はじめての冒険
明くる朝。リスタルの町にその日最初の朝陽が差し込む。天候は快晴。
通りを行き交う人が増え、緩やかに活気が満ち始める。
「よしっ! 朝飯も食ったし、装備も準備宜しっ!」
冒険者として実質初日の直時は気合充分だ。
右手に槍を携え、ナイフと鉈を腰に装着。背嚢に革袋を詰めて準備万端の戦闘態勢だ。日本でなら一歩外に出れば即逮捕である。
自転車と冊子を部屋に残し、階段を下りる。
「わぁ! 格好良いですよ」
鍵を渡すとアイリス嬢が褒めてくれる。両手を胸前で合わせてニコニコと微笑んでいる。
「有難うございます! では出陣いたしますっ!」
直時の方は、いくらなんでも気負い過ぎである。頭の中がコスプレ武者化している。
「お待ちください。ご注文のお弁当です」
呼び止める声に我に返った直時。今までの痛過ぎる言動に赤面する。アイリスはその様子を見て、垂れ目を優しそうに細めてクスクス笑う。
直時は、まともに顔を合わせられなくなり差し出された物に目を落とした。弁当は大きな葉で包まれた物が二つある。
「あーっと。すみません。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました。ちなみに献立の方は?」
「内緒です」
「え?」
「お昼を楽しみにして下さい」
「はい。じゃあ稼ぎに行ってきまーす」
「いってらっしゃい」
のほほんとした雰囲気に戻った直時であったが、玄関先で再び呼び止められる。
「タダトキさん。くれぐれもお気を着けて」
「お心遣い感謝します。安全第一で行ってきます」
経験者の付き添い無しで、いきなり単独活動をする姿に念を押すアイリスだった。
弁当の包みを背嚢へ納めた直時は、特に気にせず片手を上げながら南門を目指した。
「おはようございまーす」
「おう! おはよう! 若いの、出立かい?」
「ギルドに売る薬草採取に出掛けて来ます。夕刻には戻りますよー」
「ほう。冒険者かい。その分だと素人さんだな?」
「あははは。判ります? 今日が初めてなんですよ」
「そうかい。無茶はするなよ?」
斧槍を軽々と持つ衛兵が釘を刺す。
「薬草採取ってーと、南東の草原あたりかい?」
「はい。治療薬の材料だと聞いた『イクサ』がその辺りに生えていると聞いてますので」
「そうかい。だが、あんまり南に下るんじゃねぇぞ? 少し南の岩山に素人さんには厄介な魔物がいやがるからな」
「それは怖いな。ちなみにどんな奴なんです?」
「大岩猿って奴でな。固ぇ上に群れて襲ってくる。独りじゃ良い餌食だぜ?」
「――近付かないようにします」
「それで良い。冒険者なんて臆病じゃなきゃ直ぐにおっ死んじまうからな」
「助言ありがとうございます。行ってきます」
「おう! 気ぃつけてなー!」
背中を叩かれつんのめりそうになったが、乱暴ではあるものの貴重な情報に感謝して町を後にした。
精霊術を禁止されている直時は、のんびりと街道を歩く。周囲に広がるのはなだらかな草原。疎らに生えているのは低木か、丈のある草むらだけ。リスタルの町に近いため、盗賊も現れない。
「そろそろかな?」
街道脇に生える低木の形を記憶して、東へ向かい草原に分け入る。
「歩きにくい……」
遠目には芝のようだが、実際は膝上までの高さがある。かき分けて歩くのは骨が折れた。
「群生地までちょっと遠いかな? でもまあ、ぼちぼち探し始めるか」
直時は、とりあえず周りの足元を見渡してみる。資料にあった形の葉は無い。
「腰がぁ!」
暫くして音を上げた。中腰で草をかき分けていたので当然である。少し考え、魔法陣を編む。
「視えざるを視 聞こえぬを聞き 触れ得ぬものに触れよ 『探知強化』」
以前フィアが使った魔法陣を盗み見していたが、間違いなく憶えていたようだ。魔術により研ぎ澄まされた知覚をフル活用し、ゆっくりと歩き出す。
直時の広がった視界にそれらしき葉が映った。確認に近寄る。
「ヨモギみたいな葉で、一番下の双葉だけは丸いっと。これで間違い無さそうだ」
当たりのようである。
見つけた場所からジグザグに歩きながら探しまわり、昼までに五株を採取できた。
「さーって! お昼御飯はなーにっかなぁ」
