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ハイ・シレン  作者: いそぎんちゃく
 第一ノ試練・・・教室デ・宝探シ・デス (2/31)  
11/21

【10】 糾合する教室

 時計の秒針は澱みなく時を刻み、八時四十七分を情緒なく迎えようとしている。黒板に記載された試練開始のホイッスル【 8:45:00 】の刻限を二分、上回っていた。秒数に換算すれば百二十秒である。二分とは、たったそれだけの心許ない時間経過なのだ。

 即席ラーメンは麺が硬いままだし、羽毛布団に顔を埋めようがぐっすり就寝する事さえも儘ならないだろう。なにかしら、教科書の問題を解けと言われても無茶だと筆を投げるだろうし、なにかしら、満足に物事を遂行させられるはずもない。

 なのだが、信じられないことに――信じたくないことに、このたった百二十秒の間に三組スポーツマンの元康は、スポーツウーマンのかえでは、面妖なポーズを彼らのクラスメート達へと披露し、そして事切れていた。

 首を折り、品種改良されたパンダみたいに赤黒いくまを両目の周りに浮かせ、耳の奥から墨汁みたいな体液を迸らせ、倒れたのだ。

 脈をとるまでもない。

 これで生きていたなら、そっちの方が非現実的で目を覆いたくなるホラーだ。

 これ以上、現実的要素を逸脱した情景は不要だ。ちょっとした鋭利なもので夏樹の蟀谷を刺そうものなら、それだけで水風船宜しく脳髄をぶちまけて消えて失くなりそうである。


 スピーカーから流れた声の主は、かえでが元康と共にゲートⅡ(教室の後方ドア)の倒壊を促進させる働き、ひいては暴力行為を働いたのを知っていた。

 いや、見ていた。

 恐らくは監視カメラの類を教室のどこかに忍ばせて、視察(・・)していたのだろう。そうなると放送室か。幸いにも、それはこの学校に存在する部屋名である。

 我らが担任、月島は自ら胸に出刃包丁を刺したとはいえ、直接的な死因はスピーカーからの『刑罰を執行します』との死刑宣告だ。次の瞬間、さもルール通りとでも示したいかのように、月島の首は明後日の方角へ曲がった。それが八時四十四分に起きた出来事。

 かえでと元康が死んだのは、八時四十七分の出来事。間は三分。

 三分で、教室には三つの骸。

 魂など虚無の深海へと沈んだ、人形みたいに体温を失った肉塊となった。


 大丈夫だ――。じっとりとした汗を拭おうとはせず、夏樹は、正真正銘の本人である内なる自分へと平常心を保つよう指示した。とどのつまり自問自答だ。葛藤している。

 自分は癇癪に苛まれていないし、気が触れてもいない。現状の把握は達成している。此の所、百二十秒の時を知覚し、理解している。――百パーセント、理解している。

 

 惜しむらくは、不可解な現象の上っ面ではなく、もっと核心的な原因――もとい『どうして三人はスピーカーからの申し渡し通りに息絶え、俺達は月島が抜き打ち試練と称した不条理で夢現なことを強要されているのか』といった事に、これといった首を縦に振れる理由が見つからないことである。

 これが漫画か小説の仮想舞台であったなら、なんて悪趣味で、胸糞悪い設定だろう。

 その反面、どれだけ有り難いだろう。嘘であってほしい、性質の悪い夢であってほしい。鼻をツンと穿る酸性らしき悪臭も、枕元で煙を上げている蚊取り線香の香りを誤変換しているだけなんだと、誰かから教えて貰いたい。――悪夢から逃げ出したい。

――ああ、ちくしょう。夏樹は臍を噛む。闇に覆われた黒目で、かえでは自分を見つめている。

 最後の最後で、彼女は夏樹に助けを求めた。が、夏樹にはどうすることも出来ず、黙殺した。

 かえでを、夏樹は黙殺し、見て見ぬふりをした。――夢じゃない。

 悪夢じゃないんだ。これは。

 嘘みたいな、本当の話だった。


 俺はクラスメートを、幼馴染の親友を、社交的で自分に良くしてくれた将来有望な女学生を――俺は、村上夏樹は、鷹迫かえでを、見殺しにした。これは誤魔化しようのない、弁解の余地がない真実であり、現実なのである。



「くそっ、駄目だった。死んじまった。なんでだよっ」期待から一転、絶望へと舞い戻った腹癒せに、近くにあった机を蹴飛ばそうとした木村巧巳が、ハッとなって脚を止める。スピーカーの主に暴力を揮う瞬間を認知される可能性を考慮したのだ。

「ちくしょう!」怒りの矛先は目的地を失い、瞬く間にストレスへと早変わりし、彼の心を厭らしく甚振る。「タク。窓が開かない、どうしようっ」

 その隣りで、交際相手である布佐莉奈子が太陽の光線を反射している窓に手を掛け、焦った声色で巧巳に向き直る。「なんか変なのよ、窓が……」彼女は今にも泣き出しそうだ。亜矢とまではいかないが、莉奈子も一杯一杯なのだろう。

