景色
『わたしはメグミ先生』
*景色
テレビでは季節はずれのトレンディドラマが
再放送されていた。今はまだ冬真っ只中なのにドラマでは夏の昼下がり。蝉の音がスピーカーから聞こえてくる。あの暑い夏の様子が手に取るようにわかる。あぁ、また今年も去年より暑いのだろうなぁ。嫌だな・・・
そんな事を思いながら。でもその一方で、
『夏よ。来い』と期待しているのもある。
ないものねだりとでも言うのだろうか。それとも飽き性とでも言うべきか。
寒ければ暑い季節を待ち遠しくなり、また暑ければ寒い季節を恋しく思う。人間って実に勝手な生き物・・・そして贅沢な生き物。
春は何と言っても桜が好き。満開の桜ではなく、 散り際の桜がはらはらと舞い落ちる並木道のなかを歩くのが好き。
夏は夕暮れ時に川のほとりのヒグラシが日の暮れを告げるように鳴くあの情景が好き。
道路では熱せられたアスファルトの上に夕立の雨が軽く降った時のあの匂いがなにか独特で好き。夕立は怖いといいながら、でもどこかでデッカイ稲妻を見たいという期待感も持ってしまう。そんな私・・・。
秋は山の紅葉が綺麗。でもなんだかもの寂しい。一年の終りがもうすぐ来ますよー、と表現しているようで・・
朝、起きたら外がやけに静か。カーテンを開いて外を見るとそこには雪が深々と降り積もっている冬の風景、何もかも真っ白にしてくれそうな気がする。
実際は寒くて『家から出たくないなぁ。』と思っていたりするものだけど、こうして今過ごしている季節と違う季節を思うと、やけにその『違う季節』が恋しくなってしまう。
ただ、今は違う。毎日同じ景色でも構わない
全てが恋しい。明日もまたこの景色に出会えますように・・「めぐみ先生」は自分の部屋の窓から外を眺めていた。
*めぐみ
めぐみ先生は教師になって早二十年目を超えていた。大学を出てすぐに教員になったので年齢は四十半ばにさしかかっていた。今の流行り言葉でいえば『アラフォー』と『アラフィフ』の間だ。
めぐみはもともと教師になりたかった。子供の頃からの夢だった。小学校の卒業文集にも
将来の夢は『せんせいになりたい。』と書いている。
『せんせい』は子供が最初に触れる大人社会の人だ。何でも知っているし頭も良い。めぐみはそんな『せんせい』に憧れ、そして自分もいつしか子供達から憧れられるようなそんな『せんせい』になりたいと思っていた。
めぐみは中学になってからもその思いは変わらず勉強を頑張り、常に成績はトップクラスを維持した。勉強だけ出来れば良いという考えだけではいい先生になれないと考えためぐみは生徒会の活動にも力を注いだ。
『先生は人前で話すのが当たり前・・』
生徒会役員の中で人前(全校生徒)で話したり出来るのは生徒会長しかいない・・
そしてめぐみは3年生になった時にその生徒会長に立候補をし、この中学校において初の女性による生徒会長となった。
めぐみは友達に恵まれていた。だから変に妬まれたりいじめられたりすることはなかった。
全校生徒や先生を前にしての挨拶などは確かに緊張したけれど、でも充実していた。
かといって、普段から目立つ存在かというとそんなこともなく、クラスではごく普通の振舞いをしていたし、特に目立とうという気もなかった。そんなごく『普通』の生徒が生徒会長に立候補するにはそれ相当の勇気が必要なのだが、実はその『勇気』を引き出してくれたのが『憧れの先輩』の存在であった。
その先輩が前年度の生徒会長をしていたのだ。だからめぐみが生徒会長に立候補した理由はむしろこちらの理由の方が本当は強かったのかもしれない。
そして中学を卒業する時も卒業文集のめぐみの夢はやっぱり『先生』と書いた。
高校に入ると、もはや『先生』は『夢』ではなく『目標』となっていた。それも限りなく現実に近い目標。その『目標』も具体化してくる。小学校、中学校、高校、そして大学。
めぐみは小学校の先生になりたいと思っていた。
めぐみは市街地から少し外れた山あい、つまり田舎の自然豊かな旧家に生まれた。
自然の恵み、色んな人からの恵み、そして周りにも恵みを与えられるようなそんな人になってもらいたい思いで『めぐみ』と親は名づけた。その後、この家は子宝には恵まれず、めぐみは一人っ子として親からの愛情を独り占めにして育った。
親はごく普通の会社員だった。親にとってめぐみは全てであった。少々過保護ではあったかもしれないが、可愛い愛娘。いたしかたない。
めぐみが小学生になったある夏休みの日。 当時は学校にプールなどまだ無く子供達の水泳は近くに流れる川のほとりが『プール』だった。保護者が交代で当番をしてその監視のもと子供達は自由に泳いでいた。川の流れに逆らって泳ぐ子、どちらが高い岩場から飛び込めるか競っている男の子達、川に潜って魚を獲ろうとしている子、河原を掘って石で周りを囲って小さな池を作っている女の子達。
みんなそれぞれ水と戯れていた。
その日の当番はめぐみのお父さんだった。
めぐみは運動が少し苦手だった。いつもは家の中で遊ぶのが多かったけれど、今日はお父さんが当番の日だったのでめぐみも喜んで川へ来ていた。ただあまり泳げないので浮き輪の力を借りながらプカプカと浮いていた。