楽しそうである。大きめの低木の根元に腰を下ろし、包みを開く。
包んだ葉の清々しい香りとともに手元にあるのは……。
「――昆布巻き?」
片方は具を詰めたパンだと解かるが、もう片方は塩漬け肉に昆布(?)を巻いたものであった。しかも掌サイズの大きさである。
「オットーさん、俺の好物だってサービスしてくれた?」
確かに昆布を切望していたが、この使い方はあんまりである。
「いやいやいや。料理長渾身の一品だ! 意外に美味いかもしれない」
気を取り直した直時だったが、踏ん切りがつかないのかパンの方から口へ運ぶ。
横からナイフを入れ、具が詰められたバケット。しゃきしゃきの生野菜と炙った肉、そして、……昆布が入っていた。
「こっちも昆布かよっ!」
正直昆布が無かった方が美味しそうだった。
惜し気もなく使われた昆布を見て、意外と簡単に入手出来そうだと期待が増すが、次の一品には正直期待が持てなかった。躊躇いつつも齧りつく。
「昆布の旨味が塩辛いハムの味をやさしく包み込み……」
直時は、料理評論家の使いそうな呪文を唱えながら咀嚼する。効果は殆ど無い。
「おやっさん……。出汁の決め手が…、昆布なんだ……」
微妙な料理を完食し、リスタルの方の空をみて呟いた。とても残念な気分であったという。
昼食後、薬草採取を再開する。早速一本目を発見するが、直時は何か思いついたのかイクサだけでなく、周りの野草も丹念に観察し始めた。
「よし!」
頷いた直時は、すぐに次も見つけ出す。それから短時間で七株を採取することが出来た。どうやら、周囲の植物相ごと探すことで見つける効率が上がったようだ。
「今日のところはこんなもんだろ」
汗を拭い、合計一五株のイクサが入った革袋を満足そうに眺める。
帰途に着くべく踵を返した直時は、その瞬間微かな地響きを感じた。労働の汗が冷や汗に変わる。
(まさか大岩猿? 注意された岩山には近寄ってないのに! つか、ここからじゃ岩山すら見えないぞ?)
焦りながらも、地響きの方向に目を凝らす。
「あれか?」
草を千切り飛ばし、土砂を巻き上げながら向かってくる獣の群れ。探知強化により、直時の視力はその姿を判然と捉えた。
猿と言うよりは類人猿、強いて言えば狒々(ひひ)のようだ。しかし、名前の由来であろう岩のような塊が額と上腕に生えており、体長は三メートルはありそうだ。
「あんなの相手にしたくないっ。早く逃げないと!」
群れは十数頭いるようで、まっしぐらに直時のいる方へと疾走してくる。
「でも、俺が標的か?」
疑問に思うのも無理はない。『探知強化』で鋭敏化した感覚で察知する前から群れは駆けていたのである。
「横に逃げてみるか」
追われるまま進行方向へ逃げてもすぐ追い付かれるだろう。直時は群れの進路と直角になるよう走り出す。
必死に走る直時。迫る群れを横目で確認するが、進路を変えようとせず一直線だ。やはり狙われていたわけではないようだ。
直時は巨猿の暴走を辛うじて回避することができた。
―グギャアッ!
走るその脚がもつれ始めた瞬間、魔獣の叫びが上がる。威嚇ではない。咆哮でもない。それは悲鳴だった。
直時は倒れるように慌てて高い草むらに飛び込む。心臓は早鐘を打ち、肺は酸素を求めて喘ぐ。そのまま地に伏したくなるのを堪え、悲鳴を放った巨猿の方を窺い見た。
大岩猿は苦しげにもがいていた。身体には数本の真っ黒な槍が刺さっている。そこへ背後から黒々とした大きな獣が襲いかかった。姿は巨大なヤマアラシ。体長は五メートルを超えている。
「そこそこリスタルに近いのにこんなのがいるの?」
戦慄を禁じえない直時である。改めてこの世界の危険性を感じた。
大岩猿は首を喰いちぎられ動きを止めた。吹き出す血潮が空気を朱に染める。
―キュィーーーーーッ!
大ヤマアラシが勝鬨の声を上げる。
「――長居は無用だな。撤退だ」
直時は早々に逃げ出したいが、距離をとったとはいえあの巨体である。追いかけられれば逃げきる自信がない。
脂汗を滲ませつつ、とりあえず匍匐後進でゆっくりと離れることにする。魔獣から目を離すことが出来ない。
血を啜っていた大ヤマアラシが突然鼻を高く掲げた。それを見た直時は即座に風の向きを確かめる。嫌な汗が吹き出した。
(こっちは風上だ!)
