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ハイ・シレン  作者: いそぎんちゃく
 青春の一ページ (31/31) 
2/21

【2】 重い思い


 そこへ駆け寄る、これまた亜矢や他女子学生と同じ制服を着こなした女。第一声もなしに細い線が浮き彫りの亜矢の背中へ、抱き着く体勢でひょいと飛びついた。

 突拍子もない不意打ちに一瞬、目を見開いて驚いた亜矢。背中に張り付く張本人の姿を認知すると、「カエちゃんっ!」と嬉しそうに彼女の愛称を呼び、全身を後方へと向き直らせる。

 あっはっは、と豪快な笑い声を発しつつ、微かに乱れた息を整える鷹迫(たかさこ)かえでの姿が、そこにはあった。


「あっはっは! 二学期初日から二人で登校って、相も変わらず仲良しだねえ。やっほー、村上っ。アンタは元気してた?」かえでの歯切れよく、饒舌な喋りは一夏を経ようとも健在である。

「相も変わらず元気です、お気遣いなく」

 朝一番からのハイテンションに、低血圧の夏樹は調子を合わせられそうにない。にこにこと陽気なかえでは「本当に元気なのかーっ?」と彼の背中を叩いた。しかも数度。かなり強く。鬱陶しげに、それを夏樹は両腕で拒む。「カエちゃん、カエちゃんっ」と亜矢が二人の仲裁に入らなければ、夏樹の背中には無数の、火柱を当てたかのように紅葉する痣が残ったに違いない。

 窮地を脱した夏樹が、かえでの姿をまじまじと見つめて、それから口を開いた。「しかし……、夏バテのなの字も知らなさそうなテンションの高さだな、鷹迫。肌も小麦色だし、部活の大会か?」

「うんっ、そうだよ。うちの女子ソフトは休日だろうと講習だろうと、いつでもどこでも練習に勤しむ清く正しい部活だからねっ!」鼻高々と、かえではドンと胸を叩く

「……おい、講習には来いって。これ以上、赤点とったら洒落にならんって噂を耳にしたぞ」


 程好く焼けた小麦色の肌と、かえでの口から垣間見える白い歯からは、アンバランスながらも非常に健康的な印象を夏樹は感じ取った。勉強面で不安が残る彼女ではあるが、伊達に女子ソフトボール部では三年生を差し置いて、エースの座に君臨していないという事だ。さながら国民の抱くスポーツ少女を具現化したような、夏樹と亜矢の褐色系クラスメートなのである。

 ここしばらく自堕落な私生活を送っていた夏樹では、かえでの本気の送球を打ち返せない可能性もある。夏樹が不甲斐ないのではない。かえでの腕力が女子の一般平均を凌駕しているのだ。致し方ないのだ。断じて、俺が情けないわけではないぞ。勘違いするな。


 夏樹の歯に衣着せぬズバリとした指摘に、リアクション大きく「ぐっ……」と、かえでは後ずさる。テレビに出たての若手芸人みたいな体捌きだ。朝練がこの日だけは休みのため、体力を持て余しているのだろう。バツが悪そうに頬を指で掻きつつ、かえでは苦笑した。

「さっそく人のコンプレックスを指摘するとは、村上は気遣いって善心を知らないな。――まあそれはそうと、亜矢ちゃんに返したい物があって」

「え、私? なになに?」ほとんど空である学生鞄を漁り、目を光らせる。「じゃーんっ!!」 

 かえでが取り出したのは、片手に納まる大きさの透明な容器であった。中で得体の知れない液体が波をつくっている。「これ、こないだ借りたまんま返すの忘れてた目薬。都内のプールに遊び行った時のね。ごめんごめん」

「ああっ、私もすっかり忘れてた。わざわざ有難うカエちゃん」

「気にすんなって。どうせ鞄の中にゃ何も入ってないんだからっ。あっはっは!」


 ほとんどどころか、かえでの鞄は文字通り空である事が判明した。夏休みの課題を清々しく放棄する辺り、なんというか、彼女の将来には暗雲が立ち込めているなと、夏樹は考える。

――ん、ちょっと待てよ。いま、プールと言ったか。――夏樹の脳内で、かえでのさり気無い発言がリピートされる。『都内のプールに遊び行った時のね』そう言っていた。となると――。

 傍と疑問を抱き、夏樹が話題を切り出す。「なあ、鷹迫。プールに行ったって、比良ノと二人だけか?」

「うん、そうだよ。女二人で水入らずの一日を満喫したねっ。水入らずつっても、温水には浸ったけどな! ふはっ」


 そうかと、夏樹は呟く。渾身のボケに対しコメントを貰えず、不満気に頬を膨らませるかえでは何処吹く風に、彼は胸を撫で下ろした。――亜矢には、撫で下ろしたように見えた。

 又もやピンと来ない夏樹の仕草に疑問を募らせる亜矢が、目を細める。精一杯の低音でうーっと唸り、催促してみる。しかしそれすらも彼の意識外であるようで、返答はない。もんもんとした凝りだけが残る。


「ってかさあ」お喋りが大好きなかえでが切り出す。夏樹と亜矢の視線が彼女へ集う。


「村上も亜矢ちゃんも、仲良い割には一緒に遊んだりしないよね。今年の夏休みも、どうせ遠出とかしてないんでしょ? 勿体無いなあ、ほとほと関係の無駄遣いだよ。――幼馴染だっていうのに」

