教員
*先生へ。
うまく話せないのでこうやって手紙を書きました。手紙書くのは初めてなのでうまく書けないけど読んでください。
最初に音楽室でふざけた時は先生がまさか教室を出て行くとは思っていなかったのでどうしていいのかわからなかった。先生には迷惑をかけたと思っていたけど、だけど恥ずかしくて謝ることは出来なかった。
次の日に教室で先生に怒られて僕が飛び出した後、僕は先生が追いかけて来てくれると思っていたけど先生は来てくれなかった。来てくれないから自分から教室へ戻る事は出来なかった。
音楽のテストで白紙にしたことはそれが面白くなくて白紙で出しました。
うまく書けなくてごめんなさい。さよなら。
一年二組 林田健人
中学生の男の子というのはちょうど思春期の入り口であり難しい年頃である。大人に反抗したり女子をいじめてみたり、でも根は素直な所もあり林田君は学校ではずっと「反抗」的な態度を見せ、この手紙でその「素直」さを見せてくれた。「先生って思った以上に大変だわ。」めぐみは呟いた。
実家から通った実習もこれで終りの為、ここに泊まるのも今日で最後。明日からはまた大学の寮に戻る事になる。
最後の晩餐ではないけれど、母が精一杯のご馳走を用意してくれたのでそれに甘え楽しい夜を過ごし、翌朝家を後にした。
『教員』
大学に戻っためぐみは教員採用試験に向けてひたすら勉強をした。好きだと思う人はいたけど恋愛はひとまず禁止と決めた。就職浪人だけはしたくない。現役で採用されたい、その一心でめぐみは机に向かった。
努力は人を裏切らない。その甲斐あって、めぐみは小学校の教員として採用が決まった。親も泣いて喜んでくれた。これで少しは親孝行出来たかな?
桜が蕾を膨らませてこれから花を咲かせようという頃にめぐみの赴任地が決まった。実家から通える学校が希望ではあったが、距離的には通勤出来る場所ではなかった。だから教員住宅に住みながら週末だけ実家に帰るという生活にしようと決めた。新任教師として赴任するその小学校は場所が(僻地)なこともあり、全校生徒数が百人に満たない小規模な学校だった。
春休み中に荷物を教員住宅に運び始業式前に同僚となる先生方と対面した。
校長先生、教頭先生、各学年担任教師六名、教務主任、保健の先生、用務の方の計十一名が職員室に勢ぞろいし、それぞれが挨拶をした。学校が長閑な環境にある事や学校が小さいこともあってどこか「アットホーム」的な
雰囲気が漂っていた。校舎も木造だった。
校長先生は今年度で定年を迎えるとの事なので表情は穏やかに見えた。教頭先生から恵には二年生の担任をと言い渡された。いきなりで大丈夫かなと思いながらも心は躍っていた。
始業式には青いドレスを着ていった。めぐみの好きな色。さすがにスカートをめくるような子はこの長閑な風景の中にある学校にはいないだろうと判断してのことだった。
木造校舎の隣にある体育館で式は行われた。
校歌はまだ完全に覚えてはいないが、全員が元気よく歌っている姿を見てこの学校の教師になったことを改めて実感した。
めぐみの初教え子となる二年生は男女合わせて十八人。まだ小学二年生だからそこそこ小さくて可愛い。教室が広く感じた。
めぐみは予め黒板に自分の名前を大きく書いておいた。子供達が喜ぶように何色(といっても3色しかない)ものチョークを使って。やがて式は終り教室に入る時がきた。職員室では同僚の女性先輩教師に『頑張ってね。』と声を掛けられめぐみは教室に向かった。
入り口の引き戸を開ける。緊張の瞬間だ。
すると黒板の前に人だかりがあった。
『はーい、みんな席につきましょうか。』
蜘蛛の子をちらすように子供達は自分の席へと走っていった。黒板には子供達が落書きをしていた。でもそれは悪戯的なものではなく、
桜の花やめぐみと思われる似顔絵やあるいは「せんせい、かわいい」とか「めぐせんせい」「よろしくね。」といった言葉が沢山書いてあった。それだけで感激してしまい、泣き出しそうになってしまったけれど、そこはぐっと我慢して新前教師「めぐみ先生」は挨拶をした。