川原のすぐ側は流れが殆どなく川底も深くないので低学年の子はだいたいそこで水遊びをしている。少し中ほどへ進めば流れは速くなり川底も次第に深くなっていく。やんちゃ坊主や高学年の子はそこでの遊び方や『川の怖さ』も熟知している。どこが危ないとかこれ以上は駄目だとかのボーダーラインは経験によって自然と体に染み付いてくる。
多少危なっかしい事もあるが子供とはそういうものだ。事故などが起きないよう監視する程度でいい。めぐみは当然、浅瀬でプカプカしていた。時折お父さんの方を見ては手を振っている。お父さんは暑さ凌ぎに麦藁帽子を被り肩には汗拭き用の手ぬぐい、そして右手には団扇を持って木陰から川を眺めていた。
この日はこの夏一番の暑さで、監視員としては最悪の条件であった。子供達にとっては最高の水泳日和だったけれど。
午後三時頃、そろそろ川から子供達をあがらせようと思った矢先に声がした。
『助けて・・』と言う言葉と『おじさーん』
という声が重なりあって聞こえた。
『おじさーん!』の声は川の向こう岸の岩場にいた近所の男の子ケンジ君達だった。声を出しながら指を指している方向を見ると、
『助けて・・』
の声の主、わが娘めぐみが浮き輪ごと流れに
乗って下流へ流されていこうとしていた。
川原の前の浅瀬はめぐみでも足を着かせようと思えば出来るし流れも殆どない。しかし見た目にはそう確認出来ても実際は微妙に流れというのは起きている。海でいう潮の流れと同じように。めぐみはその流れに乗ってしまったのだった。ケンジ君達はこの子供達のなかでも一番と言われる程の泳ぎの上手い子だがその子が『おじさーん!』と叫んだのはこの時点で自分達にはめぐみを助けられないと判断したからだった。彼らは川の怖さを知っている、どこまでが助けに行ける範囲なのかどうかも分っている。彼らの判断は正しい。
無理に助けに行って自分達も溺れたら元も子もない。めぐみには可哀相だけど、もう大人にお願いするしかないのだ。
川のせせらぎの音がめぐみの『助けて・・』の声をかき消していた。ケンジ君はその声ではなく、その様子をみて瞬時に判断して監視員であるめぐみの父に大声で聞こえるように
『おじさーーん!』と叫んだのだった。
めぐみはまだ自分がただ流されそうになっているぐらいの感覚で、それが『死』を意識するほどの恐怖になるとはその時まだ思っていない。それにそもそも小学校になったばかりの子が、『死』というものをどれだけ意識できているだろうか。もし自分が死んでしまったら夜空に輝くお星様にでもなるぐらいの意識しかないのではないだろうか。だから最初の『助けて・』は、ただ単に浅瀬の所に戻して下さいよ的な気持ちの発声だった。これまで誰かに甘えれば何とかしてくれていた、自分で何とかしようなんてそんな事はめぐみの「辞書」にはない。
せせらぎに消された『助けて・・』だったけれどケンジ君の声とジェスチャーでめぐみの父は状況を理解した。『めぐみが・・』
川の下流には遊泳をここまでとするラインがあり両岸からロープが張られている。めぐみはその地点に既に指しかかろうとしていた。
父からめぐみまでの距離約十五メートル。
ここから走って間にあうか・・他の大人はいない。しかも今、川の流れにのまれているのは紛れもない自分の可愛いい愛娘なのだ。
パニックにならないほうがおかしい。自分が追いつけなかったらどうしよう、浮き輪が外れたら溺れてしまう、もし、もし・・最悪の事態を大人は予想できる。だからこそ恐怖が募る。めぐみは次第に現実が見えるようになってきた。波が大きくなってきていつもと違う上下運動に浮き輪が大きく揺られ次第に浮き輪にしがみつくようになった。いつも足でバシャバシャして進んでいたのが今は勝手に進んでいる。だんだんと自分の状況が『誰かがなんとかしてくれる』ものではなくなってきたことが分ってきた。
『助けて!』
鬼の形相でこちらへ走り出している父に向かって叫んだ。
『お父ちゃーん!』
ロープは水面ギリギリに張られてある。そこに摑まれば何とかなる。子供達がたまにそこに悪ふざけでそこに摑まって『助けて~』などといって監視員に叱られていることもあった。めぐみはそこに達しようとしていた。
『めぐみー!ロープ!ロープに摑まれ!』
父は走りながら叫んだ。ロープの向こうは流れが一気に速くなり水深も深くなる。大人でも立っていられない。めぐみは『怖いよう』
と何度も言った。生まれて初めてのパニックだ。涙も溢れてきた。ケンジ君達もその様子を固唾をのんで見守っていた。見守ることぐらいしか出来なかった。
『摑まってくれ!』
めぐみと父の距離十メートル。
『めぐみーっ!』
『ロープ、紐、紐に摑まれーっ!』
めぐみは父のパニクった表情を見て自分もパニクっていた。
でもこの紐に摑まらなければのっぴきならない事になることはめぐみにも理解出来た。
だからこそ余計に『恐怖』を感じた。
目の前に紐が来た。
無我夢中だった。めぐみは両手で紐をしっかりと握った。万歳をしたような状態になり腕は伸びきっていた。水の抵抗は凄かった。流れる水はめぐみを下流へ導こうとしている。
『流れに身を任せて』と波は誘惑してくる。子供の握力はそれに抵抗できない。めぐみの履いているビーチサンダルが最初の犠牲となった。今年買ってもらったお気に入りのビーチサンダル。川で泳ぐ子供達は大抵裸足で川の中に入る。バタ足をするときに脱げて流される事があるので川原で脱いで入る。めぐみの場合は浅瀬を歩いたりするので裸足の場合かえって川底の石の凸凹により歩き難いのだ。また仮にビーチサンダルが脱げても流れが緩いので流される事はない。
