腹痛
*腹痛
産休、育児休暇を経て恵は教職に戻った。
恵、四十一歳。三歳の長男と一歳の長女の面倒は両親にサポートしてもらいながらの生活が始まっていた。気が付いたら四十歳をオーバーしていた。社会人としては「働き盛り」の年頃といったところか。恵は「育児休暇」分のブランクがある。それを取り戻すために「仕事」に打ち込んだ。「研究発表」「教育実践」レポートの作成。いつも学校で遅くまで残っていた。
ご飯は母が作ってくれた。洗濯は父が取り込んでくれた。子供の風呂は旦那さま(旦那も教員だけど)がしてくれた。みんなが恵を支えていた。その甲斐あって、「教育実践」の入選など、着実に「実績」を残していった。
毎日を忙しく過ごし、休みには子供と過ごす。
そんな生活が続いた。
長男が幼児教育の「音楽教室」に通いだした。
恵は送り迎えをかってでた。
「少しは母親の務めしないと・・」との思いがあったから。週に二回のこの「送迎」は可能な限り恵が時間を工面して行った。
恵、四十二歳。
男性であれば「厄年」厄払いをしないと、災いが起こるかも、と言われる年。女性の厄年は違うが、「更年期」など、女性も色々と「体」に関して問題が起こりうる時期でもある。恵は、適度な運動こそしてはいないけれど、体育の授業ではまだ子供達と一緒に走り回れる、そう本人は思っていた。「健康」に関しては問題がないと。酒も煙草もやらない。
しかし、よくよく考えてみると最近は体育の授業でも自分は口ばかりで「体」をあまり使っていない事に気が付いた。それと最近下腹部が時々痛むことがある。これは生理の時の痛みとはちょっと違う。
「更年期かなぁ。」ずっと痛い訳ではないので
「そのうち治るでしょ。」という気持ちと、「病院へ行くのが面倒」との理由でそのまましばらく放っておいた。
そんな状態が半年過ぎ、そして一年が過ぎようとした頃、いよいよ下腹部の痛みがひどくなってきた。
恵、四十三歳。
振り返ってみれば公費で行われる「定期健診」など、いつ行ったきりか分からない程、昔の事。そして恵はようやく意を決して地元の内科医院へ行くことにした。この病院は昔からある馴染みの深い病院だった。院長先生が父と同世代であり、恵は「予防接種」などでよくお世話になった。
「もしかして、恵ちゃんかぁ?」
「お久しぶりです。ご無沙汰してます。」
「わしも年取ったわなぁ、まぁ引退だわ。」
そんな他愛もない話のあと、診察は始まった。
簡単な問診と触診のあと、先生は
「恵ちゃん。ちょっと紹介状を書くでさぁ、大きい病院で検査したほうがええよ。とりあえず痛み止めの薬は出しておくでね。」
そう言ってやさしく微笑んだ。
「また、病院かぁ・・」
医院の玄関を出て恵みは溜息をついた。
翌週にまた、時間を都合して今度は郊外の総合病院へ紹介状を手に向かった。
地元の医院とはケタが違う大きさ。「総合受付」で窓口を聞き、産婦人科診療室受付へと行く。待合室には多くの「患者」が診察を待っていた。「しばらくお待ちください」と看護婦に言われたが、どう見ても「しばらく」ではなさそうに見受けられる。他の方々も辛抱強く待っているのだから仕方がない。
一時間ぐらい経っただろうか。やっと「原田さん、原田恵さーん」と呼び出しがあった。
先生は優しい方だった。紹介状に目を通して「では、検査しますので検査室の方へ行ってください。」で、また検査室の前で待った。大きい病院は「移動」も多い。検査担当の看護士より呼び出しがあり、中で検査をする。
「子宮内の細胞を少し取ります。すぐに終わりますからねぇ。」と言った。検査はそれで終わり。そしてまた、先程の産婦人科へ行く。
また、「移動」だ。しばらくして呼ばれた。先生から「検査結果は来週になります。また来週お越し下さい。今日はこのままお帰りになって結構です。」半日かかって、やっと終わった。「大きい病院は時間がかかるなぁ。」
恵はここでも溜息をついた。
家へ帰ってから夫や両親に病院の事を聞かれたが、「検査の結果は来週しか分からんから。」とだけ言って食事を終えた。
多少の不安は残ったが、子供達には平静を装い、久々に一緒に風呂へ入った。