『先生の名前はこの黒板に書いてありますが、原田恵といいます。原っぱの原に田んぼの田、めぐみはこういう字になります。』まだ習っていない漢字だと思い恵の部分を指差した。
『僕、それ知ってる。』名札が無いのでその時はまだ誰かわからないけど席順からいって、たぶん山本純君だと思わしき生徒が言った。『だって僕のかあちゃんと同じ名前だもん。でもうちのかあちゃんはブスやわ。』みんなが笑った。めぐみは含み笑いをした。
『先生は初めてのことばかりで分らない事だらけだけど一年間みんなと楽しく過ごしていきたいと思っていまーす、よろしくねえ。』
「はーい。」声を揃えて元気な返事が返ってきた。それからみんなの顔を覚えながら点呼をとった。
今日は始業式の為、ここまでで終り。
窓から見える校庭の桜はまもなく満開を迎えようとしていた。その校庭脇の桜並木を通ってめぐみは教員住宅へと歩いて帰った。これから始まる新たな生活に希望を抱きながら。
その日の夜、家に電話をした。受話器の向こうで親が心底喜んでいるのが感じ取れた。
桜はいよいよ満開の時期を向かえ、小春日和の暖かい日差しの中、クラスの子とお花見会を開いた。校庭の脇にある為、子供達は元気に走り回って鬼ごっこをしたり、かくれんぼなどをしていた。めぐみもその輪の中にいた。
(こんな可愛い子供達と関わってそれでいて給料もいただける。こんないい仕事他にはないわ。)他の仕事をしたこともないけれど、でもその時めぐみはそう思っていた。
こうして週末は実家(自宅)へ、それ以外は教員住宅と学校への往復をするという生活が始まった。見渡す山々の新緑が眩しくなりだした5月には教務主任や教頭先生が何やら忙しげに仕事をこなしているようだった。PTA総会という行事があるらしい。そういえば始業式(入学式)の時にPTA会長さんが来ていて挨拶をしていたのを記憶している。そもそもPTAの組織っていうのは学校でも習っていないので、はっきりとどういうものなのかがわからない。自分が小さい頃(小学生)に父が夜、学校に行っていたのを微かに憶えてはいるが、でもそれがPTAの役だったのかどうかさえも分からなかった。
恥を忍んで放課後教務主任に聞いてみた。
『PTAのTはティーチャー即ち我々先生の事ですよ。Pはペアレント、保護者の方々。Aはアソシエーション、その集まりという意味です。総会は双方が体育館に集まって学校の規約や会計報告や行事などの話し合いをする会なのです。』
なるほどなるほど。だからその総会に向けての資料作成に忙しいのか。教頭先生というポジションは校長先生が居ないときの代理みたいで、わりと楽なポジションかなと思っていたが、それだけではなく来客の応対やPTAとのやりとり、欠席した先生の代わりに授業を受け持つなど結構忙しいことをめぐみはここにきて初めてわかった。
(私には向いていないかも。)
『原田先生。PTA総会には出席してくださるだけで結構ですよ。』教務主任が言った。
『あ、それと先生。夜はPTAとの懇親会があるからそちらもよろしく。』
少し離れた所にいる教頭先生が慣れないワードプロセッサー(ワープロ)と睨めっこしながら言った。(教頭先生の時代はガリ版印刷だった事を思えばまだワープロのほうが楽かも、でも慣れるまでは大変そう。)
そんな同情の視線を先生に送りながら、
『はい。』とだけ返事をした。
総会ではPTAの役員の紹介や各先生の紹介もあり、議事も滞りなく進行した。めぐみは他の先生方と同じようにただ椅子に座っていた。PTAのPと言われる保護者の方は大半がお化粧に力を入れてきたお母さん方だった。
(うちのお母さんもこうだったのかしら。)
総会は滞りなく進められ何事の問題もなく閉会した。先生方は全員職員室に戻った。
『あー疲れた。』教頭先生の第一声。
『お疲れ様でした。』校長先生が教頭先生の肩をポンポンと叩いた。
『これで心おきなく飲めますね。』教務主任が
盃をクイッと飲むジェスチャーをした。
『では今晩7時に料亭やまもとで。』
この町で唯一の料亭は学校の近くだったのでめぐみは一旦教員住宅に帰り風呂に入って同じ教員住宅に住む先輩教師の岡田先生と一緒にそこまで歩いて行った。