『あっ。』
めぐみの足から脱げた、いや脱がせられたビーチサンダルは川の流れに乗ってドンブラコドンブラコと下流に消えて行った。次に犠牲になったのは浮き輪だった。浮き輪に対しての水の抵抗はめぐみの抵抗力を完全に上回っていた。そして体のオヘソあたりにあった浮き輪はスルスルッとめぐみに別れを告げてあっけなくビーチサンダルを追っかけて波間に去っていった。
『もう、あとは私だけ。』
次第に意識が遠のいていく。こんなとき大人ならば今までの色んな事が走馬灯のように頭のなかを駆け巡るのであろうが、まだ子供のめぐみには思い返すほどの事がないし、そんな事態になっている現実がまだ受け入れられないでいる。『死』というものをまだ意識していないのだ。だけど恐怖だけは感じている
その先にある『死』をおぼろげに感じる前にめぐみは意識(気)を失っていった。
『おとう・・さん。』
めぐみはそして遂にロープから両手を離した。
めぐみが目を覚ましたのは縁側のあるタタミの部屋。縁側には蚊取り線香のゆらりとした煙が見える。そのむこうでは蝉の声が聞こえる。風を感じたので傍に目をやると団扇をゆっくりと扇ぐ父の姿があった。
『お父さん。あれっ?』
『よかった、よかった。』
泣きそうになってる
『めぐみ、めぐみは・・』
気を失った事も分かっておらず何を言っていいか分らない。
『大丈夫?』
『うん。』
『もう少し横になってなさい。』
めぐみはそうしてまた縁側の方へ顔を戻してみた。縁側にはケンジ君達がこっちを見て笑っていた。
『よかったね。』
何がよかったの?めぐみはさっきまでなにが起こっていたのか思い出せないでいた。気を失っていたからそれはあたりまえの事。でも今は眠い、とりあえず眠ろ。
夕方までめぐみは死んだように眠った。
『夕ご飯よー。』
お母さんの声で目が覚めた。
めぐみが寝ていた部屋は玄関の左側だった。普段は客間となっているタタミ8畳間、ご飯を食べる台所兼食堂は玄関の右奥にある。めぐみは起きて食堂に向かう玄関ホールで玄関の靴脱ぎ場に浮き輪とビーチサンダルが置いてあるのを見つけた。
『あれっ、あれって?』
それを見てめぐみはあの出来事を思い出してきた。
しばらくして、
『そういえば、川で流されて・・その後どうなったんだろう?』
そしてお父さんもいる食堂へと走っていった。
『お父さ~ん。私、川でどうなったの?』
お父さんはめぐみが気を失っていた時に何が起きていたのかを話し出した。めぐみがロープから手を離した直後、自分が追いついていて間一髪めぐみの手を取り助けられたこと、流されたビーチサンダルや浮き輪はケンジ君達が下流まで自転車で追っかけていって拾ってきてくれた事など。また、さっきのケンジ君達の笑顔は大事にしていたビーチサンダルや浮き輪が戻ってきてよかったね、という気持ちからくる笑顔だったという事も。
その頃にはピンとこなかったけれど、場合によってはその時めぐみはこの世にもう居なかったかもしれない。
そんな夏の出来事だった。
*かしまし娘
めぐみにはいつも一緒に遊んでいた友達がいた。めぐみを入れて三人だったので、よくキャンディーズの振り付けを真似ては踊っていた。めぐみはスーちゃん役、ケイコはランちゃん役、そしてよしみがミキちゃん役だった。
めぐみは、本当はランちゃんをやりたかった。
だっていつもランちゃんは真ん中にいたから
めぐみも中心にいたかった。でもケイコは活発でめぐみ達を引っ張っていくタイプ、ランちゃんがお似合いだった。だからめぐみは納得していた。
3人は同じ地区で生まれ育った幼なじみ。
お互いの家を行き来しながらいつも遊んでいた。よしみはめぐみよりもおとなしいタイプ、
キャンディーズの役決めでは、
『わたしはどれでもいいよ。』と言っていた。
ケイコはどちらかというと男勝り的な、でも
顔立ちはしっかりしていて宝塚の男性役にでもなれそうな『格好良い』女の子。性格も竹を割ったような感じでサバサバしている。
男性陣からしてみれば少し絡みづらいが女の子からしてみればこの子が友達であればこのうえなく頼もしい、そんなしっかりした子だった。お父さんは建築関係の職人をしていると言っていた。
職人気質のお父さんの性格、血筋はケイコにしっかりと根付いていたように見えた。
よしみはケイコとは対照的におっとりとした性格の子。一緒にいて癒される。家は代々続く農家だった。
お父さんもお母さんも大地の自然を相手にしているせいか、とても大らかな方で細かい事には拘らない感じの人。よしみもこの親の血を引き継いでいるようだ。私達はそれぞれ違う性格だったけれど、かえってそれが良かったのかもしれない。ピンクレディが流行りだした時はケイコがミーちゃん、めぐみはケイちゃん、そしてよしみは『わたしはついていけない。』と私達の踊りに手拍子をするだけだった。ホントは一緒にやりたかったのに、そうなれば揉める事になりそうだからそんなことなら最初から私が遠慮しとけばいい、そんな優しい子でもあった。
小学校は徒歩で三人いつも一緒に並んで登下校していた。中学校に入ると自転車通学になった。三人はまた一緒に通えるものと考えていた。入学してしばらくは一緒に自転車三台連ねて学校に通えたけど、部活動が始まってからはそれが次第に出来なくなっていった。