すると5歳になる息子が、
「ママ、ダイエット?」
「えっママが?」
「痩せたみたい。」
特にダイエットが必要な体型ではないし、でも最近体重計なんか載ったことないなぁ・・
と思いながら、息子に「どっちのママがいい?痩せたママか痩せてないママか。」と言ってみた。
「痩せるの嫌だぁ。ガイコツ嫌いだもん。」
極端は発想だけど、子供の感性はそんなもの。
「じゃあ、いっぱいご飯食べて、元のママに戻るからねぇ。」といって息子を浴槽の中でギュッと抱きしめた。
下腹部の違和感は相変わらずあったが、検査結果が出るまでの1週間は学校に行った。
学校では「学習発表会」に向けての練習で、2年生担任の恵としては休めない状況でもあった。副担任に任せる、という選択肢もあるけれど恵の性格では、それは無い。
「検査結果」への不安もあるけど、私はまだ四十三歳。両親共に健康そのもの。いつも忙しさにかまけて子供の相手や家での家事を疎かにしていた罰を神様が与えられたのだわ。
だからこれ(この痛み)が治ったたら、もう少し「家族」の時間を大事にしていこう。
と恵は思った。
その後の1週間はこれといった体調の変化もなく過ぎ、いよいよ「検査結果」を聞くために、また病院へと向かった。
また、前回と同じように受付を済ませ、待合室で待つ。すぐには呼ばれない。待合室の患者の数を数えながら、自分が「何番目」なのかを予想してみたりする。みんな「診察」に来ている人ばかりなので表情は冴えない。
自分もその中のひとりである事に少し違和感を感じる。
気の利いた雑誌などなく、あるのは古い子供向けの絵本や医療雑誌。天井から吊り下がっているテレビの音声が待合室に響き渡る。
黙ってそれを見上げている人々。それ以外にする事は無い。自分で持参した文庫本を読んでいる人もいた。そして時々聞こえる「〇〇さ~ん」と大声で呼ぶ看護婦(看護士)に皆が「次は自分の名前を」と心待ちにして耳を傾けている。
約1時間が経ち、やっと「原田さ~ん」のお声がかかった。
「そこに座ってください。」先生は淡々としていた。(けっこう待たされたのに・・)
「今日はお一人で見えましたか?」
「はい。」 (一人だとまずい??)
「では、検査の結果についてご説明しますよ」
なんだか裁判官に判決を言い渡されるような感じだった。
「おそらく原田さんの腹痛の原因は子宮の頸部に出来た腫瘍からくるものだと思われます。」
「頸部って?」
「簡単に言えば、子宮の入り口付近、子宮内部に続く所です。」
「先生。腫瘍って、悪性とか良性とかありますよね。確か。」
「それですが・・悪性だと判明しました。つまり、これはがん細胞だということです。」
「腹痛以外に、例えばおりものが増えたり、微熱がしたり食欲がないなどの症状はありませんでしたか?」
心当たりは、多少なりあった。しかし、それは忙しさからくる「疲労」か「更年期」が原因だと決め付けていた。この前、子供から「痩せた」と言われたのは、たぶん体重計に載っていないけど実際痩せてしまっているのかも知れない。でも先生には少し強がって、「腹痛以外はそんなに気にしていませんでした。」と言ってしまった。「N市にある、がんセンターを紹介致しますのでそちらで再度検査をしてみて下さい、診察資料と紹介状はこちらで用意しておきます。ここではこれ以上申し上げる事はありません。」
ここでの「判決」は言い渡された。
「お大事にしてください。」と看護士さんの決まり言葉に送られ、支払い窓口へと向かう。
「腫瘍?がん?嘘でしょ?」頭の中でこの言葉がぐるぐると回っていた。
まだ、決定じゃない。まだ。わたしが病気になるなんて、あり得ない。きっと無理が祟っただけ。これからはもう少し体を大事にして
無理をしないでいれば、きっと体は回復するはず。ただ免疫力が落ちていただけ。自然治癒力があるわ・・・ 色んな理由を探した。治せる理由を。 二度目の呼びだしにやっと気づき、会計へ支払いに行った。恵は動揺していた。
家に帰ってからは先生の言った内容を伏せておき、「もう少し細かい検査が必要だって。」
とだけ言った。親や夫、子供達に心配をかけたくない。ただ、それだけの理由だった。