直時に向かって疾走し始める大ヤマアラシ。存在を嗅ぎつけられたのだ。
「逃げ切れない! 迎撃するしかない!」
直接攻撃が通じるとは思えない。立ち上がって魔法陣を編む。
姿が見えたことで、一直線に向かってくる大ヤマアラシの行く手、直時の手前に魔術が放たれる。
「土は石に 石は岩に 『岩盾』!」
高さ五メートル、幅三メートルの将棋の駒に似た五角形の岩が地面から屹立する。ひとつではない。直時の左前方に二つ。右前方に二つ。しかし、正面は無防備だ。
大ヤマアラシの進路が変わらないのを睨みつつ、次の魔法陣を編む。
「焼けつく炎 『炎弾・散』!」
前方に放たれた小さな炎の散弾が、突進する大ヤマアラシを覆い尽くした。苦痛に動きを止める魔獣。体表を焼かれながらも、直時に怒気を放ってくる。
「水よ 貫け 『ウォーターカッター』!」
至近に迫られながらも、止めの魔術が放たれる。
脚を止めていた大ヤマアラシに避ける余裕は無かった。
糸のような水線が頭から胴の半ばまでを断ち割る。断面から血を噴出させる魔獣は、大きな音を立てながら倒れ伏した。
「ふへぇ……」
緊張の連続に耐えかね、直時はその場に腰を落とす。安堵も束の間、またも地響きが鳴った。
「今度は何だよ? ……って、うえぇっ?」
先ほど別方向に逃げて行ったはずの大岩猿の群れが直時を目指して走ってくる。その後ろからはもう一頭の大ヤマアラシ。
大岩猿を仕留めた時の雄叫びは勝鬨ではなく、獲物の確保を知らせる叫びだったのである。大ヤマアラシは番であった。
「無理っ! 勘弁してっ!」
泣き言を叫びつつも、魔法陣を編む直時。それはひとつふたつではなく直時の眼前を埋め尽くす勢いで現れる。
「磐石の大地 其は幻なり 揺れよ 崩れよ 『崩土』!」
直時の眼前から放射状に大地が揺れ耕され、柔土へと化した。そこへ突っ込んだ巨獣達は自重を支えきれず踏み込んだ脚ごと埋もれていく。
「波打つ水面 珠の海 迸れ 『水塊』!」
身動きの取れない魔獣達に水の塊が容赦なく降り注ぐが、致命傷には至らない。初級魔術を模した術では威力が足りない。
そして最後の魔法陣が列を成す。
「進め 飛べ ならば左手に雷を 『スタン』!」
晴天の下、大気に雷が満ちる。濡れた魔獣達は例外なく四肢を引き攣らせた。
「きょ、今日の、ところは、これで、勘弁、してやるっ!」
逃げることで頭がいっぱいの直時は、息も絶え絶えで捨て台詞を吐く。
喰い千切られた大岩猿。切り裂かれた大ヤマアラシ。動けない魔獣達。そんな中に立つ小さな人影。
明るい陽射しに包まれたそれらを大きな影が包み込んだ。
「鳥か……?」
見上げた直時が呟く。
しかし、明らかに縮尺がオカシイ。彼の眼が確かなら、翼長一五メートルはあるだろう猛禽が頭上を旋回している。
その巨鳥は滞空姿勢から一転、翼をたたんで突入し始めたのを認めた直時は呟いた。
「――フィアさん。これは解禁だよね?」
直時の周囲で風の精霊達が舞い踊る。
「精霊さん達、良いよね?」
笑い声が聞こえる。
風切音が聞こえ出した時、直時は精霊に魔力と意思を伝える。
「風刃、逆巻け」
瞬間、巨大な竜巻が巨鳥を飲み込んだ。強風が翻弄するだけではない。竜巻は無数の風の刃の集合であった。
血の雨と肉片が降り注ぐ中、大きな羽毛がゆっくりと舞い降りてくる。
その様子を目の当たりにして、動けぬ魔獣達の怯えを余所に直時は歩き出す。リスタルに帰るために。
「ん?」
周囲に体長一メートル程の蜘蛛が蠢いている。太い足とずんぐりした胴体。タランチュラを大型化したような蜘蛛である。血の匂いに集まってきたようだ。
―脳内検索。斑土蜘蛛。脚の身は美味。食材として重宝される。
―ズブッ
毒を持った強靭な顎が噛み付く暇もなく、直時の槍に頭を貫かれる。
「斑土蜘蛛、とったどー」
血塗れの直時の口調からは抑揚が感じられなかった。
この数日、なにがなにやらわからずに混乱してます。
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本日の更新は一区切りつけたかったので長めになりました。
以降、更新はちょっと間を置きたいと思います。