ケイコは活発な子。体力もある。ケイコは迷わずソフトボール部に入部した。ピッチャーをやりたいと言っていた。あの子らしいわ。
よしみは卓球部を志望した。ホントは文系のクラブがあれば迷わずそっちへ行くのだけれど、この学校にはそれがない。だからその中で一番おとなしそうな感じの部を選択した。よしみらしい選択だわ。
めぐみはバレー部に入部した。特に志望理由はなかったけれど、ソフトに入ればケイコのようにファイトのある子が必要とされる。めぐみにはそこまでの気はなかった。またケイコとは一緒にいたいと思いながら、でも部活動で差をつけられるのはあまりいい気がしない。だからソフトは選択しなかった。よしみの選んだ卓球部は逆にわたしが入ったらよしみよりは上手く出来そうな気がしてかえってそれでよしみが嫌な思いをするのが心苦しくて入るのをやめた。やってみなければ分らないけれど、でもよしみには失礼だけど、わたしの方が絶対上手く出来そうだとめぐみは思った。そんな自分よがりの考えもあってめぐみは結局バレーボール部に入部した。バレーボール自体にはそんなに興味なかったけれど、テレビでは女子バレーの試合がよく放映され人気のスポーツだった。めぐみは背がそんなに高くないほうなのでトスを上げる役「セッター」を目指して頑張るつもりでいた。
部活動の終わる時間、朝練習の始まる時間が3人共微妙にずれていた。だから3人で一緒に登下校をするのは次第に無くなっていった。中学に入るとそれまでの『かしまし娘。』のような繋がりは少しずつ薄れていった。それぞれ部活の仲間と仲良くなっていく。休みの日も部活動、それ以外でも三人が休みの日に集まって遊ぶ事は次第になくなってしまった。
私達の学年は3クラスあった。ケイコとよしみは同じ1組。わたしだけ2組。休み時間に行こうと思えば行けるのに私は、私からは行かなかった。一人っ子で育ってきた私はどこかで自分本位なのだ。『私から行かなくちゃいけないの?』いつもケイコの方から声を掛けてきてくれた。だから私からは行けない。
行きたいのに行けない。
ケイコはあんな性格だからクラスでも人気がある、と思う。だから隣のクラスの私に気をとめる事など無いことは分っている。分ってはいるけどでも「私達幼なじみじゃん。少しぐらい気にかけてよ。」と頭の中で呟いてみる。
でも、自分もこのクラスの中でいっぱい友達作ればそんな妬みも無くなってくるよね。
そう考えてめぐみは『かしまし娘。』は自然消滅したと自分の中で勝手に解釈した。
よしみはケイコと同じクラスなのにケイコとはあまり接点がないようだった。ケイコはクラスの中心的存在に位置し、一方よしみは『目立たない派。』に位置する。一年前までは
あれだけ3人でいつもふざけあっていたのに
こんなに短い間にみんな心が離れてしまったのだと思うとめぐみは少し寂しい気もした。
そんな頃、あの事件は起きた。
ケイコの制服が盗まれたのだ。部活動でソフトボール部のユニフォームを着ていたので制服はその時部室にあったはず。誰かがそれを盗んだのだった。ケイコは目立つ存在。だからそれを妬む人がいるのも無理は無い。敵もいるはず。だけど許せない。
次の朝、緊急の全校集会が体育館で行われた
『誠に残念な事が起きてしまいました。昨日1年の神田恵子さんの制服が紛失してしまいました。こんな事が起こってしまったのは極めて残念です。学校としては誰がこのような事をしたか、なぜこんなことになったのかわかりませんが、とにかく恵子さんの制服が戻ります事を最優先します。名乗り出る必要はありません。どうか制服を返して上げてください。状況からしてこの学校の生徒以外考えられません、残念ながらここに集まっているあなた方の中に該当する人がおります。繰り返して言います。どこでもいいので恵子さんの制服を返しておいて下さい。制服が確認できればその先の追及は致しません。』
教頭先生の呼びかけにみんなは黙って聞き入っていた。この体育館にいる全校生徒の中にはジャージ姿のケイコと犯人であろうと思われる人間が同じ空間にいることになる。
クラスに戻ってホームルームで担任の先生が涙ながらに訴えていた事を思いだす。でも結局ケイコの制服が戻る事はなかった。はからずもケイコは良くも悪くも学校の注目を浴びる存在となってしまった。めぐみもよしみも声をかけ辛くなってしまい、戸惑った。リーダー格の人に『元気をだして。』とか、『大丈夫?』なんて果たして言えるだろうか?ケイコのプライドを傷つけてしまわないだろうか?そうこう考えているうちに時間は無情にも過ぎていってしまう。
ケイコにとっては制服が盗られた事のショックよりも辛いことがあった。ケイコの盗られた制服は新しく買ったばかりの物だった。
それまではお姉さんが着ていたものをお下がりで着ていて、それも結構ガタがきていた。
やっとの思いで親が買ってくれたのがこの征服。
家の経済状態は悪く、本当はとても制服なんて買ってやれる雰囲気ではなかったが、職人気質の父がケイコにテストで一番を取ったら何か買ってあげると酔った勢いで言ってくれてケイコは迷わず『制服』と返答した。
ケイコは有言実行、テストでトップを獲った。父はまさかと思っていたが、でも現実に百点の答案用紙を見せて