「も~う、病院ってほんと待つのが長いで嫌になっちゃうわぁ。」と愚痴をこぼしながら、みんなで夕食を食べた。
学校では「学習発表会」も無事に終えることが出来てほっとした。副担任には迷惑をかけたのでお礼を言うと、
「大丈夫ですよ、先生。でも少し最近痩せたんじゃないですか?あまり無理しないほうがいいですよ。」と心配されてしまった。先生歴としては後輩にあたる先生に言われ、恵は表向きには「ありがとう。」と言いながら、心の中では少々「カチン」ときていた。
がんセンターでの検査は予約が詰まっていることもあり、二週間先にやっと取れたので、
学校には「人間ドック」に行くと「嘘」の申し出をして休暇を取っておいた。
検査に行くまでのその二週間はこれといった体調の変化もなく、生徒達と普段通りに過ごす事ができた。ただ、いつもと違うおりものが出たり、生理中ではないのに少々の出血があったりした。不安な気持ちは拭えなかった。
副担任にクラスを任せるのは本意ではないが、
事情を説明し、お願いした。
そして、いよいよ当日の朝。子供達を笑顔で見送り、夫を見送り、自分は両親に見送られて家を後にした。「気をつけてね。」お母さんが最後に心配そうな顔で言った。
N市のがんセンターは車で一時間三十分ぐらいの都心部にある病院だった。前に行った総合病院よりも確実にデカい。
自分はまだ「がん患者」でもないのに「がんセンター」で診察するという事に恵は違和感
を感じていた。
ロビーは落ち着いた雰囲気であったけれど、
他の病院と違うのは、異常なまでに「静か」
であった。クラシック音楽がロビーの隅々まで響き渡っていた。恵は受付を済ませ検査窓口へと向かった。今回は予約ということもあり、前のように待たされる事は無かった。
看護士さんの対応も優しくて、それで少しだけ心が落ち着いた。「森本」という名札をつけたその看護士に呼ばれ、恵は診察室へと入って行った。担当医師が紹介状に目を通しながら「原田恵さんですね。」
温厚そうな先生だった。
なんでも総合病院での担当医師は大学の後輩にあたる方とかで、今回の診察を快く引き受けてくれた様子が会話の中から伺えた。
その「山中」先生は「その道」では有名な先生で、全国から先生を頼ってくる患者さんも
少なくない、要するに「非常に忙しい先生」そして「非常に頼れる先生」「権威と言われる先生」なのだそうだ。と後から看護士さんに言われた。「万が一のことがあっても、この先生なら・・」紹介してくれた総合病院の先生に感謝した。
「今日は必要な検査を一通り行いますので、着替えてきましょうか。」看護士の森本さんに促され更衣室へと向かった。その間も色々と話かけてくれて、不安な気持ちを取り払ってくれた(私も生徒達にこんな気配りが出来れば・・)
「人の振り見て我がふり直せ」。
教員は「学校」という「閉鎖的」な環境のなかで仕事をするので、どちらかといえば「世間」とズレている所もある。一生懸命勉強して大学に行って、教員採用試験に合格して、即教員。しかもクライアントは子供達。「世間」と接していないまま社会に放り出されたら「世間知らず」の部分があっても、それは仕方がない事かも知れない。
検査は細胞診、組織診、CTや身体検査、血液検査など。
体重はやはり、約4kgも減っていた。
言われるがまま、一通りの検査を終え、
「お疲れさま~。お大事にして下さいね。」
と森本さんに労いの言葉をいただいて、この日は病院を後にした。検査結果は追って電話連絡しますとの事だった。何はともあれ、検査は終了。あとは結果を待つのみ。
「人事を尽くして天命を待つ。」の心境
学校では、秋の運動会に向けての準備が始まろうとしていた。プログラムの構成、応援団の選出、競技に必要な道具等の確認、放送係り、会場準備係り、運営係りなどの選出など。
決めなければならない事や、やらなければならない事が山ほどある。子供達にとって、先生達にとって、「忙しい毎日」が「慌しく」過ぎていった。
検査から十日が過ぎようとしていた。運動会が三日後に迫っていた。秋の晴れた日。
家の電話が鳴った。病院からだった。母が受話器をとった。
