【*】 試練終了
***はとうとう、一度たりとも試練へと参加する意欲をみせなかった。これっぽっちもだ。
ところが悔いだとか泣き言だとか、そういった類いの劣り様を晒すわけでもない。生への渇望がない。執着心も。これっぽっちもなかった。
試練突入前、***は尊師を失い、試練突入早々、親友を亡くした。――この関係性、平穏な連続が当たり前だと思っていた彼女からすればこれは呑み込みあぐねる災厄である。新学期という概念を根こそぎ引っこ抜かれた気分だった。
それから十分。
六百秒。
端的に云って死んでしまいたいと願った。死んでしまって、月島とかえでの旅立った世界へと後を追いたい。置き去りはイヤダ。やめて、ヤメテ……。切実に死を求めたのに。
今尚も死に至っていない。
コインってなんだ。
脱出ってなんだ。
まず初めに試練ってなんだ。
それは受けなきゃ駄目なのか、許してもらえないのか。
月島はどんな思惑を留めて自殺したんだ。
かえではどんな事を想って殺されたんだ。私も死にたい。殺してほしい。
喉、機能しろ。脚、歩け。わたし、しっかりしてよ――。
死ねば楽になれる。逃げられるんだから。逃げなきゃ、早く、早く。
それに……わたしが呼吸を繰り返す限り、『彼』には着々と迷惑を重ねているのだから。早く、死なないと、彼の足枷にならないようにしないと。彼は優しいから。自分の命を投げ打ってでも廃人同然の幼馴染を、救いたいと苦しむのだから。
首、折れちゃえ。心臓、肺、大腸小腸、胃、腎臓、全て、一つ残らず壊れてしまえ。
しっかりしてよ、しっかりしないと、わたし……。わたし……。
――***。
わたしの視界が彼の立ち居で一杯になる。わたしを呼んでいるようだ。
――***。
残念。
せっかく呼んでくれているのに、わたしの声はとうに枯れてしまっていて。硬直した筋肉は一本もピクリとも反応しなくて。
彼がわたしを抱いた。
腰を抜かし横座りをする低姿勢のわたしに合わせて、前屈みになって両腕を背中へまわして。温もりを与えてくれて。柄にもなく泣きじゃくりながら耳元で、何度も何度も。
ごめん。
ごめんよ。って謝って。……好きだ。愛してる。なんて、本当に柄にもない告白をさらりと挟んできて――。
嗚呼、残念。この上なく残念。せっかくの御言葉は嬉しいんだけど。わたしはもうすぐ死ぬんだから、期待通りの返事は出来そうにない。――だってさ。だってさあ。ねえ、そうでしょう。やっと両想いになれたって、それも長続きしなかったら死んでも死にきれないじゃない。死にたくないって。死にたくないって心変わりを……。もっと生きたいって心変わりを……。
彼と一緒にこれからも。幼少の頃からのように二人三脚で、これからも。
人生を歩んで行きたいって――。
二人で登下校を共にして。帰路が別々になった辺りで、分かれ惜しんだ末に与太話が白熱しちゃって。はたと気が付けば日もとっぷり暮れちゃってて。そこでようやく、また明日っ! って笑顔で手を振って帰宅して。胸の高鳴りを顔に出さないよう家族の前では振舞って。でも時には溢れる不安を吐露する瞬間も欲しくなって、弟にでも恋愛相談を持ちかけて。毎日を過ごして。
休日にはショッピングへ服を買いに行って。たくさん笑って、他愛ない、どうってことない世間話をして。――先に部屋へお邪魔させて貰うのはわたしの方かな。
そうやって平日も、休日も、祝日も。毎日を過ごして。この先まだまだこれからの人生を謳歌出来たなら、どれだけ幸せだっただろう。
時間が巻き戻せるならな。わたしから告白しただろうにな。
……夏樹はいつだって後手にまわるんだから。
思量に欠いたわたしと彼――村上夏樹。
陰ではお似合いのカップルとか呼ばれて。……カエちゃんとかに冷やかされて。
夏樹が***を抱擁したように、***も夏樹の背へと腕をまわした。
予想の範囲外であったのか、彼は怯えたように肩が跳ねる。が、すぐに***へ込めた力をより一層強固なものとした。
ひらの。ごめん、ごめんよ。
むらかみくん。ありがとう、ありがとう。
――わたしも、むらかみくんがだいすきです。
極限。しかし穏やかな死に際。村上夏樹、比良乃亜矢の長年の愛が実を結んだ時、放送室から機材を通じ、スピーカーから声を発していた“試練の主”は二人を祝福する。
マイクへと口を近づけ、手短に。
機械的に。
――試練終了まで残り三十秒。と、祝辞を述べた。
次回――最終回。




