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ハイ・シレン  作者: いそぎんちゃく
 第一ノ試練・・・教室デ・宝探シ・デス (2/31)  
13/21

【12】 難詰する教室


 【1,赤コイン】

【直観力と推理力、これに長けてりゃやい容易。胸中秘めたる故意使い、見いだすべきはもとい甲斐】

  

 【2,青コイン】

【差別をやめよう平等社会。命とチャンスは公平河海。それならやる気が出てきたかい】





「あったあ! 見つけた、私が見つけたあっ」鍋に食材を、ナイフでカットせずに丸ごと投げ込んだかのように、沸騰する喜びを直接そのまま叫びとして張り上げた莉奈子へと、協定を結んだばかりの夏樹と龍治の目は吸い寄せられた。その横で、颯爽と別の男子も顔を彼女へと向けた。机を睨み回していた女子学生も、犬の目線となって体勢を低くしていた男子学生も、棚やロッカーを捜索中の女生徒も、一様につんつんとした目線で莉奈子を包囲する。

 彼女が満面の笑みでガッツポーズをしていたのは、教室の後方にある、縦に一メートル八十センチ、横に八十センチほどの縦長の、直方体の掃除用具入れの前であった。ドアは開きっ放しになっている。「やった、やった。やったよ巧巳(たく)! ねえ、こっちに来て。タクも一緒に見てよっ」

 ぱあっと光の差す顔で彼氏が駆け寄るのを待ち、莉奈子に負けず劣らず、歯茎を露出させるほどの笑みを湛えた巧巳が「すげえな、流石は俺の見込んだ姫様だ。愛してるぜ、リナ」と口早に言い切ると、彼女の腕に包まれたそれへと注目した。一転、前額に小さな皺がいくつも出現する。「なんだこりゃあ」


 どうやら巧巳は困り果てているようだ。舌を鳴らし、ぐしゃぐしゃと茶髪を雑に掻き毟る巧巳の近辺へと、なにがあったのかと、およそ十人にも満たないクラスメート達が集合し、恐る恐る彼の肩越し隙間越しから莉奈子の手元へ顔を覗かせ、それを垣間見る。その中には、夏樹と龍治の強面タッグの顔もあった。「なんだよ、コインじゃねえのかよ」

「うるさいわね、私もびっくりよ」ため息交じりに文句を付けた龍治へ食らいつく莉奈子。両手の平に乗せた小包(・・)を巧巳へと押し付け、「ねえねえ、どうしよう」とせがんだ。「どうしようっつたって……わかんねえよ」だが、一向に巧巳の表情は晦冥そのものだ。ぶつくさと唇を尖らせ、莉奈子の持て余す小包、もとい小振りの箱を趣深く観察していた。

 夏樹も小首を倒して、ひたすら箱を遠目に見詰めるのみである。

 

 一見して指輪ケースのような輪郭をもつ、十本の指で全体像を覆える程度しか面積の無い立方体の小箱は、サイコロと同じく六つの面から成り立っている。

 とても学校には似つかわしくない(教卓に眠る月島のグロテスクな姿は、また別として)、一面を除いた五面が非常に濃い赤色で染め上げられている。長く見ていると胸焼けを引き起こし、息が詰まりそうだ。よくもまあ手袋もなしに素肌で触れられるなあと夏樹は、予想外にも図太い莉奈子の神経に感心し、一面だけコンクリートのように死んだ灰色で塗り潰された――というよりも、赤に着色されていないこの色こそ、小箱本来の地肌なのだろうか――部位に着眼し、頭に疑問符を浮かべた。

 そこには最新型テレビの液晶パネルみたいに、頑丈そうなガラスが貼られている。明りは灯っておらず、一面しかない液晶パネルはウンともスンとも言わず、ただただ不気味に黒々と存在感を放っている。


「どっかにスイッチとか見当たらないのか? これ、箱の中にコインが入ってるんじゃねえの?」巧巳は莉奈子から赤い小箱を引っ手繰り、あちこち表面をなぞり始める。彼女は嫌がることなく、至って素直に巧巳へとコインの隠されている可能性が高い箱を譲渡していた。この彼氏に頼り切った莉奈子の甘えっぷりに、夏樹は心中「よほど二人は固い絆で結ばれているんだな」と、嫉妬に近い賛美で讃えずにはいられなかった。他の連中を出し抜く事にばかり思考を働かせていた自分に少し嫌気が生じる。

 龍治と約束を結ぶべきではなかったのだろうか、早くも決心が揺らいでしまった。

 そんな夏樹の心情など露知らず、焦りを感じながらも忙しなく巧巳は箱に、圧力と衝撃とを与えていた。すっかり視野が狭くなり、彼の目に映っているのはコインを守っているであろう小箱だけである。 須く莉奈子は眼中にない。 