『これ以上の点はないよ。お父さん。』
と言われ、
『約束は約束だよな。よしっ、早速買いに行こか。』
と言って買ってくれた制服。父のなけなしのお金で買ってくれた制服だった。ケイコは新品の制服が嬉しかった。学校でも少しはしゃいでいた。他の人からしたら普通なのに。ケイコは少し舞い上がっていた。
『ねえねえ、これ買ってもらった。』誰かに自慢してみたくなる。誰かに気づいて欲しかっただけ。ただ、それだけだったのに。
盗まれたのはその三日後だった。僅か4日間の着用で制服は盗まれた。自分なりに考え誰がそれを盗んだのか、だいたいの見当、目星はついていた。でも断定はできない。
その「目星」と思われる本人は知らん顔をしている。こんな事をして何が楽しいの?
ケイコが悲しいのはそれだけではない。ケイコの家庭では制服はもう買い直しができない。だからまた今まで着ていた姉のヨレヨレを着なくてはいけない。事件の次の日はジャージ(体操着)で体育館へ行ったけれど通学にずっと体操着というわけにはいかない。その本人にしてみたら、『してやったり。』なのかもしれないがケイコにとってはとても残酷で可哀相な出来事だった。お父さんにはとても話す事が出来なかった。あの父なら学校に乗り込んで来そう、いや絶対乗り込んで暴れると思い、最後まで父には事実を隠し通した。
でもケイコは強い人間だった。その後ソフトボール部のキャプテンまでなりエースで4番を務めチームを県大会まで導いたのだった。
・・・『そんな事もあったわねえ~。』
ケイコはめぐみの横たわるベッドの傍らで静かに笑った。。
よしみは、おっとりとした性格ということも会って学校でも地味グループの一員だった。たまにケイコに声を掛けてもらっていたけれど、それは幼なじみたる所以であってこの時点では話題もテンションも二人が合う事はなかった。でもたまにクラスの男子にいじめられそうになっている時はケイコが割って入っていた。
『やめとき。』
ケイコは男子に対しても怯む事は決してなかった。よしみはケイコと幼なじみで良かったと何度も思った。
『わたしも強くならなければ・・』
ケイコにばかり頼っていては申し訳ない。すぐに気が強くなる事は出来ないけれど、せめて形から変わろうとよしみは前髪をバッサリ切り、おでこを見せてポニーテールにした。今まで人にあまり顔を見られないように髪で隠していたけど、思い切って良かったと思った。よしみはそれから班長などにも立候補するようになり、卓球部でも副部長をするまでになった。以前のよしみの性格からすればこれは『大躍進』である。
・・・『ケイコが同じクラスで色々と助けてもらったからだよ。ケイコのおかげ。』
よしみはケイコの隣でケイコを横目にめぐみに話しかけた。
めぐみは部活などでは何のエピソードもなく、
あったといえば生徒会活動ぐらいだった。
そこでひとつ年上の先輩に好意を抱いた。
めぐみにとって初めて『好き』になった人。
将来先生になる為に度胸をつけるという理由で生徒会役員に加わったのだけど、この先輩のおかげで思いのほか楽しい生徒会活動となった。
彼は生徒会会長をしていた。身長も高く、めぐみの好きなお父さんのような風貌も好きになった理由のひとつ。めぐみは彼に憧れた。
恐らく成績も優秀だったに違いない、めぐみは勝手に解釈する。彼の名前は『圭一郎。』映画が好きなご両親が、当時好きだった映画俳優の名をそのまま付けたらしい。めぐみは恋心を抱いた。ノートの片隅に、
『ケイイチロウ』と何度も書いて密かに『自己満足。』トランプで占いをしては相手との相性が『良い』結果になるまでして『自己満足。』役員会でさりげなく視線を送ってみたりもした。でも彼と目が合ったらすかさず視線を下に逸らす。
『こっちを向いて。』と願って視線を送っているのに。矛盾しているのはわかっているけど、でも恥ずかしくて仕方がなかった。彼は私の思いを感じているだろうか?彼は付き合っている人がいるのかしら?一日中めぐみの頭の中には『ケイイチロウ』が居た。
時は過ぎていく、確実に。
彼はもうすぐ受験をする。高校へ行けばもう会えないかもしれない
『告白したい。』
いまだに視線さえも合わせられないのに、でも後悔はしたくない。彼は受験で大事な時期だけど、卒業するまでには勇気を出してこのときめく胸の内を伝えたい。
受験の前に生徒会役員の引継ぎ式があった。
これで彼は引退する。めぐみは次期会長を立候補していた。周りはビックリしていた。
彼はそのわりに冷静だった。めぐみにとっては彼にアピールできたと思っていたのにその表情を見て少し戸惑った。ちょっとがっかりもした。
そして会長である腕章とバッジをみんなの前で彼から手渡された。
彼は『がんばれよ。』とだけ言ってそれを手渡された。
『あのう・・私、』
その先は何も言えなかった。
ケイコには前から話していた。彼を好きだった事を。
『いいわ、私がなんとかしてあげる。』
ケイコは動いてくれた。頼もしかった。彼が希望の高校に合格した翌日にケイコが彼の家に電話をしてくれた。学校の体育館脇にある赤い公衆電話から掛けた。私は傍で十円玉を十数枚手に持って、ただただケイコの表情を伺っていた。
『会えるって。』
受話器を置き、傍で緊張しているめぐみに向かってケイコが笑って言った。
