【1】 やる気なき新学期
ジャンル選択が学園で適切であるのか否か、未だに甚だ疑問を抱く私の妄想と悪趣味な要素を可能な限り凝縮し、読み応えのある作品にしていこうかなと志しておりますのでどうか寛大な精神で、ごゆるりと目を御通し下さい。
九月一日。
暦の上ではとっくに夏など終わりを迎えているはずなのに、未だ日本列島の各所随所では三十五度を優に超えている、真夏日続きなのが現状である。誇張抜きに、アスファルトで舗装された道をただ歩くだけでも、気は重いし、肉体的にもかなり辛い。
無地のYシャツを濡らす自分の汗が、嫌になる。
学校側からの指定とはいえ、夏場の制服も案外着心地の悪いものなのだ。部屋着が恋しい。風通しの良いTシャツが恋しい。
これは甘えかな。彼はぼんやり考える。これは現代っ子の典型的な逃げの思考回路だと、老い屈まった堅物の男たちから顰蹙を買うかもしれないな。
しかし自分の今いる場所は、残念ながらというか、赤の他人の往来する外の世界。しかも、我が家が健在する町の隣町、の、更に隣町。もはや、距離的にほとんど別世界である。馬鹿みたいに蒸し暑い別世界に放り込まれるだなんて、なんてタチが悪い厄日なのだろうか。
――九月一日。
必然的に訪れる、厄日。
新学期の幕が上がる日。自由気ままな夏休みが脆くも崩れ去る日。
人間が活動する春夏秋冬を通した一年の中で、この上なくタチが悪い。
これを論文に集約して世間に発表しようものなら、いくつかの異論の声は上がるかもしれない。だが少なくともこの男子学生は、そう思うのだ。「……だりぃな」
長身を折り曲げ、猫背になりつつ僅かに開いた口から、村上夏樹の誰もが気抜けするであろう、弱々しい声が漏れた。掘りの深い顔立ちに、整髪料で無造作に立たせた短髪など、割合に強面な彼のステータスとは非常に不釣り合いな声色である。
肌に突き刺さる日光が鬱陶しい。
蝉の騒音が耳に障る。
自家用車の排気ガスが鼻につく。――そういった何もかもが、街全体が、確実に彼の胆力活力を削ぎ落としている。
そんな心持ちであるから、村上夏樹という齢十七の男子高校生は――今日だけは厳ついルックスも形無しに、眉を顰め、口を一文字に結んでの仏頂面。火を見るより明らかに、不機嫌だ。
「もう。今日の夏樹君、そればっかりだよね。怠いって考えちゃうから、怠くなっちゃうんだよ。もっとプラス思考に捉えてみようっ!」
そんな炎天下に晒された吸血鬼が如く弱り果てている村上夏樹とは対照的な、透き通った声色に、朗らかな笑み。それは、学校指定のブラウスに身を包んだ、やや小柄な女子学生。「あ? お、おぉう」と胆力を欠如した夏樹の相槌が彼女の相手を司り、また夏樹自身も目線を下らせ、二人の視線は重なる。
丁寧にすわれた黒髪を垂直に流し、几帳面にも学生鞄は、両手でしっかり握るように持ち運んでいる女子学生。考え得る中で最も最適な運搬方法だ。ちなみに村上夏樹は片手でひょいと右肩に乗せ、粗末に学生鞄を運んでいる。
発言だけでなく、行動までも二人は対照的であった。
「そうは言うけどよ、プラス思考に捉えるったって、どうするんだ? あ。炎天下によって分泌された汗の分だけ、ウエストが括れるとかか?」冗談交じりに、夏樹は返答する。
対して言葉に詰まった女子生徒、もとい比良乃亜矢は自身の顎へと手を添えて、少し考える素振りを見せた。「うーん。どうなんだろう、それは。だって夏樹君、全然太ってないと思うし、むしろ痩せすぎなんじゃないかな」
「俺の事じゃないです。貴方を指して言っているのですよ、比良乃亜矢皇后陛下」
「失礼な、私は標準体型ですっ。それに乙女のウエストは、男子がとやかく突っ込んで良い代物じゃありませんよ、村上夏樹殿下」腰に両手を重ね、剽軽な様子で腰を曲げる亜矢。
それを見て、夏樹も小さく笑う。幾分か気持ちが楽になったようだ。
続けて、亜矢が口を開く。「ほら、確かに九月一日って夏休み明けだから気が滅入るってのも分かるよ。でもさ、新学期が始動するってさ、それと同時に随分と御無沙汰だった友達と顔を合わせられるんだから、楽しみじゃない。夏を超えて肌が小麦色になってる人、クラスに何人いるかの当てっこゲーム。盛り上がるよ」
「それがプラス思考に励んだ末の答え?」
「そうだけど、なにか問題ある?」じとりと睨む亜矢を前に、夏樹は咄嗟に首を横に振った。
変色した奴の人数を推定し合うゲームなんて、今時の小学生でもやりそうにないほどのクソゲーだろ、っつか絶対に誰しもがやらないクソゲーだろ――なんて彼女に告げたらヘソを曲げられるに違いないから、口は噤む。
……だけどまあ、プラス思考か。
当たり前みたいに言うけど、これが結構、難しいもんなんだよなあ。
何の気なしに夏樹は、学生服の袖口からすらりと伸びる亜矢の腕へと視線を配る。シミ一つない、色白なそれを一瞥し、おもむろに語る。「でもよ、全くもって比良乃は肌焼けしてないみたいだが、夏休みはずっと家の中でテレビ視聴でもしてたのか?」
「まさかまさか。高校二年生の遊び盛り女子が、そんなに侘しい夏を過ごしてたまりますか。――そうだなあ。最後に出掛けたのは、友達との室内プールだったなあ」
「男とか?」
「は?」夏樹の素早い言葉の切り返しに、心外にも反射的に素っ気ない返事をしてしまった亜矢。どうしたのかと言わんばかりに、首を傾げて夏樹の顔を覗きこんだ。
熱い視線に堪えかね、先に目線を外したのは村上夏樹であった。愈々どうしたのかと、殊更に亜矢が首を傾げる。「夏樹君? どうかしたの?」
「……いや、悪い。なんでもない」そう言って、どことなく含んだ笑いで誤魔化す夏樹。疑惑の念を込めた目つきで彼女に凝視されようとも、これ以上話題を広げる気はないようだった。
そんなこんな、至極平和で当たり触りの皆無な遣り取りを繰り広げる二人の周囲に、同系統の制服を纏った高校生の姿が、ちらほらと現れる。やはり大多数の人間が夏樹と似たり寄ったりの心情のようで、濁流もしくは小川のような汗をかき、晴れやかでない顔つきが殆どである。三人、五人と増え、気が付けば二桁以上にまで増えた。
在籍する学校との距離が縮まっている証拠だ。当然と言えば、当然か。
男子高校生、村上夏樹。女子高校生、比良乃亜矢。
二人の男女が、永らくぶりの学校へ到着するのも時間の問題であった。
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