「がんセンター、看護士の森本と申します。原田恵さんのお母様ですか?」
「はい。そうですが。」
「急な話で申し訳ありませんが、担当医師よりお伝えしたい事がございますので、病院までお越し願いたいのですが、ご都合はどうでしょうか。」
「それは、私も一緒にという事ですか?」
「出来ればお願いします。」
「検査の結果について、ですよね?」
「詳しい事は担当医師から説明致しますので。」
母は動揺した。運動会は三日後だった。
その日は孫も同じ日が運動会で、恵の学校とかぶってしまっている為母と父が「親」の代わりに孫の運動会へ行く事になっていたので知っていた。「あのぅ、三日だけ待ってもらえませんか?」運動会の翌日は振り替え休みだった。
「月曜日でしたら行けますので。」
「そうですか。ではお待ちしております。」
少し間があって、森本看護士はそう答えた。
そして、運動会明けの月曜日。恵の母は結局病院へ夫と二人で向かった。恵には何も知らさなかった。恵は運動会の疲れが出てベッドでぐっすりと寝ていた。
夫が運転する車の中で、二人の間に会話はなかった。二人で大事に育ててきた娘に今日、医師から「審判」が下される。アウトかセーフか。二人はある程度の覚悟をしていた。
「セーフ」であれば、わざわざ呼び出される事はない。だからアウトである、と。問題は
アウトの度合い。どれぐらいアウトなのか、
セーフにもっていけるものなのかどうか。
待合室でも二人は結局黙ったまま、時間だけが過ぎた。
「原田さんの御両親ですか?」
森本看護士が声をかけた。
「はい。」
「本人様は?」
「疲れて寝ているので、今日は連れて来ませんでした。すみません。」
「そうですか。体調悪いですか。ではお二人に医師から話をしてもらいます。よろしいでしょうか?」
「そのつもりで来ました。」
「こちらへどうぞ。」
通されたのは診察室ではなく、小さな会議室のような部屋であった。
「しばらくここでお待ち下さい。」
床は冷たい感じのビニールクロス、壁も天井の真っ白のクロス。無機質な部屋。部屋には
会議用の長テーブル二つと椅子が6つ。そしてホワイトボードが置いてあった。
十分ぐらい経っただろうか。先生が入って来た。森本看護士も一緒だった。
「担当医師の山中です。」
「原田恵の親です。お世話になります。」
「娘さんは、今日来られていないとか。」
「はい、体調が優れなくて。」
「そうですか。分かりました。では、早速ですが本題に入りましょう。」
夫は最初に会釈したあと、ずっと黙っていた。
山中医師はレントゲン写真を見せて説明してくれたり、ホワイトボードに「絵」を書いて「その部分」を分かり易く説明してくれた。検査結果の説明も説明してくれた。「事」の内容を二人はあまり憶えていない。
憶えている「事」は恵が「癌」であること、そして病名が「子宮頸がん」であること。
そして「かなり進行していること」この三点だけ。この三点が二人の頭の中を支配した。返す言葉が見つからない。
「進行って、先生。どのくらいなんでしょうか?」母が恐る恐る聞いた。
「ステージという言葉聞いた事ありまか?」
「はぁ、何となくですが」
本当は舞台を意味する「ステージ」しか頭に浮かばない。
「病気の進行具合、これを病期と言います。
この病期が分類されていて進行の程度により
0期から4期までございます。これをステージと呼んでいるのです。」
「娘、恵はどのステージなんですか?」
「恐らく、3から4に該当しますね。」
「手術すれば治りますよね?」
「それも含めて、早急に対応が必要かと。特に娘さんはまだ、お若い。だから進行速度は速いのです。早急の入院が必要です。」
夫はずっと傍らで黙って話を聞いていた。
「ちょっと、お父さんからも・・」母が急かす。うなだれたような顔の夫がやっと口を開いた。
「病名を娘に伝えないと駄目でしょうか?」
「まだ、余命がどうこう、という訳ではありません。しかしこのままだと病が進行し、やがて命に影響する事は避けられないと思います。病に打ち勝つという強い意思を持ってもらう為にも今、病状を伝えて早急に入院していただく事をお勧めします。こちらでは出来る限りの事はさせていただきます。上手く説明出来ないようでしたら、私共から娘さんに説明してもよろしいですが。」