『合格したんだから合格のお祝いを言いたいって口実。いいと思わない?』
ありがとう。ケイコ。ナイスです。ケイコ。
『でも、これが最後だよ。あとはアンタ次第だからね。頑張りやーよ。』
待ち合わせ場所は地元の総合グラウンド。
学生が考える場所といったらここぐらいしかなかった。朝十時にと伝えてあったけれど、めぐみは九時には現地に行っていた。
『こんなに早く来てどーすんのよ。』
付き添わされたケイコが腕を組んでいる。
めぐみはその声さえも耳に入らないくらい既に緊張していた。
『私は隠れているからね。』
これはめぐみにも聞こえたらしく、
『えーっ、どうしよう。』
『私が一緒にいてどーすんのよ。』
『それはそうだけど・・』
『ちゃんとお祝いを言って、それから気持ちを伝えなよ。ねっ、わかった?』
だだっ広いグラウンドには野球も出来るようにマウンドやダッグアウト、バックネットなどがある。二人はホームベースのあたりで待っていた。
『十分前になったら私、あそこに隠れるね。』
ケイコは一塁側ダッグアウトの方を指差した
もうそんな時間なんだ。時計など持っていない二人はグラウンドにあるでっかい時計を見ていた。ケイコは乗ってきた自転車を引きながら一塁方向へ隠れに行った。五分前になってその人、圭一郎はやってきた。ケイコはこちらを覗きながら『プレイボール。』の合図をした。
『お、おはようございます。』
『おぅ、どうした。』いたって普通の表情。
『きのう、ケイコ、いや私の友達が電話したんだけど・・あのう・・』
頭の中に用意しておいた言葉がぶっ飛んだ。
『めぐみちゃん。』
めぐみがパニクッているのを察して彼が口を開いた。
『あのさ、あん時は言えんかったけどさあ、
嬉しかったよ。生徒会長に立候補してくれて。』 あん時って、引継ぎの時の事?
『ご、合格おめでとうございます!』
なに?このタイミングで?会話になってないんだけど。ケイコが軽くズッコケているのが見えた。
『あ、ありがとう。』彼も少し緊張してる?
ケイコにはそう見えた。
『こういうのは俺から言ったほうがいいと思うから言うけどさあ。』
めぐみを見て彼は言った。
『さっきの続きだけど、普段はおとなしい君が会長に立候補してくれたその勇気がすごく嬉しかったし、一年間役員活動を共にして感じたのはその芯の強さ。めぐみちゃん自身それには気づいてないでしょ。今もこうやって会えたのは君の勇気のおかげ。俺はそういう子が好きだよ。』
(今日の件はどちらかというと、というより殆ど私の勇気なんだけど。)とケイコは言いたげにこちらを見ていた。
これって逆告白なの?めぐみはその後の台詞を言うことができなかった。言わなくても先にその答えを彼が言ってくれたから。
『俺と同じ学校へ来いよ。頑張れ。』
最後にその言葉を残して彼は自転車で去って言った。
付き合うといっても当時は携帯電話もメールもなく手段は文通と、たまにかける公衆電話からの電話だけ。家の電話は玄関ホールにあるし家族に会話を聞かれるのが恥ずかしい。
だから十円玉をしこたま握り締めてあの赤い公衆電話にそれから何度となく通った。
・・・『へえ~、そんな事があったんだ。』
よしみがケイコとめぐみに向かって言った。
『ごめんね、こんな事、なかなか人には話せなかったからさあ。』
『私がでしゃばったんだよ。』
ケイコが庇うように言った。
『で、それからはどうなったの?』
『まあ、一年ぐらいだったわよね。続いたの
は。初恋なんてそんなもんよ。』
めぐみの変わりにケイコがよしみに話した。めぐみは傍らのベッドの上で静かに頷いた。
ケイコとよしみは今、こうしてめぐみの前で仲良さそうに話しているけれど、こうして会うのは十数年ぶりの事だった。三十歳になった年に行われた中学の同窓会以来。めぐみは欠席していたけれど、ケイコとよしみは出席していた。当時よしみは家事手伝い(農業)をしていた。ケイコは銀行員となっていた。よしみは幸せそうだった。幸せオーラは周りの男たちを引きつける。そしてよしみは農家の後継ぎをしっかりとゲットし、二十八歳の時に結婚をしていた。結婚式にはめぐみもケイコも友人として出席していた。ふたりで結婚式定番の歌も歌い祝福した。それから二年後の同窓会。中学校の時におとなしい目立たない子が大人になって綺麗になればそのギャップに男子共は驚き、一気に人気者となる。『俺はあの頃からよしみは可愛いと思っていたんだぜ。』そんな調子のいい奴らも出てきた。
ケイコは中学校からの変化があまりなかった。相変わらずボーイッシュでカッコイイことに変わりはない。昔からデキる女の子なのだ。だからギャップというのはよしみのようにない。よって、
『ケイコはあの頃と変わってないねえ。』が、男共の正直な感想。ケイコはまだ独身だった。
この同窓会でよしみとケイコの立場(人気度)は逆転した。よしみは有頂天だ。少なくともケイコにはそう見えた。酒が入って皆ほどよく酔ってきたころ、酔った勢いでケイコがブチキレた。
『よしみ!あんたでしょ。あの時わたしの制服隠したの!そうでしょ!。』
賑やかな場が一瞬静まりかえった。
『ケイコ、何?いきなり。』
『お前、ちょっと酔いすぎだろ。落ち着け』
静止しようとする同級生の手を振り解き、
『私がどれだけ嫌な思いしたかわかる?