 巧巳が彼女の理性を保持する、最後の砦と言っても良い。彼の身に悪意ある災難が降り掛かれば――スピーカーから死を宣告されようものなら、ダムが決壊したかの如く理性は恐怖の濁流にのまれ、平常心は遭難し、猛け狂い、発狂してしまうのだろう。映画だったなら、監督の倫理観を疑ってしまう根性の捻くれた映像だ。

 そんな彼氏は、莉奈子の不安の種である窓へと平手で触れ、首を傾げ、用心深く人差し指でノックしてみる。それから、やや間を空け呟いた。「……強化ガラス?」彼もまた自問自答を癖にしているようで、莉奈子ではなく巧巳自身へと疑問を投げ掛けた。「普通のガラスじゃない。全部そうだ、すり替えられてるっ。俺達を逃がさないように、これも月島がやったんだっ!」

 月島の名を口にした巧巳は隠す気の全くない、明明白白な憎悪を身に帯びていた。

 彼を敵と見做しているのだ。

 担任は、もう担任ではない。生徒である自分の眼前で自殺し、更には気兼ねなく命の危機に瀕する環境を整えた男など、同じ人間ですらない、赤の他人以上の外道だ。――俺を巻き込むな。と、喉の奥から飛び出しかけた訴えを飲み込み、莉奈子の脳天に手を添え、ぐいと胸元へと引き寄せる。くしゃくしゃと髪を掻き、彼女をあやし始めた。彼は人肌の温もりによって気分を紛らわそうとしたのだ。

 

 そこへ、眼鏡のパッドに汗を溜めた恭介がガラスを指で小突く。そして口を開いた。「……いや。僕らを監禁する気なら、強化ガラスは有り得ないだろう。用途に不適切だ。強化ガラスって名前だけは立派なんだけど、その大半は一般的なガラスより耐久性は劣るからね」ぎろりと、剣呑な目つきで巧巳は恭介を睨む。「だからなんだっつの。――どっちにしろ、ガラスを壊そうとすれば首を折られる。マッチ棒折るみたいに、独りでに、あっさりと。な、そうだろ」

「これまでの脈絡に倣えば、原理は見当もつかないが、まず間違いなくそうだろうね。だからこそ……」恭介は、僅かばかり二句目の以降を発するか迷い、覚悟を決めたように、生唾を食道へ流し込み、拳を握りしめ、力強い口調で言い放った。「……コインを探そうっ。残った者だけでも力を合わせて、この教室からコインを探し出すんだっ」そして、と接続詞の前置きをし「ここに居る全員で、生きて教室を出ようじゃないかっ」


コインを探そう――。それは巧巳のみに当てられた言葉ではなく、クラス中に向けた三組学級委員長本人からの聖断である。――夏樹が、巧巳が、莉奈子が、龍治が、思わず息を呑まずにはいられない、迫力と悲壮に複合した、苦汁の決断である。「探すっつってもよ、どこにコインは隠されてんだよ」緊張を強引に押し殺した声で、巧巳が反発する。

「分からない。けど、ヒントなら黒板にある」そう言って、恭介のさし示した指の直線上には――鮮血を被った教卓と、その死角に崩れ落ちている忌まわしき月島と、その月島が書き殴った多数の文字。

 その中でも最も読解に苦しむ、言葉遊びが癪に障る二行の文章だ。



 【1,赤コイン】

【直観力と推理力、これに長けてりゃやい容易。胸中秘めたる故意使い、見いだすべきはもとい甲斐】

  

 【2,青コイン】

【差別をやめよう平等社会。命とチャンスは公平河海。それならやる気が出てきたかい】



 刹那、夏樹の脳裏を一つの疑問が過ぎった。――扨しも疑問というか予想に近い、それも有頂天を頗る皮肉ったような、悪魔が差し向けた裏規定。知る人ぞ知る、気付いた人のみ知る、不文律のルール。

 連動して再起する記憶は、月島がぽろりと、何食わぬ顔で洩らした言葉。

――コイン一枚につき一人だけが脱出可能。

――複数人で仲良く脱出は厳禁。そう厳重注意を促していた。

 再三再四ではないが、確かに、そう夏樹たちに話していた。


……もしも、仮定ではあるが、色違いのコインが一枚ずつしか用意されていないとしたら――。

 どうなる?

……もしも、仮定ではあるが、赤コインが一枚、青コインが一枚。合計しても二枚しか教室内には用意されていないとしたら――。

 どうなる?

……脱出を許可される最上限が、二名こっきりだったら――。

 どうなるんだ? 俺は、どうするんだ?


 振り払えぬ疑念が夏樹の鼓動を煽る。

 そして必然的に動き出した目線は、床にへたり込む亜矢の姿を黙示していた。大事な、大切な、世界に一人だけの幼馴染。密かに恋心を寄せる、自分にとって特別な存在である幼馴染。――比良乃亜矢。


……俺は、どうする。どうしてしまうだろう。比良乃を守るために――。「………」

 夏樹の中に居座る表情の読めぬナニかは、ゆっくりと、しずしずと、だが確実に、善意とも悪意ともとれぬ心情渦巻く部屋の扉の開錠に踏み切った、ような気がした。




















 お暇な時にでも、黒板に記されたヒントの読解に挑戦してみて下さい。

 

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