「あの、ちょっと二人で考えてみますので。」
夫が呟くように言って、二人は病院を後にした。
「喫茶店にでも寄っていくか。」
「そうね。」
どんな喫茶店でもよかった。気持ちを落ち着ける場所が欲しかった。
二人でアイスコーヒーを注文した。
「お父さん、言える?恵に。」
「私、泣いてしまいそう。」母は既に泣いていた。
「俺が話してみるわ。あとは先生にお願いするしかないわな。」
「恵の前では泣いたらあかんぞ。」
「うん。」
それ以上の会話はなかった。
アイスコーヒーは氷が融けて味が薄くなり、
グラスは結露して水滴が沢山ついていた。
「お父さん、もうそろそろ帰らないと。」
「あぁ。」
帰る道中スーパーで出来合いのおかずを買い、夕食へ間に合うように帰った。
恵は居間にいた。
「おかえり~」
珍しくまだ寝巻き姿の娘が声をかけた。
「ただいま。」
母は少し俯き加減で返した。
そして「夕飯の支度でもしようかね。」
そういって恵を避けるように台所へと直行した。「なんか、手伝う事ある?」
「いいわよ。今日は出来合いの物ばかりだから。」
泣きそうになるのを堪え、精一杯の普通を装って母は返事をした。
父は家には入らず、近くをしばらく散歩してから帰ってきた。今日の事をどのように話そうか考えていた。
今日は恵の子供二人が夫の実家へ遊びに行き、夜遅くにしか帰ってこない。親子3人で迎える夜はもう暫らくないだろう。だから、話すなら今日しかない。
久しぶりの「親子水入らず」がこんな「やるせない」夜となるなんて。
時間は止まってくれない。
そして母が夕食の準備を終え二人を呼んだ。
「なんか、久しぶりだよね。三人って。」
「うん。ほんと、そう。」
恵が結婚するまでの約三十年間、ずっとそうだった。何十、何百、何千回と、こうやって家族三人で食事をしてきたのだ。当たり前のように。それが、これからは「ままならない」事に成りうるかもしれない。
「どうしたの?二人とも。元気ないじゃん。」
いつもと様子が違うのは一目瞭然だった。
母は目線を下げ、恵と目を合わそうとしなかった。そして、
「お父さん。もう、そろそろ・・」と小さい声で言った。
「うん・・」
頃合いを見て、父が話し始めた。
「今日、母さんと二人で病院へ行って恵の検査結果聞いてきたんよ。それでな。結果なんやけど・・ちょっと悪い結果が出てのぉ。詳しい事は聞いてないけど、腫瘍って言う出来物があって、それを取らないといかんらしいわ。だから近いうちに入院するように言われて、ビックリしたんよ。」
本当は詳しい事まで聞いていたけれど、とても言う勇気はなかった。
「腫瘍ってどこに見つかった?」
「子宮、だったかな。なぁお母さん。」
母は黙って頷いた。
「もしかして癌?」
「・・・」
「ねぇ、お父さん、どうなのよ。」
父は黙って小さく頷くしかなかった。
「ごめんね。恵、ごめんね。」
母は泣きながら繰り返した。
こうして「親子水入らず。」三人での夜は静かに過ぎていった。
恵はその夜、夫と子供に顔を合わせることなく床に就いた。
それから二日後、恵はその病院にいた。
主治医になると思われる山中先生から全てを
聞いた。先生の事や病気に関してのことは、インターネットである程度の情報を得ていた。
先生はかなりその道では有名な先生であることがネットから窺えた。病気に関しての情報については、どれを信じていいのか分からず、
不安ばかりが増していった。
病院も「客」(患者)相手の「商売」(治療)で経営が成り立っている。だから
「当病院では、癌治療に関しては実績があり・・云々」そんな「宣伝」まがいの記ホームページを見ては溜息をついた。
また「私はこれで完治しました。」という記事を探しては、それを「自分」に当てはめようと、それで気を収めようとしてパソコンのマウスをクリックし続けた。それでも「不安」な気持ちは拭えることはなかった。
でも、山中先生の丁寧な説明と治療方針を聞いて、その「不安」は少しだけ軽減された。