あんたは傍にいてさぞ楽しかったでしょうよ。』ケイコは涙を見せた。酔いが回ってた。
よしみも泣き出した。ホントはこんな事話したくなかった。
今更言ったところで何になる?もう十五年も前のことだもの。でも許せなかった。
同窓会というのはみんなが当時の気分に戻れる場所。話題も当時のエピソードをおもしろおかしく懐かしく語り合う場所。
でも今この目の前に広がる光景はよしみとわたしの立場が逆転した光景。そのギャップにケイコはどうしても耐えられなかった。
『恵子さん、もうそれぐらいにしときましょうよ。先生が未熟だったんだわ。あれはわたしのせいでもあると思うの。』
当時の担任であり今回出席していた加藤美子先生がケイコに近づきながら静かに口を開いた。加藤先生はその年定年を迎えていた。
よしみはすでに中座していた。
加藤先生はケイコを会場の隅へと連れていった。
『三者懇談があった時によしみさんに言ってしまったの。ケイコさん、あの頃何でも活発で成績も良かったわよね。それでついよしみさんに、あなたもケイコさんのようになれるといいねって。』よしみが本当に犯人なのかどうかは分からない。でも盗まれたのはその翌日だった。
『よしみさんを責めないで、お願い。』
当時の出来事は、ケイコはもうどうでもよかった。ただ酔った勢いで鬱憤を晴らしたかっただけの事。
『先生。先生が謝る事ないですよ。すみません。ごめんなさい。』
ケイコは二次会への誘いを断って一人帰った。よしみとはそれ以来音信不通だった。今こうやってめぐみを介して一緒に普通に話せるのはある意味めぐみのおかげ。めぐみは同窓会でそんな出来事があったことやこの場所で十数年ぶりにケイコとよしみが再会していることは知らなかった。ケイコとよしみもそんな素振りは見せなかった。
・・・『そういえば、そのケイイチロウさんは今どうしているんだろうね。めぐみは知ってるの?』
『わたし、このまえ偶然会ったわ。』
『うっそ~何処で?』
『病院で。私が検査に行った病院に偶然いて。近いうちに開業するとか、言ってたよ。内科のお医者さんみたい。』
『この病院も実は紹介してもらったんだ。』
『いつ以来なの?会うのは。』
『彼が高校卒業して以来だから。何年ぶりだろうね。何十年か。』
『そうなんだ。』
『そう、それで思い出したわ。あの頃彼とは付き合うっていってもせいぜい文通と電話ぐらいだったけど、その頃にこんな出来事があったんだよ。よしみはよく知っている子なんだけど、あのね。』
めぐみはまだ誰にも話していなかった、ちっちゃな出来事を二人に話した。
*健太君
めぐみが生徒会長(中学3年生)になっていた頃、彼女に1通のラブレターが届けられた事があった。そのラブレターらしきものを書いたのは二つ年下の子。中学1年生で名前は健太という子だった。健太君の事は知っていた。小学校も同じだったし、よしみの家の近くに住んでいたのでよく見かけていた。
話した事は殆どないけど、よしみの周りをうろちょろしていたのだけは憶えていた。そんな子が突然にラブレターを持ってきた。正確に言えば彼の友達が持ってきた。
『あのう、これを渡すように言われたんで。』
健太の同級生で光男という子が放課後の自転車置き場でめぐみを待ち伏せしていた。
光男君は雰囲気からして健太君の『使いっ走り』のように見えた。めぐみはその手紙を持って帰りその夜に読んだ。内容からしてその手紙がラブレターらしき物だということがわかった。
拝啓
めぐみさん。僕は健太といいます。
僕の事は知っていますか。僕は小学校の頃から知っています。めぐみさんよりふたつ年下なのに、また話したこともないのにいきなりこんな手紙を書いてすみません。
僕は中学に入って生徒会長をしているめぐみさんを見てスゴイと思いました。みんなの前で話すめぐみさんはカッコイイと思いました。
僕にとってめぐみさんはあこがれの先輩です。
今は高校の受験で勉強とか大変だと思いますけど頑張って下さい。僕はこんな手紙を書くのは初めてで何を書いたらいいのかわからなくて文章もまとまっていなくてすみません。
字もヘタクソですみません。
これを読んだら捨ててください。またこんな手紙があったことも忘れてください。
では受験とか色々頑張って下さい。
敬具
文章は鉛筆で書かれていた。便箋には何度も書き直しをした痕が残っていた。『拝啓』とか『敬具』はどこから引用してきたのだろう。はたまたこの『手紙』は『ラブレター』と捉えていいのだろうか?