「そ、そんなこと言われても……、ねえ」亜矢は助け舟を求めて、この微妙な会話を夏樹へと振った。のだが、彼からもこれといった弁解はないようで、黙秘を貫くのみである。蝉の声が、場の空間を支配した錯覚に陥った。


 幼馴染だっていうのに――。かえでは悪気からでも皮肉からでもなく、単純な質問のつもりで言葉を投げ掛けたのだが、結果として二人を沈黙させる形となってしまった。

 勿体無い――。

 関係の無駄遣い――。


 ぐうの音も出ない、ので沈黙。

 村上夏樹と比良ノ亜矢は、だんまり。


「あ。で、でも、プラス思考に捉えればね?」どうしてか確立された妙な空気を打ち砕いたのは、覚束ない口調で語り始めた亜矢の声。常に物腰を落ち着かせている彼女にしては珍しく、おたおたしている。咄嗟のフォローは苦手な性格なのだ。口癖でもある『プラス思考』を引用して、場を和ませようとしているのが丸分かりである。


「プラス思考に捉えれば、山あり谷ありがない関係ってのも、中々に粋なものなんじゃないかな。うん、きっと。えーっと……。隣りに並んでいるだけで落ち着く、みたいな……。えっと……。お父さんみたいなっ!」難しい顔をして言葉を選んだ末、亜矢はそう答えた。

「へー。……成程ね、そーゆうもんか」納得したようで、かえでは深々と何度も頷く。


 こんな取り留めのない理由で追究を止める彼女の竹を割ったような内面には、尊敬するより先に夏樹は呆れてしまう。それと同時に、心底良い奴だなとも思う。陸上部を一年も持続せずに中退した自分と比較すると途轍もなく惨めに見えてくるので、慌てて暗い思考を中絶させた。

 悪く言えば、逃避したともいえる。

 どう解釈しても惨めだ。


 惨め――。


 夏休みを経て、ひいては高校生活二回目の夏休みを経て、幼馴染と微塵も進展がない現実を目の当たりにすると……、惨めだ。夏樹の口から溜め息が漏れ出た――なんだか俺、年を重ねる度に溜め息の回数が増加してるな。負の傾向にあるな。

 肩を落とす夏樹を見て、亜矢は「あれ?」と頭にクエッションマークを出現させ、困惑する。次いで激励を飛ばした。「大丈夫だよ夏樹君っ! 小学、中学を通して私、夏樹君の長所たくさん知ったつもりだから!」

「………」心遣いに富んだ激励は痛み入るのだが、いまいち夏樹の心情を語釈しているようだ。

 面白そうなので夏樹は幼馴染を泳がせてみる事にした。「まず第一に夏樹君って、ちょっと怖そうな見た目だけど、中身はすっごく親切だよね」

「そうか?」亜矢の台詞に、夏樹が顔を上げる。


「でもさ、女子が男子を評価する際に『親切』だとか『良い人』だとか、そんな時。それって地味な奴って酷評を遠回しに表現しているだけだよな」予想外なことに、この会話へかえでが口を捻じ込ませてきた。「そうか……」かえでの台詞に、夏樹は顔を下げる。


「えっと、えっとねっ。夏樹君って名前の通りに夏が似合うからさ、今の時期だとより一層、いつもより際立って格好よく見えるよっ!」

「……そうか?」無理矢理に笑顔を拵えた亜矢の台詞に、夏樹が顔を上げる。


「夏の暑い時期に必要以上に盛り上がる男子ってさ、近寄られるとマジで暑苦しいから万歩譲っても半径一メートルは離れて欲しいよね。切実に」

「そうか……」屈託の無い笑顔を浮かべるかえでの台詞に、そろそろストレスが蓄積し始めた夏樹が顔を下げる。前言撤回だ。心底良い奴あらため、鷹迫は空気読めない奴だ。的確に俺のメンタルを抉ってきやがる。このままじゃ抉り殺される。


 夏樹の気分が沈み切った時である。

 我らが赴く目的地、『公立中目黒高校』の節々が錆びれた校門が見えてきた。


 一人、また一人と、その校門を飛び越える学生達。その面子に交じって、村上夏樹が、比良ノ亜矢が、鷹迫かえでが、中目黒高校の所有する敷地内へと足を踏み入れた。

 もう後には引き返せない。

 気分は乗らないが、学生の本分は学問にある。そう教師から、両親から、耳にタコが出来るほど言われてきた。口では嫌がっていても、どこかで夏樹は、覚悟を決めていたのかもしれない。

 五十パーセントは機械的に、四十パーセントは大学進学のために、気怠いながらも公立高校へと通っている。

 そして残りの十パーセントは――あわよくば、夏樹は願っている。

 密かに、心の奥の、もっと奥の奥の、最深部で、乞い願っている。

 あわよくば、願わくば――自分の、赤裸々な思いを、最愛の人に伝えたいと。


「いよいよだね」亜矢がにこりと、夏樹の横顔へと見上げるように、微笑んだ。

「ああ。そうだな」夏樹がぶっきらぼうに、明後日の方向を向いて亜矢へと応答した。

「なーに気取ってんだ」その後頭部をぽかり。かえでが拳で軽く小突いた。


「ちょ、おいっ。いてーな。やめろよっ」そう反論する夏樹を見て、最愛の人は笑った。







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