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色とりどりの花が咲き乱れ、流れる小さな川の水は澄みきっており、ほとりでは花の精霊が舞い遊ぶ。川は精霊の放つ淡い光りに彩られ、まるで光の道のよう――――。
楽園のごとき美しさのその地を、《花女神の神殿》という。
この神殿には、花の国建国時、王家に加護を与えた《花女神フロール》が祀られ、花の国の民にとって非常に重要な――聖地とされていた。
さて。
月の光を反射し夜空に浮かび上がる白亜の神殿は、常ならば陰りなど一切無いのだが――この日の夜は少し様子が違った。
黒い影が、壁の真白に点々と染みを作っている――――。
「どうやら見張りはいないみたいっす」
夜の静けさに紛れるよう、密やかな声が上がった。布で顔を隠した男は、隣に立つ少年に「兄貴、どうするっすか?」と声をかける。
「うーん……。まさかここまですんなり侵入できるとはなぁ」
『兄貴』と呼ばれた少年は、銀色の髪を揺らし怪訝そうに小首を傾げた。
「そっすねぇ……。あの姫神子様が住む場所だってのに、こうも簡単に忍び込めちまうと逆に不安になるっすね……」
「私としてはこう、バーッと百人くらいの騎士を相手にしながら、派手にお宝をいただきたかったから……。張り合いが無さすぎてガッカリだ」
「な、なに言ってんすか! そりゃ、剣も魔法もなんでもござれな兄貴なら、花守りの騎士を蹴散らすのなんて簡単かもしれねぇっすけど! オレ達は鼠みたいにこっそり忍び込んで、仕事が済んだらさっさと逃げる――それだけで精一杯なんすよ!?」
慌てた様子の男に、少年はくつくつと笑い手を振った。
「悪い悪い。――ま、冗談はここまでにして」
布の隙間から見える、少年の三白眼がキュウッと細められる。
「花守りの騎士がなんでいないのかはわからんが……。好都合だ。仕事はしやすいに越したことはない」
少年の言葉に、隣の男は神妙な面持ちで頷く。
「いいか? このあと私は、予定通り神殿の最奥を目指す」
「《祈りの種》は姫神子様しか作れないっすからね……」
「ああ。きっと奥に宝物庫があるはずだ。私がそれを探しているあいだ――」
「オレ達は他の部屋を探索しつつ、見張りの攪乱っすね。今のところその相手はいないっすけど」
男が言うと、少年は「油断は禁物だ」と彼の胸を軽く叩いた。
「姫神子のいる場所に、騎士がいないはずがない」
「そっすね……。見つけたら上手いこと遠ざけるっす」
うん、と少年が頷く。
そして手下の男達を見渡すと、
「祈りの種とはどんなものなんだろうな? きっと素晴らしく美しいんだろうが……」
楽しげに問いかける。表情は見えないが、きっと布の中では笑みを浮かべているのだろう。
「見たことのないものを見、知らなかったことに触れる――今夜もきっとそうなるだろう!」
少年はそう言って拳を突きだす。
男達もこれに自分の拳をぶつけ、口々に頭領へ成果を祈る言葉をかけた。
「それじゃ――――。作戦開始だ!」
◇◆◇
祈りの種は、影の国の襲撃に苦しむ花の国の民の為、花女神フロール自らが生み出した神宝と言われている。
影の国とは、悪魔のような力と姿を持つ民が住まう国のこと。この国の民は、他国を侵略し荒らして回る非道な者達だった。
特に花の国の民への行いは酷いもので――――。
彼らは花の国の民の血液を《蜜》と呼び、攫っては殺し血をすするという悪行を繰り返していた。
花の国の民達は抵抗すべく力を振り絞ったが、当時の花の国は戦力に乏しく……。微力な抗いはまったく意味を為さなかった。
そこで花の国の民達は、花女神フロールへ助けを求めた。
フロールは民の願いを受け入れ、まず隣国の《宝石の神》に希い、奇跡の力を秘めた宝石を譲ってもらった。
フロールがその宝石に祈りをこめると――。
宝石はキラリと光を放ったのだ。
フロールは民にこの輝く宝石を地に植えるよう命じた。
不思議なことに、フロールの願いが込められた宝石を地面に植えると、宝石は色に応じた花を咲かせた。
咲いた花は、影の国の民の悪意を拒む結界となり――花の国の民は、笑顔を取り戻すことができたのだ。
その宝石はのちに、《祈りの種》と呼ばれるようになる――――。
祈りの種は、花の国にとってなくてはならない、大切なもの。
花の女神フロールがもたらした奇跡。
奇跡の花は今も国境や要所で咲き誇り、花の国を守っている。
しかし、宝石の種から芽吹いた奇跡の植物とはいえ、そこは生きている花。種に宿った祈りの力を使い果たせば、花は枯れてしまう。
その為、祈りの種は定期的に植え替えなければならないのだが――。
最初に祈りの種を生み出した花女神フロールは、すでに天へと還ってしまっている。つまり種を作り出せる者は、もうこの地にはいない。
――だが女神は、民を見捨てはしなかった。
民に与えた種がまもなく尽きようという頃、花の国の当時の王は夢の中でフロールの神託を受けた。
「今、そなたの妻は身籠っています。わたくしはこれから産まれるその子に、わたくしの魂を分け与えました」
「その子はわたくしの神子です。わたくしと同じく祈りの種を作り、天候を安定させ、国に恵みを与えることができます」
「影の国との境にわたくしの神殿を建て、神子をそこに住まわせなさい。神子がわたくしの代わりに、花の国の繁栄を助けてくれましょう」
目覚めた王が王妃のもとへ向かうと、王妃の腹には花女神の紋章が浮かび上がっていた。
そうして十月十日後。
産まれた赤子を王は神託どおりに育て上げ、成長したその子の持つ力で国はさらなる発展を遂げた――――。
それからというもの、神子が力を失ってから王家の血を引く女が孕むと、女の腹には花女神の紋章が浮かび神子が産まれるようになった。
産まれる神子は、なぜか必ず女――。そのことから、いつしか神子は《姫神子》と呼ばれるようになる。
祈りによって奇跡を起こす神秘性。
花女神の魂を宿す者。
花女神の代理人として、人の身ながら神の恩恵を受ける姫神子は、代々生きた宝として大切に扱われ……。
花の国では、人々から崇め奉られているのだ――――。