なんだか中学1年生らしいわぁ。と少しお姉さんになった気分でめぐみはそれに返事を書いた。
健太君へ
お手紙ありがとうね。私は健太君の事、知っていますよ。まだ話したことはないと思うけど、とても元気で活発な人に見えます。
生徒会長の事、褒めていただきありがとう。
私は生徒会長という役を精一杯頑張っています。健太君も学校で何か頑張れる事を見つけてこれからも頑張って下さいね。私も受験に向けて頑張ります。応援して下さいね。
付け加えて言うならば私は今お付き合いしている人がいるということです。こういった内容の返事しかできなくてごめんなさいね。
それでは、お元気で。
追伸 バレンタインデーが近いですね。少し早いけれどお手紙のお礼としてチョコレートを同封しておきました。よかったらどうぞ。
めぐみは健太に対して恋愛感情は全くない。だけど無下にお断りの返事を書くのは相手にとって可哀相だし、無視するのもなおさら悪いと思い、一応考えながら文章を作った。
これで健太君も理解してくれるだろう。そう思っていた。
返事をして三日後、あの自転車置き場でまた
あの光男君が待っていた。そして、『また、ですけど。』と言って申し訳なさそうに封筒を渡してきた。
めぐみは家に帰ってすぐその封筒を開けた。
封筒の中にはお礼として渡したチョコレートがそのまま入っていた。
前略
返事をいただきありがとうございました。
受験、頑張って下さい。合格するよう祈っています。めぐみさんの気持ちはだいたいわかったつもりです。なのでチョコレートは受け取れません、お返しします。ではお元気で。
健太は本当のところ、チョコレートがもらえた事をめちゃめちゃ喜んでいた。しかし、
『付き合っている人がいる。』のフレーズを読んで淡い恋心は『失恋』へと彼を導いていった。バレンタインのチョコレートは普通女性から男性への愛の告白に利用されるもの。今では義理チョコとか友チョコなど色々あるけれど、この頃のバレンタインチョコレートはもっと『神聖』なもの。健太へのチョコは、『お情け』であげたものだと健太は解釈した。それがめぐみの『気遣い』だとは分らなかった。健太には健太なりの意地があったのと、初めての恋が『失恋』に終わった事に対しての怒りのような気持ちが『チョコ返還』という形になったのだった。
・・・『あの健太君が?』よしみがビックリした顔でベッドのめぐみを覗き込む。
『へえ~。じゃあ、めぐみは健太君の初恋の相手だったんだ。』
『どうなんだろうね。』
『年下の男の子が告白するなんて相当勇気がいるわよ。』ケイコが評価する。
『でも、子分を使いっ走りにしたのはちょっといただけないわね。』と腕を組みながら言った。
『その健太君。この前来たの、ここへ。』
めぐみが言った。
健太は花を抱えこの部屋に突然やってきた。
お見舞いの花を置いたあと傍らの椅子に座り一通りの世間話のあとで、話し出した。
『めぐみさん、憶えてます?あん時のほら、だいぶ昔の話だけど、中学の時に僕がめぐみさんからもらったバレンタインチョコレートを突っ返してしまった事。』
『うん。憶えているよ。何となくだけどね。』
病室のベッドの上でめぐみは健太に微笑みながら言った。『あのチョコレートね、実は一度開封していたんですよ。』
『あれ、返ってきたのは新品だったわよ。』
『本当はめっちゃ嬉しくて舞い上がっちゃって。チョコ見た瞬間、やったーって。でもそのうち自分はフラれたんだなって思ってきて。それで同じ物を買って返してやろうと、店という店を片っ端から廻って買ってきたんですよ。だからチョコは結局食べているんです。偏屈な奴でしょ。まあ、一番大変だったのは光男だったけどね。』
『光男君って、手紙とか届けてくれた人?』
『うん。手紙を届けさせたりチョコを一緒に探しにいったり。けっこう振り回したなぁ。』
『今、その子はどうしているの?』
『あいつは今、美容院を経営してますよ。中学の同窓会をたまにやるけど、なかなか出席しないんです。それはたぶん僕のせいかもしれないね。』
『結構、悪かったんだ、君は。』
『若気の至りってやつです。』
『それよりめぐみさん、体調はどう?』
『おかげさまで、今は安定してるよ。』
『ゆっくり休んで下さいね。』
『ありがとう。』
それ以上のことは何も話せず健太は病院をあとにした。病院を出て、車の中で健太は泣いた。