神話が書かれた本。
まだまだ読み切れないほどたくさんの本が、図書室でアジュガを待っていた。
誰とも遊ばず本を読むアジュガを、村の子供達は根暗と揶揄してきたが、そんなことは一切気にならない。
(あいつらは本の楽しさを知らない……。かわいそうなやつらだ)
どの本もとても面白く、また興味深いものだったが――なかでもアジュガが魅かれたのは、姫神子について書かれた書物だった。
姫神子がなぜ生まれたのか、どのような役目を持っているのか、そして歴代の姫神子がもたらした功績はどんなものだったのか。
読めば読むほどに、アジュガは姫神子への想いを募らせていった。
特にアジュガは、十五代目の姫神子の話が気に入っていて、彼女について書かれた本は何度も読み返していた。
――十五代目の姫神子。
彼女は、後世に『もっとも姫神子らしい姫神子』として語り継がれている人物だ。
華やかで、側にいると酔ってしまいそうな美しさを持ち。
心は清らかで、何者にも汚されない。
春の麗らかな空のような慈悲の心を持ち。
甚大な魔力を持って癒し手として民を守る。
花守りの騎士をよく導き、影の民を追い払い。
力を使い切るその時まで、役目を見事にまっとうした。
アジュガは本に書かれている彼女に魅了され、姫神子という存在に夢を見た。
(姫神子とはどれほど素晴らしい人なんだろう……。彼女は花の国で……。いや、世界中で一番完璧な人間なんだ!)
花女神の神殿に住まうという姫神子に、いつか会いたい――。
アジュガはそう願っていたが――残念なことに、村から神殿までは非常に遠く、貧しいうえに子供のアジュガではその願いを叶えることはできなさそうだった。
けれど、自分が『よい国民』であれば、姫神子にもきっと貢献できると信じ、アジュガは『よい国民』になれるよう勉学に励んだ。
アジュガにできるのは、それくらいだったからだ。
転機は、アジュガが学校を卒業した時にやってきた。
アジュガが育った村では、小学部を卒業したら進学をせず働き出すのが普通で、当然アジュガも他の子供達同様、働き始めるつもりでいた。
本は学舎のほうが多いし、学校に思い入れもない。なにより進学するには金がない。
進学せず働くことに、何の不満も抱いていなかった。
だが――――。
「アジュガよ、学舎に入らないか? 使用人としてではなく、紫の魔法使いの弟子として――」
卒業式が終わったあと、夕飯まで本を読もうと学舎を訪れた時。
紫の学舎の長、当時の紫の魔法使いから直々に声をかけられたのだ。
その頃のアジュガは、すっかり学舎内で有名な存在だった。
時間さえあれば図書室で本を読み、話しかけてみれば使用人の子とは思えないほどの返答をしてくる、陰気ではあるが才気も感じられる子供――と。
「は、はい……! 先生……。ぼく、魔法使いになりたいです……!」
アジュガはこの誘いを大いに喜んだ。
当時、姫神子に関連することとして、アジュガの興味は五色の魔法使いにも及んでいたからだ。
憧れの姫神子を育てるのは、五色の魔法使い――。
アジュガは姫神子に関することをもっともっと知りたかった。
その為に姫神子の教育係である五色の魔法使いについて学ぶのは、好手だと思ったのだ。
そしてその時、もう一つアジュガの心を揺さぶる言葉を、当時の紫の魔法使いは口にした。
「今代の姫神子は青の魔法使いが教育した。つまり次の教育係は紫の番なのだ」
「次世代の姫神子は、儂の次に紫の魔法使いとなるものが教育することとなる」
「アジュガ。お主もここでしっかりと学び、他の弟子達と共に、紫の魔法使いの称号を得るにふさわしい魔法使いになることを目指すのだ」
アジュガは喜びに打ち震えた。
自分が紫の魔法使いになれば、姫神子をこの手で育てられるのだ――と。
それからアジュガは、がむしゃらに魔法に打ち込んだ。
両親と同じく、アジュガに魔法の才能はなかったが――――。
それでも周りの才能ある弟子達に負けないよう、努力を惜しむことはなかった。
睡眠時間を削って本を読み、呪文を書き連ね、杖を振るう。
そしてアジュガが二十歳を迎えた年。
彼は紫の魔法使いの証である杖を、師匠から受け継いだ――――。




