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教育実習

*教育実習


めぐみが大学4年生の時、自分の母校へ教育実習に約二週間行った。自分が生徒会長をした場所、自分が恋をした場所、後輩に告白された場所、色んな思い出がある場所にめぐみは『教師のたまご。』として戻ってきた。

受け持ったのは1年2組、そして程なく二週間の実習生活が始まった。先輩からは結構大変だと聞いていたけれど、何がどう大変かは経験してみないと分からない、と言われた。

この二週間はめぐみの自宅から通うことになる。めぐみはそれが何より嬉しかった。

朝、親から『行ってらっしゃい。』と言われた。

懐かしい光景だった。

早めに学校に着き、生徒の名簿をチェックし、そして最初のホームルームを迎えた。

クラスは全部で四十人、担任の先生に紹介されめぐみは挨拶をした。

『今日から二週間みんなと楽しく過ごしたいと思います。よろしくお願いします。』

ありきたりな挨拶文句だった。そんな楽しい

二週間とならない事をまだその時は知る由もなかった。担任の先生がいる所では生徒はおとなしかった、というか真面目であった。

しかし、自分一人の時は生徒の態度が違う事が手に取るように分かってきた。完全にナメられている。特に男子の生徒には。初日からそれはあった。休み時間に廊下で後ろからいきなりスカートをめくられた。

林田という子とあと二人がいた。

『林田君!』大きい声では怒鳴れない。

『白、白や。』三人が笑いながら走って行った。

クラス委員の女の子富田さんはそれを遠巻きに目撃していてそのあとめぐみの所に寄ってきて『先生、あの三人は要注意ですよ。』と耳元で囁いた。職員室では教務主任があれこれと聞いてきた。

『大学は何処?』

『○○大学です。』

『じゃあ僕の後輩になるわけだ。』

『そうなんですか。』

『まだ、あの田辺教授はいる?あの教授とは仲良かったんだよね。』

『・・・』

『サークルは何かやってたの?』

『コーラス部にいました。』

『僕はテニス部だったよ。』

『で、今彼氏とかいるの?』

『今はいませんけど。』

『そんなに美人なのに。もったいないねぇ。』

あきらかにナンパと受け止めた。これは今で言うところのセクシャルハラスメントに該当すると思われるが、当時はまだそんな表現がない。実際教職員の場合は教員同士の結婚がずば抜けて多いからこういった事も当たり前と言えば当たり前だ。

『何か相談したい事があったらいつでも言ってきなさい。』

『その時はよろしくお願いします。』

社交辞令な返事をめぐみはしておいた。

給食をランチルームで生徒と共に食べ、午後の授業、音楽室に向かった。音楽室には大きなグランドピアノがある。それはめぐみが中学生の頃にもあったものだった。今日の課題曲は、『翼を下さい』だった。めぐみはそのグランドピアノで伴奏をしていた。担任の先生は午後から研究授業の為、不在だった。ピアノの前方に生徒がいるので足元は見えない。時折女子生徒がめぐみからは見えない自分の足元に視線を向けて嫌な顔をしているのが確認できた。そういえば男子生徒が少しおとなしいというか少しニヤけたような表情だ。

ふと気づくとあの林田君とあと一人の姿が消えていた。その二人はグランドピアノの下に潜り込んでめぐみのスカートの中を覗き込んでいたのだった。自分からは死角になっていて確認できないが生徒の表情でそれを察知した。

めぐみは演奏を止めてピアノ下を覗き込んだ。

林田君と目があった。林田君は笑いながら後ずさりをして行った。教育実習の中でめぐみが想定していなかった光景が初日に起きた。

めぐみは怒りを抑え『ちょっと自習してて。』とだけみんなに言って教室を飛び出した。生徒に初日から涙だけは見せたくなかった。だから涙が溢れる前に教室を飛び出したのだ。そして廊下を泣きながら歩いて音楽室とは逆の突き当たりにある図書室へ駆け込んだ。職員室にはこんな格好で行けない。誰もいない部屋へとりあえず駆け込みたかった。幸い図書室は放課後しか人の出入りがないのでめぐみにとってはありがたい場所であった。一番近い椅子に座り机に顔を伏せて泣いた。

音楽室ではクラス委員の富田さんら女子生徒が当事者の林田君達を責めていた。

『ちょっと、どうするの。先生可哀相だよ。』

『謝りに行きなさいよ。』

「そうそう!」女子達が責め立てる。

『誰が行くもんか、行くわけ無いやろ。』

林田は開き直って言った。数人の女子がめぐみを捜しに行っていた。しばらくして、

『先生、図書室で泣いてたよ。』と言いながら帰ってきた。

『ちょっと、林田君!どうするのよ。』

『俺は知らん。自習でいいじゃんか。なあ。』

と他の男子に同意するように言い放った。

他の男子で林田に逆らう子は一人もいなかった。男子のクラス委員石原君も下を向いていた。『私達だけで行ってみましょ。』富田さんと他の三人が図書室へ行き、めぐみに教室へ戻るように説得したが、めぐみは『富田さん、ごめんね。悪いけどもう少しだけ一人にさせて。』

とだけ言ってそのまま顔を伏せた。

結局そのまま授業には戻らなかった。(どうして中学一年ごときの子にここまでされなくちゃならないの。)悔し涙が溢れた。涙目では職員室へ入りづらいのでトイレで化粧を直し何事も無かったように振舞って職員室へ戻った。めぐみはこの事を担任にも教務主任にも一切話さなかった。担任が代わりに怒っても彼らは結局、私が担任先生に頼ったと思うに違いないし教務主任に言えば(相談)と称されてつけ入れられそうなのでそれは避けたかった。はっきり言って教務主任は自分のタイプではない。何より人に頼る事は何か「負け」を認めるようでそれが嫌だった。