 庇ってやる気概はない。

 所詮は無数と交際経験のある巧巳にとって、ほんの僅かな期間を共にし、肉体の交わりのみに精を出したに過ぎない女なのだから、命を賭して守り抜くなど考え付くわけがなかった。――なんて、夏樹が知る由もない。「うわっ」


 ぶぅん……。


 箱の液晶パネルが電気を供給した音を発信し、その画面に幾つもの数字を映しだした。

 これは真っ赤な小型テレビのようだ。ないしは、その系統に分類される機械仕掛けの小箱のようであった。「なんだよ、これ」唸る巧巳へと、莉奈子も助力するべく合流する。だが献身的な彼女の気遣い空回り、巧巳は顔すら合わせることはなく、ぷいと外方を向いてしまった。「……タク?」

「ああ! くそっ、うざってえな、俺で遊びやがって」左手で箱をキープし、莉奈子を皮切りに野次馬となった三組勢をちらりと窺いながら、「そこをどけっ」と怒声を浴びせる。さっと群衆の波は割れ、悠々と巧巳は掃除用具入れのロッカーから離れた地点まで足を運ぶことが出来た。 

 そこで適当な机――定位置から大きく外れたので誰の指定席とも知れない机――を一つ拝借し、その上へと音を立てて箱を叩き置き、次いで床に蹴られた、これも誰の所有物とも知れない無難なシャープペンシルを一本拝借する。それから巧巳はシャープペンシルを握り、ぎょろぎょろと眼球を付近へと転がしていた。

 なにをそんなに探しているのだろうか。夏樹は赤い箱の液晶パネルへと着目し、首を傾げた。

 

 小さな窓枠に埋まったパネルには数字が浮かび上がっており、七つで一括とされている。電子がぴかぴかと光る、近代的な数字の綴りである。

 つまりは真っ赤な小箱の表面には、七ケタの電子数字が存在していることになる。左から順に読めば良いのだろうか、ならば、一、十、百、千……、なんと百万の位まであるではないか。その下には記号が一つ、【×】とある。そして、その下にも七ケタの電子文字。つまり百万の位まである数字の整列が、【×】を挟んで二行分、小箱には記されていた。「リナ、紙だ。もしくはノート、持ってねえか」

「あ。うん! これで良い?」莉奈子はひっちらかった私物の中から的確にルーズリーフの束を選出し、心を許した彼氏、巧巳へと駆け寄る。よくやった、と彼は忠犬のように物覚えの良い莉奈子の髪を手でとかし、ルーズリーフを一枚だけ机へと運び、シャープペンシルの芯を必要な分だけ押し出し、それを紙に突き立てた。

 がり、がり、がり……。

 こまごまとした数字を無数に書き出す。それは液晶パネルに出現した七ケタの数字、そのものであった。これは誰でも、瞬時にぴんとくる。斯く言う夏樹も、龍治でさえもそれらの暗示する意味に気付いた。「てめえ、抜け駆けかよ」

「うるせえ! 黙ってろっ」いきり立った龍治の怒声を巧巳の声が掻き消す。龍治の怒り心頭に発する具合はもっともだ。――なぜなら掛け算とは、百万の桁という膨大な量になると、逸早く問題に取り組んだ者が俄然有利に決まっているのだから。巧巳は、赤い箱を遠巻きに警戒していたクラスの面々のみならず、況してや彼女である莉奈子でさえも、まんまと出し抜いて見せたのである。「このやろう、卑怯だぞ! 恥を知れ、卑怯者!!」

「あんっ? 指銜えてボケーっとしてた負け犬が僻むな! 黙ってろっつってんだろがっ」

「信じられない、木村ってやっぱ最低よ。顔のつくりや、服装がダラしないだけじゃなかったんだ」

 

 口々に、尖った罵声は巧巳へと襲い掛かった。これが物理的な凶器となり得る危害であったなら、今頃かれの全身はずたずたに引き裂かれ、原型を留めていなかったであろう。まさしく八つ裂きの刑を模したそれである。ひどく酷で惨憺な仕打ちだ。「うるせえ! 黙れ、黙れ黙れ黙れっ、キンキン煩いんだよ全員っ」

「やめて! やめてよ!! タク、相手にしちゃ駄目だよ。タクは何にも悪くないんだよ、自分を責めないで。ね? ――皆も好い加減にしなさいよ! そんなに大勢で一人を虐めて楽しいの。最低よっ」彼と、彼を非難する三組の集団との間へ莉奈子は割って入り、憤怒に満ち満ちた鬼の形相で巧巳を責めるクラスメート達へと食って掛かる。細やかにではあるが、巧巳を敵視していた数人がその覇気に押され、たじろいだ。「お、おいおい、布佐。そんな奴を擁護すんのか」