母のように自分も泣くのではと恵自身思っていたが、診察室で泣かなかった自分にビックリした。週明けに入院する手続きを済ませ病院を後にした。週明けまで、あと四日。
その四日で「二つ」の事をしなくてはいけない。一つ目は「学校を暫く離れる手続きをする」事。そしてもう一つは「夫、子供に病気の事を打ち明ける。」事。
恵は次の日から早速動いた。時間に余裕はない。今、めそめそなんてしていられない。
「先生」として「大人」としての自覚だけが
その気持ちを支えた。
学校へ行き校長室で校長先生と教頭先生に事情を話した。
そして「休職」という扱いで休みを頂いた。
「また、復帰されるのを待っておりますよ。」
校長先生が最後に言って下さった。
「はい、必ず。」笑顔で校長室を後にした。
校長、教頭には一つだけお願いをしておいた。「病名は決して誰にも口外しないで下さい。」と。いずれ分かってしまうにしても、今は誰にも知られたくない。
「分かりました。他の教員には私から上手く説明しておきます。」
教頭先生が神妙な面持ちで言った。
担任を受け持つクラスの生徒達には「帰りの会」でこう言った。
「先生は明日からちょっとだけ休みま~す。
その間、副担任の平林先生がこのクラスを受け持ちます。みんな平林先生の言うことをよく聞いて下さい。分かりましたか?」
「先生。どうしたの?なんで休むのぉ。」
「病気になっちゃってね、それで病院へ行って治してくるの。」
「いつまで?」
「わからないのよ。先生も。でも早く治ってまた直ぐに戻ってくるからね。」
「はい、じゃあ、帰りの挨拶!」
「さようなら。」
「さようなら。」
いつもの最後の締め括り。繰り返し行われた事。しばらくはお預け。恵は教室を出て職員室へ向かう途中で、少しだけ涙ぐんだ。
放課後、恵は副担任の平林先生へ引継ぎの事務処理をした。何か自分の子供を持って行かれるようで心苦しいけれど、自分が早く復活すればいいのだという気構えで引継ぎを終えた。平林先生は恵に何も聞かなかった。というよりは「何も聞かないで。」という恵の雰囲気がそうさせたように見えた。
「平林先生。それじゃ、よろしく。」
「原田先生、お大事にして下さいね。」
平林先生は詳しい事情を知らされてはいないけれど、そう言った。
「ええ、ありがと。」
他の教員にはこれといった挨拶をすることもなく恵は学校を後にした。
恵の休職については、次の日の職員会議に校長先生より他の教員にも伝えられた。
この日、恵は美容院へ行った。入院してしまえば、なかなか美容院にも行けなくなるだろう。この年になると白髪も目立つ。白髪交じりの患者は御免被りたい。だから毛染めとパーマをかけてもらった。そして美容院の後には母と買い物に行った。病院で着る「寝巻き」や備品など、結構買う物があった。
書き出したリストを見ながら二人で買い物をした。母は終始元気がなかったが、恵は努めて明るく振舞った。母が元気のない理由を分かっているから。
夕食の材料もついでに買って二人は帰宅した。
いつも母に頼りっぱなしだった食事の支度も
今日は二人で行った。この夜、夫や子供に病院への入院を告白した。但し「癌」であることは子供には内緒にしておいた。
夫は「そうか。」とだけ言って静かにため息をついた。この日夫婦の会話はこれで終わった。「癌」という病気はみんなを黙らせてしまう。そんな「病」だ。「癌」という奴は。
入院までの残りは週末の二日のみとなった。
この二日間は子供と夫の為に時間を費やそうと決めていた。今まで「学校」を優先して家族に淋しい思いをさせてきた。
「罪滅ぼし。」
「お詫び。」
「想い出づくり。」
色んな思いを込めて。下腹部の痛みを堪え、家族4人で行動を共にした。公園で遊ぶ、ショッピングモールへ行く、ファミレスへ食べる、カラオケで歌う。そんな「普通」に見える週末を4人で過ごした。
こうした「普通」に過ごせる事がどれだけ幸せな事なのかは、まだ4人は実感していなかった。
週が明け、子供と夫はいつものように出かけて行った。恵はそれを笑顔で見送った。夫は出掛けに一言「気をつけてな。」と言って出て行った。
病院へ行く時間となり、恵は両親と共に病院へと向かった。