初日が終り、家に帰って『学校はどうだった?』とめぐみの母が聞いてきた。

『うん。楽しかったよ。』

親を安心させる為に嘘をついた。

次の日からめぐみはズボン(ジャージ)を穿いて登校するようになった。体育ではそのままの格好でOKだから一石二鳥だ。クラスメートの富田さんは授業前に『先生、大丈夫?』と気遣って声をかけてくれた。

『ありがとね。』めぐみは笑顔を装い富田さんの肩をポンッと叩いた。(めげてなんかいられない。) 教室に入ると後ろの隅のほうで男子達が騒がしくじゃれあっていた。その中にはあの林田君もいた。

『みんな!席について!授業を始めますよ。』

だいたいの生徒が席に着きだした。しかし、

彼ら(林田)数人は相変わらず直ぐに席につく気配は無かった。今日も午前中は担任の先生は不在だ。昨日の一件で彼らはめぐみの事を完全になめている。普通なら再度『席について!』と言うべき場面であるが、めぐみは

それをせず、彼らの元へ駆け寄った。そして

一人ずつにいきなりの平手打ち(ビンタ)をした。

『痛ってえなあ!』林田が凄んできた。

『言う事が聞けないのなら出て行きなさい!』

『上等じゃんか。』

林田は子分格の二人を引き連れて出て行った。他の生徒は黙って席に着いた。『では、授業を始めます。』林田達の後を追う事は敢えてしなかった。(私は教育実習生であってまだ教員ではない。だから言う事を聞けない子をどうにかしようなんてまだ出来ない、出来っこないわ。)と自分に言い訳していた。

結局、彼らはめぐみの授業が終わった後の休み時間に戻ってきた。恐らく部室にでも行っていたのだろう。

『先公、なんか言っとったか。』

林田が隣の席の子に聞いた。

『別に、何も言っとらんかったよ。』

林田は少し不満気な顔をした。午前の授業が終り給食の後、昨日に続いて授業はめぐみ担当の音楽だった。

生徒は全員揃っていた。今日はズボンを穿いているので昨日のような事はない。林田達は妙におとなしかった。何かを企んでいるようにも見えた。めぐみは平静を装って授業は滞りなく進んだ。彼らばかりを意識している訳にはいかない。ただ、時折見せる林田の物悲しそうな表情が気になっていた。その日以降数日の間は何事もなく、学校では授業、家ではレポートの作成、次の日の授業の段取りなどに明け暮れる日々が続いた。その間には社会見学(研修旅行)もあり、生徒達と一緒に楽しい日も過ごした。女子生徒とは殆ど仲良くなれたが、男子は林田の影響もあってなかなか打ち解ける事が出来なかった。でも、もうあと数日で教育実習は終えられる。そもそも仲良くなる理由もない。もう少しの辛抱だとめぐみは思っていた。(我慢。我慢。)

実習最後の日に音楽の授業でテストを行った。

そんなに難しい問題ではなかった。しかし、

林田の解答用紙は白紙回答であった。これは意図的に白紙にしたとめぐみは解釈した。

放課後、めぐみは最初で最後の(呼び出し)

をした。相手はやはり彼、林田君。一対一で話すべきだと思っていた。

林田君は意外にもすんなりと呼び出しに応じ、指定した音楽室にやってきた。そして用意した椅子に両手をポケットに突っ込んだまま座った。

『さあ、何からお話しましょうかねぇ。君とは色々あったわね。』 

林田君は目を合わせようとしない。横を向いたり下を向いたり、やや反抗的な態度だった。

『音楽のテスト、何故白紙だったの?』

『つまらないからや。』

『何が?何がつまらないっていうの?』

『そんなん、知らんわ。とにかくつまらん。』

『わからないわ。私はまだ未熟者だから教えてくれないかしら?』

『俺の口からは言えん。絶対言えん。』そしてフッと例の物悲しい顔をした。めぐみはそれ以上問い詰める事が出来なかった。

『あなたは何か私に言いたい事があるんじゃない?』ふと、そう感じた。

『もう、終りなんやろ。今日で。』『うん。』

『大学戻るんやろ。』 『ええ、そうよ。』

『先生になるのはいつ頃なんや。』

『なれるかどうかはわからないけど、うまくいけば来年かな。』

『大学ってどんなとこ?』

『良い所よ、でも勉強大変だけどね。こんな実習もあるし。』

『先生になりたいん?』

『そうね。小さい時からの夢だから。』

『俺みたいなのばかりいてもか?』

『そうだね。ちょっと考えるかもしれないわね。』わたしは笑って言った。

『先生になって戻ってきたら今度は真面目に授業受けたるわ。』

いつも斜に構えて不良っぽい林田君が最後にみせた本来の中学一年の素顔だった。

結局彼の真意は聞けなかったけれど最後に話せて良かったとめぐみは思っていた。

次の日に生徒の前で挨拶をし、二週間の教育実習を終えた。帰りに駐車場で呼び止められた。林田君だった。『これ。』と手紙を渡された。そして『じゃあ。』とだけ言って走り去っていった。


家に帰ってからめぐみはその手紙を読んだ。



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