「待って、冷静になろうよ。私達も早く計算しないと木村に先を越されるわよ、それだけは許せないわ。腸が煮えくり返る思いでも、ここは堪えて先にペンか鉛筆を見つけるべきじゃない?」

「ああ、そうだな。それが良い。それに放っておいても、あんな卑怯者には天罰が下るさ。さっさと死ねばいいのにな」ほうれい線を鼻の左右にくしゃっと塗した表情でそう言い放った男子学生は、あえて巧巳から逃げずに彼の反応を間近で窺った。莉奈子の剣幕が唸りを上げる。彼女の巧巳に関する溺愛ぶりを考えれば当然である。


 『死ねばいい』なんて、後からではどう頑張っても取り繕えない罵詈を浴びせたのだから、巧巳か莉奈子の堪忍袋の緒が千切れる前に男子学生は距離をとって導火線の短い爆弾を刺激しないよう努めるべきではないのだろうか、と夏樹はさり気無く床へと視線を配らせ、ペンや紙といったコインゲットに欠かせないアイテムを探しながら思案した。

 しかし、歯痒い。 

 視力が特別悪いわけではないのに、目の焦点が微かにずれ、夏樹の世界はフィルターを掛けたかのように、そこはかとなくぼやけている。

 心臓の容赦ない脈打ち、胃から逆流する固形物質を抑え、我慢する等の苦行を乗り越えた矢先にこんな調子では、とてもじゃないが文字通り桁の違う掛け算を短時間で終える自信はない。我ながら情けないと悲観するものの、気落ちすると吐き気が再発しそうなので強引にそれを押し殺す。悪い想像もそこそこに夏樹は筆箱を拾い上げ、ボールペンを器用に摘出した。

 夏樹の筆記用具を手にした順位は、巧巳を抜いて四番目といった所だ。緊張とストレスは高まる一方である。――なんだよ、村上夏樹。お前はあの赤い箱の中に、お前にとって喉から手が出る程ほしいコインが五枚ほどぎっしり入っているとでも考えているのか? いいや、違うだろ。常に最悪のケースをイメージしろよ、村上夏樹。

 一枚だけに決まっている。

 赤コインは一枚だけなんだ。

 だったら体調不良くらいで悠長に気取ってる場合じゃないだろ、村上夏樹。



「大丈夫だよ、タクは正しいから。大丈夫だよ。悲しまないで、ね?」莉奈子は巧巳の肩へと手を回し、可能な限り優しい言葉で彼を宥めていた。巧巳の気分の高ぶりは鎮火しているようで、再び渋い顔つきでペンを紙に滑らせていた。「……っち」

 だんまりを決め込む彼に痺れを切らした男子学生が舌打ちを交え、「反論する度胸もねえのか」と吐き捨ててから、ペン、わら半紙探しへと躍り出る。

 まるで彼は、掛かって来いよと挑発しているかのような口振りだった。そう、掛かってこい、殴ってみろとでも巧巳を揶揄していたようで、彼の神経を逆撫でる所業のどこに利益が生じるのだろうかと夏樹は考えてみる。そして思い当たった。……彼は生粋のマゾヒストなのだろうか。なんて現実味滅裂な説を真っ先に唱えてしまった自分が恥かしくなり、夏樹は自分で自分に腹を立てた。――って、ああ、そうか。

 

 違和感の端末同士が噛み合い、夏樹は男子学生の意図、つまりは巧巳に仕掛けた罠の概要に気付いた。そしてそれは、とても物騒なトラップであった事にも気付いた。

 もしかすると莉奈子が巧巳の仲間でなければ、ないしは彼が完全に孤立していたのであれば、男子学生の思惑通りに巧巳は暴力を振るっていたであろう。そう考えると巧巳は、結果的に愛嬌やら愛情やらに富んだ彼女に命を救われたことになる。これも二人、日頃からの相思相愛が齎したファインプレイなのであろう。

 暴力を振るえば失格である。

 無情にも首を折られる。

 月島、かえで、元康に続き、四人目の犠牲者が出る寸前であったのを、巧巳は紙一重で回避したのであった。と同時に、巧巳の精神の底では燻っているに違いない。――大きな大きな憤懣の念が燻っているに違いない。

 だってそうだろう。その通りだろう。未然に防いだとはいえ、彼はクラスメートに殺されかけていたのだから、どんなお人好しでも小骨が喉につかえるようにもんもんとした蟠りは残るものだ。

 これで巧巳は正真正銘、自他共に認める、いつなんどき弾けるかも分からぬ癇癪玉となったわけだ。








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