岡田先生はこの学校に来て3年目だと言っていた。始業式の日に職員室で声をかけてくれたあの先生だ。岡田先生もまだ独身だった。
先生も新任でこの学校に赴任してきたとの事なので年はめぐみより3歳上になる計算だけど、失礼ながら年相応ではなくしっかりしたイメージが強すぎて実年齢より上に見えた。めぐみの幼なじみであの「かしまし娘」の一角だったケイコとどこか似ている所があった。(そういえばケイコは元気でやっているかしら。)いつもケイコには頼りっぱなしだった。岡田先生にケイコの面影をダブらせためぐみはこの岡田先生にも頼ってしまうんじゃないかと内心感じていた。一人っ子で育っためぐみはそんな姉貴的な存在を潜在的に欲しがっていた。
『飲める?』料亭へ向かう道中で岡田先生は言った。『あまり飲んだことがないので。』
『私もね、最初駄目だったのね。だけど鍛えられるものなのよ肝臓って、おかげで強くなったわよ。』
(へえ~そうなんだ。)酒の事は勿論大学で習っていない。
『みんな呑ん兵衛だからね。まぁ無理せずにね。』
岡田先生は笑いながら言った。
懇親会の会場である料理屋に着き2階の大広間へと向かう途中、『先生や!』と聞いた事のある声がした。めぐみのクラスの子、山本純君だった。『純君、こんばんは。どうしたの?』『ここ、僕のうちや。』料亭やまもと。なるほど、そういう事でしたか。奥から女将さんらしき人が、『原田先生ですか。純の母です。』
『あっ。』わたしと同じ『恵』さんだと気づいた。学校で純君が言っていた(うちのかあちゃんはブスやで。)というのは本心ではなかったようだ。『こんな仕事してますので総会にはいつも欠席でして。この子が世話になっております。何か悪い事しておりませんか?』
『とんでもありません。とても元気なお子さんですよ。』
『悪い時はおもいきり叱って下さい。叩いてもいいですから。』そういって軽く会釈をして
純君のお母さんは料理の準備へと戻っていった。傍にいた純君に『綺麗なお母さんじゃないの。』と耳打ちした。
『そんなことあらへん。』純君は言った。
『あれは化粧してるからや。変身しているんや。』と言って仮面ライダーの変身のポーズをとった。
『もう、そんなこと言ったらいかんよ。』笑いを堪えながら純君の頭を軽く撫でた。
懇親会はPTA会員なら誰でも参加できるが実際は教員一同とPTAの役員の総勢十七名だった。初めての会合という事もあってこの時ばかりはめぐみも緊張した。
めぐみはそれとなく岡田先生の隣に座った。
『では今夜は無礼講でぇ。』校長先生の挨拶で宴は始まった。
『一通りお酒を注ぎに回ったほうがいいわよ。私が先に行くからその後でね。それまで何か適当に食べてて。』そう言って岡田先生はマイグラスとビールを持って校長先生の方へと向かって行った。めぐみはあっけにとられながらも目の前にある刺身や煮物を食べだした。程なくしてPTAの会長さんが酒を注ぎにやってきた。『先生、まあ一杯。』グラスを半分飲んだけど、『空けて、空けて。』そう言われて残りの半分を無理やり流し込んだ。飲み干してグラスを差し出す事が暗黙のルールのようだった。懇親会というよりまさに『飲み会』だとめぐみは思った。(行かなくちゃ)岡田先生が半周ほどしてからこちらに目で合図を送ってくれたのだ。めぐみは覚悟をして酒を注ぎに回った。行く場所場所で酒を勧められたが最初の一杯で顔がリンゴのように真っ赤になっていたので相手もそれ以上勧める事はなかった。『いいねえ。赤くなるって。私は飲むほどに顔が青くなるわよ。』少し目が据わっている様子の岡田先生がめぐみを見て皮肉っぽく言った。
みんなが酔うほどに賑やかになっていった。
めぐみにとって最初の『大人の付き合い。』だった。酒を酌み交わしワイワイ語る。こんな事も悪くはないかな、と思った。
最後はお決まりの『万歳三唱』と『三本締め』で終り、顔は赤いが、わりとシラフのめぐみと青白い顔だけど泥水の岡田先生は車で教員住宅まで送ってもらった。この懇親会でめぐみは社会への、大人への仲間入りが少しだけ出来たような気がした。